felizmundo's website

月の満ち欠けに時の流れを感じながら、皆でそれぞれの持ち時間を楽しく意味あるものにしていきたい。

快晴の青空に今朝も月!

2021-11-30 20:12:01 | 惑星・天体ニュース

   冬になると晴れが多くなる。今朝も起きると外が目映いようないい天気でした。まずは、何を置いてもお月様探しです。ほとんど苦労することもなくお月様が見つかりました。

      

       だいぶ細くなったお月様ですが、弧を描くので分かりやすいです。大変なのは、写真を撮ろうとすると太陽の光に負けて見失い易いこと。太陽の光がカメラの画面を照らすことのないように、自分が木の陰などに入ることで画像を見やすくし、次にお月様を特徴のある木の枝や葉のそばに移動してもらって写します。8:02.9:00.10:45 と写真を何回か外に出て撮ってみました。

    

   ちょうどまっすぐの姿勢になったお月様です。さあ、今日はどの位の時間まで姿をみせてくれるかな?

        

      どこにいるか、分かりますか? 枝のある右側に小さく爪で引っ掻いたように見えています。今日は、この後に薄雲が広がり、10:46が最後になりました。8時から11時前の3枚の月の写真で、月の傾きが変化して、最後のは西の地平に向けて下降していこうとするのが感じられますね。13:49に地平に沈んだお月様。夜中の2:28まで上って来ないので、さあ明朝はどうかな?そろそろ月が細くなり太陽に近づいてきているので、今日のように天気が良くてもだんだん太陽の眩しさもあって見つけづらくなってきますよ。日の出前に起きられれば会えそうですが、これから天気が悪くなるそうです。

      明日は、もう12月です。もう、2021年も最後の月。去年からすっかりコロナ、コロナで過ごしてきたこの2年。日本は落ち着きを取り戻したかのように見えますが、オミクロン変異株の脅威がまた言われて安心はできない感じですね。ウィルスの変異株は最初アルファから始まりましたが、ニューとクサイは、new に紛らわしい、xi は中国人の姓名によく使われるので使われなかったそうだ(因みに習近平氏は、Xi Jinpingとなります)。数学に使われているものも多く、次はπパイに・・・ロケットの名や、時計の名前もでてきます。

          

       もう、このギリシャ文字を重ねることなく、世界に健康な平和が訪れてくれることを祈ります。

     

 

   

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨夜の月を青空の中で見つけた

2021-11-29 19:54:17 | 知ろう福島のこと

  昨夜寝る前に、もうそろそろ上ってきたかな?と寒い中を外に出て、しっかり出会えたお月様の写真から・・・

    

    29日に日付がなってから上ってきた生まれたてのお月様を、やや実物より黄色い私好みの色にして撮りましたよ。きれいですね。

    そして、目が覚めると8時過ぎ。でも、窓を開けると日差しが明るいので、青空の中にまず最初にお月様探しをしてみました。昨日の上ったお月様が朝には違った表情で待ってくれていましたよ。

   

   空高く、白い雲に紛れ込むようにお月様がそれでもしっかり弧を描いて「ここにいるよぉ~」と声をかけてきた。

  「おはよう。眩しくて、撮るのが大変そうな高いところにいるのね。冬の枯れ葉と一緒に撮ると撮りやすいかな?」と枯れ葉との2ショットを撮りました。そして、時間が経つと露出が難しくなって撮れないといけないので、ズームアップ写真も撮っておきました。

   さあ、どこまでお月様を追いかけられるかな?

   <9:30>

     まだ、見えています。ちょっと色を月を見失わないように濃くしてみました。

       

       だんだん見つけるのが大変になってきました。薄雲も広がってきて、もう見られないままこのお月様は西の地平に沈んでいきました。ところで、昨日は、早めに朝の月をブログにアップしたので、その後のお月様も見ていたのですが、アップし損なった写真が実は1枚ありました。昨日は、今日よりも晴天で、12:04!の電線の上まで降りてきた沈む少し前のお月様まで見送ることができました。

          

         何はともあれ、ここ連日、お月様に夜に朝に会えて心を慰め力づけてもらえました。

         今日も無事に1日過ごせたことに感謝して。明日もよい1日になりますように。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「原発に挑んだ裁判官」(著:磯村健太郎、山口栄二)

2021-11-28 15:58:30 | 知ろう福島のこと

  「私が原発を止めた理由」(著:樋口英明)を読んで、その感想はすでにこのブログのココに書いた。まっすぐ直球で樋口さんの気持ちが届けられていて、素晴らしい本だった。もっと何か読んで見たい気持ちになって、手に取ったのが「原発に挑んだ裁判官」だった。

   樋口さんの本を読んで、「原発を止めた判決で左遷されたのではないか」という見方があるのに対して、「自分は、信念をもって勇気ある裁判をして、名古屋家庭裁判所に異動になったと語られたりしても、左遷されたと思っていない。裁判所全体が政権の意向に忖度しているというのも、結構、忌避の申し立てを柔軟な対処で自分が高浜の仮処分の担当の時も、兼務という形で続けさせてもらった」として、否定し、後進の人も信念に従って判決を粛々とだしても大丈夫と勇気づけている。

   そして、この本はというと・・・(裁判所は三権分立と言われているのに独立して判断できているのか)という疑問の答えをえるべく、原発訴訟に関わった裁判官だけでも十数人に取材した生の声から新聞記者2人出した共著だ。

