その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

取って付けたような…^^;

2022-09-20 08:17:27 | 転職

最大のライバルは「KFC」ですか?

台風14号は、20日5時現在で山形市の西方約50㎞に位置し、時速55㎞で東北東に進んでいるとか…現在7時ですが、我が在所はさほどの風雨もなく、これを『嵐の前の静けさ』とでも言うのでしょうか、少々不気味ではあります。(少しだけ雨と風が出て来たような気もします。)
さて、友人『ノロ社長』の『復活:パスタ生活』から解放された翌日…「今日は祝日だから、ケンタッキーでお祝いする。」と午後3時には『晩酌会』のお誘いの電話が入りましたよ。(仕事にあぶれている状態だから、平日も休日もまったく関係ないのだけれど^^;)1時間後に宴会場に駆け付けてみると、そこには『ケンタ風から揚げ』が…今度は、パスタから「ケン・チキ」の『完コピ』を試みたようであります^^; 「カーネル・サンダース」がオリジナルレシピを完成させたのが1940年とされているから、既に80年以上の「歴史」を持つ商品であり、市販(2種類)の唐揚げスパイスを混ぜ合わせて、いとも簡単に『完コピ』されたら、本家もたまったものではないだろう。けれど、市販のスパイスだから、美味しく仕上がっておりますよ。(美味い、上手いと『取って付けた
ような』お世辞言葉を並べるのでありますよ^^;)
現在の技術『定性・定量分析』を駆使すれば、秘伝の『11種のスパイス』も確定できるのではないかしら?などと思いつつ、それでも『本家KFC』のチキンが柔らかくジューシーに仕上がるのは、さらに下処理や独自の製法があるのではないだろうか…彼の『完コピ』実験に、これからも付き合わされるのだろうかと『恐れ』を抱きつつ、『オジSUN』たちの胃袋は『脂』を受け付けなくなっていることが分かった(次への手が伸びない^^:)から、実験も本日限りで終わりそうでありますよ。(ありがたい。)


「国葬」の中継を観て思ったこと…

イギリス国教会の「ウエストミンスター寺院」は、11世紀の建築で20世紀に至るまで増改築がされているらしい。(歴史の重みと言いますか…陳腐ではあるけれど『荘厳』という言葉が思わず出てしまう。)日本の場合、昭和天皇の「大喪の礼」は、国家の宗教的中立性を保つために、皇室の私的な儀式「大喪儀」と葬列を編成する細目をわざわざ切り分けたようであります。(何故か記憶が薄いのは、大喪の礼の「休み」を利用して魚釣りに出掛けていたからに違いない…実に不敬な『おやじぃ』である。)今も映像で見る限り、日本独特の装束による『格式』というものを感じるのでありますよ。
さて、イギリスの君主は、「立憲君主制」の原則の下に置かれているから、それなりの権限はあっても直接的に政府に関与することはなく『英国統治の象徴』とも言えるし、日本の天皇は「日本という国家と国民の統一の象徴」である…『異論(反対)』はあるにせよ、それぞれの国民がその死を悼み、自然な形として見送ることを拒みはしないだろう。やっぱり、国の文化や格式など「国葬」にふさわしい儀式が執り行われるに違いない。
一方、安倍元総理の『国葬儀』は…(もはや比べること自体に無理がある。むしろ、故)安倍元総理自身が、あるいはご遺族が、ドタバタ劇に傷心しているのではないだろうか…。)誰が追悼の言葉を述べ、その順番は?なんてね…『格式』などという言葉には程遠く、政治的な機会の利用、『取って付けたような』弔意の言葉が並べられると思うと肌寒さを感じてしまうのでありますけれどね。
現在、8時…少々、風が強くなってきました。

#戦争反対 無名戦士の墓に首を垂れることを厭いません。しかし、無名戦士の「墓」や靖国神社を、自らのパフォーマンスや政治に利用することが嫌なんです。

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虹の橋?

2022-09-19 08:41:04 | 転職

果たして待っていてくれる?

「経験したことがない暴風の恐れ…」…マスコミによる見出しではなく、熊本地方気象台の発表ですから、今回の台風14号は猛烈な台風に違いない。予想ルートを見ると日本列島を縦断するような様相であります。我が在所(東北地方)は、台風が上陸することは稀でありますから、『備え』と言われてもいささか心許ないのでありますが、もし、直撃されそうならパイプハウスの側面を覆い通り過ぎるのを待つしかないのかも知れません。(今朝の情報では、熊本県では大きな被害は避けられたようでありますけれど。)
最近は『経験したことがない○×』という表現(気象情報)が増えたような気がします。気象衛星の進歩によって、詳細な気象情報が提供されるようになり、公共交通機関の計画運休など、人への被害を最小限に抑えられるようになったこともありがたい。東北地方は明日が暴風圏内に入りそうだから、今後の情報に注意しないとなぁ…。(とは言え、先に書いたように防御手段は限られておりますけれどね。)
さて、本日19日は、英国エリザベス女王の国葬が執り行われる。各国の王族や首脳が国葬に参列するために多数訪れているようでありますなぁ…そして、英国民の弔問の列。「国葬として公金を使うのは如何なものか?」とか「故人が国葬に値する人物なのか?」etc.…手続きの問題や人物評など、議論好きもよろしいのですけれど、何かなぁ情けない『国葬儀』になりそうだ^^; あと8日後にせまり、各国に案内状を送付した後で、「反対を表明する人が6割に達した。」などと煽り立てたとしても、今さら「取り止めました。」などともなりますまいに…「強引に中央突破を図れば何とか成って来たし、今回も何とかなる。」そんな悪しき慣行が続いているような気もしますけれどね。


