ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

190930 金木犀の甘い香りが!今年の写真出品は久留米市美展と福岡シニア美術展のみ。宗像ミアレ祭り行かず!

2019年09月30日 | 趣味と交遊

朝、窓をあけるとわが家の金木犀の淡い甘い香りが漂ってくる。いよいよ秋本番ですね。

  

27日、朝9時、久留米市美術館をめざし家をでる。今年の出品料のかかる写真展への出品は久留米市総合美術展と福岡県シニア美術展のみとした。

9時45分着。駐車場は満杯に近かったが作品搬入のひとは美術館前にどうぞという警備員の案内で館前へ。出品料1000円、2点の場合1500円。1点のみ「幽玄の森」を出品。受つけナンバー9番。

   

周辺を30分ばかり撮影して帰る。

いつも散歩にくるというご婦人がコブハクチョウにえさをやっていた。。白鳥も覚えているようで、スワンちゃんという夫人の声でさっとやってくるとか。両翼2mほどの翼で池上をとんでくれたことがあったらしい。

 

帰り、いつもの久留米大橋下の河原。以前みた砂紋は消えていた。

30日月曜日。また台風18号が沖縄先島に接近しているとか。9時半、福岡県シニア美術展に出品すべく車中泊の準備もしてでかける。天気次第では宗像まで足をのばして久しぶりに宗像大社の「モアレ祭」大漁船団パレードを撮影するつもり。

 

 搬入日は明日もある関係か10時半着、駐車場は50%ほど。スムースに受付搬入が終了。出品料1500円。福岡県展に選外となった作品をもちこむ輩が多いらしい。シニア展は事前に申し込み、受つけ番号をゲットしておく必要があり作品変更は認められていない。応募作はすべて展示され、知事賞ほか20点ほど入賞作品が選ばれる。「梅雨夕焼(ゆやけ)の彩り」を1点出品。

  

 みずほ銀行の預金通帳記入が最近していなかったので福岡支店にでかける。メガバンクは九州での拠点がすくない。記帳ができるのは天神の福岡支店と駅周辺の2か所。久留米支店など。筑紫野界隈ではできない。ATMはどこにでもあるし残高もパソコンで確認はできるが通帳処理は限られた店のみ。

 歩いて15分、道々撮影しながら天神へ。店頭で新通帳作成後、アクロス福岡へ。

ラグビーワールドカップの大看板。ベルリンフィルの演奏会10月完売。

駐車場にもどる途中、ステーキ丼800円、味噌汁付きの昼食。結構ボリュームがありました。

車に戻ってナビやスマホで情報チェック。宮地嶽神社まで下道で1時間、そこから20分で宗像道の駅。夕陽をとるために志賀島の勝馬海岸に行った場合、ここも車で1時間弱。問題は明日の午前、ミヤレ祭の漁船団の写真がとれるかどうか。スマホでみると「雷雨の予測がでています!」

(2014年10月1日撮影の写真)、

雨がぽつぽつ降ってきた。車中泊中止決断、帰路に着く。ぽつぽつ雨が続いている。しかし、行動力が減退してきたかな。さんざんぱら妻子に不要不急のドライブはダメの発信を受けているとまあ無理していくこともないかと自分を納得させてしまう傾向にあるね・・・いやはや

10月1日はどうなった?

天気は曇り。私は午前、かまど神社上域にアサギマダラの来訪チェックにいき1頭のみ確認。昼から九博でのボランティア活動。宗像のミアレ祭りは大勢の観客の下、盛大に行われたらしい。

新聞記事・・世界文化遺産「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」を構成する宗像大社(福岡県宗像市)の秋季大祭が1日、海上神幸「みあれ祭」で幕を開けた。約150隻の漁船団が大漁旗をはためかせ、玄界灘に浮かぶ大島から対岸の神湊(こうのみなと)まで勇壮にパレードした。