   最初は、まず信念を貫き住民側に勝訴をもたらした樋口英明裁判官の登場だ。実は原発訴訟は、住民勝訴となっても、控訴審では逆転敗訴で住民側が負けるなどして、正式な裁判では原発が止められたことがないという。それでも、登場してくる裁判官の声に耳を傾けると、その時なりに誠実には向き合って判決を出した事が分かる。以前の判例にならう習慣や、忖度がなかったとは言いがたいが、そこにしっかり後ろ盾に大多数の国民が支えていけば、壁は乗り越えられると思える。ただ、そのためには、まさに、樋口さんが、私たちに呼びかけたキング牧師の言葉を我々が胸にしっかり刻み込まないといけないのだろう。

  ”The ultimate tragedy is not the oppression and cruelty by the bad people but the silence over that by the good people.(究極の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、それに対する善人の沈黙である。)” 国民が沈黙していては、裁判所も、国も変わらないのだろう。

  そこで、国民がもっと原発の問題に触れていくためにも、私自身も含めて、しっかり原発裁判のあれこれを振り返えることは大切だと確信した。そこで、自分のためのメモも兼ねて、ここにこの本の概要を残しておくことにする。樋口さんの例も再度纏めておく。

大飯原発および高浜原発の住民勝訴・・・樋口英明裁判長の例

 ・ 3.11の福島原発事故が起きるまで原発訴訟担当の裁判官のよりどころは、「伊方原発訴訟」の最高裁判決だった。それは、「原発が安全なのか危険なのかを裁判所が直接判断する必要はない」と受け取れる内容。専門家が高度の知見で国の規制基準を設け、担当省庁が審判して「合格」としたのなら、規制基準が不合理なときや、見逃すことのできない欠陥・見落としがない限り、裁判所は行政庁の裁量の範囲内であり、「よし」として、行政に判断をゆだねる。つまり、独自の判断に踏み込まず、原発が規制基準に合っているかで判決を下す・・・「伊方方式」だ

   この判決がその後の様々な判決に影響を与え、住民側は負け続けた。

そして、2011年、福島原発事故が起きた。樋口裁判長は、3・11後は、「看過しがたい過誤、欠落」さえチェックすればと言うのでは、小さい不合理はもちろん大きな不合理まで見落としてしまう危険性を考えねばならない。伊方方式は20年前のものであり、法というものは止っていてはダメ。これは正義の問題」として、正義はあるべき姿へ移っていく。3・11で大きく移るはず」と考えた!

 ・審理を始めるにあたり、陪席の2人に「過去の裁判例は調べないように」と指示。それに引きずられず「自分の頭で考える」ようにも指示。最高裁判所の判断が永遠普遍ではない。住民側勝訴とした判決文を読んで見よう。

    原子力発電技術の危険性の本質およびそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も責務を放棄するに等しいものと考えられる

   *「具体的な危険性」とは、原発内に留まる被害ではなく、日本で起こる強さの地震によって、広範囲に及ぶ過酷事故のこと

 ・「今の耐震性では強い地震に耐えられない」と原告。樋口さんは、工学上の議論になると思ったが、被告の関西電力も「原発は強い地震に耐えられない」ということに争いはなく驚いた。ただ、将来にわたって強い地震は来ないと関西電力は主張した。裁判の核心部分は「良識と理性」の問題。「規制基準にあっているかどうかではない」と主張の組み直しを原告と被告に迫った。

   関西電力の基準地震動は700ガルだった。それの1.8倍の1260ガルの設計だから大丈夫と・・・。

  我が国では地震学会おいてこのような規模の地震の発生を1度も予知できていないことは公知の事実である・・・原子力規制委員会においても16個の地震を参考にして今後起こるであろう震源を特定せず策定する地震動の規模を推定しようとしていることが認められる。この数の少なさ自体が地震学における頼るべき資料の少なさを如実に示すものと言える。従って、大飯原発には1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能である。  

  「そもそも、700ガルを超える地震がくることはない」との原告の主張に、被告側が全国で当時20カ所もない原発のうち、4つの原発を想定した地震動を超えるものが6年足らずの間に5回も襲っている事実の存在をみいだした

  実は、樋口さんの三重県の家は住宅メーカーが3400ガルの地震に耐えると明言した家だった。それにくらべ、原発の地下で想定されている基準地震動はほとんどが1000ガル以下。大飯原発の建設時は405ガルだった。それが、建設時から3・11を経て基準を引き上げてきた。樋口さんは、調べるほどに非科学的な、楽観がすぎるような欠陥をみつけ、確信をもって住民勝訴の判決を書けたという

   たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字がでるとしても、これを国富の流出や損失と言うべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の損失であると当裁判所は考えている。

   明快で、素晴らしい判決文だ。他の裁判官がどうしてこのような明快な判決をだせなかったのか?それをこの本は、どんどん明らかにしていく。

   樋口英明さんは、実はもうひとつ高浜原発の再稼働を止める仮処分の裁判も行いました。これは、裁判官忌避の申し立てを関西電力から受けながらも、却下し、名古屋家裁へ異動した後に特別に異動後の名古屋高裁の許可で「職務代行」で出せたモノ。「裁判所は最高裁を頂点とした一枚岩で政権に迎合している訳ではない」 心ある人は裁判官の中にもいること。ただ、この樋口さんの「高浜原発の運転差し止めの決定」は、関西電力が異議申し立てによって、ひっくり返されてしまった。それを担当した3人の裁判官は、3人とも、最高裁事務総局付経験者*最後に補足という司法行政の実験を握ったエリート。この3人そろって赴任した「あまりにも珍しい!?」人事については、この本の最後の方に解説があるので、是非最後までこのブログを読むか、この本を直接読んでみてほしい。