故人を静かに偲ぶことも葬送では…

『虹の橋』という作者不詳の散文詩があるらしい。死んだペットの魂が、虹の橋のたもとにある草原(楽園)で、元の飼い主を待っていて、再会し、虹の橋を渡って天国に入って行くと詠っているようでありますよ。『三途の川』を渡れない幼児を『お地蔵さん』が天国に導くという信仰もありますけれど、家族同様のペットが、元の飼い主を待っていてくれる…「ペットロス」に悩む方々を「救済」「解放」してくれる考え方としては面白い。『先祖が地獄で苦しんでいる。』などと人の心をかき乱す『宗教』とはまったく真逆な考え方でありますよ。
はてさて、エリザベス女王の場合は、国葬後、亡夫フィリップ殿下と共に埋葬されるのだとか…。「あの世(天国)でも一緒に…。」ということを口にする方もいらっしゃいますけれど、信仰する宗教は違えども、現世で共に歩んだ『幸せ』を来世でもと考えられるのは、良い人生だったと言えるのかも知れない。(我がお袋の場合は「認知症」が進んで、旦那さんの顔さえ分からなくなっておりましたから…。)小学生の頃に、宗教布教のための冊子が配られましてね…天国に通じる一本の細い道が描かれておりましたよ。生前の悪行によって足を踏み外し『地獄に堕ちる人』、神を信じることで『天国に導かれる人』…幼い子どもにしてみれば、不安を煽られる挿絵でありましたけれどね。「仏教」とて、本来は「輪廻」という考え方が基本なのだろうけれど、『極楽浄土』や『地獄』という後付けの考え方も現れて来る。『虹の橋』のたもとには、あの人が待っていてくれる…『あの人』とは『どの人』なのか知ったことじゃないけれど、まぁまぁ、心が救済されるなら、それもヨシとしますかねぇ(笑)

#戦争反対 拷問、虐殺、戦争犯罪etc.…『聖戦』もまた許されないものと思いたいのですけれど。

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卒業いたします^^;

2022-09-18 08:44:36 | 転職

本日は「きのことベーコンのパスタ」ですと^^;

友人『ノロ社長』の『復活:パスタ生活』も遂に8日目…彼の印刷したレシピも底を尽き、前日リクエストした「季節きのことベーコンの和風パスタ」に変容しましたよ。そして、遂に「本日をもって『パスタ生活』を卒業したします。」と修業宣言…彼の惜しみない日々の努力に対して拍手を送るものの、決して彼の『英断』を止める者は居なかった(笑)
はて、最近では女の子たちが、グループを脱会する際に『卒業します。』と宣言することが常となりましたが、『脱会=卒業』という言葉を使い始めるようになったのはいつ頃なのだろうか?『おやじぃ』にとって『卒業』と言えば、ダスティン・ホフマン主演の映画でありますなぁ…公開時点(日本公開1968年)では、お子ちゃまだったけれど、後にリバイバル映像を何度か観ている。結婚式場から花嫁を連れ去るエンディングが強烈なインパクトを与える映画でありますが、連れ去られた『婿殿』は実に情けなかったに違いない。さりとて、逃げ出した二人も必ずしもその後幸せになったかどうかは定かではない…『規定路線』からの『卒業』(ある段階を過ぎること。)であって、『卒業』したからといって、何かが補償されている訳でもないのでありますよ。そうそう、『卒業』という言葉だった^^; 故)尾崎豊氏が『卒業』という曲をリリースしたのが1985年のことであり(この支配からの卒業~♪)、当時、人気グループだった「おニャン子クラブ」が脱会に対して『卒業』という言葉を使っているようでありますよ。いずれにしても何がしかの『制約』から解放される…『おやじぃ』もお勤めからは『卒業』いたしましたけれど、何の補償もございませんなぁ(笑)


今度は『ひっぱりうどん』しばりかな(笑)

