LOHASな感じ!

日頃、仕事やプライベートで感じた事をLOHASな感覚で書いています。

Are you jonie tonight?

2006-12-19 | 男の料理
Are you jonie tonight?

何だこれは?
知人からもらったパッケージに大きく英語で描かれていた。
とても外見からでは想像できないそのものは、
なんと、豆腐だった。

知る人ぞ知る男前豆腐店の商品名なのである。
豆腐のイメージを大きく変えたのは名前だけでない。
パッケージそのものも、例の直方体ものとは違うのだ。

そいつは、いや、それはレンゲを大きくしたようなパッケージに覆われていた。
なんとなく不安定で、と言うよりやっぱり不安定なそれは、
テーブルに置いても収まりが悪いのだ。
何を目的にこのような形になったのかが理解できない。

何はともあれ、食することにした。
裏面に2種類のレシピが載っていたが、まずはわさび醤油で食することにした。
うーん? ん?
行けるじゃないか。
濃厚な味はわさびをまろやかに包み込み、確かな味わいを与えてくれた。

これぞ男前豆腐?
ホームページにアクセスしてみた。
にぎやかな音声と共に何やら豆腐屋らしからぬWEBデザイン。

一度お試しあれ!



紙の建築

2006-12-18 | 建築と文化
紙を主体構造とした建築物がある。
紙とはいっても、紙管である。
紙管はトイレットペーパーの芯を巨大に大きくしていったものだと想像してもらいたい。

また、紙管は合法的な素材として認められている。
それは、進化した木とも言えそうだ。
軽量化が図れ、リサイクルにも適した素材でもある。

建築家 坂 茂は、紙管を用いた建築で有名だ。
坂茂の作品は、三宅一生のMDS|Gに代表される。

MDS|Gのファサードはガラス張りになっていて、その奥にスラブを支えるように紙管が建つ。
紙管とスラブの接合などどうなっているのかと感じつつも、こんな建築もあるんだなと考えさせられてしまう。

また、紙管を使用した住居の供給にも一躍かっているとの事だ。
神戸・ルワンダ・トルコ・インドなどでの世界中の地震被災地での復興にも貢献しているそうだ。

うーん、建築の可能性かぁ。
素材にも着目する必要性もあるよなぁ...。

会津さざえ堂

2006-12-17 | lohas的情景
今朝の朝日新聞be on Sundayに、会津さざえ堂が掲載されていた。
奇想遺産として紹介されていた。
私は残念ながらまだ訪れたことはないが、確か何かの建築誌に磯崎新が紹介していたのを記憶している。

be on Sundayの著者は、ブリューゲルのバベルの塔を連想したと記述しているが、なるほど意味合いがわかる。
会津さざえ堂は、木造の六角堂で高さが16m。
その内部は、交差することのない上下のスロープがある。
建物の概観は、六角堂の屋根に対しスロープの形に沿って格子窓が傾斜しており、木造建築としては奇異な姿を呈している。

ホームページの紹介があったので、早速アクセスしてみた。
竣工は江戸後期だそうだが、その建築の発想については見解が分かれているそうだ。

考案者は、郁堂禅師。
なんと一説には、
レオナルド・ダ・ヴィンチが発明したとされる二重らせん図が、巡り巡って江戸後期日本に伝わり、そこから二重らせんのアイデアが伝わったのではないか、ともされているそうだ。
確かなことは分からないそうだが、しかしダヴィンチも登場してくるなんて...。

世界唯一の木造二重螺旋構造、トリッキーな世界へ足を伸ばしてみたい。



階段 | Stairs

2006-12-16 | 建築と文化
「階段」なる本が出版されている。
 ~ニューハウス出版

様々な設計家が繰り広げるオリジナル階段の写真集だ。
住宅建築において、階段は難しい。
規格型の階段やプレカットでのセミオリジナル的階段は勿論例外だが、階段にこだわりだすと限りなく難易度が高くなってくる。
それが階段だ。

こだわるにしても、様々な視点があるのだ。
階段素材、空間、光、活用、造形などあらゆる角度からの捉え方がある。

オープン階段は、室内空間にもたらす影響が特に大きい。
「階段」においても、そのほとんどがオープン階段の記載だった。

見事に空間の変化・アクセントを表現している。


そう言えば、オジジナル設計でのオープン階段、施工で苦労した現場もあったなぁ...。


安藤忠雄とコンクリート

2006-12-15 | 建築と文化
安藤忠雄の建築は、訪れた人の心に、空間体験だけが残っていくような建築を目指している。

そういった建築を支えているのが、打放しコンクリートだ。
打放しコンクリートがトレードマークにも感じる安藤忠雄の作品。
安藤忠雄は、コンクリートの質感に対して、平滑で手触りも柔らかなものを求めている。
それは、木と紙でできた建築に慣れ親しんだ日本人の感性を意識したものだそうだ。

そのコンクリートをつくるのに安藤忠雄は試行錯誤を繰り返していった。
打放しコンクリートはクラックや表面の汚れなどメンテナンスでも課題は残るようだ。

しかし、これからもコンクリートの可能性を 安藤忠雄の美学として追求していってもらいたい。


隈 研吾と馬頭広重美術館

2006-12-13 | 建築と文化
栃木県馬頭に広重美術館がある。
隈研吾の設計によるものだ。

それは、大屋根切妻の木造建築物と思えるような外観だ。
近づくにつれ、木格子で屋根・外壁が覆われている事がわかる。
その外観は近隣環境と融合し、和のテイストをかもし出している。