 「みあれ」は新しい霊力を授かるという意味で、年に1度、一堂に集う3女神に豊漁や五穀豊穣(ほうじょう)を祈る。昨年は荒天のためパレードが中止になっていた。



 午前9時半、沖ノ島と大島の女神のみこしを乗せた御座船が漁船団に守られ大島港を出港。神湊で辺津(へつ)宮の女神の出迎えを受けた。荘厳な海上絵巻を見ようと海岸一帯に大勢の見物人が訪れた・・・・・・。

後悔先に立たず ですね‥残念でした

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190926 九博ボラ、昆虫標本完成!インドの風、神秘の舞。太宰府、古都の光、撮影?!

2019年09月26日 | 趣味と交遊

 九博ボランティア、7月はアート展で月10回ほど出向いたが、9月は2回しか行っていない。メーリングリストをチェックすると25日午後、昆虫標本づくり2回目、ケースにいれて完成させる予定とある。

 太宰府「古都の光」イベント。壱の日の22日は台風17号の影響で中止、25日が弐の日になっていたので出かける。ところがところがである。朝、急にパソコンのインタネットが不通。同じことは過去何回かあり、すべての電源を落として再起動すると今までは修復したが今回はダメ。近くのパソコンライフサポートの社長に聞いたり、ソフトバンク光のカスタマーセンターに電話したり四苦八苦。NTTの機器故障、ショート?が考えられるということでサービス依頼をしてもらう。9時から13時まで奮闘。3本ある線の1本がどこからきているのか?机を手前に引き出し、のぞいてみると光ファイバーのコードが机の端におさえつけられていた。ここが断線か?引き出してみる。赤点滅していたネットのパイロットランプが緑にもどり点灯。修復!!!

 とんだハプニングで九博に15時前着、30分遅刻。標本づくりの真っ最中。皆童心にかえり嬉々としてやっていた。

しかしこうしてケースに整理されていくとなかなかのもの。さらには蝶などの翅の紋様がすばらしい。まさに神のなせる業と感じさせられる。解剖学者の養老孟子さん、昆虫採集している時が一番幸せと言っておられたようだが気持ちがわかる気がする。採集者の名前と昆虫名が記されたレベルが一緒にピンでとめられてゆく。

私が採ったツチイナゴやキリギリス、モンシロチョウなどをみずからピン止めしてゆく。

4時前完成、皆で記念撮影。ここでボラ活動は終了、わたしはカメラバッグをぶらさげて屋外レストラン前広場に移動、16時半からインドの風~神秘の舞とシタール演奏~が始まる。4Fの文化交流フロアではインド更紗などが展示されているとのこと。

きつい西日の中、イベントスタート。これを企画した九博学芸員の女性とと司会の奏者とのトークショウをはさんでインド舞踊とシタール演奏がはじまる。

なかなかのものでした。18時、天満宮の宮司や太宰府市長などにより古都の光の点火式。

天満宮から巫女さんがもってきた火が点火者にひきつがれ紙灯篭に火が入った。

これを合図に一斉に他の場所の紙灯篭の火がともる。今はローソクでなくLEDライト。18時半太宰府天満宮に移動、

20時から千灯明があるがまだ人はまばら。少々寂しい感じ。全体に暗い。カメラ操作も暗い中でのセッティングで手間取る。三脚にセットしてマニュアルでピント合わせになるがこれがなかなかむつかしい。九博方面にもどる。

太宰府遊園地あたりでワンショット。25日は梅が枝餅がヨモギになるのを思い出し参道にもどり妻への土産調達。

九博入り口のエスカレータ前。10月1日から三国志がはじまる。九博の入り口あたり。今年の紙灯篭セッティングは見事に三重の輪ができている。去年は風で倒れて苦労した。

ボランティアの皆さんお疲れさんでした。子供たちが騒いでいる。20時足指が疲れてきた。ぼちぼち撤退。

九博の夜景をカメラにおさめて駐車場へ。スーパーでビールを調達して帰宅。妻が早かったね。どうせ大混雑の千灯明、たいした写真は撮れまいとあきらめて早く帰宅した次第。シャワーをあびて暖かいヨモギ梅が枝餅と冷たいビール、結構でした。お疲れさん!!

