ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

170829 4時間熱せられた車の天井板、暑くて夜、寝れず、夏の軽キャンは大変です!

2017年08月29日 | 軽キャン車中泊ドライブ

 夜中の23時半。C社に到着。窓を3~4センチ開けて、バックドアもS字フックをつけて5センチばかり開けて、とりあえずプライバシー確保でマルチシェイドを窓5面に装着、女の子じゃあるまいし別に外から覗かれてもどおってことはないが防犯上の習慣もあって寝る体制をつくる。

 

室内は29度、昼間4~5時間熱せられた天井は熱気がとれない。サブバッテリー、インバータ経由100Vでサーキュレイターをまわす。断熱材をいれてないから暑い。発泡スチロールケースから冷えたタオルで顔や首筋をふく。気持ちが良い。ワンカップをだし、カニカマでまずはいっぱい。よく冷えていて大変うまい。この保冷ケースは正解だったね。カメラのモニターで花火の画像チェック。

 

(写真ソフトで露光不足を調整)

 ナイアガラを撮るときは相当明るいのでNDフィルターをつけてF19ISO100、バルブで2秒以下が設定の基本のようだがモニターでチェックすると露光不足のようだ。ガイド本で調べるとどうやらこれはナイアガラではなくワイドスターマインのようだね。10数か所の筒場所から連続で打ち上げている。F8、2秒、ISO100、3回多重撮影でよかったのかもしれない。ナイヤガラはワイヤーに「ランス」と言われる筒状の花火をたくさん並べた仕掛け花火のことで銀滝とも呼ばれている。

 

 たかが花火されど花火、花火も和火、洋火があって、ホワイトバランスも和火は太陽光、洋火は白熱電灯に使い分けする。打ち上げプログラムが今回なかったので調整はむつかしい。花火の大きさは1号玉から10号玉まであり10号玉を尺玉というらしい。3号玉は120m上空で60mくらいの直径、尺玉は300m以上の上空で320mくらいのでかい大輪をつくるとか。花火の種類にあわせて三脚の角度をかえたり、レンズの交換も必要。4尺玉(直径800m)という巨大花火も日本ではできるらしい。スターマインというのは花火の名前ではなく短時間に大量の花火をうちあげる方法のことを言う。

 

12時半、眠りにつこうとすれど熱気がとれないうえに、道路サイドゆえにトラックなどの騒音がうるさくなかなか寝れない。体がべとついた感じで結局はうとうとしただけだった。6時、12Vポットで湯をわかし、ホットタオルにして顔、身体をふいてややさっぱり。6時半、外に出る。ちょっとは涼しい。近場を散歩。

7時セブンでコーヒ&サンドで朝食。寝不足で意欲減退。水郷柳川の写真スポットがないかチェックしながら帰路に着く。

 

久留米大橋、筑後川河川敷で休憩。8月初め、ここでも花火大会があった。

去年はJRで友人とでかけて、ここでもむし暑いなか大変だった。

 まったく写真趣味も忍耐力、体力勝負だね。10時ごろ帰着、とにかくシャワーをあびて、頭をあらう。やっとこさ、さっぱりする。やれやれお疲れの柳川マイ軽キャン車検引き取り、有明海花火フェスタ車中泊ドライブでした。

 

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170828 マイ軽キャン車検引き取りついでに「有明海花火フェスタ」に行く、猛暑の中大変だった!

2017年08月28日 | 軽キャン車中泊ドライブ

日曜日、車中泊装備一式を代車につみこんで柳川に向かう。昨夜は涼しかったが一転快晴で猛暑。

おせち料理の入っていた発泡スチロールのケースに保冷剤をいれ、冷凍していたペットボトルなども入れ、タオルを2本水で絞ったのもいれて暑さ対策をしてでかける。アイリスのサーキュレイターもセット。

 13時半C社に到着、車検の終わったマイ軽キャンに装備品を積み込む。約30分、これだけで汗だくになる。Y社長の家族はすでに花火会場の有料バーベキューサイトに行ってるとのこと、社長は行かないらしい。この暑さじゃね。14時半会場に向け出発。15時から交通規制があるとか。ムツゴロウランドや柳川ひまわり園など会場周辺は2~3回行ったことがある。

一番近くの2000台収容の駐車場はすでに満杯、2番目の有料駐車場(500円)に車を誘導された。だいぶ先に本部、メイン会場がみえる。ロケハン。暑い中20分近く歩いた。

有明海花火フェスタと銘打っているわけだから有明海に臨む場所が観覧場所かとおもったら当てが外れた。打ち上げ場所は堤防の内側で観客は出店に囲まれたフェンス越しに打ち上げ花火を見るらしい。

駐車場近くの畑の側の道にずらっと三脚が並んでいたので取り合えず、私もそこにポジションを確保、三脚と組み立て椅子をおいて、車にもどりバックドアに日よけのシートをマグネットで装着して休憩。涼風が少し感じられたのはありがたかった。

 

夕焼けが空を赤く染め始めた。簡易トイレ3基に3~40人の列。イベント会場はどこでもトイレが大変だね。三脚の場所に行きカメラをセット、18-200mmレンズか16~45mm広角か、画角、構図などチェック。

