その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

『可哀想』という気持ち…

2023-10-31 09:40:38 | 転職

それはそれは「もってのほか」である^^;

数週間前に、故)三浦春馬さん主演の「僕のいた時間(2014年)」という古いテレビドラマを観ていた。「ALS(筋委縮性側索硬化症)」の若い患者さんを描いたドラマであり、前職の同期も同じ病気で亡くなっているから興味をもって観ていたのだけれど、さすがに『最期』が描かれることはなかった。有病率は人口10万人あたり7~11人ということであるから、『選ばれる』にしても「何故、自分が…」という思いが起こるのも無理のないことだと思える。
自然と『可哀想』という感情が芽生えてくるのだけれど、『可哀想』という言葉も「可愛い」という言葉も、その語源は「顔映ゆし」という言葉にたどり着くらしい。元々は、「相手がまばゆいほどに優れていて、顔向けできない。」という意から発展して、「正視しにくいが放置しておけない」という感情から相手を不憫に思う気持ちとなり、『可哀想』の意となり、一方は、気遣いいたわる感情が「愛らしい」という感情である「可愛い」に落ち着いたようである。
言うは易いのだけれど、本人の気持ちを慮るには難しく、家族の心労も計り知れないところにある。健康であることの有難さを感じるところでありますよ。


一服、一服が長すぎる^^;

さて、『おやじぃ』がそんな感情になったのも、ご近所に若い患者さんがいらっしゃるからである。知ってはいても、家族に病状を尋ねないのが『大人のマナー』と決め込んでいたのだけれど、昨日だけは様子が違っていた。助けを求められて、寝転んだ彼を車椅子に乗せるだけでも大変難儀した。年老いた両親が彼を介護するのもひと苦労である…ドラマでは描かれない部分を体験し、また、考えを改めた次第でありますよ。
はてさて、秋田県のクマ駆除の報道に『可哀想』という感情からの抗議の電話…確かに『可哀想』という思いは便利な表現ではある。それでは何ができるのかという疑問には一切応えることなく、感情だけを押し付ける。そこには、ムラ人たちの暮らしや『安全』といった問題もあるのに、危害の及ばない『外野席』から意見を述べられてもねぇ…結局のところ『おやじぃ』の心に抱く『可哀想』も同じである。相手の心情を察している風を装うだけで、何ら手を下していないのだから…。『老人』は『可哀想』な存在なのかしら?体力も落ち、動きも鈍くなる…若者たちからすれば『可哀想』な存在かも知れないが、生き方次第では、まだまだ輝けるはずである。そうそう「顔映ゆし」大人になることを目指しますかね(笑)

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おやつ…お買い物^^;

2023-10-30 09:04:43 | 転職

二年ものの「梅干」で一服^^;

「遠足のおやつ代金300円」という記事を見て、はて、「おやつ」の語源は何?と調べて見た。なるほど、「八つ時(2時から4時頃)」に食べた間食から『御八つ』となった訳ねぇ…妙なところで納得した。
子どもの頃、「ばっちゃ~腹減ったぁ~!」と言えば、「焼きめし(やぎみし)でも食ってろぉ~!」と言われたもんなぁ…当然、『おやじぃ』としてはお菓子を期待していた訳ではあるけれど、貧乏家にそんなものがあるはずもなく、『やぎみし(焼いたおにぎり、みそを塗っただけのおにぎり)』くらいしか無かったのであるけれど、間食となればこの指示もあながち間違いではなかった^^;
小学生になって、隔日10円のお小遣いが補償されるようになり、進級して1日10円のお小遣いに昇格しても、遠足の「おやつ」代金の上限が50円という破格の金額だったような気がする。これは学校が決めた『ルール』であるから、例え1日10円のお小遣いでも、正々堂々と50円を要求できたような気もするが…日銭を稼いでいた親たちにすれば、余計な『ルール』だったかも知れない。1個1円のあめ玉もばら売りしていたし、当時は10円玉で買えるお菓子が多数あったから、それぞれが持ち寄る「おやつ」も多種多様であったような記憶でありますが…。