 

 

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190923 ラグビーワールドカップ、ニッポンベスト発進!、台風17号、猛烈な風吹き荒れる!

2019年09月23日 | アフターセブンティ

 ラグビーワールドカップ日本大会、20日開幕。初のベストエイトを目指すニッポン。

ウイング松島の華麗なる3トライを含めボーナスポイントを得られる4トライをきめて30対10でロシアを圧倒、勝ち点5を獲得、ベスト発進を果たし、ラグビーファン、大興奮。

 サッカーはパス回しばかりで見ていてもやや退屈だがラグビーは100kg、2m近い男たちが楕円のボールを争奪すべくの肉弾戦。パワーとスピードと15人の選手たちのチームワーク、一瞬のスキをつく阿吽の呼吸の連係プレイがゴールを左右するようだ。ニッポンは第二戦、世界ランク4位のアイルランドと28日戦う。楽しみだね

2大会連覇のニュージーランド対過去2回優勝の南アフリカ戦がいきなり予選で激突。世界1無敵の「オールブラックス」、試合開始前の儀式「ハカ」をみたがまさに戦う鋼の群団だね、圧倒的迫力に唖然。試合はニュージーランドがバックス陣の突破力で23対13で南アフリカを退けた。ニッポンは第二戦、世界ランク4位のアイルランドと28日土曜日戦う、楽しみだね

大型台風17号が北部九州をかすめるというので、庭のカロライナジャスミンのアーチを補強する。ありあわせの材料と工具での対応だから一時しのぎかもしれないが知恵を絞って対応。重心が上に来るのでどうしても不安定。

たまたまベッドか何かの背面版があったので枕木のウッドデッキにくぎで固定。釘が曲がってしまうほどの固さ。これにアーチのパイプをのせて、廻りを4本くぎで固定。パイプの中間からテントを張る要領で針金で背面版に固定。右サイドも枕木のガーデン枠にフック用の金具を打ち付け、針金でテントを張る要領で左右から引っ張るという仕掛け。

 夜8時ごろから風が強くなってきた。夕方長崎に最接近、対馬空港当たりでは瞬間風速が35mをこえたとか。シャッター雨戸をしめて暴風対策。がたぴしがたぴしシャッターが風でおされて悲鳴を発する。これが夜中まで続いた。TVではトラックが横転したりコンテナが飛ばされたりとかニュースを流している。

 朝6時起床。外に出てみる。アーチはどうやら持ちこたえたようだ。しかし、だいぶ風圧で引っ張られたと見えて針金がたるんでいた。朝食を終えて9時過ぎから風台風の後始末。飛ばされた枯葉などごみ袋が一ぱいになった。掃除とあわせてブラシで庭のタイルを水洗い。筋肉トレーニングのつもりで頑張る。緩んだ針金を張りなおして昼頃終了。おかげで庭階段廻りがサッパリしました。大部、女房からの旦那への評価点数も上がるだろう!

 

 

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190919 恋の憂いを忘れさせる花、ノカンゾウ!今月2回目の天拝山登山。貴景勝、大関返り咲き!!