   さて、次にでてくるのは、福島原発事故の前に住民勝訴の判決をした2人の裁判長の話だ。

 <3・11前のわずか2つの住民勝訴の例外>

 1.北陸電力志賀原発訴訟・・・井戸耕一裁判長

    「誠実に事件に向き合って、周囲を気にすることなく、自分たちが信じる仕事を淡々としている雰囲気が裁判官にはあった。弁護士がいくら立証活動をしても結論を出すのは裁判官。そう思い魅力を感じたと裁判官になった井戸さん。

     営業運転スタートの祝典9日後の判決で、原発を止める判決を言い渡すのに重圧はあった。

     原告が立証責任を負うのが民事訴訟では基本だが、原発訴訟は資料を圧倒的に被告の電力会社もつ。証拠が偏っているので、立証責任を被告に負わせた。ちょうど偶然にも原発近くを通る断層帯についての新しい知見が出て、5つの断層が別々にしか動かないから地震の規模はM6.6と電力会社が主張したが、1度に動けば、M7.6の地震が想定される解析結果が政府の組織・地震調査委員会から3月に出された。ただ、30年以内に起きる確率は2%だった。しかし、もうひとつ、8月に宮城県沖地震が起きた。女川原発で、想定基準地震動を200ガル上まわる地震が起きた!  

     井戸さんは、2006年3月、住民勝訴の運転差し止めの判決を下した。ただ、井戸さんは、「裁判官の判断自体も、国民の意識を反映する部分がある。裁判官も世論からまったく自由な存在ではなく、国民的な世論に影響される面は否めません。だからと行って、裁判官が国民の意識の後追いをしているようでは存在意義がないのですけどね。多くの裁判官は真面目に仕事をしている。しかし、慎重な人が多いのも事実だと思う」と述べている。

     「司法は、市民の最後の砦であるべきです」と語る井戸さんだが、この訴訟は高裁で逆転敗訴、2010年秋に、最高裁で住民側の敗訴が確定した。東日本大震災が発生したのは、4ヶ月余りあとだった。井戸さんが判決でいった「炉心溶融事故の可能性も・・・ある」「多重防護が有効に機能するとはかんがえられない」が現実となってしまった。「わずか千年前に起きたことは、『具体的危険』だと思います。原発という危険なものを扱う以上、備えるべきでした」と井戸さん。

 2.動燃・もんじゅ訴訟・・・川﨑和夫裁判長の例

    2003年1月名古屋高裁で日本初の原発訴訟での住民側勝訴。裁判所には科学の専門家がいないので口頭弁論では発言が慎重になるので、1ヶ月に一度朝から夕方まで双方の代理人と専門家とフリートークで質問できるようにした。住民も交代で参加できるようにした。安全審査に「看過しがたい過誤・欠落」があり、放射能物質が外に放出される具体的危険は否定できないとした。さらに、英国の事故で、もんじゅと同じ原型炉で1987年に39本の管が8秒で39本破断する事故があった。1981年に動燃が行った実験でも25本が同時に破断することが確かめられていたのに、科学技術庁に動燃が結果報告したのは1994年、さらに科学技術庁が原子力安全委員会に報告したのは1998年だった。でも、日本の基準ではなぜか、4本が破断することを想定した対策で十分とされたままだった!!!!

    判決には、・・これらの機器の健全性が損なわれることがないと判断したことは、誠に無責任であり、ほとんど審査の放棄といっても過言ではない」「・・・看過し難い不備があるにもかかわらず、審査機関がその補正を求めた形跡はまったく認められず、むしろ、本件許可申請書の記述を無批判に受け入れた疑いを払拭することができない」

    この判決に原子力安全委員会はカンカンになって怒ったらしいが、あとになって、国は設置許可のナトリウム漏れ対策や蒸気発生器についての変更を許可したという。

    「国家の安全保障のような高度な政治問題は国民が選挙で判断すべきであり、国民に直接選ばれていない裁判官が判断すべきではない」という人もいる。でも、訴訟では原発の建設が許されるかではなく、現実に建設される特定の原発についての具体的危険性が争われている

    高速増殖炉は、消費した燃料以上の燃料を生み出すことから「夢の原子炉」と言われ、世界の主要先進国が研究開発したが、他の国は開発中止か断念しているのを強調して、「高速増殖炉」はどういうモノか、設置許可基準を無効として考え直してほしかったと川﨑さんは考えた。

    でも、2005年に最高裁で、この判決は覆り、住民は敗訴。以来、維持管理費1日5000万円かかるもんじゅには、1兆1000億円余りが投じられたが、20年も動かず、2016年に廃炉が決まった。廃炉には3750億円がかかる見込みという。

   さて、勇気ある裁判官の3人の登場のあとには、結論では住民敗訴の判決を出しながらも、良心的と思われる裁判の道筋を作ったと思われる裁判長の3人が登場する。そして、福島原発事故を受けての感想も聞かれて答えられていた。