当然、ポッキーは買えないなぁ…

さて、元記事は、遠足のおやつ代金を300円に設定した先生が、自ら買い物をして、300円ではモノが買えない、品数がそろわないことを題材にしていたようである。少々、悪知恵が働くようになれば、仲間内でお金を出し合って、品数を揃え分け合うという手もあるかも知れない。最近のスーパーでは、低価格の駄菓子を揃えているところもあるから、そこでお買い物をすれば品数は揃えられるかも知れないが…残念、『おやじぃ』の在所には、小学生が自転車で行けるスーパーがない。やっぱり親掛かりということになるのでありましょうか…。
はてさて、そもそも「遠足」の目的って何だったのだろう?学年が進んで「社会科見学」になっても、働く様子を見ることよりも、「おやつ」を買うことに集中していたような気もするが…。意外と「お買い物」をすることが社会勉強になっていたりしてねぇ^^; 予算内で収支を合わせる…稀に、予算オーバーと思わしき「おやつ」を持参する強者もいたけれど、級友の指摘にも「50円の中で買った。」と強気の答弁をしておりましたっけ。『物価が上がれば消費税も増収となる。』…そろそろ俎上にあがりはじめた『減税』論議、所得税を納めるだけの収入の無い『おやじぃ』には縁のないお話となってしまいましたなぁ…『先生!』、300円の上限を324円にしてくれたら今風かも知れませんぞ(笑)

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舌を切らずに…

2023-10-29 09:37:13 | 転職

「シジミチョウ」は『蜆蝶』ですか…

「ウラナミシジミ」と「ヤマトシジミ」は翅を開くと似ていますけれど、こうして翅を閉じると一目瞭然…「ウラナミシジミ」がマメ科の植物を食草とするのに対して、「ヤマトシジミ」はカタバミを食草としているようです。似ていてもマメ科植物を食草とする「ウラナミシジミ」は害虫とされるかも知れない。(被害は少ないと思うけれど…。)
はて、人に害をなすもの…スズメも穀物を食害するとされますが、一方では、害虫となる虫も食べてくれる。「益」か「害」かという二面性では分けられない存在であるような気もしますが、さすがに、モチ米の田んぼに大群で押しかけられると、やはり許せない存在ではある。おとぎ話に登場するスズメは、婆さんが大切にしていた『糊』を舐めたがために舌を切られたという筋立てになっておりますが、『おやじぃ』は耳から聞いた『糊』のイメージが、子どもの頃に使った工作用の『フエキ糊』であったために、どうしてスズメが『糊』を舐めるのか理解不能だったのだけれど、家具大工だった叔父が『米糊』なるものを作っている様子を見て、ようやくスズメが『糊』を舐めたことが分かった次第…耳から聞くお話のアルアルであります。それに留まらず、次にはクチバシの中の小さな舌を何故ハサミで切れるのか…疑問は次から次へと湧いてきたのでありましたとさ(笑)


「舐める」なら「ゆるさ」も必要…

さて、大人になって、今度は、爺さんが可愛がっていたスズメを、婆さんが何故目の敵にしたのか…『雀』が実は爺さんの若い愛人だった説!なるほど、爺さんが『雀』のお里を訪ねる最中に、馬の血や牛の尿を飲まされるという民話もあるらしく、なるほど愛人ならば、苦労してでも訪ね歩く姿に納得したりしてねぇ…子どもたちへのおとぎ話も、解釈の仕方では大人への戒めにも使える…共通する教えは『欲張ってはいけない』ということかい(笑)
はてさて、本当は怖いおとぎ話も、子どもたちへの聞かせる大人の配慮から、残酷な場面は削られて行くようである。しかし、『糊』を舐めたスズメのお仕置きに舌を切らなかったらお話が進まない。そこで、腹を立てた婆さんは、スズメのクチバシを瞬間接着剤で貼り付け、爺さんは『溶解剤』を手にスズメを訪ね歩く…再会したスズメと婆さんは互いに自分の『非』を謝罪し、その後は仲良く暮らしましたとさ、目出度しめでたし…。『非』は謝罪すれば事足りる…『罰』など下らない世界観!そうそう、『うそをついたら閻魔さまに舌を抜かれる』…居もしない『閻魔さま』を恐れていたから利いたお話であって、謝罪すれば事足りるならうそをついても大丈夫。そこまで配慮しはじめると、おとぎ話も戒めも存在しなくなるわなぁ(笑)