2019年09月19日 | 趣味と交遊

先日、わが庭先で咲いたカンゾウを紹介した。今日の西日本新聞、ノカンゾウのことを気象予報士の手嶋さんの記事。名前の由来は野にはえる甘草ということで甘みが強くおひたしやてんぷらの食材にもなるらしい。

別名に「忘れな草」があり古くは万葉集に憂いを忘れる草としてでているとか。後の時代には忘れな草をみてもあなたへの想いが忘れられないという恋心を伝える花となったとしている。

 ジンマシンの薬を医者の指示通り2週間飲み続けた。アレルギーやかゆみを抑える薬のようだが就寝前に1錠飲む。翌日倦怠感が残り眼も霞んだりする。確かにノカンゾウをながめてシャッターを切っている時はすべてを忘れる。

 昼前、パーマをかけに行く妻を送った後、セブンでおにぎり弁当を調達して天拝公園へ。今月2回目の天拝登山。途中、写真をとらず一気に展望台へ。と言っても40分弱かかった。無理は禁物。1時前昼食。汗は出ているが風が涼しい、秋の気配。おにぎり弁当がおいしい。

雲は今日も多く、天空にトンビが2~3羽旋回している。展望台にいるといろんな人が登ってきて気さくに会話が始まる。これが精神のカタルシスになる。

福岡空港に着陸するジェット機の姿もみえる。FZ300の600mmで撮る。

13時半、下山。山肌がもろくなり今にも崩れそうな箇所がいくつもあるね。大雨、土砂崩れ、道路遮断、暴風、電柱倒壊、停電。こんなパターンの災害が増えそう。

 天拝公園に30分足らずで降りる。アキアカネかな?あっちこち飛んではとまりを繰り返していた。止まった瞬間を瞬撮。まあこんな風に体を動かしてしまえば倦怠感もわすれる。15時、アイスをみやげに帰宅。妻のヘヤーはきれいに出来上がっていた。60代に見えるよ!にっこり!

 夕食オムライス。先日、妻が作るのを横で見ながらレシピをしあげ、そのノートを参考にしながら初挑戦。昼のチャーハンは妻からお墨付きをもらっているがオムライスは初挑戦。17時完成、まあ合格!結構でした。

 大相撲秋場所、貴景勝が妙義龍を突き落としで制して10勝2敗、大関復帰がきまった。先場所、思い切ってひざの治療に専念、全休、関脇陥落。おおきな、たいへんな決断だったろうにね。よく頑張りました。栃ノ心は御嶽海に完敗で7敗。あと3日、全部勝たないと関脇陥落。相撲の世界は厳しいね。ひょっとしたら貴景勝が大関復帰場所で2回目の優勝をゲットするかもね。横綱不在だが面白い場所になった。あと三日、楽しみではある。

 ワールドカップもいよいよ明日開幕、ロシア戦を日本が撃破したら一気に盛り上がるだろう!!

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190916 マラソン五輪代表選考MGC、おもしろかった! 敬老の日、65歳以上3588万人、なんと28.4%!!

2019年09月16日 | アフターセブンティ

日曜日、NHKとTBSのコラボ放送でマラソンの五輪代表を決める一発勝負の「マラソングランドチャンピオンシップ」をみた。男女ともおもしろかったね。しかし彼ら暑い中を2時間以上もよくも走り続けられるものだね、感心する。ジョグ&ウオークで4~5分走るだけですぐウオークに切替てしまい何とか30分、ランニングマシンに乗ってる74歳の老体。女子で優勝した前田選手など今年4月からは毎月1000km超の練習をしてきたというから驚き。あの身長166センチ46kgの細身の体のどこに毎日30km走り切る持久力が潜んでいるのかね。

男女ともども戦前の作戦では最終の上り坂勝負にかける選手が多かったそうだが男子は前日本記録保持者の設楽悠太のみが先行逃げ切り作戦、35kmくらいまでひとり旅、驚きですね。しかし予想以上の暑さのせいだったのか37kmで失速、後続集団に追い抜かれてしまい、14位に終わった。テレビではあまり談話がきけなかったが本人は逃げ切れると思っていたのだろうね。

 最後の上り坂での中村匠吾、服部勇馬、大迫傑さん選手のデッドヒートは圧巻でしたね。下馬評では名前があがっていなかった中村選手が2回の上り坂でのラストスパートで優勝した。冷静なレースづくりの作戦が成功したようだ。

 女子は前田選手が20km地点から独走態勢、長い足を活かしての悠々たる1位。それより2~3位争いが面白かった。

わずか4秒差で鈴木亜由子が小原怜をふりきって東京五輪の2枚目の内定を勝ち取った。しかし鈴木選手など身長154cm、体重38kgと新聞に出ていたがよくもまあ華奢な体で2時間半も走り続けられるものだね。マラソンにむいた体の構造というのがあるのだろうか?