3・11前に、住民敗訴の判決を出した3人の裁判長

 1.1993年高浜原発 海保裁判長・・・「伝導管の複数破断の危険性があるようにも考えられると(判決に)書いておきながら、「直ちに同時複数本破断の危険性があるということは困難」との結論はおかしいじゃないかという声も判決後に聞こえてきました。複数本破断が絶対に起きないとも起きるとも科学的根拠になる資料がなかった。伝導管が1本破断したときにメルトダウンに至るかどうか踏み込めなかった。専門家じゃないので、想定がむずかしく、限界があった。また、(前年1992年に出た最高裁の伊方原発の主導していくのだなぁ~)と海保さんは思ったそうだ。

  福島原発事故が起きて、裁判官もこれからは、できる限りの事を想定していかないといけないという考えに変わっていくかもしれない。司法全体が安全性について踏み込んだ判断を積み重ねていたならば、福島事故は防げたんじゃないかという思いはある。スリーマイル、チェルノブイリの事故は起きていたが、身近に感じていなかった。通常の運転でも原発というのは、どこかに「弱いもの」を抱えている可能性がある

2.1994年女川原発 塚原裁判長・・・住民にとって「具体的な危険性」が原発にあるかを審理するだけだった。住民側は証拠をもっていなかった。ただ、この訴訟では住民と電力会社では「情報格差」があることから、東北電力に「非公開資料」も出すように促していった。「被告(電力会社)が立証を尽くさない場合には、本件原子力発電所に安全性に欠ける点があることが事実上推定(推認)されるものというべきである

  ここは、とても頑張ったところだが、実際は電力会社が証拠をしっかり出さなかったり、秘密主義に阻まれた。具体的なデータの公表がないことから、原子力発電所の安全性が確保されないおそれがあると速断することはできないものの、原子力発電所の安全確保は・・・真実の認識を共通にしてこそ可能となるのであって、被告(電力会社)のこのような姿勢は非難されてもやむをえないものがある」「しかしながら、電力需給の観点から・・・事故発生の危険性、平常運転時の被曝線量を社会観念上無視し得る程度に小さくすることによって・・・人格権または環境権の違法な侵害に基づく差し止め請求は認めることはできない」

  原発については、外国の法律にも照らし「文書の絶対的公開」等を検討していくべきだと塚原さんだが、福島原発事故が起きて、責任の負いようもないが、自分の出した判決については正しかったか、一生背負っていかないといけないと考えている。

3.1999年 東京電力福島原発 鬼頭裁判長・・・電力会社の株主が原発の運転停止を求めた裁判。トラブル隠し。危険性とコスト。公共インフラ。本来なら止めた方がいいが、いろいろな分野への影響を考えると判断に迷う立場に置かれる。「抽象的危険」は認めたが、「原発の健全性については、・・・その検査の過程と合格という判断に過誤があるといった特段の事情はない」。今、福島原発事故の後になって、「これからは、『具体的かつ想定可能な範囲の危険』があることを立証できればよいという、(原告にとって)ゆるやかな基準になることも考えられます。

 裁判官6人の話のあとには、裁判官がどのような立場に置かれているのか。圧力のようなものがどこからかけられるのか。感じられてしまうかの解明へと進む。

 <裁判官への心理的重圧の壁

 1,司法が行政を気にする2つの理由(行政にからむ案件には「報告事件」として黒いゴム印が押される。なぜ?)

   ・予算配分の問題

   ・青法協に対する裁判官任官拒否(日本の裁判官は10年で任期。裁判官を大統領や、選挙で決める国もあるが、日本は最高裁判所が再任を決める人事権を握っている。3人の裁判官は平等1票を持つが、裁判長が人事評価をするので・・・。)

 *補足:最高裁事務総局職員・・・最高裁判所が非常に忙しすぎて、最高裁判所に置かれた庶務を司るはずの事務総局が一部のエリート裁判官により影の実力者のようになる調査官もでるようになる上告理由書を調査官が読んで、最高裁判事が読む前に、全事件の9割以上は「上告棄却」か「不受理」になる?!!!!最高裁の判決や決定と行っても、実質的には職業裁判官出身の調査官の考えで左右される要素が大???!!!1985年頃から始まり、ひとりの調査官の事件の結論に対する影響力が大きすぎると、87~90年に首席調査官だった三好達さんが、社会的な影響がある重要な事件は上司(上席調査官や主席調査官)の決裁を経てから、主任裁判官に報告書を出すやり方にした。でも、1995年から最高裁判事をした福田博さんによると、1票の格差の時に違憲の反対意見を書こうとしたら、調査官から反対意見案を送り返されたという例も???この一般人には不可解な最高裁判所の内実。これについては、もっと詳細な本があるようなので、勉強が必要そうだが、実に驚かされた!

 2.福島原発事故後、原発裁判は変わってきたのか?

    確かに、最初変わったかに思えたが、2012年12月の衆院選で原発再稼働を主張した自民党の大勝で、原子村が息を吹き返し、空気が変わった。「1国のエネルギー政策を1裁判官が左右していいのか」というキャンペーンがあった。萎縮の始まり。2015年4月。高浜原発の運転差し止め(前出の樋口裁判長)の仮処分後、3人のエリート裁判官が異動して、関西電力の異議を認めて仮処分を取り消す決定。日本では、まるで福島原発事故がなかったような雰囲気が生まれて・・・

    さて、ではこれからどうなるのか?