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火中の栗を…

2023-10-28 10:10:26 | 転職

「焼き栗」の場合は切れ目を入れて…

「石ころ」「犬ころ」とは言うけれど「栗ころ」とは言わない…漢字では『石塊』『犬児・狗子』と書くようであり、『ころ』に漢字の共通性はないのだけれど、他の言葉について「丸いもの」「小さいもの」を指す意味があるらしい。ちなみに「栗ころ」なるお菓子はあった^^;
栗の画像を見ながら、「焼き栗」にする手もあったと思い、10年程前に、銀婚式を機に京都旅行をしたときに、敢えて栗に傷をつけずに『バクダン』にして売っていたことを思い出しました。これがまた「天津甘栗」とも違って美味しかったから、敢えて『暴発』させるのもアリなんて思いましたけれどね。傷をつけないで栗を火に入れれば『爆発』する…古くは「さるかに合戦」のお話から知っていることではあるけれど、残念ながら今では「いろり」などというものがないから、今の子どもたちには、「レンジでチンするときは栗に傷をつけて…」などと説明することになるのでしょうか?そうそう、今朝の『お題』は「火中の栗を拾う」…「自分の利益にならないのに、他人のために危険を冒すこと」のたとえでありますが、元ネタは、フランスの詩人ラ・フォンテーヌの寓話らしい。猿におだてられた猫がいろりの栗を拾って火傷を負うお話らしいのですが、古今東西、『お猿さん』は悪智恵の働く生き物のように描かれるようでありますなぁ(笑)


トゲはあっても手を出してしまう…

さて、子どもの頃は、登校前の集合時間に他人様の畑の栗拾いをしたものである。「木になっているモノ(栗)を取ってはいけないが、地面に落ちたものは拾っても良い。」という勝手な理論に基づく行為である。確かに、落ちた栗は「占有離脱物」になる可能性もあるけれど、木の所有者の所有地に落ちたのだから「占有離脱物」とはならない。(泥棒はドロボーである^^;)…当然、所有者のバァさんには怒鳴られたけれど、それ以上のお仕置きはなかったのである。
はてさて、自分の利益にはならないのに『
火中の栗を拾わされる』ことは良くあることでありまして、某事務所の新社長だってそのお一人かも知れない。既に負けが確定的なのに、それでも駆り出される『敗戦処理』…そもそも自分にその責任があったのかという疑問も湧き上がるのだけれど、ピシャリと抑えられれば合格、さらに打ち込まれれば「火に油」ということになるのだけれど。「美味しい栗」を食べた『お猿さん』だけが得をして知らぬふり、『猫ちゃん』は火傷に苦しむだけでは切な過ぎる…『猫ちゃん』は栗を食べません。ならば、「よく拾った。」という『お猿さん』の誉め言葉だけがご褒美かしら?何がしかのご褒美が欲しいと思う『猫おやじぃ』でありますが(笑)