 まあ男女とも3枚目のオリンピックの切符は誰がゲットするのか。残されたレースが楽しみですね

 まあ老体のわが身はテレビをみて楽しむだけだが今日は敬老の日、来年は75歳。自治会から記念品をもらうはめになるだろうがなんと65歳以上の日本の高齢者が総務省が15日発表した人口推計によると去年より32万人増えて3588万人、総人口比28.4%になったとか。世界2位のイタリアが23%らしい。100歳以上が7万人もいるとかでまったく驚きの世界1老人国日本である。

 蕁麻疹もややおさまったが、これから先、病気入院など御免こうむりたいものではありますね

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190914 長期停電、断水、千葉は大変!わが日本、砂上の楼閣?梅の樹に樹液発見!

2019年09月14日 | 辛口ひとりごと

瞬間風速50mの想像を絶する世界。カゼ台風15号のもたらした超絶被害。千葉在住の旧友kさん、庭の木が倒れたとか言っておられたが断水は大丈夫なのか?

 発電所→送電線→変電所→電柱→降圧トランス→家庭。浄水場→揚圧ポンプ→貯水場→家庭。ゴルフ練習場ネット,支柱倒壊、周辺住宅、電柱倒壊。アパートの屋根吹き飛ばされ道路封鎖電柱倒壊。携帯基地局アウト、通話できず。ライフラインずたずた。複合事故で東電の復旧工事、月末までかかるとか。まるでテロの標的一覧のよう。

(わが家の庭にカンゾウ?)

 グアムのジャングルに戦後28年間、日本が負けたとは知らずに潜伏して、やっと日本に帰還した横井正一さん、その奥様の美保子さんが証言。「戦後の日本は空中楼閣だ。繁栄しているように見えるが石油がとまればアウト。こんなに米軍基地があるのに日本人は独立国のような顔をしている。愚者の平和ですね」と横井さんが言っていたとか。電気と水が断たれたら完全にお手上げだもんね。天災、人災ごっちゃまぜ。政治家はノー天気に安定と挑戦などと言ってる場合じゃないと思いますが小泉環境大臣、どう思われますか?

 庭にあでやかな花が開いた。カンゾウの一種らしいが・・・

3

自然界は黙々と生を営んでくれる。

梅の樹に何やら光るもの。よく見ると樹液のよう。これは樹木にとっていかなる予知信号なのか?

穴が開いているということは弱っている証拠ということか。娘が生まれた時に植えた梅の樹。3~40年になるが、はてさて?!

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190911 十三夜?久しぶりに天拝山に上る。月2くらいに定例化するか!

2019年09月11日 | 趣味と交遊

明後日満月だったかな、今宵は十三夜?隣家に回覧を持って行った時、19時前の空の雲間に月が印象的だった。十三夜?

週一、妻と娘は一緒にルミエールで買い物、その後ランチ。久しぶりに標高258m、低山の天拝山に上ることにする。月一、ふもとの武蔵寺には写経に行くのだけれど天拝に上るのは今年初めて?標高860mの宝満山へはここ4~5年はご無沙汰。

   

10時半に家をでて途中、セブンでおにぎりとお茶を調達、リュックにつめて11時天拝公園の駐車場を出発。左遷された菅原道真が日ごと無実を訴えたという天拝山。各合目ごとに歌碑がたっている。荒穂神社の鳥居をすぎて8合目の436階段まで30分。途中落石注意や大雨の爪痕が残っている。