    福島原発事故を通して、勇気ある裁判官が出てくる可能性。福島原発事故以後の8年間に原発の運転差し止めの仮処分は4件出された(前述の樋口英明さんの2件、大津地裁の山本善彦さん、広島高裁の野々上友之さん)。しかし、最高裁では、まだ事故以来判断がでていない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    かなり要約したつもりですが、長くなってしまいました。でも、ここで感じたのは、原子ムラの復活に対抗する野党の力の弱さ。

    国民の意識が変わると、裁判も変わる。福島事故をあなたは、どう受け止めますか?

    日本のエネルギー政策が危険極まりない原発を再稼働させる時代遅れの上に、脱炭素の宣言を菅元首相がしたのに、その同じ会合で、日本が不名誉な「化石賞」を日本が受賞したことを忘れてはなりません。日本のマスコミは、ここを大きく取り上げていませんが、この日本の「原発再稼働をしながらの脱炭素」(原発神話が死なない日本)と「化石賞」を受けた意味の重大さに日本人は、もっと目をむけないといけない!

    だいぶ長くなってしまいました。最後まで読んで下さった方、興味をもって頂けたら、是非、さらに一歩進めて、日本の将来のために、一緒に考えていきましょう!

    究極の悲劇が、善人の沈黙で再び日本を襲わない前に、動き出しましょう!

   日本は、全世界の10分の1の地震が起きている国なのですから、一刻の猶予も許されない

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝のお月様

2021-11-28 10:46:33 | 惑星・天体ニュース

  さて、混乱するので、今朝のお月様。これは、昨日の日付の内に上ってきた下のお月様がそのまま残って、朝も見えているものです。

    

   昨夜23:15に上ってきたお月様が、私たちが寝ている間にどんどん南の空高くに移動して、今も青空の中にクッキリ見えています。沈むのは12:51です。さあ、何時頃まで見られるかな?だんだんもう西に移動中ですよ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ダブルお月見」もう最終日。見られるかなぁ?

2021-11-28 09:01:29 | 惑星・天体ニュース

  昨日は(「ダブルお月見」も最終日かなぁ~)という感じでした。まずは、朝に見られないと仕方ありません。寝坊の私ですが、カーテンを開ける明るい日差し!空を見上げると・・・お月様が西の高い空でしっかり待っていてくれました。

   

  「いいですね、いいですね。おはようございます」

   まだまだ、余裕で空に浮かんでいるお月様に朝のご挨拶ができました。

   そして、夜です。23:15が月の出。さあ、何時に見えてくるかな~? 天気は悪くなさそうでしたが、我が家は東空、特に東北側に障害物がいっぱいあるので、残念ながら27日付けの写真を撮りたかったのですが、見つけたのは日付をまたいで、28日になってしまいました。

    <2021年11月27日(28日)>

     見え始めはもう少し早かったのですが、電線にひっかかっていたので、00:22になっちゃいました。「ダブルお月見」なんて言葉、ネットで検索しても存在しないと思いますが、このブログではかなり前から「1日に朝と夜の2回お月見しましたぁ~」と楽しんできました。

     せっかくなので、これを、今日からしっかりと「ダブルお月見」として、使っていくことにしました。今回から「#ダブルお月見 #Double Moon Viewing」のタグも入れてみることにしました。

    「ダブルお月見」の定義としては、「同じ日付の内に、沈む前の月と、上ってきた月の両方をお月見すること To see both the moon before it sets and the moon as it rises within the same date.」としました。

     国立天文台のサイトでの表示では、今日(28日)は下のように月の出が  _ _:_ _という表示になっていて「月が出ない日」となっています。「月が出ないの!?」なんてびっくりしないで下さいね。月は地球の周りを回っていて消えることはありません。ただ、今日は夜中に日付が変わってからの「月の出」となるので、このようになっています。

    

     ということで、さきほどの定義の仕方だと、上のような表示が出たら、「ダブルお月見」の最終日となります。なぜなら、今朝、晴れた空に私の見たような青空の月を見つけて、よし今夜も寝る前にお月見をして[「ダブルお月見」にしようとしても、今日の日付の内には月が出ないからです。 私のような月好きな人間は、1日に何回かお月見することはよくありますが、たとえば、上ってきた月を何回か時間を空けて見ても「ダブルお月見」にはならないのです。

     つまり、今朝、私のアップした白い月(28日)を見た方が、今夜寝る前にお月様をみつけても、それは11月29日の月になるので、ダメです。今回の月の巡りで話せば、今日からは日付けが変わってから夜中に上って来る月は、翌朝に見つけたとしても沈まないまま空に残っていたお月様。「同じ日付の沈む前の2つのお月様の写真」となります。そして、今日の月が沈むのが、12:51。今日再び月が上ってくることはありえません。

     実は、自分の夜更かしを自重する意味も込めて、定義を「同じ日付の内に沈む前の月と、上ってきた月の両方をお月見すること」としました。「夜更かしして日付を越えて上って見た月」と「寝て朝に見る月」は同じ日付に上ってきた月で、「ダブルお月見」とは認定しないためです。以前、ついついこのような定義をしておらず、「夜と朝と2回のお月見ぃ~」とか書いてきましたが、中には「ダブルお月見」に当たらないものもあったと思います。これからは、夜更かしを止めて、少し早起き型にしていこうかと思っているのです。というのも、惑星たちが来年初めはみな朝に大移動して集結。夕方や夜では、私のような寝ぼすけは、すっかり惑星に会えなくなるからでもあります(嘆)。

     その代わり、日付が昨夜の私のように「前日に上ってきた月の写真」なら、「ダブルお月見」の写真と認定することにします。いかがですか?これから、前日上ってきた月という意味で、前日に上った月の場合は、11月27日(28)というような日付表示にしようかと思います。

      さて、ちょっと面倒な話をした後は、おまけの鳥たちの写真をお届けします。アオサギ君の動きが活発になっているのか、一昨日に続いて、昨日はアオサギ2羽と白鷺1羽が貯水池にいるのを見つけちゃいました。

   

   

  胸の羽が素敵ですねぇ。こんなに揃って登場したのは久しぶりでした。冬鳥達もどんどん集まって来る時期でしょうか。寒いけれども、楽しみな時期になってきました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目の見えない人の世界は?

