元SONIA店長のブログ

玉響店長がSONIAで店長をしてたときのブログです!

ありがと!

2014-09-02 08:50:34 | 日記
こんちは!

元店長です。

実は昨日の午前中も朝早くから引継ぎに店に出てたんだ。

赤坂に来るのもこれが見納めとか思うかなと考えてたけど

引継ぎのことばっかしで正直、感傷には浸ることも無く。

バイクで行くことも多かったけど、朝の電車でいつも車両の

席の区画で一緒になる女性二人はかわらずその日も座ってた。

一人は僕が寝ている間にどこかで下車するんだけど、もう一人

は赤坂を過ぎても座ってる。

どこまでいくんだろうといつも気になってたけど、もう会うことも

ないね。(笑

さて、月末、月初の処理を引き継いで、やっと終わりな感じだけど

思い起こせば4年8ヶ月も店に居たんだ。

でも、あっという間。

本当に一瞬。

大して辛いこともなかったけど、楽しく、刺激的な毎日。

僕のものじゃないけど、経営そのものを実質まかされて、何も

言われることもなかったから、擬似的に店を経営してたような

もんだ。

会社の人達には本当によくしてもらったと思う。

最後まで、僕の地元にお店出してそこでやりなよって言ってくれてた。

退職金までくれて、本当に心から感謝してます。

そして、お店に連日来てくれて、楽しませてくれたみんな!ありがとう!!!

平成10年1月に店に来て、今まで変わらずに思うこと!

赤坂の町は最高だよ!

世界に類をみない、いい人達の集う場所だよ!

SONIAを贔屓にしてくれたみんなにはお礼の言いようが無い。

言葉にならない位、この町で、この場所で仕事ができて、出会いがあって、

そしてよくしてもらってね。

しかも、あの店をだよ(笑

笑いが出る位、感謝してるんだ!(基準がわからん)

超でっけー声でいうぞ!



ありがとう。


年代も性別もタイプも全く違う人達が集まってくれてね。

もはやカオス。

コンセプトは当初、自分が行きたいって思える場所かな。

気兼ねなく使えて、あったかくてね、誠実な感じ。

でも、最終的にはお客さんに合わせてたら、こんな感じになったってことかな。

お客さんの大部分は会社員。

だから普段は自分を殺して、淡々と過ごす時間が大半だけど、そんな人達が

大きな声で笑えてね、しかも飯がうまい。で、また、笑える感じ。

ま、僕がおバカだから、笑いをとろうとしなくても、笑えるみたい。

で、頼りないから年配者の方から心配されてしまうという..。(笑

ま、笑顔が見れればそれでいいよって感じかな。

だって、着任当初のお店自体には何も、本当に何もなかったしね。

食べ物も美味しくないし、音楽、映像も、お笑いか?