9合目までの歌碑一覧の看板。開運の道である。

   

こういう歌碑での合表示は登山者の疲れを忘れさせていいもんだ。上り階段目でシニアの女性3人組と話す。荒穂神社あたりに白いキノコがあることを知る。帰りよってみよう。

 

天拝山頂まで436階段。時間にして10分ちょっと。

 

日本はよけいな面倒見がいい国。

(菅原神社)

展望台に到着、リュックをおろし汗をふき、冷たいスポーツドリンクを飲む。

博多湾、天神方面も厚い雲が覆っている。Fz300で600~1200mm望遠でJR二日市駅付近をみる。先ほど特急白いかもめが走行するのが見えた。

おにぎりをだし昼食。展望台はひとりじめ。しばらくして女性のふたりづれ。あの黒雲がこっちにやってきて一雨きますかね。たわいない話。

 

(この表示板の右に行ってはダメ、左側をくだると階段にでる)

12時半、下山。3~4年前の夏、夜景をとりにきて道を間違えそうになったところを確認。6合目の荒穂神社のあたり。

ありました、ありました、白いキノコが・・。卵のような・・

 

(なんというきのこか?)

(展望台であった二人連れ)

人の顔にみえる樹を撮る。

 天拝公園に13時着、トイレをすませて武蔵寺にたちより睡蓮の心字池をK3で撮る。

 

駐車場そばの池で釣りをしているオジサンを緑越しに撮る。

13時半帰路に着く。いい運動になりました。往復7500歩。週一は無理かもしれないが月2回登山ならちょうどいいかもしれないね

 

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190907 時は「白露」、さわやかな季節になるはずが2年ぶりに蕁麻疹再発!漂泊の俳人、種田山頭火を読む!!

2019年09月07日 | アフターセブンティ

24節気では「白露」大気が冷えてきて露を結ぶ頃、残暑がひいて本格的な秋が訪れるということだが台風の影響か昼間は蒸し暑さが残る。

おまけに去年から今までずっと忘れていた蕁麻疹が再発、二、三日前から足首あたりがかゆかったり、今朝、眼のふちが腫れぼったい。

 

Y皮膚科を訪れる。9時前、駐車場はいっぱい、すぐ隣のスーパーに車をとめ受付へ。20人待ち。なんでこんなに多いのかね。アレルギー体質の人が増えたのかしら。

厄介なのは原因が特定しにくく、薬をいろいろ試して様子をみるという近代医学とは思えない対応をとらざるを得ない。副院長のY女医に前のカルテをベースに薬を処方してもらう。やれやれ!

 お食事処「山頭家」に行った時から種田山頭火という漂泊の俳人(というイメージ)について調べようと思っていた。図書館に立ち寄った時「山頭火と歩く」という本を借りてきた。

 見返しに 「分け入っても分け入っても青い山」大正15年6月、こんな句を詠んだ一人の俳人は行乞流転の旅に出ていた。種田三頭火、酒におぼれ借金を繰り返す男が背負っていた「惑い」とは?その境涯を自由律俳句で表現した真意とは?再評価される異才の軌跡を写真で巡り、新視点の評伝で彼の実態に迫る!とある。

 種田山頭火とはどんな人間?

 明治15年、山口県防府市に資産家の長男として生まれるが11歳の時、母親が衝撃の自殺、父親の信用失墜、家運が傾く。そのころから放浪自由への憧れをいだき、早稲田大学文学部に入るも中退、帰郷して家業の再興をはかるべく古酒造場を買い取り、実業にはげみ、嫁もとって1男をもうける。しかし家庭は彼にとって安穏の場ではなく、心中いらだちを募らせ酒におぼれる。が酔いたい自分と酔うまいとする私が交錯して内部破たんに陥る。29歳の頃、翻訳や定型俳句をはじめる。