2021-11-27 10:46:38 | 日記

  図書館でタイトルに惹かれて読んだ「目の見えない人は世界をどうみているのか」(伊藤亜紗:著)を読んで、その示唆に富む文に魅せられた。 なんと言っても、一番目からうろこが落ちるように強烈な印象を受けたのが、下の絵だった。

  この絵と文章を読むだけで、多くの人にもご理解いただけるのではないだろうか。

    

    目が見えないことを(「健常者」から「五感の内の視覚」をマイナスした人)というイメージで捉えずに、「目の見えない人が見ている世界は?」という自分とは違う世界と考えるというのが新鮮でした。それは「目の見えない人」と「目の見える人」と互いの世界の差異を面白がり、互いの理解を深める楽しさにもつながりそうです。

    目から入る情報は非常に多く、コンビニに入れば、売ろうとして工夫された商品が目に飛び込んでくる。ところが目の見えない人は、自分の目的のモノを買い、余計な情報は入ってこない。事故や病気で視力を失った人などは、無駄な買い物をしなくなったと感じるようだ。あと、ひとくくりで「目の見えない人」も、いつから目が見えなくなったかなどの条件の違いで人それぞれということも繰り返し書かれていたので要注意のようだ。

・目の見えない人はメモを簡単にとることが難しく、記憶でそれを補う。だから、歩く道、職場や自分の室内のレイアウトも記憶している。また、記憶したものを乱さないように、モノを決められた場所に戻す習慣から、目の見えない人の部屋は整頓が行き届いている場合が多いようだ。

・健常者は視覚に頼っているので、富士山を2次元的に三角の絵のようなイメージで捉える。でも、生まれた時から目の見えない人は、富士山を円錐のような立体でイメージする。なぜなら、ものを見る時、人は自分の目から見る、つまり1方向からの「視点」で対象物を見るからだ。  万博の太陽の塔も、正面の2つの顔のイメージを多くの健常者は持つが、太陽の塔の模型を触って認識した目の見えない人は、表の2つの顔と裏にある顔を纏めて3つの顔と捉え、表や裏の意識は持たない。

・目の見えない人は聴覚や触覚が優れている?と思われがちだが、それも人によって様々。それに、目の見えない人が、耳や他の感覚で健常者と同じことができると「凄い!」といって褒める人がいる。だが、それは、目の見えない人には「見えない人は、見える人より劣っていると思ったが・・・」という無意識の蔑みを感じる場合もあるという。だから、「凄い!」ではなく「面白い!」と著者は言うようにしているとのこと。

・今では、ハイテクを使い、目が見えなくても、脳に刺激を送ってモノが動くのを感じたりできる装置が登場している情報もあった。

・「自立とは依存先を増やすこと」・・・健常者だってそうかもしれない。自立するとは、(周りの人から切り離して、ひとりでやっていくこと)と思うのは少し違っていて、人に頼り、助けをもらいながら生きていく。誰も一人では生きて行けないのだから。 正直、この指摘は非常に示唆に富んでいると思えた。地域の共同体意識が薄い今、核家族、共稼ぎなど、近所づきあいも稀薄になり、「自立」が「孤立」になって、家庭内で煮詰まって飛んでもない事件になってニュースになることが増えている。そう感じるのは私だけではないはずだ。

・「触覚ではガラスと陶器は余り変わらない」・・・だから、触っているコップが「陶器」と人に教えられて、(頭に描いていた持っているコップのイメージが瞬時に変化する)と話してくれた人がいたそうだ。 他の人から来る情報で、描いているイメージが変化する。「イメージの変幻」。

 実は、目の見えない人と健常者が一緒に美術鑑賞をする会があるという。その会を体験すると、目の見える人も、絵のいろいろな見方に気づき「見えていることが優れている」というのも違うし、「見えていないことが優れている」のでもなく、「一緒にイメージを影響し合いながら作れる」のが楽しいことを発見したそうだ。その活動を通して健常者にも「見える人も盲目である」と感じる人がいたというのだ。この鑑賞会には、「福祉」とは違う、「面白い」をベースにした障がい者との付き合い方のヒントがある、と著者は評価している。「他人の目で見る」大切さが分かるのだ。

・「障害を深刻なもの、笑ってはいけないもの?」・・・ 実は、私も以前に、偶然に脊髄性筋萎縮症の芸人あそどっぐさんのことをyoutubeの動画で見て驚いたことがあるが、障害を笑いに変えて伝える人も最近は多くなっているという。