さて、学校の全課程を学び終えて『卒業』しても、ある段階や時期を通り過ぎて『卒業』しても、その後に何の補償もないということは同じようでありますよ。『ピン(一人)』で活動することは自由度はあるけれど、グループ(組織)を離れた途端に鳴かず飛ばずの生活なんてね…少々『制約』はあっても『組織』に属することで『組織』に守っていただくことも楽と言えば楽である。(『組織』を守るために切り捨てられるということもありますけれどね^^;)そうそう、関西の有名私立大学のアメフト部員の性的暴行事件で、無期限の活動休止となったようでありますなぁ…。山形県内の高校球児も喫煙行為によって、秋季大会への出場辞退が報じられておりますよ。(それぞれが犯罪であり、いけないことでありますよ。)けれどなぁ…何で『連帯責任』なんだろうと常々思ってしまうのでありますよ。「性的暴行事件」が有罪となれば、『卒業』も「就職内定」も失ってしまうに違いない。このことは、『刑法罰』とともに、事件を起こした者たちへの『社会的制裁』が付加される…もう大人なんだから当たり前である。でもなぁ…他の部員たちは犯罪に対して、見て見ぬふりを決め込んだ訳でもあるまいに。そうした学生を生んでしまったことに対する指導者を含めた学校側の責任であって、犯罪に関わらなかった学生たちに『連帯責任』を取らせるのも如何なものかと考えてしまうんですなぁ…。これもまた『組織』を守るための犠牲と言えなくもない。アスリートとして活動出来る期間は短いというのにね。
はてさて、友人『ノロ社長』の『パスタ生活卒業宣言』も、次なるメニューの縛りが始まるに違いない…「自由だぁ~!」と叫んでみても、必ず「制約」があるのが現実社会でありますかねぇ(笑)

#戦争反対 『新たな領土の確保』…昨日のプーチン大統領のコメントはそう訳されていたように聞こえた。『ネオナチからの解放』だったのではないかいな?『言葉の壁』は大きいなぁ…訳され方次第で意味合いが大きく違ってくる。双方の『大本営発表』は本当に怖いわ。

 

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リベンジマッチ^^;

2022-09-17 08:42:24 | 転職

今夜の出来はどうでしょう^^;

友人『ノロ社長』の『復活:パスタ生活』も遂に7日目…今夜の課題は「ゴーヤのペペチノ」だったはずですが、お店に置いていなかったんですと^^; ということで、名店「カプリチョーザ」の『ニンニクとトマトのパスタ完コピ風』に再チャレンジ。前回の反省点は「何かが足りない。」という点であり、その『何か』を求めて、彼は『迷走(瞑想)』の道を歩み始めたようであります(笑)
ご相伴にあずかる『おやじぃ』は文句を言えた筋合いではないのでありますが、さすがにメニューは違えど一週間パスタが続くと飽きが来る。一方、日本の主食であるお米の場合は、おかずを変え、飽きもせずに日々食べている訳でありますから不思議であります。よく『美味しいお米』と評価されるお米が多数存在し、「おかず無しで何杯でもいける。」などとコメントする方もいらっしゃいますが、お米自体の主張が強過ぎると飽きが来る。『不味いお米』では困りものですが、飽きの来ない「お米」が良いお米ではないかなどと考える『おやじぃ』でありますよ。
さて、改良の成果は?トマトの水煮缶にトマトの湯剥きを加え、隠し味にトマトケチャップを加えて、さらにスパイシーさを増すために『自家製韓国ナンバン』を加えた結果…パンチ力があり過ぎて辛~い!酒の肴としてつまむにはよろしいのですけれど、彼の倍量を盛られた『おやじぃ』は悪戦苦闘…それでも料理人への感謝の証として『完食』しましたけれど、明日のお尻の具合が少々心配でありますなぁ^^;
不足する『何か』を探す旅に同伴を求められましてもねぇ…一枚乗せられたバジルの風味がヒントになるかも?「今度は、食材単価の安い『季節のきのこ和風スープスパ』でお願いします。」とご注文しましたけれど、どうなることやら(笑)


今年のナンバンはそれほど辛くない^^;

さて、『おやじぃ』が育った『小さな街通り』には、床屋さんや自転車屋さんも含めて、30店舗程度の商店(自営業)があったから、日常の買い物はそこそこ用足りたものであります。時代の流れとともにそれぞれ廃業し、今残っているのはパーマ屋さんと電器屋さん?最後まで店構えをしていた「洋品店」が、仮設工事(塗装工事かな?)をしていると思っていたら、改築工事のようであり、どうやらお店を閉めてしまうらしい。遂に『商店』が一軒も無くなってしまうのよねぇ…。
友人『イチオ君』の家も、かつては「八百屋さん」を営んでいたのでありますが、両親が亡くなって『店仕舞い』した経験をもつ一人。「買い物をするから店を残して…。」という声もあったらしいけれど、これはお客さんの希望であって、実際には大型店に買い物に行き、買い忘れを稀に買う程度だから商店としては維持できない。当時、リサイクルショップも無かったから、むしろ、買掛品も含めて、店舗の在庫整理に相当苦労したようでありますよ。市街地では、若手後継者が創意工夫して頑張っているお店もありますけれど、郡部ではねぇ…地域に残るのは、コンビニとドラッグストアのみ。店構えをしているのは、もうあそこの「酒屋さん」だけかなぁなどと数えることができる状態でありますよ。
はてさて、「農業」とて同じこと。一部、後継者が居て、大規模化を図り生き残る「農家」もあれば、中小規模で、現在の従事者が高齢を理由に止めてしまえば「離農」が一気に進むに違いない。時代の流れと言えばそれまででありますが、荒廃地が増えてしまうのではないだろうかなんてね。不足する『何か』を求めて「リベンジマッチ」とは行かないような気がしてしまうこの頃ですよ。