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やせカエル…

2023-10-27 09:47:19 | 転職

負けるな 一茶ここにあり…

俳人 小林一茶が詠んだ句は、弱い者を応援する句として受け止められておりますが、どうやらヒキガエルの求婚行動を見て詠んだ句という解説もある。『おやじぃ』の在所では、ヒキガエルは一般的ではないので、どうしても普段目にするニホンアマガエルをイメージしてしまうのでありますが…。♀が強い♂を選ぶのか、強い♂が勝ち残るのかは不明でありますが、生物界では強い♂が勝ち残ると解釈されているようであります。
昨日、開催されたプロ野球のドラフト会議。例年に比べ話題性に乏しかったのは、球団やメディアにとって話題性(有望な)の選手が少なかったということでしょうか?2000年の日本の出生数は119万人(2022年は77万人)であったそうだから、野球に親しみ、野球を職業としたいという子どもの時からの夢を叶えた選手はエリートということになる。何たって育成枠を含め122名の指名選手ということだから、生まれた子ども1万人に1人の割合ですから^^;
はて、次の指名を待つ『ニホンアマガエル選手』の場合は…彼の場合は、指名(選択)されなかったから、今ここにある。自然環境や天敵という『死の選択』から、逃げおおせた結果に違いない。次には厳しい冬が来て、果たして年を越し、来春に再会できるのか?ドラフト会議が話題となる一方で、野球界を去る報道があるのもこの季節でありますなぁ…。


ドラフト会議よりドラフトビール^^;

さて、「ニホンアマガエル」の寿命は自然界では4年程度という説がある。葉っぱの上では緑色に体色変化し、土の上では『土色』に変化する。巧みに『色』を変え、外敵から逃げおおせても4年ですか…。(飼育下では5年から7年といわれているようですが。)『目立つ』ことより『隠れる』ことの方が彼らにとっては長生きの秘訣のようでありますなぁ。
はてさて、『目立つ』ことがプロとして生き残るための必須条件ならば、『目立たない』ところでコツコツと業務をこなす人がいるのも『人間界』のようである。小林一茶が『やせ蛙』を応援したのは、判官びいきということもあるかも知れないけれど、晩年に授かった子どもを次々に幼くして亡くしたということも原因らしい。華やかなドラフト会議の後に戦力外通告を受けたり、今回、選に漏れたとしても『大化け』する選手がいらっしゃるのも事実であるから、決してチャンスを失ってしまった訳でもないのである。幸か不幸かなどということは、その時点では分からない。『目立たない』ということが、『アマガエル業界』での生き残り戦略だとすれば、仕事をしないで『目立たない』という選択はアリやナシや…この場合か「仕事をしない」ということが『目立って』しまうから、よくよく注意をした方が良さそうである(笑)

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男の子アルアル…

2023-10-26 09:31:36 | 転職

これは「揚げ出し」ですけれど…

朝方また夢を見ましてね、課題は折り紙で「巾着」を折ることだった。どうやら老人福祉施設内でのリハビリ作業の一環のようでありますが、講師は完成品と折り紙を置いてさっさと消えていた。(おいおい、遂に『おやじぃ』も福祉施設に入所する夢を見るようになってしまったかい^^;)
選択肢はふたつ…講師が居なければ出来ませんと諦めるか、分解展開して、折り目を参考にして挑戦するか。『おやじぃ』は、展開図になることを選択したのだけれど、折り目は複雑怪奇…折り紙のはずなのに、作業台の上はバラバラのパーツで一杯になり、戻ってきた講師に怒られた(笑)
はて、何でこんな夢を…ふと、子どもの頃を思い出しましてねぇ。分解した機械は数知れず、目覚まし時計にレコードプレーヤーetc.…裏蓋を外して中味を確認しただけのはずなのに、目覚まし時計は動かなくなり、レコードプレーヤーは妙な回転数に変っていた…。木の板を切り刻んで船を作ったり、幼児用の車を改造したり…最も危険だと感じたのは南京袋に詰められたテレビのブラウン管に石をぶつけて割ると『爆発的』に割れることだった。(これは近所の悪ガキがやった所業であります^^;)少々のケガはつきものであり、舐めて治すかカットバン…実に粗野な育ち方をしたものよ。


「ガマ」の穂は、頭を叩くには好都合^^;

さて、稲作で『畑苗代』が普及すると、トンネル栽培の支柱に使われたのが『割り竹』…誰が始めたかは分からないけれど、一時「弓矢」を作って遊ぶのが流行した。所詮、ヨシの「矢」であるから当たったところで痛くもないのだけれど、今なら危険な遊びとして、即中止のお達しが出るに違いない。少々、悪智恵が回るようになると、「矢じり」に釘や針金を使う者が現れ、板塀に刺さることを自慢していた輩もいたから、確かに遊びは『危険』な方向に進化するのかも知れませんなぁ。
はてさて、こうして粗野な育ち方をした『おやじぃ』ではあるけれど、やはり『失敗』と『痛み』はつきものだったような気がする。この『程度』までという『頃合い』というものを『感覚』的に分かっていたような気もするのだけれど…。「分解して展開すれば何とかなる。」…そう思えたのも子どもの特権だったのだろうか?今の世の中、複雑すぎて、分解したところで分からないことが多過ぎる。いやいや、敢えて分解して見てみようなどとせずに、そっとしておいた方が得策と思っているのかも知れない。『歳を重ねて丸くなる。』とはそういうことかしら…分解してお手上げになるのは、「折り紙」程度にしておくのがよろしいというお告げでありますかねぇ(笑)

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狸囃子が聞こえる…

2023-10-25 10:26:20 | 転職

今は亡き『でぶ九郎♂』の画像を見て…

『狸の腹鼓』…月夜の晩に「狸」が腹を叩いて楽しむという言い伝えではありますが。はて、タヌキは本当に『腹鼓』を打つのかを考えてみた。子どもの頃から、『ぽんぽこぽん』だわねぇ。どうやら、野口雨情作詞による「證誠寺の狸囃子」(1925年発表)の影響が大きいようである。歴史を遡ると「日本書記」に「狸が人となりて歌をうたう。」という記述があるらしく、『化け狸』は古くから信じられていたようである。冬毛のタヌキは太っても見えるけれど、野生のタヌキは一般的に細身であり、お腹を膨らませて『腹鼓』を打つとも考えられない。どうやら、でっぷりと太った狸のイメージ画は、江戸時代頃に定着したらしい。
横井正之さんという方が、本物の鼓(CD録音)の「ポン」という音を調べた結果、275Hzと813Hzに音のピークがあるらしく、自分のお腹や滋賀県の「腹鼓大会」の音源調査の結果、230Hzから300Hzという結果が出たらしい。結局のところ、タヌキは本当に『腹鼓』を打つのかという結論は出ず、『ぽんぽこぽん』は、人間の『狸オヤジ』が創り出した擬音であるということで納得することにする。そもそも、ネコもタヌキも「鎖骨」が非常に小さいから、お腹に手(前脚)が自由に届くかということを考えるべきだった(笑)


聞きようによっては…

さて、朝からまた下らない妄想を続けてしまいました。タヌキやキツネが人を化かすというお話は、1965年頃から一気に消滅したという説を展開される方もいらっしゃる。『ぽんぽこ山のたぬきさん』も、都市化の波で頭に載せる樹の葉っぱさえ見失い、その『妖力』を失ってしまったに違いない。
一方では、姿を消したと思われていた裏山のタヌキが、空き家という新たな棲家と荒地という餌場を得て復活の兆しがある。彼らは彼らなりに、したたかに生き残っていたに違いない。今では、クマやサル、イノシシetc.が人家近くまで出没するようになり、これを山が荒廃したからと見るべきか、美味しいモノ(餌)を人家近くで得やすくなったと見るべきかは迷うところでありますが…。本当に『狸囃子』があるとすれば、そろそろ増えて来たタヌキたちが『宴会』を催しても良さそうである。しかし、『おやじぃ』には、『狸囃子』も人間たちの「カラオケ」の音も聞こえない。響き渡るのは「防災行政無線」の音声と救急車の音だったりしてねぇ。どこかで不幸や不安な音だけが響き渡るというのも如何なものかと思いますけれどねぇ…。