 回転寿司は、触って確かめられない。タブレットでの注文も読めないと難しい。それをロシアンルーレットのように楽しむ話など・・・。「これは、回転寿司のやり方をどこか改善してみないと~」という真面目な反応をするだけでなく、その不自由さを楽しんでしまう障がい者のユーモアを力に一緒に肩の力を抜いて笑う。健常者が「自分より不自由な人のために~」と善意の塊になって接する。そんな「バリア」を少し取り払ってみること。そんなお薦めも、この本にはあった。美術鑑賞の会が健常者にも意味のある楽しさを得られるように、アイディアに満ちた社会にしていくヒントがあるのではないかというのだ。

  著者の話から少し外れた書き方になってしまっている所もありそうだが、私なりにこの本で感じたことを書いてみた。面白さが伝わればよいのだが。よかったら、あなたもこの本を手に取って、「目に見えない人の世界」から「他人の目で見る世界」を見る楽しさ、大事さを学びとってほしいと思う。

   

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ダブルお月見」、今日もできましたぁ~

2021-11-27 00:02:03 | 知ろう福島のこと

  昨日に続き、今日も無理なく朝と夜と2回の「ダブルお月見」ができました。1日の内に沈む前の月と、上ってきた月と両方楽しめる贅沢な時期です。朝寝坊な私ですが、朝早く起きなくてもお月様がゆったりと青空の中で迎えてくれました。

           

   このお月様は、とても付き合いのよいお月様で、今日は青空のいい天気だったので、私を仕事に行く時も余裕でついてきてくれましたよ。

   夜も上ってくる時間がだんだん遅くなってきましたが、22:13には昇ってきていたので、寝る前にも無事に逢うことができました。電線に邪魔されてなかなか電線が入らないように撮るのにはちょっと苦労しましたが、いつもながらに美しく静かな佇まいのお月様ですね。

       

      明朝も天気がよければ、12:21まで沈まないこのお月様。青空の中であなたも会えるかもしれません。朝はもっと半月に近い姿ですよ。明日の夜は23:13に月が上ってくるので、実際に見られるのは日付を越えて28日になってしまいそうです。「ダブルお月見」、まずは夜に逢うのがちょっと夜更かししないと逢いづらくなってきます。

      逢うといえば、最近帰りに駅で私が必ず確かめるのが、この下のツバメです。こんな時期にツバメ?そうなんです。どうしたんでしょう。この姿は、子育てしているようにも思えますが、もう11月も終わろうとしているのに・・・他の巣はすっかり空っぽで、みな南の国に旅だって行ったというのに、1羽残っているのです。寒さは、スーパーの入り口のひさしの上なので凌げそうなのですが、心配していつも見上げて確かめています。

     

      そして、今日はもう1羽、アオサギ君と出会いました。道を自転車で走っていたら、大きな鳥の影が私の上の高い所を「ギャ~」と鳴きながら飛び去って行ったのです。そばに貯水池があって、そこでアオサギを見たことがあったので、きっと貯水池の方だと思い、追いかけて行くと・・・いました、いました。

            

       住宅の屋根の上で、貯水池の方を眺めているアオサギ君を発見。胸の羽が洒落た襟巻きみたいですね。何だか、アオサギ君に出会えると、とても幸せな気持ちになれます。

       今日も無事に1日がすぎようとしています。無事に1日を過ごせた奇跡に感謝して。明日もいい1日でありますように。

      「奇跡?」そうなんです。何か、最近は電車で突然知らない人に刺されたり、急に車に突っ込まれたり、学校で悲劇が起きたり、家が焼かれたり、信じられないニュースばかりです。どこに危険や死が待っているか分からないと感じることが多すぎませんか。だから、無事に1日を過ごせたことは、奇跡と感じられます。一番安全だと思える場所で悲劇が起きる悲しさ。この世の中、どうなってしまったのでしょう(嘆)

       

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝と夜・ダブルお月見を楽しむ

2021-11-24 22:51:52 | 惑星・天体ニュース

   ダブルでお月見を楽しめる時期となっています。寝坊の私ですが、今は寝坊していても大丈夫。今朝はこんなお月様が西空で「おはよう!」と言ってくれました。

   

    そして、このお月様、沈むのは10:28。仕事に行く途中の電車の駅のホームで「まだ、どこかにお月様いるでしょう?」と探すと、向こう側の建物の上から「行ってらっしゃ~い!」と挨拶してくれましたよ。

       

     最近、私の月好きが伝染して、ちょうど友人がLINEでコスモスの上にお月様が青空に浮かんでいる写真を送ってきてくれていました。私も、「こちらも、月に見守られて仕事に向かうところ」と写真を送りました。

     今日は、1日青空が広がり、いい天気。帰宅時にはまだ明るさの残る空に5時前から金星が見え始め、自宅のそばでいつもの場所で見上げると、木星も現れて金星と競うように輝いていました。

               

      左の大きめの白い雲の上にいるのが木星。日付の上の小さな雲の右に明るく光るのが金星です。土星は暗くならないと見えないようです。

      そして、今日は結婚記念日だったので、お鮨とケーキでお祝い。ちょうど誕生日も近いので、息子がお嫁さんと色々なプレゼントを選んで詰め込んでくれた荷物が届いた中に、地元のワインが2本あったのを思い出し飲みました。油断していたら、アルコール11度。食後急に眠気が襲ってきてひと休みして目が覚めると・・・ちょうど、月が昇って見えてくる時間になっていました。

      

        「あ~、まだちょっと早かったね」並木と鉄塔と、いろいろな障害物の向こうで、お月様が唸っていました。「そうかぁ。じゃあ、もう少し用事を済ませてから、またすっきり顔になった頃に見に来るね」