#戦争反対 ウクライナの穀倉地帯…平穏な耕作が維持出来るのでしょうか?『願う』ことしか出来ないもどかしさを感じてしまいますよ。

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明太子の数え方…

2022-09-16 08:53:18 | 転職

本日の課題は「明太子スパ」である^^;

友人『ノロ社長』の『復活:パスタ生活』も6日目。新潟県への出張帰りに求めたであろう「明太子」を使った「明太子スパ」への挑戦の日であります。(印刷した課題レシピも、そろそろ残り少なくなって来ました…ありがたい^^;)
パスタの茹で加減は、本日少々柔らかめ、隠し味には「醤油」をひと回しとレシピ通りの調理過程でありますが…さて、お味の方は?「ショッパ~い!」高血圧症がススム君…酒の肴には丁度良いと言うけれど。 
「明太子何本入れた?」「三人前で3本!」…レシピ通りの分量なはずなのに何故? どうやらパスタのゆで汁に入れた塩の量が豪快だったようでありますなぁ^^;
はて、ここで『おやじぃ』は考えた…明太子、タラコは「一腹、二腹…」と数えることは知っているけれど、魚の卵巣は二本で一対のはず。「一匹の魚の腹に入っている卵の全体。」を指して「一腹」と呼ぶらしいから、二人の会話「何本?三本」も正しいのよねぇ…なんてね。それでは「一腹」に何粒の卵が入っているのやら?卵の皮付きで60~80gほどあれば、20~30万粒とのことである。(かねふくHPより^^;)頭が硬くなった『おやじぃ』は、ひと粒ずつ数えたのかしらなどと、まともに考えたのでありますけれど、「一腹」の重量を計り、その内の1gの数を数えれば、全体量を推計できるのよねぇ…と、小学校の理科の実験をおさらいしたのでありますよ(笑)
はてさて、「一腹」には「同じ母親の腹から生まれること。」の意もあるけれど、外界に生まれる前の「鱈の子」の兄妹姉妹10万匹を「一皿」で平らげてしまったのねぇ…などとまたも下らない感慨を覚えたのでありますよ。


大雨被害による「洗堀」箇所ですが…

さて、山形県の新型コロナ感染者数の全数把握も、9月14日から変更されたようであります。これからは、65歳以上の方や入院が必要な人以外は、自ら「フォローアップセンター」に登録する必要があるんですと…。(こりゃ~一気に簡略化されましたわ…もう少し周知期間があっても良かったような気もしますけれどね。)まぁまぁ、「タラコ一腹」の卵数を『全数把握』するのと同じで、「20万粒」が正しいのか「30万粒」が正しいのかを議論するようなものかいな…自覚症状のない『潜在的な感染者』も居たはずだから、これからは感染の増減を自ら判断するしかないのかも知れませんなぁ…。
はてさて、『新型コロナウイルス感染症』による重篤化への懸念が払拭されないまま、制度だけは簡略化されていく。(医療機関や保健所の業務過多を軽減する意味では否定しませんけれど…。)一般庶民からすれば、『安全宣言(どこが?)』とか『終息宣言(いつから?)』なんでしょうけれど、それを口に出来る方はまだいらっしゃらない。正しく『恐れましょう。』が精一杯かなぁ?「死亡者数」の公表も、既往症が新型コロナ感染症によって重篤化したものか、『寿命』なのかさえ判然としない。最近気になるのは「若年層」の死亡例…決して既往症があった方ばかりではないようだから、こうした事例はしっかり公表して欲しいものだわ。
大雨によって洗堀されてしまった水路の修復も今年の課題だわ…排水路を用水路にピッタリと接続させないと、また洗堀されてしまうに違いない。根本的な原因を解決しないとまた同じことが繰り返されると思うのでありますよ。

#戦争反対 「宗教」もまた戦争の原因と成り得る。『バラツキ』のある考え方を認め合わなければ、もめごとの『種』は尽きないと思えるのでありますよ。

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ジジの日に^^;