って感じで、自分が一番居たくない、全く外国。(笑

金払って、得るもの無しみたいな。

あの頃、昼は本当にパラパラ人が来てても、夜は本当に誰も来ないし、

人通り自体ない通りだしね。










でも、不安を感じる間もなく、PC持ち込んで、メニュー作ったり、

ビラ作ったり、それはもう忙しかった。

誰からも言われないから、制約はないけど、全て自分次第。

翌日、ドアが開くと嬉しかった。

来てくれる人がいるよ!ってね。

ま、当時はツインタワーも大使館前の区画の建物もあったから人自体

は沢山居てね。それをどう、裏路地に呼び込んで食ってもらうか。

ただ、それだけ。

ま、単純に住宅街みたいなとこで大声でメガホン持って呼び込み

やって、そこにこんな店があるよってアピールしただけ。

一週間で見違える数のお客さんが来てね。

当時のスタッフはお客さんが来ない、ありきでやってるから

すぐにキャパオーバー。(笑

ま、酷いスタッフばっかだったな。(笑

もちろん全員クビ。(笑

本当にその頃心のよりどころは大家さんちのにゃん子達。

とくに黒白の「やまと」くんはいっつもくっついてきてくれて

呼び込みのときも足元でいっしょににゃーにゃー言ってくれんだよ(笑

かわいくってねー。

本当に心が癒されたよ。

ありがとう、やまとくん。







大家さんの家族にも本当におせわになったね。

息子さんも奥さんも大家さんも凄いいい人だった。

息子さんとは、最初に話した日は朝まで音楽の話をしてたね。

その頃、一人で来店してまったりしてたお客さんが、来客数が増えるにつれ

減っていったんだよね。

週一回、会えてた人と会えなくなることの寂しさの大きさに驚いたよ。

しかも名前も何の仕事してるかさえしらない人なのに。







お客さんが本当に急激に増えてきて、忙しい中、話しかけてきてくれる

お客さんも多くなった頃、店でイベントすること考えて、ナンを作るって

イベントやったんだけどね。

その頃、ちょっと店を気に入ってくれてた人の集いみたいのを店でやったわけ。

普段、来店する人とは違うからそれ以降会うこともなかったけどね。

企画することと、実施した実績がほしかったんだ。

似たような業態と差別化されたくてね。

とにかくネタになりそうな料理、評価されるような料理を探しまくってたよ。















その後、イベント出店の話がきてさ、ま、興味なかったんだけど

出さなきゃいけなくて。

で、大失態(笑

で、腹立つほど、うまくいかず(笑

本当に忙しくて、寝る暇なかったな。あれは。

本当にやりたくない仕事だったよ。

だって、インドのイベントだよ。

全くの興味なし。

そのイベントの後のフィードバックもなし。(笑

そうそう、その前に仙台にある姉妹店の視察も行ったなー。






店での生演奏のイベントも結構やってたっけ。





そうそう!この写真の犬塚さん。

僕がバンドやってる頃、練習、下北でやってて、たまたまテントみたいな音漏れ全開の

とこで彼女の演奏が耳に聞こえて、どんな人が演ってるんだろうって、はいってみて

それから、結構、はまって何度か、職場の友人連れてったりしてね、その人の事思い出して

ホームページから連絡とって、SONIAで演奏してくれることになって。

出会いって本当に大切だよね。

それからディナーライブって感じで何回もやったけど、盛況かつ、皆、凄い喜んでくれたんだ。

ま、クオリティが高いからね。プロだし。かわいいし。

これはインドのイベントの時だよ。(笑









思い出したくない、思い出(笑

笑えるけど。

その後、イベントと関係なく来客数はうなぎのぼり。

今もいるけど、イベントの前に入ってもらったシェフの作るクオリティの高い料理

に驚き始めたのもこの頃かな。

今まで食べたことのあるインド料理とはあきらかにレベルが違うんだよね。

「うん!これなら!」と思うものが数多くあったな。





商品価値が高いからカレー無しのチキンだけのランチとかやったな。




他の店に興味なし、学ぶ姿勢ゼロだったのもよかったのかも。

その頃、なぜか、インド料理関係の店からツイッターでフォローが多かったな。

全部、ブロックしてたけど。(笑



盗まれる情報はあるかもしれんけど、彼らに学ぶことは一つもないしね。

そもそも絡む意味すらない。(笑

求めてる次元が違うこと、というか、それらを超越してこそ!だったからね。

しかも、僕はインド料理そんな好きでもないしね。(笑

でも、やはり自分の居る店の料理のレベルは段違いに美味しかったし、これは

日本人でもハマルみたいなものが結構多かったから、それからの反響にもさして

驚かなかったな。

要はシェフのスキルに尽きるって事がよくわかった時期だね。












この頃だよ、一番人気メニュー 炭焼きチキンとほうれん草入りトマト風味のカレー

チキンティッカパラク とであったのは。



これはね、よくお客さんも口に出すんだけど

「やばい!」

これが一番このカレーに合う言葉。

凄いんだ、インパクトが。

今まで美味しいと思ってたカレーをトイレに流してしまいたい位美味い。

もう、自分の中で商品力という部分にも自身十分、実績ちょっとみたいに

なっていたので、これは食ってもらうイベントをやるしかねー!と思い始めてたな。

最初の年の年末は、結構宴会をしてくれた会社さんが居て、夜に呼び込む為の何かを

掴み始めた感じだったね。

お客さんから沢山頂き物もあってね。









さ、さ、仕事中にこれを読んでいる諸君、そろそろ仕事に戻りなさい!

続きはまた!








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