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今は昔…

2023-10-24 10:29:32 | 転職

ポタージュより味噌汁を…

『今は昔 竹取の翁といふ者ありけり』…名前を『さぬきの造(みやつこ)』というジィさんは、文脈から竹細工をして生活していたに違いない。光る竹の中に身の丈3寸の可愛い女の子が座っていたというから、孟宗竹であり、恐らく『竿師』ではなかっただろうなどと妄想が膨らんでいく。
さて、『おやじぃ』の『携帯』がオシャカになった日、ショップの女の子が工業高校出身であることを知る。(決して彼女の身元を調べようとした訳でもなく、会話の流れです^^;)「今まで32MBでしたから、新機種は64MBでも大丈夫ですよねぇ…。」などというお話が続き「高校時代に初めてフロッピーディスクを授業で見ました。」なんて話に『おやじぃ』は唖然…さもありなん。DVDにフラッシュメモリetc.と記録媒体は進化を遂げているから、彼女にしてみれば「フロッピーディスク」も驚きの対象だったのかも知れない。「FDの前は磁気テープ(カセットテープ)だったし、それ以前の入力はパンチカードだったのだよ。」などと、『おやじぃ』得意のウンチクを語り始めても想像できない世界に違いない。学生時代に「マイコン」なるものがバイトのお金を貯め込めば手が届く価格帯になり、「こんなもん普及したら、人間は駆逐されてしまう…。」などと言っていた機械音痴の『おやじぃ』さえ、機械の進化を何とか追い掛けてきたといった状態ですかねぇ…(笑)


今じゃ無いと仕事にならない…

さて、アナログ世代の『おやじぃ』が、最初にプログラミングに取り組んだのは、単純な計算問題と帳票への出力(印字)作業だった…2,500件ほどの支給状況を手書きするのが嫌で、PCに解決させようと安請け合いしたのだけれど、処理速度が遅く、8インチのフロッピーディスクでしたからねぇ。演算中に画面が真っ暗になって、フロッピーディスクが動いていることだけは確認して、「現在作業中」という張り紙をして家に帰って、翌朝、結果を確認した記憶がある…今では笑い話である。
はてさて、『竹取のおやじぃ』が、PCという『竹林』に迷い込み、よろずのことに使い回しておりますが、PC自体の記憶容量が少なかった時代を振り返ると、少ない容量を如何に要領よく使いこなすかということに腐心していたので、データの保存という問題も「階層化」という手法で整理整頓しなければならなかったような気がする。今では大量データを保存できるから、余りにも大量に保存されていて、どこに保存したかさえ分からなくなってしまう始末であります。自分の部屋が広がって、ゴミが散在している状態に似ているなぁ…(これは自分自身がだらしないだけである^^;)『今は昔、携帯電話というものがあったなら…』…少なくても女の子と知り合い、お付き合いする機会は格段に増えていたはずである。(そう思い込むことにする^^;)大体ねぇ…『携帯』などと言わずに「スマホ」と言いましょうよ。『おやじぃ』の場合は、そこから解決する必要があるかも(笑)

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0570…ナビダイヤル^^;

2023-10-23 10:30:18 | 転職

『スベらない』ネタ作り…

暇を持て余し、深夜に「キングオブコント」のネット放送を観てしまいました。友人の子どもさんが「コント」の世界を志しており、「YouTube」で流れる彼らのコントは、音質が悪くて聞き取れない。聞き取れないから、どこが面白いのか一向に分からない…ならば、最近の「コント」とは如何な状態かと思いながら視聴しましたけれど。どうやら『おやじぃ』の笑いのツボと演者たちの笑いのツボが違うのかも知れない…笑えない。
そもそも「コント」って何だと改めて調べている始末…元々はフランス語で、機知や風刺に富んだ短編文芸であり、日本では笑いを誘う寸劇とされているようである。「笑いの進化論(井上弘幸著)」なる書籍や「コントと笑いの関係についての考察」(富山大学 山田奈都美ら)などという研究成果もありまして、現代のお笑いの『型』を①同音異義 ②日常のパッケージ化 ③取り違えetc.と分類されているようである。なるほど、教育学部では「お笑い」も研究の対象になるのね…などと妙なところに感心しておりますよ。『おやじぃ』が笑えないのは、子どもの頃は許された行為やネタが、現代社会では使えない、禁止されているということがあるのかも知れない。『自虐ネタ』は許されても『他者』傷付けるネタは否定されてしまうから、『笑いとばす』ということ自体が憚られる世の中なのかも知れないねぇ…。