2022-09-15 08:11:57 | 転職

「ニホンハッカ」の花ですが…

友人『ノロ社長』はお仕事です。(お陰様で、『復活:パスタ生活』は5日目で中断^^;)
さて、仕事が無くて困っていることと、仕事は山ほどあるのに仕事をしないのとは大きな隔たりがある。体調不良を理由に仕事をサボっている内に、「フレイル」…運動機能が低下してしまったのではないかと内心心配しておりますよ。
そうそう、9月15日は、2002年(平成14年)までは「敬老の日」だった。『お義父さん』『お義母さん』というぎこちない呼び方も、孫が誕生した途端に『じいちゃん』『ばあちゃん』という呼び名に変わり、孫という存在を介して、ぎこちない関係も一気に縮まったような記憶でありますけれどねぇ。(『おやじぃ』の場合は、『じいちゃん』などと呼ばれる可能性はかなり低いような気もするが…^^;)
恒例の『晩酌会』に参加した友人『イチオ君』が、「育毛剤」のテレビCМを見ながら「50代にしては、随分と老け顔だねぇ…。」とポツリと言葉を発した。確かに、頭頂部の薄さと顔に刻まれた深いシワは、実年齢からすると老け顔に見えるのでありますが、「オラたちだって、後輩や若い衆からの見た目は、充分ジジィに見えるに違いない。」と返してあげた^^; 60歳という年齢をひとつの区切りとして「退職」したはずなのに、同じ職場で『嘱託・継続雇用』という形態で働き続けるという不可思議さ…年金受給年齢である65歳まで働き続け、年金受給とともに「高齢者」の仲間入りかねぇ。いやいや、『おやじぃ』たちの下の年代では、場合によっては70歳まで働き続ける世代が出て来る可能性の方が高いのだから、「後期高齢者」の敬老会を「前期高齢者」が実施するなどということが起こるかも?(事実、我が地域では「高齢者」の数が増え過ぎて、地域主催の「敬老会」も年齢による節目でご案内しているくらいですから…その敬老会とて、コロナ禍で3年間中止を余儀なくされておりますけれどね。)


『おやじぃ』の『孫』のような存在か^^;

我が祖母のことを考えて見ると、56歳ほど年齢差があるはずだから、『おやじぃ』が小学校入学時の頃、丁度今の『おやじぃ』と同じ位の年齢だったはずである。今時のように就労場所など無かったから、その多くは家事や畑仕事をしていたのだけれど、『子守り』が家庭内での大きな役割だったのだろうか?ふと考えるに、各家庭の『ばあちゃん』の存在は記憶にあるのに『じいちゃん』の記憶となると極端に少なくなるのでありますよ。(『子守り』の一環として『茶飲み』に連れられていった影響ですかねぇ^^;)調べてみると昭和30年の平均寿命は男性63歳、女性67歳だったようである。働き続けて、63歳でこの世をお暇するのも酷な話ではありますけれど、2020年では男性81歳となっているようだから、70歳まで現役で働いたとしても、11年間という時間がある。むしろ、何歳まで『生きているか』ということよりも、何らかの介護を要しないで自立した生活のできる『健康寿命』(男性72歳)の方が重要なことなのかも知れませんね。
はてさて、古い『敬老の日』から『ジジ(爺)』という、祖父に対して親しみを込めた言葉を調べながら、『ジジ(自恃)』という言葉にたどり着きましたよ。『自恃』…自分自身をたのみとすることなんだそうでありますよ。『敬老の日』として他所様からお祝いしていただくことを期待しないで、『自恃の日』を制定して、自ら将来を切り拓くなんてね…これから先、益々大変な世の中になる予感がする中で、まだまだと自らを叱咤する日にいたしますかねぇ(笑)

#戦争反対 年老いて平穏な日々を過ごす…それが、若者の犠牲によってもたらされる『平穏』であってはならないと思うだけでありますけれど。

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思い出はセピア色に^^;

2022-09-14 08:28:48 | 転職

「セピア色」の語源なんだって^^;