 31歳の時、荻原井泉水に師事し、主宰詩「層雲」に山頭火の俳号で自由律俳句をつくりはじめ翌大正3年頃は防府俳壇の中心的存在になる。しかし種田酒造場が大正5年34歳の時、破産、一家離散、妻子と熊本に落ち延び、下通で古書店開業。37歳、文学への夢断ち切れず単身上京、38歳妻サキノと離婚、一ツ橋図書館に勤務、41歳大正12年、関東大震災、焼け出され、社会主義者と間違われ、熊本に逃げ帰る。大正13年、市電通行妨害で坪井の曹洞宗報恩寺に連行され、これを機に禅門に入る。翌年出家、大正14年43歳の時、植木町の味取の観音堂の堂守となる。

大正15年。44歳の時、寂しさに耐えかねて、一鉢一笠の乞食の旅にでる。この年が山頭火の放浪人生の一大転機となった。4月、解く術もない惑いを背負うての乞食流転の旅が始まった。6月、分け入っても分け入っても青い山の名句が生まれた。

この旅果てもない旅のつくつくぼうし

へうへうとして水を飲む・・・酒好き水好き。当時うまい水はいたるところにあったようだ

水のうまさを蛙鳴く

すべってころんで山がひっそり・・昭和4年、福岡英彦山から大分耶馬渓へ下るときの作

いちにちわれとわが足音を聴きつつ歩む・・昭和5年11月大分竹田市。山頭火の日記「行乞記」に竹田というところはトンネルが多い・・

落葉ふる奥ふかく御仏を観る・・山頭火にとっては願いの一つであった。

山へ空へ摩訶般若波羅波羅蜜多心経

熊本、高千穂、宮崎、大分、柳川、徳山へ俳友も尋ねながらの行乞の旅。

山のあなたへお日さま見おくり御飯にする・・高浜虚子を筆頭とする花鳥風月、有季定型派からみれば俳句とは絶対に認められないのかもしれない。

ほととぎすあすはあの山こえて行かう・・めずらしく型に入った歌もある

分け入れば水音・・9文字の短律俳句。禅坊主の気合に通じる俳句。

句聖や句友をたずねたりの乞食の放浪旅が中国、四国、近畿、関東、東北へと続く。

佐渡に行った時も 荒海へ脚投げだして旅のあとさき、平泉でも ここまでを来し水飲んで去る と芭蕉への特別の思い入れもなくあっけらかん。

昭和14年、松山に恵まれて御幸寺境内に草案をえて「一草庵」と名付ける。

ほろほろほろびゆくわたくしの秋

いつでも死ねる草が咲いたり実ったり

ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない

昭和15年。日独伊三国軍事同盟、戦線拡大の一途をたどるニッポン。山頭火58歳、戦争とは無関係に、あくまで山頭火は山頭火、俳句仲間「柿の会」を結成し一草庵で初句会。4月、句集「草木塔」を刊行、俳友への献呈の旅。10月10日帰還。

もりもり盛り上がる雲へあゆむ・・・昭和15年10月の句

脳溢血で死去。本人が望んでいた俳句の確立とコロリ往生を達成しての大往生であったとか・・・誰もマネのできない山頭火だけの世界ということか・・・

 今朝の西日本新聞に粕屋町の元教師のYさんが「山頭火の放浪・山頭火の旅」を出版されたとの記事。昭和の初め、山頭火のような非生産的な人間は生きにくかったはずだがそんな中で珠玉の句を残した。生きにくい今こそ魅力と言っておられる。

 

 

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190904 庭のエゴの樹にヤマガラがやってきた。冬支度? 稲穂が実る頃、トレセン100回達成!

2019年09月04日 | 趣味と交遊

夕方、雨戸を閉めようとしていたら眼前のエゴの樹に赤茶色の小鳥がやってきた。わが家のエゴの実をねらってヤマガラがやってきた。

背と腹の赤茶色が目立つ小鳥。赤茶色やコバルトブルー(カワセミ)が眼前を横切るとハッとさせられる。「ようこそ」ってな感じですね

ヤマガラは秋にはエゴの樹やシイの実を好んで食べ、樹皮の隙間などに蓄え、冬の間や翌年のひなの餌などに供するらしい。我が家によってくれてありがとう!

 24節気では処暑の末候、田に稲が実り穂をたらすころ。平成29年3月15日に通い始めた太宰府のイキイキ情報センタートレーニング室。毎回押していたスタンプカードが100回満願達成。太宰府市民なら太宰府市の元気づくり課からなにかくれるらしい。私は残念ながら太宰府のすぐ隣。

 週1くらいのつもりで通っていたが2年半で100回だから休んでいるほうが多そう。30分のウオーク&jogging、自転車こぎ、筋トレなど。筋肉は週2回ペースくらいがいいらしい。もう少し頑張りますかね。先日の体成分分析では100点満点で73点。水分、たんぱく質、ミネラル、筋肉いずれも標準よりやや少ないということだったが・・

 写友のW女史のご主人(私と同年輩)は宝満山3000回登頂をめざしているとか、すごいですね。おなじく写友の80歳のKさん、3時におきて5時過ぎには阿蘇の大観峰におりたって朝日や雲海を狙っての撮影。わたしもギアをいれなおして頑張りますかね!!!

 

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190901 ケイキャンの3回目の車検終了、かえり大善寺の玉垂宮。写真展終了、はや9月。

2019年09月01日 | 趣味と交遊

ようやく秋雨前線も立ち去る。柳川のRVリゾートに車検車をとりにいく。テレビでは筑後界隈の冠水情報をまだ流していたので道路状態が心配だったが無事、柳川のC社に到着。

交換部品がでるかと思っていたが今回もブレーキオイルやエンジンオイルの交換や補充で車検パス、54000円弱で収まった。2年間、4000kmごとにエンジンオイルサービスということだが柳川まで来るのが面倒。帰り大善寺の玉垂宮にナビセット。途中セブンで弁当を調達、昼食。

 代車に傘を忘れたことを思い出しM部長にTEL。探してもらったがないという。座席の下にもぐりこんでいるのかもしれないが・・。どうも忘れっぽくなったというのかこんな摩訶不思議な事例が時々出る。ボケの始まり?! 確認、確認、また確認の基本動作の徹底が必要ですね、いやはや。

4~5年前に行ったことがある1月7日の鬼夜の火祭りの現場。

直径1m、長さ10mくらいの松明が5~6本燃やされ火の粉をかぶると1年が息災ですごせるとかいわれる伝統の行事。その時使われる竹が束にして保管されている。

周辺がきれいに整備されている。西鉄の大善寺駅から自宅まで車で1時間の距離。15時について場所撮りをして火祭りが18時頃はじまり24時ごろまで続く。帰宅は午前さまになるが60代の頃の気力がね?・・・

 15時帰宅。妻が早かったねと驚いていた。また冠水にひっかっかって遅いと思っていたのだろう。

 そして翌31日。朝から例の閃輝暗点、眼がチカチカ、視界にギザギザ模様、見にくくなる。後頭部を20分ばかり冷やしてじっとしていると収まる。しかしその後は頭が重い。10時半から九博の部会ミーティングに参加。頭が回転しないがでてしまえば何とか討議に参画できる。ボランティアだからそこまでやる必要はないのだけれどね・・

 午後4時前、生涯学習センターへ。写真展の撤収。17日からはじまったが芳名録には120名ほどの記名。どんなアンケートが書かれているか楽しみだがね。反省ミーティング。毎年同じことの繰り返しはしたくないのだがどうも対応が場当たりというか。また余計な意見を言ってしまう。じっと黙っておれないこの性格はなんとか変えないといけないとは思うのだけれどね・・・

まあ車検から写真展と一仕事が完了。ゆったりしたいものである・・・・

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