すがわらの工房日記

東北は岩手県一関市の呉服屋。こつこつと友禅染めをしています。

日高見国の蝦夷

2015-06-07 16:17:33 | 歴史とか
皆さんこんにちは!
こちら日高見国にある呉服屋、京呉服すがわらでございます!

という訳で前回の続きなんですけど


昔々ここいら辺の土地は日高見国と呼ばれ、人々は蝦夷と呼ばれていたんですが、
みんな平和に暮らしていました。

そこに朝廷軍が攻めて来てまあ、色々あったわけです
そこはもうご存知の方も沢山いらっしゃるでしょうからそちらにお任せするとして、


ところで蝦夷(エミシ)なんですが、

これが相当な戦闘力を持っていたみたいでして、

日本書紀にも

『蝦夷はこれ尤も強し~』とか書かれている訳です、他にも
『山に登ること飛ぶ禽の如く、草を行くこと走る獣の如し~刀を衣の中に佩く。』と

何と帯刀しているんですよ、鉄製の刀を持っていたんですね。
この辺りの舞草地区で生産されていた蕨手刀は後に日本刀の原型になったそうです。
刀の他にも弩(おおゆみ)と呼ばれる弩弓、いうなればボウガンですよ!すげー!!
それらを用いて馬に乗り、加えて彼等は完璧な騎馬民族だったようで
弓馬を用いた騎馬戦が大得意となれば
そりゃもう朝廷軍が手こずったのは当然と思います。



そこで蝦夷と言えばそう、皆さんご存知阿弖流為ですよ!

この方


けっこうおっかない顔してますが
いやいや、よく見るとなかなかのイケメンでございます。

私の中にも幾分かこの方と同じ血が流れてる、多分。

この阿弖流為と征夷大将軍の坂上田村麻呂の激戦が有名ですよね。

何やら今度歌舞伎にもなるようで

染五郎、勘九郎、七之助出演、歌舞伎『阿弖流為』公演決定!
だそうですよ。



この阿弖流為が大活躍してたのは有名ですが、何も強いのは彼だけじゃなかったんです。

田村将軍を徹底的に手こずらせ、最後の日高見国への進軍をギリギリまで食い止めた蝦夷の武将

その名は『大武丸』!

安永年間の「風土記御用書出」に確認できます。
『~田村将軍夷賊御退治賊主大武丸屍骸此処二埋葬候以来村名二~云々・・・』


阿弖流為が達国の岩谷を本拠地にしていた様に



大武丸はそこからそう遠くない山王窟を本拠地にしてた様です。
頑丈な門には魔よけの牛の生首が張りつけてあったそうで、
その辺の地は現在牛首戸と呼ばれています。


大武丸について、大正・昭和期の歴史学者の及川大渓によれば
「鈴鹿の山賊で大江山の酒呑童子を凌ぐ乱暴者、交通自在、人力をもって取り拉ぐ術が無かった。」んだそうで

そこで田村将軍は千手観音に祈請したり、手を変え品を変え、
酒に目が無いのを良い事に酒を飲ませてだまし討ちにしたりするんですよ。

あ、何かちょっと田村将軍のイメージ変わっちゃいましたね


とまあ、長くなったのでもうちょっと続きます~。







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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Meg)
2015-06-07 19:48:03
な、なんと面白い‼
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Unknown (菅原)
2015-06-09 14:28:07
Meg様コメントありがとうございます!
楽しんで頂けて何よりです、もうちょびっと続きます

海外でご活躍のご様子ですね、
いつか機会があれば私も作品を拝見したいです!
返信する

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