友人『ノロ社長』の『復活:パスタ生活』も遂に五日目…本日の課題は「イカ墨のパスタ」であります。
イカさんの種類は様々あれど、『おやじぃ』の曖昧な記憶では、「イカ墨」は「コウイカ」あたりを利用するのが一般的なのかなぁ?今では、『イカスミソース』という既に調整された市販ソースも通販されているようであります。山形県内で流通するイカは「スルメイカ」が一般的でありまして、「コウイカ」は釣りの対象になってもお店に置いてあるところを見たことがない。(置いたところで、捌き方も知らないから売れないと思いますけれどね^^;)そんな訳だから、『ノロ社長』は「イカ墨」を通販で注文しておいたと前日には宣言しておりましたけれど…。
さて、出来栄えは…見た目は『黒い』から、「イカ墨パスタ」に違いない。(上出来でありますよ。)味の方は…『オジSUN』たちは、「イカ墨パスタ」なるものを食べたことがないから、『本物』の味を知らないのでありますよ。仕方がないので味をネットで調べる始末…「磯や海藻の香りがする。」「イカの味を凝縮したような味わい。」(以上、好評価編^^;)「生臭い。」「イカ臭い。」(以上、悪評価編^^;)とありますが、ご免なさい何の味わいもないのでありますが…少なくとも「生臭さ」を期待したのでありますけれどねぇ。
ならば、通販の「イカ墨」なるものを舐めてみれば、その風味が分かるんじゃなかろうか?と手の平に受けようとしたら、ゲッ!液体でブチ撒いてしまいましたよ。「ご免なさい^^;」と謝りつつ「これって墨汁じゃないの?」と思わず悪態をついてしまった。何の風味も無いのだもの、これで「イカ墨パスタ」の味わいが出る訳もなく、常温保存可能な、原材料(輸入品)という表示に、いささか『怪しい香り』を感じたのでありましたとさ(笑)


これが原材料(輸入品)の正体^^;

かつて「イカ墨」から作られた黒褐色の顔料を「セピア」と呼び、古めかしさを覚える「セピア色」とは、ラテン語の「コウイカ(学名:Sepia)」に由来するんですと…うろ覚えの「コウイカ」を利用するという記憶は正しかったようでありますなぁ…。
はてさて、『思い出はセピア色』で表現される…「イカ墨」から作られた黒いインクも、時の経過とともに変色し、茶褐色に変わる。ドラマや映画で使われる回想シーンが良く「セピア色」で表眼されますけれどねぇ。それじゃ…『おやじぃ』たちの子どもの頃の『記憶(思い出)』は、「セピア色」に変色しているのだろうか?子どもの頃のスナップ写真は総て「白黒写真」なんでありますけれど、何故かしら『色が見える。』…当然、今も「色(視覚)」が見えている訳もなく、『色(記憶)』が、洋服や景色を色付けているに違いない。今さら、昔に戻れる訳もなく、場合によっては『記憶』さえも上手に上書きされているはずだから、本当の『色(記憶)』だったかどうかも定かではありませんけれどね^^;
そうそう、「情報公開」で請求した資料が、一面『黒塗り』されるのは何なんだ?個人の特定(プライバシーの侵害)につながることは別にして、『不都合な真実』を『黒塗り』されたら意味がないような気もするが…いやいや、時の経過とともに『黒塗り』も「セピア色」に変色して、透けて見えるようになったりしてね。「あの時はそうするしかなかったのだ。」なんて言い訳の文章が出て来たりしてね(笑)

#戦争反対 イカの墨は、粘性が強く、自分と似た形を作り相手の眼をそらす効果があるのだとか。ウクライナの戦況、戦略を分析報道されてもなぁ…素人には戦略の解説なんて意味も無い。平和な世界を願っているだけなんですけれどねぇ。

 

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気まぐれ^^;

2022-09-13 07:27:11 | 転職

「ニンニクとトマトのパスタ」の完コピ…

友人『ノロ社長』の『復活:パスタ生活』も四日目…本日の課題は、彼が最も感激したという「カプリチョーザ」の「ニンニクとトマトのパスタ」に挑戦!(彼は、このパスタの影響で、ニンニクとトマトを家庭菜園で栽培し始めた理由というから、力の入り方が違うのでありますよ^^;)
ニンニクのスライスを低温のオリーブ油でじっくりと揚げて(どうも時間の都合で端折ったらしい^^;)トマト缶を投入して煮込む…良しヨシ。パスタを茹でて、ソースに絡めましょう。(本日の茹で上がりは柔らかめである。)
「カプリチョーザ」は、創業者兼シェフの故)本多征昭氏が、1978年に一号店を東京都渋谷に開店し、1985年頃からフランチャイズ契約による全国展開で100店舗以上あるらしい。(何と山形市内にもあるではないか^^;)『おやじぃ』の学生時代と開店時期が被っているのでありますが、当時はお金も無かったし、イタリアンなんて食べに行く機会も無かったからねぇ…失礼ながらお店の名前も知りませんでしたよ。
さて、お味の方は…確かに美味しい。(合格です^^;)しかし、少々食べて進んでから、お互いに顔を見合わせるのでありますよ。美味しいのだけれど、『何か』が物足りないような気がする。(二人の共通した意見であります。)その『何か(パンチ力)』が分からないところが、プロの腕と『完コピ風』のパスタとの違いなのかも知れない。(山形市内にもチェーン店があるのだから、機会があれば実食してみたいと思うのでありますけれどね。)当分の間、『ノロ社長』の『何か』を追求する旅に付き合わされそうでありますけれどね(笑)