      

     30分もたたずに、電線を乗り越え、鉄塔からも抜け出た姿のお月様と無事に会えて、いい写真が撮れました。さあ、このお月様も、明朝11:11まで沈みませんので、青空なら、またダブルお月見が楽しめそうです。

     但し、朝の忙しさに空を見ることを忘れている人にはお月様は見られませんよ。空を見上げて月をみつけるのには、きっと10秒もかかりません。青空が広がっていたら、ちょっと探してみて下さいね。

     朝ドラの「Come Come Everybody」で、恐ろしい戦争の空襲でのシーンを見て、米国のニュースで賑やかなパレードに突っ込む狂気の自動車映像と犯人の話を聞いて人間の恐ろしさを感じた後では、静かな月との対面と、昼休みに公園でみた2匹の猫のすべての警戒心を解いて、日向で安心しきって寝ていられるこの日本の今の平和を「大切なもの」「失ってはいけないもの」と心から感じました。

          

     昔、母が使った「しどけない」という言葉を思い出しました。なんとも「しどけない」猫たちのこの姿。でも、こんなに気を許して生きていられる幸せ。いいなぁ~。

     今日も無事に1日が過ぎようとしています。明日もいい1日になりますように。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は月に会えました

2021-11-23 21:29:24 | 惑星・天体ニュース

   昨晩も一昨日の夜も月に会えず、今日はもう会えるかな~と心待ちしていました。南の空をちょっとベランダに用事で出た時に見上げたら、暗くなった空にクッキリと木星が見えたので、時間を見計らって外に出てみました。

   今日の月の出は、19:15。もう、電線からも地上の邪魔モノもない場所で、静かにお月様が待っていてくれました。

   

     明朝の10:28まで沈まないお月様です。今夜は、これからゆっくりゆっくりと天頂近くを昇っていくお月様です。冬の星座双子座の中にいるようですが、残念ながら、星は薄雲があるのか見つけられませんでした。

     それに、急に世の中が冷え込んで来ました。寒さにびっくり。これからは、コートを着ないで夜に思いつきで月を見に出ると風邪をひきそうです。ご注意を! しばらくは、夜にお月様に会い損なっても、青空であれば朝にもお月様に会える月の巡りになってきました。楽しみです。

     今日も無事に1日を過ごせたことに感謝して、明日もいい1日になりますように。

     それにしても、最近は無事に1日を過ごせることの有り難さが、身にしみるようになりました。

     米国で、パレードに車が突然走り込んできた事件が報道されていました。安全だと思える保育園や小学校で先生からの虐待やセクハラを受ける被害が日本で起きているニュースも見ました。人間が、人間を殺したり、傷つける、そんなことがなぜこんなにも毎日起こっているのか。胸が痛くなります。どうぞ、明日はそんなニュースがない1日になりますように。

     お月様、苛立ち、憎しみを持った人の心を、どうぞあなたの力で癒やし鎮めて、間違った思いをその心から拭い去って下さい。

 

     

     

   

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小川淳也(立民)の映画をみてみました

2021-11-22 09:10:02 | 日記

   今回の選挙での立憲民主党の敗北を受けて枝野代表が辞任。11月30日に代表戦が開かれることがニュースになっている。その候補の中の小川淳也さん。以前映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」という映画で名前を聞いたことがあった。でも、映画を見る機会がなかった。残念だったと思い調べると、すでにDVDがでているのに気づいた。そこで、amazonでポチリとしたが、届くまで半月もかかってやっと一昨日届いた。

  

     感想は、面白かった! しかも、泣けた! 政治の世界を理解するヒント(選挙の実相、小選挙区で勝つことの意味、拘束があっても政党に属する意味など)がたくさんあったのも収穫だった。ただ、言いたい感想の基本は、DVD付属の解説書(まるで映画プログラムのようでよかった)の上にコピーした文章に書かれており、上の絵にリンクした公式サイトにアクセスしていただけば、識者の作品紹介からメディアに出た感想まですごい情報を入手できるので、ここでは触れずに、そちらにお任せしたいと思う。

     ともかく、今回の小選挙区での初めての小川さんの勝利が決して奇跡ではなかったことを確信した。

     映画のシーンにあった、意図的にねじ曲げられた「統計問題」を追求する国会中継映像に、心から感動した。

     昨日は、雨が降って月が見られなかった。今日も雨だ。でも、この映画をみて、(月パワーを助けに、是非この日本の難局を乗り越えられる日本人がさらに全国に広がることを信じていこう)と思えた。

     なぜなら、この小川淳也をずっと支持して国会に送り続けた日本人が四国にはいる。そして、残りの立民代表の候補者については知らないが、彼らにも彼らのストーリーと支持者がいて、まだまだ日本には真面目に「国民のために政治をしようとする政治家がいる」と信じる気持ちになれたからだ。次は参議院議員選挙になるだろうが、次の選挙の前にひとりでも多くの人にこのドキュメンタリー映画をみて、選挙や国会議員、政治について日本の国民が身近なものとして感じ、考えてほしい。

     監督自身でさえ2003年の撮り始めの時には予想もつかなかった「一人の政治家の17年の記録」。その展開に、一緒に日本の政治の動きを思い出しながら、肩に力を入れることなく今の政治や日本の将来について考える機会にしてほしい。 

     選挙で選んだらお終いの「お任せ政治」だけは許されない。政治家は、国民の姿を写している国の代表なのだ。   

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする