その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

第?次「激辛ブーム」

2021-06-30 08:42:01 | 転職

「京ナンバン」の初収穫3㎏…

手元の記録を見たら、昨年より一週間ほど早く、加工用の「京ナンバン」が収穫できました。「そんなに慌てる必要もないですよ。」なんて集荷を担当してくれている『H君』には言われたのでありますが、今年は初成りがグングン伸びて、まだまだ育成中の樹体にはよろしくないだろうと、1回目の収穫を済ませました。当面の間はさらに育成して、最盛期には隔日の収穫が延々10月まで続く。昨年は、同程度の初成りでしたけれど、後半戦は果実が肥大しなくて重量が確保できませんでした。「水かなぁ?」「肥料切れかなぁ?」なんて思いながらも試行錯誤を繰り返しております。「京ナンバン」は加工用ではありますが、夏秋キュウリ、漬けナスと違って収穫をパスできる。仕事が重なってその日の収穫が出来なくても、肥大化して売り物にならないと言うことがないところが利点ですかねぇ。地元の漬物屋さんで「南蛮味噌漬」に加工され、仙台名物の「牛タン定食」の付け合わせなどに利用されているようですよ。加工用だけに、売り上げは小遣い銭程度でありますが、コツコツと売り上げを伸ばすには良い作物でありますよ。以前は、口から火が出る程の辛さが売りの「南蛮味噌漬」でありましたが、余りの辛さにクレームがあって、今の味噌漬けには、この「京ナンバン」が使われるようになったという経緯もあるようです。そうそう「激辛」という言葉が流行語大賞に選ばれたのが1986年のことだそうであります。「激辛ブーム」は、その後も続きますが、その度に、円高不況、バブル崩壊、リーマンショックなど経済不況と重なるんだそうでありますよ。願わくば、激辛ナンバンの売り上げで「牛タン定食」にありつきたいところでありますが、コロナ禍による経済不況…当面、苗代を稼ぐのが関の山でありますよ^^;


夏秋キュウリの潅水システム研修会…

『オラだの農協』から、「日照連動型の潅水システム」研修会のご案内がありまして、部会の若手農業者の圃場で研修して来ました。我が家はまだまだ初心者、小規模農家だから、「潅水システム」の導入なんて夢のまた夢…長男『ポン太郎君』の「意欲連動型経営体系システム」導入中でありますのでね^^; 我が在所のキュウリ農家は、意欲的な若手が多くおりますよ。夏の暑さに負けずに、毎日朝から晩まで働かなくてはいけない栽培形態ではありますが、その分利益率もよろしいんでしょうなぁ…「7月から8月にかけて、早朝に起きて毎日何をしたのか覚えていないような日々である。」とひとりの若手が漏らしておりましたけれど、「きゅうりの潅水システムではなくて、補液を頭にぶら下げて、農業者潅水システムを導入するのが先ではないかい?」なんて冗談を飛ばしたら笑っていた。安定的に、少しずつ潅水と肥料を供給する方法は、確実に収量増が見込めるようでありますよ。
一方、『おやじぃ』と『ポン太郎君』チームは、若手農家のキュウリ仕立ての再確認。我が家に比べると一週間ほど定植が遅かったはずですが成長が追い付いている。(恐るべし、潅水システム^^;)株間、葉や子蔓の整枝作業状況を再確認させていただきました。(今のところ、『おやじぃ』の指導は的を射ているようである。)研修をしたら、再度、我が家の圃場で仕上がり具合を再確認…予習、復習を欠かしませんから^^;
明日からいよいよ七月突入でありますよ…あと一週間ほどで夏秋キュウリの収穫・納品の日々になります。そろそろ、『激辛』な『おやじぃ』の怒声は止めようと思ってはいるんですけれどね。甘い顔をすると直ぐに手を抜くから…我が家の『激辛モード』はしばらく続きそうでありますなぁ(笑)

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風が吹けば桶屋が儲かる

2021-06-29 08:22:53 | 転職

虫だ!鳥だ!人間だぁ!

追い蒔き、補植して何とか枝豆の畝の体をしてきた「湯上り娘」ではありますが、調子に乗ってもう二畝と蒔いた場所は、今度はキジの『ケン次郎♂』につつかれたようです^^; 今年は『ケン次郎♂』にもお嫁さんが来て、近くの藪にウズラのようなヒナたちが、三羽ほど逃げ込むのを見ているから、この一家の仕業に違いない。(状況証拠だけで、犯人と決めつけるのはいけないかぁ?)食べるならば最後まで食べておくれ…芽出しが見えない方が諦めもつくと言うものでありますよ。
彼らだって命(生活)が掛かっているのだから「窃盗」も正当化される…副次的な儲けを期待しているだけだから、これを苦にして『おやじぃ』が死ぬということはないだろう。殺人罪までには至らないと腹を立てながらも、まだ余裕がある^^;
さて、露地の夏秋キュウリでは、摘果を見逃したキュウリが二本…さっそく仏さまにお供えして、今年の好結果をお祈りさせました。(長男『ポン太郎君』がお供えした方が、ジイさんも喜ぶに違いない。)先週末に依頼された残留農薬のサンプル調査のために1㎏ほどの未熟キュウリを提供し、集荷状況を確認したところ、既に出荷している農家もあるらしい。「我が家は小規模で直売所にも出しているから何とかなるけれど、結果が出る1週間は出荷が出来ないなんておかしくないかい?協力をお願いしますなんて言われても、その間の出荷箱数を部会で補償しなければ誰も協力しないと思うよ。」と協力農家救済のために当たり前のことを言ったつもりですが、「言われてみればそうですね。」ですと…どこかの政府の協力要請と中々振り込まれない協力金のことを思い出してしまいましたよ^^;


小麦も綺麗に刈られたわ!

さて、今年の夏秋キュウリの市況は…6月25日の東京市場でAS級5㎏1,900円を付け、本日は1,600円だったとのことである。昨年は最高値2,900円をつけたこともあったから、ひと箱1,000円ほど落ちたことになる。市場出荷価格で一本約60円のキュウリは、店頭ではいくらになるのでしょう?90円ほどになるでしょうか。「こんなバカ高いキュウリを誰が食うんだい?」と思いながらも、そのキュウリを作っている農家である。昨年は単価が良過ぎたのである。時期的には関東地域の促成キュウリがまだ出荷されており、東北地方は福島県産の夏秋キュウリが出始めた頃か?市場が安定しているから、当たり前の値段に落ち着いているだけなのでありますよ。昨年は、関東地方の出荷が終わるとともに、福島県産のキュウリが梅雨の長雨に叩かれ、圃場で病気が出たらしい。全体的な品薄で、価格高騰しただけなのである。しかしねぇ…一度、甘い汁を吸うと、また天から甘い露が降ってくるのではないかと期待してしまうのでありますよ。(こうして、野菜・果樹農家は他県の不幸を待っているような要素が多分にあるのでありますよ。福島で雨が降れば、山形が儲かるなんてね。)
折からのコロナ禍、巣籠りで、外食産業系の需要も低調かも知れない。『風が吹けば桶屋が儲かる。』とは、一見すると関係のない事象が、異なる場所に影響を与えることを例えた小話でありますが、『風(コロナ)が吹けば、農家も干上がる。』なんてね、虫害、鳥獣害、そして人災…はてさて、今年はどうなることやら(笑)

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よったり酔ったり?

2021-06-28 07:02:35 | 転職

「一輪」「二輪」と花を数え…

「ひとり」「ふたり」「さんにん」と人数を数える。収穫物を納品し、車のラジオから流れる話に耳を傾けていたら、岩手県雫石町出身の「福田こうへい」さんが語っていた。「岩手県では、四人のことを『よったり』と言う。」…「昨日のお客は四人(よったり)だった。」なんてね。あれまぁ、山形県でも『よったり』って言うべぇ。岩手県に限らず、東北地方の方言かい?興味の虫が動き出し、ちょっとググってみますとね…「一人(ひとり)」「二人(ふたり)」「三人(みたり)」「四人(よたり・よったり)」というNHKアクセント辞典を参考にした記載があり、「人(たり)」という助数詞の名残りだったのねと納得する。生きていくためには、何の役にも立たない知識ではありますが、少々得した気分…心のモヤモヤが晴れれば、一日のスタートは好調でありますよ^^;
昨日の夕方、直売所から依頼のあった「グリーンピース」をお届けすると、注文主である若いお母さんと鉢合わせ「グリンピースありがとうございました。」なんて、わざわざ売店から出て来てお礼の言葉を掛けられました。「とんでもない。こちらこそ、お買い上げありがとうございます。」なんてね、お買い上げいただいて、お礼の言葉をいただいて、これまた得した気分でありますよ。日曜日の午前中は出だし好調…このまま良い一日でありますように^^;


遅い朝ご飯は、何故かかつ丼…

メインは「カツ」ではなく自家製の「新タマネギ」でありますよ^^; さて、問題は午後…日曜日だしねぇ、少しは身体を休めたい。(と言いつつ、このところ午後はほとんど昼寝している。)東京都知事『緑のたぬきさん』もかなり疲労が蓄積されているようでありますなぁ。政務に携わる方々は、実にアグレッシブでいらっしゃる。「いつ寝ているの?」と思うほどの活動でありますが…心労もピークに達したのではなかろうか?まずは養生なされませ。一方、休み癖がついてしまった『おやじぃ』は、「来年に向けて、半歩だけでも前に進もう。」なんてね、重い体を引きずりながら、鎌を研いで、草に覆われたアスパラ畑の解放に汗を流しております。来年も生産効率が悪ければ改植する…そんな決意でからみついたヒルガオの中からアスパラを救出しておりますが、少々畑らしくなったと自己満足。遠くで名前を呼ぶ『マーちゃん』の声がしたような…。「遂に、野良仕事が嫌になって、お酒の誘いの声が聞こえるようでは、怠け心もかなりのものである。」なんて、自分を叱咤しながら鎌を振る。今年、期待を掛けているホワイトコーンの脇芽を欠いて、水遣りをして…半歩前進したのか、停滞なのかは別にして、少しは働いたということにして、ご褒美の缶ビールをポケットに入れて『第1サティアン』を訪問すると『オジSUN』三人が既に飲んでいた^^;(空耳ではなかったようである。)
何かに怒りをぶつけないとやりきれないような日曜日…東京都の人出は、元に戻ってしまったようである。草は刈れば、一時期だけはその結果に自己満足できるけれど、コロナだけはねぇ。またまたリバウンドの兆しが…無駄だと思いつつ、草刈りするのは自分(経営)のため、出歩かないのも自分のためなはずなんですけれど、もう政治屋さんの言うことなんか聞きたくなくなるよなぁ…そして、オジサン「よったり」は今夜も酔ったり(笑)

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根も葉もない話

2021-06-27 08:42:21 | 転職

冬越ししたネギが「分げつ」開始…

寒冷地のネギ栽培では、秋に種子を蒔き、春に苗を植えるのが一般的ですが、家庭菜園では、冬越しした太いネギを畑に伏せ込むことで「分げつ」し、また立派なネギになる。寒さには強いので、東北地方では重宝な作物ではありますなぁ^^;
根は当然の如く土の中、緑色の部分が「葉身」で、白い部分は「葉鞘」と呼ばれるから、葉ネギを食べる文化、白い部分を食べる文化圏と分かれますが、結局のところ私たちは葉を食べていることになりますなぁ。それでは「茎」はと言いますと、根と葉の接合部分(硬い部分がちょびっとだけある。)であり、まぁ切り落として利用はしないでしょう。「根も葉もない」とは、根(根拠)が無くては、葉も育たないという意から生じた言葉のようでありますが、「茎」という硬い支えがないとこれまた植物として成り立たないのよねぇ。(葉状植物といって、藻類や地衣類が存在しますけれどね。)
地上生活する上では背骨が重要であり(昆虫の場合は、外骨格で硬い皮膚に守られている。)、しっかりとした支えが必要なんだと考える。日々の生活に右往左往している『おやじぃ』ではあるけれど「芯」がないとねぇ…。しかしですよ、ここのところ予想外の展開が多過ぎる。捨てるよりはマシかと思って始めた「グリーンピース」が好調で、「明日も入荷しますか?」なんていうお問い合わせもあったとか。「ハイハイ、それなら割には合わないけれど明日も出しましょう。」なんてね、方向性がグラついている。当面「お客様ファースト」で対応いたします^^;


『半三郎君♂』もサマーカットで男前^^;

さて、「コロナは只の風邪である。」…季節性インフルエンザもコロナウイルスによるものだから、この主張自体は間違ってはいない。2018年のインフルエンザによる死亡者数は3,325人(厚生省発表)、これにインフルエンザに罹患したことによって、慢性疾患が悪化して死亡した事案と合わせると1万人程度(厚生省発表)と言われる「超過死亡概念」という考え方らしい。これに加齢による「自然死(寿命)」は一定数存在するのだから、コロナウイルス恐れるに足りずといった主張をされる方もいらっしゃるのでね…コロナ感染症による「急性増悪」という症例には応えていないような気もするが…。まぁ、これは世の中の動きであり、我が集落では?「例年の奥津島神社の例大祭。神社の草むしり、清掃作業は密を避け、役員だけでやりましょう。」…何でもかんでも嫌なことはコロナを理由にパスしましょうっていう風潮が多過ぎやしませんかねぇ?「酒を飲んで、カラオケをしてどんちゃん騒ぎをしよう。」てぇ訳じゃないんですけれど…。
地元の酒屋さんも仕出し屋さんも影響をモロに受けている。「冠婚葬祭」もまた、新しい生活様式の勧めということで簡素に…イベント化してしまったようなお葬式には辟易していたから、それはそれで結構なのだけれど、物が動かない。「新しい生活様式」のためには、職業もまた変えて(変わって)行かなければいけないのだろうか?
ネギの需要は減らないでしょう。食べる方が減るとも思えない。自らが変わって行くこと、変えていくことも必要ではあるのですが、地域コミュニティや「ゆい」の精神は失ってはいけないものだと思うんですけれどねぇ…自助、共助、公助…菅総理は、就任早々「公助」の順番をあえて後にしたっけ。先見の明がある方かも…これこそ根も葉もない『おやじぃ』のたわごとになって欲しいものだわ(笑)

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田んぼのとんぼは?

2021-06-26 07:18:03 | 転職

このところ肌寒いのですが…

台風5号が北上しているものの、日本列島への接近は回避できそうです。一方、寒気が入り、夜間の肌寒さにつながっているようであります。昨年の画像を確認してみると、7月2日には夏秋キュウリの初成りを収穫し、7月4日にはアキアカネの羽化を撮影しております。今年のキュウリは順調に生育しているものの雌花の数はまだ少なく、初成りにはあと一週間ほど掛かるでしょうか?アキアカネは既に田んぼを飛んでいます。(昆虫の成長にも積算温度は、重要な要素のひとつであります。)例年どおりに進んでいるなぁと日記替わりの画像で確認しているところでありますよ。田んぼの稲も根元が膨らみ、「分げつ」が進んでいることを確認できる。まずは順調、順調!しかし、トンボやアマガエルにとっては、この1週間から10日間が重要な意味合いを持つ時期となります。我が在所では『ねっきあて』と呼んでいる「中干作業」…水田に溝を切り、水田の水を抜いて干し上げる。生き物たちの生息環境が一気に変わる訳だから、その作業の前に成長を遂げていなければならない。どうしても成長の早い遅いがありまして、のんびり『ねっきあて』をする『夢屋農園』のトンボやアマガエルも結構な数が犠牲になっているのでありますよ。


残留農薬検査のために…

昨日『おらだの農協』の『カン君』から、圃場のキュウリを1㎏ほど提供して欲しいとの電話がありました。「安全・安心なキュウリ」をお届けするために、抜き打ち的なサンプリング調査への協力依頼であります。元々、防除基準以下の薬散回数でありますから、抜き打ち検査を受けたところで何の心配もありませんが、検査結果が出るまでの二週間は出荷出来ないんですと…もう出荷を始めている農家からすれば、出荷停止は打撃であり、他の生産農家は定植が遅かったせいで、まだサンプル提供できる状況には無いと言う悲痛な電話でありましたけれど…小規模ながら直売所出荷を行っているから、我が家の場合は何とか対応は出来そうですが、補償金もない協力依頼という要請に頭を抱えております。
さて、某国家公安委員長が、横浜市長選への出馬のため辞職されたようでありますが…ところで、オリンピック開催時のテロ対策ってどうなったんでしょうねぇ?今でも50年前のミュンヘン大会のテロが記憶に残っておりますよ。30年ほど前に山形県で開催された「べにばな国体」でも、開会式場で過激派が発煙筒を焚くという事件もありました。国際大会は、テロリストの絶好のアピールの機会なんですけれどねぇ。国家公安委員会は、国民の良識を代表する者が警察行政の民主的管理と政治的中立を確保するために置かれたもので、内閣の治安の責任を明確にするために、委員長は国務大臣となっている訳なんですけれど…。コロナ禍で、入出国の水際対策をしっかりやっているから大丈夫ってぇことなんですかねぇ?「安全・安心」をお届けするために、10本程度のキュウリを提供することに頭を抱えている『おやじぃ』が心配することでもないなぁ(笑)

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捨てる神あれば…

2021-06-25 08:58:43 | 転職

捨てるなんて「もったいない」^^;

塩っぱいナス漬けが、貴重なおかずだった。今は亡きお袋が若い頃、「茄子漬ひと粒でご飯はいくらでも食べられる。」と言われ、それで身体を壊したと恨み節を吐いていた。冷蔵庫もなく、輸送方法も確立していない山形県の内陸部では、魚介類は塩蔵品や干物が多く、また貴重な食べ物であったから、身体を作るタンパク質をどう補給していたのだろう?ましてや、現金収入のない小農では、夏のナスやキュウリは自家菜園で出来る貴重なおかずであり、冬場への保存食だったのである。肉類が無いとご飯が食べられないというのは、贅沢の極みでありますわなぁ^^; 「昔の生活ぶりをすれば、お金はいくらでも貯められる。」なんて、親父は言っていたけれど、一度甘露を味わうと、「昔の生活」になんて戻れないのが世の常でありますよ。ちなみに「甘露」とは、中国古代の伝説では、天子が仁政を施すと、天が感じて降らす甘い露のことであり、インドでは、飢渇をいやし不死を得る天人の食べ物を指すらしい。漬物を食べない若い世代が増えているようにも感じますが、今のところ「ひと口丸茄子」は、まだ一定層の支持を受け、我が農園でも貴重な現金収入源となっている。定植から1ヶ月ほどで最初の収穫物をいただき、これはこれはとほくそ笑んだものの、思いのほか収穫量が伸びないのよねぇ…「薄皮丸茄子」に至っては、ポツポツとした結実しか見られませんのよ。


そろそろ倒す時期が来た…

うどん粉病で肌の見た目が悪くなった春蒔きの「スナップエンドウ」の莢が開いて、見事な「グリーンピース」になっていました。「グリーンピース」は、本来は青実用エンドウであり、品種的には「碓井豌豆」が有名なようでありますけれどね。料理の彩りとして使われたり、水煮の缶詰が一般的でありますが、一度知り合いの商店さんから「グリーンピース作らないの?」と尋ねられたことがある。某所で「豆ご飯としての需要があるんだけれど…。」とのことである。莢の肌色が良ければそのまま出荷ということも可能ですが、肌色が悪くてはねぇ…実を取り出していたら手間賃にならないし。自身でも塩ゆでして試食してみて、甘さが感じられたので、梅雨空の手持無沙汰(作業の合間)に、実を取り出して出荷してみましたよ。「生グリーンピース」が売れた。手間賃にもなりませんけれど、現金収入が少ない時期には、貴重な商品かも知れない。売らないことにはね、お金も入って来ないことですし^^;
遅い梅雨入りで、外作業も停滞気味でありますからねぇ。「甘露」が仁政の証ならば、今降る雨は何なんだろう?作業者にとっては、鬱陶しい雨ではあるけれど、稲には酸素を供給し、畑には潤いを与えてくれる天の恵みではある。「捨てる神あれば拾う神あり」なんて言いますけれど、天が降らせる「甘露」を味わえるのは、一部の人々に限られているような気もするなぁ。宮内庁長官まで「陛下も感染拡大を懸念されていると拝察される。」と定例会見で談話を発表されたようだけれど…政治には口を出さないのが不文律のはず。意外にも、陛下の方が庶民の気持ちを代弁しているような気もするが…しかし、西村長官!発言には気を付けられた方が良いかと。更迭覚悟の発言だったりしてね。政治屋より、まともな人間がいたような気分になってきた(笑)

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ムービング・ゴールポスト

2021-06-24 08:13:19 | 転職

「セトリオロ」と「エシャレット」の生みそ添え^^;

イタリア語のキュウリと生食用ラッキョウの商品名「エシャレット」を使うと、『おやじぃ』たちのおつまみ「もろきゅう」もちぃ~とは高級に聞こえるからあら不思議^^;(もぎ立て、掘り立てをお口に運べば、美味しいのは当たり前。)
病気と施肥の失敗で壊滅的打撃を受けた「ニンニク」と「タマネギ」を何とか掘り終えて、土壌の質の悪さを改めて感じて、今年の秋にはたい肥を投入するか、定植場所を変えてみようと、またもや反省だけはしております。「反省だけならサルでも出来る。」が、反省点の改善なくして現状の打開は進まないと信じて疑わないのでありますけれど、その時に及ぶと何故かそのまま植えてしまう。昨年はマルチも上手に張れて、定植本数も十分確保したんですけれどねぇ。夏秋キュウリ畑は、毎年大量の完熟たい肥を投入した結果、栽培当初よりは明らかに土質が変わっている。力の置き方が明らかに違うんですなぁ^^; ニンニクも最初の一年は、青森県田子町産にも負けないような良型のニンニクが収穫できたのでありますが、それ以降が悪い。タマネギにしてもしかり…ニンニクは、産地としてのブランドが確立していないから、求められるのは料理用のニンニクであり、良型高価なニンニクでは、意外に直売所では高く売れないんですよ。タマネギに至っては、兵庫県産、北海道産に押されてスーパー価格が低く、やはり期待したほどの値段では売れない…結果(売り上げ)が見えているから意欲的に取り組めないというのが真相かも知れないなぁ。仕事のピークを平準化するという意味合いにおいては、冬から初夏に掛けての作物ですから、好都合な作物なはずなんですけれどねぇ。


ようやく「茄子漬」にありつきました^^;

友人『ノロ社長』が準備してくれた「もろきゅう」…「キュウリは食い飽きただろうけれど。」と言う彼に「キュウリは売り物であって、食い物じゃない。」と応えた『おやじぃ』であります。初物や曲がったキュウリこそ家では食べるけれど、良型の物はことごとく現金に換えているから、さほど食べていないのでありますよ。(品質確認のために、抜き取り的に食べることはありますけれどね…これは生産者としての責任かも^^;)何とか生活を安定させるために、年間の生産目標や売上高の目標を定めているのではありますが、中々、なま物の生産では変動要素が多いのでありますよ。それでも、ヒット商品が少しずつ分かって来たから、これが上手く回るようになればねぇなんて考える。次は、次は、次はとね^^;
さて、『ムービング・ゴールポスト』とは、既存の約束事や契約内容など、両者で決めたことを片方が自分有利に勝手に変更することを比喩する表現らしい。直売所の販売品も市価よりはだいぶ安く提供しているつもりである。地元のスーパー値段も参考にするのだけれど、そちらは青果市場を経由したものであり、一定の市場規格を満たした商品であるから、それに準じた自主基準の商品は安く仕上げるべきであるとの思いからである。しかし、売れるんだよねぇ…値段設定が安過ぎるのだろうか?なんて考えてしまいますよ。たまにお客さんと鉢合わせして、「この前の〇×が美味しかったです。また買うわ!」なんて言っていただけるのが、今のところ最高の誉め言葉でありますよ。こうした声には、キッチリ応えて行かなければならないなぁ…。名前を出しての販売(おすすめ品には、自作のシールを貼ってもいる)だから、一度、高い割には美味しくないという評価が下れば、お客さんは離れて行くに違いない。そう自分を戒めて臨んでおりますけれどね。そうそう、オリンピックは、開催・中止といった判断から、ドンドン条件緩和の方向へと動いている。それはそれで想定内のことなのだけれど、失敗のツケは必ず庶民に回ってくるはずである。目標を決めたなら、そうそう簡単にゴールを動かしちゃならんと思うのですけれどねぇ(笑)

 

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飄々(ひょうひょう)と

2021-06-23 07:05:00 | 転職

我が在所では「スベリヒユ」を『ひょう』と呼ぶ^^;

『おやじぃ』が小学1年生の時、「オオバコ」「スズメノテッポウ」「スベリヒユ」の絵が教科書(副読本だったと思う。)に載っておりました。(草の名前は無かったなぁ!)先生の質問は「さて、この内で雑草はどれでしょう?」…指名され答えに窮した女の子を笑ったら、怒った教師は『おやじぃ』を次に指名した。はて、指名された『おやじぃ』もハタと困ってしまったのである。植物名こそ書いていないものの、「オオバコ」は『オオバコ相撲』で遊ぶ草であり、「スズメノテッポウ」は草笛で遊ぶ草であるけれど、「スベリヒユ(ひょう)」は食べられるのである。食べられる物を「雑草」とは言うまい…自信を持って答えると教師の回答は「総て雑草です。だから、知ったふりをして他人を笑ってはいけません。」とたしなめられました。(こうした経験は、キッチリ覚えているんだよなぁ^^;)
「世の中に雑草という名の草はない。」と植物学者牧野大先生が言葉を残し、昭和天皇も引用されたようでありますが、農業分野では「耕地雑草」として一括りの表現もあるから、教師の分類もあながち誤っているとも言い難い。しかし、「除草論」なんていう講義を受けると、作物に被害をもたらす草もあれば、樹園地の土壌乾燥を防ぐ草もある。水田畦畔では、根まで枯らせば畦畔が崩れてしまうのである。(最近は、畦畔塗りをするアタッチメントもあるけれどね。)虫も草も一撃必殺、皆殺しという考え方は如何なものかと考えるのでありますよ。『雑草』と分類された草ぐさにも、我が在所のように「スベリヒユ(ひょう)」を食べてしまう食文化もあり(決して食べるために栽培している訳ではない。)『分類』という線引きは難しいものだと考えるのでありますよ。


役に立つか立たないか?

さて、歳を重ねて思うこと…ジョージ秋山氏の「浮浪雲」という漫画の中で「年寄りと仏壇は同じようなものだ。ありがたくもあるが、邪魔と言えば邪魔でもある。」そんなフレーズが出て来る。人は赤子であっても、老人であっても何がしかの役割を担っていると思う。わずか3歳で命を落としたとしても、残された人々の心の中に生き続け、100歳の長寿を全うしても、いつかは遺影の中の人となってしまう。何がしかの役割や立ち位置を持っているから、心の中にも、実体としても生き続けられるのではないかなんてね^^;
「飄々とした生き方」なんてね。何かとらえどころのない、世間の風などどこ吹く風といったような表情や態度で生きているようではあるけれど、それでも他者との関わりの中で生きている。昔、一線から退いた『男年寄り』は、無駄な存在のようにも思えた。子守りさえできないのだから^^;(その数も少なかったけれど。)その点、『女年寄り』は逞しく、家事などこなしていた記憶である。次第に高齢者の域が近付いてくると、我が身の振り方は…なんて考えるのでありますよ。何とか家計を支えている内は、親父ぶったことを言っていても、その内にその口さえ動かなくなるに違いない。少しずつ少しずつ、農園の未利用地は減っているのだけれど、まだまだ、草に覆われた未利用地はあるのですよ。この農地が埋め尽くされたとき、我が役割もそろそろ終わりかなどと、小さな小さな思いを抱き始めましたよ。
まだまだ、まだまだ…昨日、早生の食用菊をようやく植え付けて(新たな作付け場所を開墾し)小さな満足感と寂寥感が湧いてくる…俺の立ち位置って何だっけ?息子が少しずつ逞しくなり、『おやじぃ』は少しずつ存在する場を失いかけてくる。喜ばなければいけないことなのかも知れないなぁ(笑)

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出来なかったことは…

2021-06-22 05:38:55 | 転職

これを何とか出来ないかなぁ?

今年は豆類の売り上げが順調であります。秋蒔きのスナップエンドウは、ほぼ完売。夏秋キュウリの収穫まで、つなぎのためにハウスの片隅で栽培したつるなしインゲンも完売状態であります。(シメシメ、来年は二畝にしようかしら^^;)その一方で、お盆用の枝豆は思いの外、発芽率が悪く何度も蒔き直しを繰り返しております。培養土で芽出ししてから定植すれば、もう少し改善できるのだろうけれど、春先の田んぼ作業や植え込み作業に手が掛かり、何とか手抜き出来ないかなんて考えているからこういうことになる。さらにトマトやナスの整枝作業に取り組めていない状態が続いており、タマネギは昨秋肥培管理を誤って、ほぼ壊滅状態…春蒔きのスナップエンドウは、うどん粉病に気付いてはいたものの、殺菌剤の散布が遅れて、後半売り物にならない状態でありますよ。身体が動かないのか、働くことが嫌になったのか…出来ていないことを数え上げると少々気持ちも落ち込んでくるのであります。ならば、「出来たこと」を数え上げてみよう。ジャガイモは、しっかり中耕除草し管理出来ている。ホワイトコーンも昨年の3倍量は植え込んでいるし、小玉スイカの本数も増やした。カボチャ栽培にも取り組んでいるし、早生種の食用菊も取り入れてみたetc.朝の見回りは、出来ないでいる園地を見回るのではなく、出来ている園地を先に回って、気持ちを高めようじゃないか…なんてね^^;
あれもこれもと欲張ってみても、出来ないのは出来ない理由があるのだ。手が回らない。暑くて動けないetc.…小さな農園の『お百姓さん』としては致命的な欠陥がそこにある。人生に限りはあっても、まだまだ秋まで時間はある。春先のスタートダッシュに出遅れても、挽回は可能であると自分に言い聞かせておりますよ。


やっぱり似ているよなぁ^^;

勝手に『シロちゃんパパ♂』と名付けた「鯖白」は、『第2サティアン』の主が居ても夜食を食べにくる。この辺一帯を手中に収めたらしく、しばらくの間君臨していた「茶トラ」の『寅次郎♂』は姿を消してしまいました。雪の無い地方と違って、雪国で野良猫として生き残っているのだから、彼らは優秀な猫族と言わなければならない。(確かに、生き残るために盗みも働きますけれど^^;)ネズミ狩りが得意だった母親の『ジーコさん♀』に置いてきぼりにされた『でぶ九郎♂』と『シロ♀』は、2年前の9月には、ようやくイナゴを獲れる程度でしたから、『おやじぃ』がエサをやらなければ、その冬を乗り越えられなかったに違いない。小柄なトラネコ『ゴンボ♂』は吹雪の中を何とか凌いでいたけれど、お隣さんからエサを貰うことに成功したようである。こうして「野良猫」と言えども、何らかの形で人間とのつながりを持って生き残っているに違いない。
犬はと言えば、意外に家飼いや鎖につながれて、「野良犬」はとんと見なくなりましたよ。(迷い犬はおりますけれどね。)こうして犬は安定した暮らしと引き換えに、「自由」を失ってしまったのかも知れない。一方の猫は、その日のご飯にありつけなくても勝手気ままに生きている。何かなぁ…昔と立場が逆転したような気もするが^^;
やっぱりねぇ、勤め人時代の方が安定していたし、今となっては気楽だったような気がしますよ。仕事の中に「遊び」を見つけ出していましたからねぇ…そうそう、遊び遊べ。仕事だと思うから辛いのよ。飽きっぽい性格だから、ひとつのことに打ち込めないのよ。注意散漫、勝手気まま…出来なかったことをグヂグヂ考えず、出来ること、出来たことを数え上げる。ところで、放置した結果の「グリーンピース」…何とか加工出来ないかなぁ(笑)

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性的指向および性同一性に…

2021-06-21 07:44:31 | 転職

ジャガイモは雄なのか雌なのか?

ジャガイモは地下茎が肥大して養分を蓄えた器官であり、サツマイモは根が肥大したものである。ジャガイモはナス科であり、花が咲いて、時として食べられない「実」も付ける。せっかちな『おやじぃ』が、男爵の根元を掘り返したら、地下茎の先端が小さく膨らんだ「芋」が出て来た^^;(やっぱり、ジャガイモは茎が膨らんだ物である。なんて確認して喜んでいる。)小学校理科の授業で、こんなことを繰り返していたら、教科書の最後の単元まで進まないわなぁ…教師失格である。
総合学習とかの時間に、せっかく学校畑にジャガイモを植えたとしても、収穫して、それがせいぜいカレーライスに調理され、「自分たちの収穫したジャガイモは美味しい。」という感想を述べて終わってしまう。収穫された「塊」が茎なのか根っこなのかなどと言うことは生きていく上ではほとんど用をなさないのでありまして、「知識」として覚えれば良い。忘れてしまったからといって、テストの点数には影響するかも知れないけれどね。むしろ、ジャガイモの芽や緑色に変色した皮には「ソラニン」という中毒物質が含まれていることを知ることの方が生存していくためには重要だけれども、スーパーで買い求めたジャガイモに芽があったり、緑色の芋が売られていることもないから、これとて日常を生活する上では用のない知識かもしれない。それでも良いお歳の『おやじぃ』は、地下茎の先端の膨らみを再確認して喜んでいる。(知識に深みが増したのでありますよ…なんてね^^;)


小玉スイカに「雌花」が着いた。

重要なのは「雌花」よ…経営上ではね。「雄花」なんぞは、受粉には関わるけれど商品になる訳ではないのだから^^;
そこで、『おやじぃ』はまた考える?ジャガイモは雄なの雌なの?スイカは雄なの雌なの?なんてね。「雌雄同株」…同じ個体の中に、おしべ・めしべ、雄花・雌花が存在する訳だから、雄でもなければ雌でもない。(イチョウなどのように雌雄異株の植物もあるけれどね。)雄か雌かなどと分ける必要はないのである。進化の過程の中で、その種のそうした形態が生存のために最も適合した結果となって今現れているに過ぎないのである。男や女という性分別は超越した存在なんだなんて改めて気付くのでありますよ。
ならば、動物の世界では…カタツムリやミミズなど、身近な存在の中にも雌雄同体の動物がいるのでありますよ。それは、下等生物の世界であるとの声も聞こえそうであるけれど…「高等」「下等」という分類はどこから始まったのか?「人間が最も優れた生物の頂点である。」といった誤認が始まりなのかなぁ?「LGBT理解増進法を成立させれば、社会秩序に混乱が生じる。」…御説ごもっともな『常識人』の見解にも聞こえるけれど、混乱しているのはご本人であって、今の社会(環境)に最も適した形態に進化してきた植物や下等と言われる動物たちは、とっくの昔に整理しているのだよ…なんてね。「そんなことを認めたら生産性(?)が落ちてしまう!」…ならば、雌花だけのスイカに品種改良すれば良いのかい?ジャガイモは花が咲かなくても地下茎に養分を蓄えてくれるけれど…生存するためには色々あってそれでいい。それが今を生き抜くために獲得してきた形質なのだから。ジャガイモの小さな膨らみを見て、妄想が膨らんでいく『おやじぃ』でありましたとさ(笑)

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