そろそろ、お仕事もしないとねぇ…

今年の受託仕事の課題は、水門の腐食箇所の修繕…水が切れた頃を見計らって10ヶ所ほど地元役員と点検して回りましたけれど。土地改良事業から40年近く経過しておりますから、鋼板の水門も腐食が激しいのでありまして、一か所など「穴」が開いている。はたまた、ゲートの土台まで腐食している場所もありましてね…土地改良区の直轄工事(幹線水路)では、ステンレス製に交換しているようです。(これが、実に高額なんですなぁ…。)はてさて、今回はどんな修繕を試みるか…ステンレス製ならば腐食にも耐えると思うのだけれど。地元役員からは、「鋼板で40年近く持ったのだから、今回も鋼板で良いんじゃないか?」との意見もあるのだけれど「次の40年で農家が無くなっているんじゃないか?」などと、本音とも冗談ともつかぬ言葉が漏れてしまい、地元役員も苦笑いしておりましたよ。稲作農家が皆無になることなど無いとは思うのだけれど、経営形態は法人化、大規模化していかないと農地は維持できないのではないだろうか?水門を手で開け閉めして水管理している作業も大きく様変わりするのではないだろうかなどと、恐らく『おやじぃ』たちがこの世に居ないであろう40年後に思いを馳せた次第でありますよ。たかが水門、されど水門…その時々の『気まぐれ農政』で右往左往してきたことを考えると、40年後のことなど考えても仕方がないかなんてね。まずは、見積もりと事業計画を立てなければ…。

#戦争反対 ウクライナ側の反転攻勢…メディアはこぞって好意的な報道でありますが、やっぱり戦争の長期化は避けられそうにありません。それでも「平和」への願いは失わないようにしよう…こればかりは『気まぐれで』という訳にもいきますまい。

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肩身が狭い^^;

2022-09-12 08:09:10 | 転職

「オジSUNず晩酌会」のおつまみはホッケ^^;

「ホッケ(𩸽)」の名前は、北海道開拓時代に「法華経」を説いたお坊さんに由来するという説があるようですなぁ。決して、身が柔らかく、鮮度が落ちやすいから『ほうっとけ』ということではないらしい^^; 一度、「メバル」釣りに誘われて、「ホッケ」の群れに遭遇し「メバルはその下にいるから突き抜けれろ。」などと船長さんにアドバイスされましたけれど、残念!「ホッケ」の大群を避けることが出来ませんでしたよ。結果、目的の「メバル」は釣れず、家族とお裾分け用の分だけ確保して、総て持ち帰るという連れのクーラーボックスを一杯にしてあげましたけれど^^;
同伴者の料理上手に「ひと塩して、一夜干しにすると美味しい。」とアドバイスを受けましてね、開いて仕上げてみますと、スーパーに並ぶカラカラの干物と違って、脂が乗っていて実に美味しいかった。(後から、もう少し自宅分を確保すれば良かったなんて後悔したものであります…後の後悔先に立たずなんてね^^;)一度、お裾分けで生の「ホッケ」を頂きましてね、身が柔らかくて美味しくなかったという経験が邪魔をして、『放って』しまった結果でありますが、美味しい食べ方を知らなかったんですよ。北海道旅行では、市場に大振りの「根ホッケ」がありまして、真空パックの一尾が3,000円位の値が付いていた記憶(エライ高いわ!)ですが、希少価値の「根ホッケ」よりも、自家製の一夜干しの方が美味しかったと思っております。昨夜の「晩酌会」のおつまみは、「ホッケの片身」…仲間内で仲良く半分こ。これを『形見分け』とは言わないけれど、『形見分け』を「片身分け」と書いても間違いではないらしい…何のことやら(笑)


「電子キー」の開きですが…

自家用車の「電子キー」が電池切れのようであります。ところが、どこを開けたら良いものか分からない。(取説を読めば済むことなのだけれど面倒くさい^^;)友人『イチオ君』に尋ねてみたら、いとも簡単に『半身』に捌いてくれましたよ。(聞くは一時の恥というヤツでありますなぁ。)
そうそう、「片身」から『形見』、そして突然『肩身』に変換する。『肩身』…文字通り「肩」と「身」で「からだ」のこと。(世間体という意味もある。)『身も細るような思いでダイエット…しかし、効果が現れない。』などというお笑ネタは別にして、体調不良を理由に仕事をサボっていたら、本当に『サボり癖』がついてしまったようであります。仕事もせずに酒を飲んで、少々「肩身が狭い」思いになる^^;(今のところ、オマンマを食いつないでいるから何とかなるかぁ…焦らないあせらない。)
はてさて、昨日行われた沖縄県知事選挙は、普天間米軍基地移設に反対する現職が当選したようであります。(保守系票が割れたという見方も出来ますが…)旧統一教会の影響も多少あったという総括もあるようですけれどね。「何故、沖縄県が米軍基地を受け入れなければいけないのか?」という命題に対して、『おやじぃ』は明確な意見を持ち合わせていない。やはり、どこかに「他県のこと」という他人事の意識があるに違いない。国の政策と地方の意思とのぶつかり合いは、どこでも起こり得ることなのだけれど…。ましてや、他国の動向や防衛という面で、世論も「防衛」に舵が切られているようですし、地位協定や基地内の治外法権など、国家内の法のダブルスタンダードには問題があると頭では分かっているような気分にはなっているのでありますけれどねぇ…頭では分かっているつもりでも身体は動かない。「沖縄県民に対して肩身が狭い。」という表現で、その場を逃げているような気もするが…。

#戦争反対 いくら『魔法の呪文』を唱えても、「防衛」という問題に向き合えていないじゃないか。それでもなぁ…ギリギリまでの外交努力に期待しているんですけれどね。

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物思いにふける^^;

2022-09-11 08:45:11 | 転職

はて?一体何を考えているのやら^^;

「猫」と言う言葉は「寝る子」や「寝好む」が由来だとか。(諸説あり)一説では、一日15時間近く眠ると言われているようだから、確かに良く眠る。しかしなぁ、こうして眺めていると、何かを考えているような気もするのだけれど、一向に分からない^^; したがって、その行動(主に鳴き声)から、その『気持ち』を読み解こうとするのだけれど、「ご飯」「撫でて」「遊んで」という単純な『要求』を『おやじぃ』が勝手に解釈しているだけでありますよ。一度、二晩ほど家を空け(いわゆる『猫会議』にでも出席して来たのだろうか?)『おやじぃ』の心配をよそに、帰って来るなり「ニャーニャーにゃ~!」と連呼…どうやら『戦果』の報告をしてくれているようなのだけれど、残念、『おやじぃ』には聞き取れるだけの『猫語力』が無いのでありますよ(笑)
それでは、人間の場合は…言葉、表情、行動etc.から、相手の『気持ち』を理解出来ているつもりでおりますけれど、意外にも『本音』というものが別のところに隠れていたりしてねぇ。『物思いにふけっている』様子は分かっても、言葉として発していだだけないと、やっぱり分からない。結局のところ、自分の『気持ち』以外は、人間も犬も猫も分からないなんてね。そうそう、最近では『国葬儀』の話題や某宗教団体の話題から、「内心の自由」という言葉が多用されるようになってきましたねぇ。「自分は常識人であるから、その考え方はおかしい。」とか「世論調査の結果で半数以上の国民はこう考えている。」といったような論調が多過ぎるような気がいたしますよ。「聞かれた選択肢のひとつを答えただけであって、実はな~んにも考えていませんけれど。」が本音なのだけれど、「やっぱり常識人として多数派に属している風を装った方が得策かも知れない。」なんてね。まぁまぁ、『寝子』が人間社会のことまで考えているとは思えませんけれど(笑)


久し振りにパスタから解放された日^^;

友人『ノロ社長』はお仕事で不在…久し振りで『晩酌会』はありませんでした。(無ければ無いで物足りない^^;)
さて、9月11日「アメリカ同時多発テロ事件」から21年が経過しているですねぇ。記録では、2,977人が死亡し、25,000人以上が負傷したようであります。生々しい悲惨な映像も、『おやじぃ』の記憶からは消え去ろうとしております。子どもの頃の記憶では「ミュンヘンオリンピック事件」…平和の祭典に起こったテロ事件。その後に起こったテロ事件も、発生当時は衝撃的な記憶でも、時の流れとともに記憶が薄れておりますよ。(テロによる社会転覆など、結局、悲惨な犠牲を強いるだけで、そんな目的は達成される訳もないのでありますよ。)
一方、国内の某宗教団体問題は…いくら『間違った教義』を叩いたところで、他人の『内心(思想・教義)』を消し去ることなど人にはできない(被害と感じた被害者の救済措置は必要ですけれど。)と『おやじぃ』には思えるのでありますよ。盛んに「反社」とか「危険な思想」と煽り立てたところで、『内心(思想・教義)』を取り締まる「法」がない。「法」が無い以上、詐欺、傷害etc.といった具体的被害が無ければ裁けない。「解散命令」?そんな措置をしたところで、『内心(思想・教義)』まで遺棄させることはできない。そんなジレンマが、人々をヒステリックなまでに煽り立て、政治家の脇の甘さや教団叩きをしても、何ら本質の解決には至らないと思うのでありますけれどねぇ…。
はてさて、『寝子』が何を考えているのかなどと、人には役にも立たないことを考えながら、学生時代に読んだ「異常な世界にあっては、正気は狂気とみなされる。」という一文を思い返しておりますよ。何が「正気」で、何が「狂気」なのか…自分の「正気」は他人から見たら「狂気」なのかも知れないなどと思いながら…。

#戦争反対 テロ行為など許される訳もない。しかし、報復行為としての国家による「殺人」は、許容されてしまうのか?「争いごと」が無くなるとは思えないが、解決手段はあると思わなければ…。

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