どこかに風刺(トゲ)があっても…

さて、今朝のお題は「0570」だった。知らない電話番号からの着信が続き、当然、着信拒否はしているのだけれど気になって調べてみたら「NTTコミュニケーションズ」のサービスでした。サービスとは言え、通話料が発生するらしいから「迷惑なサービス」でありますよ。『有料サイト』の利用もないし何のナビダイヤルかと思っていたのですが、どうやら某オークションサイトの月額会費の未納が原因らしいことに気付いたのであります。(催告書が届いてようやく理解できましたけれどね…。)
はてさて、入会手続きは簡単でも、退会手続きが不明という場合が多々ありまして、会費の未納が続けば『自動退会』ということはないかしらなどと安易に考えているのだけれど、利用者規約など良く読んでいないから、もしかすると『違約金』が発生するかも?などと要らざる心配を始めておりますよ。『笑い話』からスタートして『笑えない話』になったりしてねぇ…。便利な社会のはずなのに、『不便』な社会のお話…どこか『コント』じみている。そうそう、お笑の『型』に⑨唐突なリアルというものも存在するようである。もう少しだけ様子を見てから対応しようとは思いますが、『笑えない』状況に陥ったりして…こうした『日常』も、他所様からしたら『笑いネタ』かも知れない(笑)

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聞くに聞けない…

2023-10-22 08:47:42 | 転職

そういう「習性」なんですけれど…

猫は、毛玉や消化しきれない異物を吐き出す習性があるという…「慌てて大量に食うからだ。ゆっくり食べな!」などと言ってみても仕方がない。習性とは言え、吐き出したモノに異常があれば内蔵疾患などの病気が隠れている場合もあるようですけれどね。昔飼っていた家猫は、イネ科の雑草を食べ始めると吐き出すサインだったような気もしますが、それなりに自分の体調管理をしていたに違いない。
『おやじぃ』におとずれる年2、3回の急激な腹痛…トイレに駆け込んで治まるのを待ったり、お風呂に入ってお腹を温めたりと自己流の解決策を試すのでありますが、時として「冷や汗」「油汗」が止まらなくなることもあるから、こりゃ~救急車かねなんて思いになることもある。それでも『上からと下からのバランス』が整うとピタリと治まるからアラ不思議…どうやら、もったいないので「あとひと口」がバランスを崩す原因らしい^^;
「もったいない」という思いがこの症状の原因だとすると、身体も「もったいない」と感じているのか『上からも下からも』応じてくれないので難儀する…思いや言葉も吐き出した方が、きっと楽になるに違いないという思いはあるけれど、『大人』というものは、中々難儀な生き物ではある(笑)


そうそう、聞くに聞けないこと…

さて、苦しい思いの中、薬を飲もうにも『上からと下からのバランス』が崩れているはずだから、さらに上からモノを入れるのは如何なものか…『救急』の場合の腹痛は、下手に薬を飲まない方が良いという書き込みもあるようですがね。薬のパッケージに書いてある「悪心」…「あくしん」と読めば、悪事をしようとする心とあり、「おしん」と読めば、気持ちが悪くなって吐き気を催しそうな感じとあるから、「おしん」と読むのが正しいようである。これも他人に聞くに聞けないことではあった^^;
はてさて、『大人』になって、他人に聞くに聞けないこと、他人に言うに言えないことが多々あるものである。子どものように何の「悪心」もなく、聞いたり言えたりしたら楽なのにという思いがあっても、相手を慮り、恥をかかないようにという思いが『大人』の条件のようにも思えてくる。(稀に、他人の領域にまで土足で入り込んでも平然としているオバちゃまもいらっしゃいますが、きっとストレスなど無縁な方に違いないと思い、また相手にしないことにしているけれど…。)昨夜の腹痛も今朝には何事も無かったかのような具合でありますよ。『上からも下からも』心と身体のバランスを整えることが大切なのかも知れないねぇ(笑)

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