隈研吾は、建築における安全性についてこのように語っている。
安全性とは安心感だと思います。
したがって、心の平穏を保つ自然な素材であり、
特殊な技術や建物の強度とは別のものだと思うのです。
コルビジェに代表される20世紀のモダニズム建築は、
弥生式住居のように、地上に浮いた安全性を目指したものですが、
私は縄文時代の住居のように、大地に抱かれ、
周辺の森に守られる安心感を安全性と考えたいのです。
~14 JAPANESE ARCHTECTS
   interviews and photos by Roland Hagenberg

ここ、馬頭にくると隈研吾の考えがなるほど理解できる。
馬頭広重美術館、これは発想性に大きな意義があると感じた。



太陽と、わたせせいぞう

2006-12-12 | lohas的情景
晴れて来たねぇ。
夕方、西の空から太陽がほんの一瞬顔を出した。

こんな情景を写真に撮ったらさぞ綺麗でしょうね。
と、窓から鈍角に注ぎ込む太陽を浴びながらスタッフが言った。

明暗のある風景の撮影は意外に難しいんだよと応えたが、その時ふと、先日見たDVD「わたせせいぞうの世界」を思い出していた。

それは何気なく借りてきたDVDだった。
わたせせいぞうの描写は、太陽の光を見事に捉えていた。
明暗のコントラストと色遣いが素晴らしい。さらにそこにストーリー性を加えている。

わたせせいぞうは、そういった日々の情景に感動し、数々の作品をイラストとして残している。

何気ない日々の情景に感動する。
それはお客様の庭先であったり、突然降りだした雪であったりする。
そんな感覚、自分も大事にして行きたい。
そう思った。

磯崎 新~水戸芸術館にて

2006-12-11 | 建築と文化
何も持たないという事は、全てを有するという事だ。
ちなみにこれは禅の発想だそうだ。
そんな磯崎新のコメントからはじまる日本の建築家集ビデオを見た。
水戸芸術館を背にし、海外からのインタビューを受けていた。

インタビューの中で、磯崎氏はコルビジェを例に取り上げ、

建築家の生活は全て建築と結びついている。
設計することのみが建築家の仕事ではない。
と発言していた。

また、「間」MAという事にも言及していた。

間は点と点の間、あるいは、物と物の間に存在します。
からっぽで静寂な無です。
見ることも、聞くこともできませんが、感じることはできるのです。
だからこそ、空間を体験することの本質となるのです。
物というのは、取り替えることもできるので、たいして重要ではありません。
禅僧の教えのように、何を持たないということは、世界のすべてを持つということです。
~14 JAPANESE ARCHITECTS interviews and photos
by Roland Hagenberg 柏書房
  Arata Isozaki at Art Tower Mito.

空白であっても感じることができる間でなくてはならない。
それが重要だとしている。

磯崎氏がインタビューの最後に
「様々な作品を見るのではなく、感じてほしい。感じることだ。」

そう言っていたのがとても印象に残った。

光の教会

2006-12-10 | 建築と文化
安藤忠雄の作品の中で、「光の教会」と呼ばれている建築物がある。
建築資料研究社より、「光の教会 安藤忠雄の現場」平松剛著が出版されている。

教会堂の建設の計画が持ち上がり、教会側が安藤忠雄に設計を依頼することになる。
しかし、後に安藤忠雄が語るように、教会側より提示された予算はかなりの低いものだった。
先方の予算では、どう考えても、予定している収容人員を確保できるだけの教会堂をつくるのは無理だった。
そんな時、安藤忠雄の閃きがあった。

基本構造はコンクリート打放しの教会堂とし、その箱体の南側の壁に十字架の窓を設ける。
建物の中から見ると、その正面の窓から十字架の光が差し込む仕掛けになっている。
また、その箱体に対して斜め15°に突き刺さる壁がある。
このようなイメージパースから建築工事が開始されることになる。

「光の教会」は、そんな安藤忠雄の閃きから、暗雲漂う現場、そして竣工に至るまでが、建築上の様々な問題を通してリアルに表現されている。

建築に対する人々の情熱...。
様々な問題を乗り越えようとする情熱。
設計者であろうとも施工者であろうとも、ベクトルを一本化する事なしにはCSは図れない。
改めてそう感じた。





光庭

2006-12-09 | 建築と文化
光は美を演出し、風や雨は肉体をとおし生活を彩る。
こうして、建築は人がそこに自然を感じるための媒体となる。
~安藤忠雄 挑発する箱より

こういう発想が最近になって分かってきた。
安藤忠雄の住吉の長屋に対する思いだ。

安藤忠雄は、住吉の長屋で繰り広げられる生活を光庭に見いだす。
自然の感覚をまさに住居まで引き込んでしまうのだ。

住吉の長屋は、大阪下町の過密地域にあって三軒長屋の中央を
コンクリートのボックスとして新たに建て替えた現場だ。

寝室に行くのに屋外を通らなければならない。
自然はときに過酷であり、その厳しさを生活しながら体感する。
体感するというより体感せざるを得ないとも感じる。

しかし、安藤忠雄は、
そういった厳しさも含めての自然の変容と、
それを刺激として受け止める人間との関わりこそが生活の彩りであり、
その自然と対話する姿勢こそが本当の意味での「共生」ではないか。
と安藤忠雄著「連戦連敗」の中で発言している。

自然との共生をコンクリート素材を通して実現可能にしていく安藤忠雄。
建築の可能性を改めて問いただされるような思いだ。