19時半スタート合図の花火。

最初のスターマインにAFでピントを合わせすぐにMFにして置きピン固定。

ISO100、絞り8、シャッター2秒、WB太陽光で3回の多重露出に設定。試し撮り。

花火が映り込む川も海もないし手前は畑が広がっているのみ。200mm望遠で大輪を撮る

望遠からワイドへズーミング。お遊び。

一輪挿しふう。一本足のノボリを入れて撮る

多重奏。

やはりラストのナイヤガラがメイン被写体のようだ。20時20分すぎ、会場からカウントダウンの声、カメラ左手から将棋倒しのように花火が連続発火。

ナイヤガラの滝のように連続発射ということだね

観衆から大歓声が上がっていた。フィナーレもなかなか良かった。涼しい風とまだいる蚊とともに有明海花火フェスタ終了と気分よく終わりたかったが実はこれからが大変だった。田舎の細道からT字型に車がぶつかり、警備員が5台ずつ行かせるとかの交通整理をすればいいのだが交通警察官ではないのでできないらしい。

遅々として進まない、完全大渋滞である。車中泊する予定のC社まで通常は20数分で行くのが2時間半くらいかかってしまった。浴衣姿の地元の人たちは渋滞を横目で見ながら歩いてかえってゆく。福岡、北九、熊本ナンバーの車など家路は遠い。途中、コンビニでワンカップを仕入れてC社に着いたのは23時半だった。いやはやお疲れさんですね、まったく!

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170823 マイ軽キャン、車検搬入。帰路、大川昇開橋、美形雲なし残念!花咲徳栄大差初優勝賞?!

2017年08月23日 | 軽キャン車中泊ドライブ

 9時過ぎ柳川のC社にむけ出発。高速をとおらず下道をゆく。しかし、日本のナビはきめ細かい。1時間ほど運転していると「長時間の運転お疲れ様です。適宜休憩をとっていただき安全運転を心がけてください」というアナウンス。やれやれ。

 10時45分c社着、Y社長と話す。先日アメリカに出張、牽引型のキャンピングカーの輸入契約を結んできたとか。M統括部長も先般、牽引自動車免許をとったらしい。まあ縁あったC社が発展してくれることはいいことだ。今週の日曜日に有明海花火大会が柳川沖であるのでその日に引き取りすることにする。

代車はなつかしいスズキアルト。30歳の安月給の時、最安価格車故購入、懐かしいね。ポータブルナビをセットして11時45分、大川昇開橋に向かう。途中、セブンでサバ飯を調達、昼食をすます。

13時着。開いた橋の上に入道雲がもくもくと出ているのを期待したが残念ながら低い位置で期待外れ。川の水は先般の大雨土砂崩れの影響か茶色く濁っていた。

やはり山際でないと上昇気流の関係でおおきな雲は出ないようだ。

大川橋を渡って一路、筑紫野へ。15時半帰宅、孫たちが夏休み最後のお泊りにやってきていた。

 夏の甲子園、決勝、なんと14対4で花咲徳栄が広陵をくだした。広陵は大砲1門じゃ優勝できないということだ。びしっとしめてくれる投手がいないとね。

 今日は24節気の処暑。暑さがすこしやわらぎ朝の風に秋の気配が漂い始める頃だがなんのなんの35度の猛暑日だった、イヤハヤ・・・

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170822 軽キャンパー車検のため後部座席を設置、四苦八苦。日本のロボット生産技術に脱帽!

2017年08月22日 | 軽キャン車中泊ドライブ

マイ軽キャンピングカーの2回目の車検がやってきた。すべての装備をはずして元の状態に戻す。物置に保管していた後部座席を引っ張り出し取り付け作業。

それぞれ4か所のねじ穴がついているがピッタリねじ穴があわないのかねじ込めない。ハンマーで微調整しながらやっとこさねじ穴があってねじ締めができた。汗だくで30分はかかった。

 自動車産業の現場ではこんな作業がすべてロボットでやってしまうのかね。いやはや大したもんだ。23日に柳川のC社に持ち込む。購入店のスズキ自販に持ち込むより車検費用が3万円は安く済む。キャンピング架装のサブバッテリーチェックなどもあわせてやってもらうのでC社に持ち込むことにしている。C社のサービスレベルは社長も認識しておられたがやや不安があるが最終的には陸運局認可の車検工場でのチェックがあるので大丈夫とは思うが・・・

 5年で33000KMくらいの走行だからそんなに使い込んでいるわけではない。先日、利用した日帰りバスツアーなど利用する手もあるが写真仲間は軽キャンは手放さないほうが良いよとさかんに言う。写真撮影には早朝夜中など時間差攻撃ができるのだが最近は行動力不足で車中泊が減っている。まあすずしくなったら南九州一周か四国一周にチャレンジするかね・・・

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170821 アニメ「なぜ生きる」、蓮如上人と吉崎炎上!を観る。人が生きる目的とは?

2017年08月21日 | アフターセブンティ

 月初配布の「公報ちくしの」にチラシがはいっていたアニメ映画「なぜ生きる」蓮如上人と吉崎炎上を市の生涯学習センターで見た。五木寛之の親鸞などを読んでいたので、200年後の親鸞の後継者の蓮如上人の物語かなとおもって出かけた次第。

原作本が100万部突破とか29週上映ロングランとかおうぎょうしくチラシにかかれてあったが今一でしたね。蓮如上人を演じた里見浩太郎の声はよかったがね。人間はなぜ生きるのかという問いかけへの答えがわかりにくかった。

 親鸞のあらわした「教行信証」は「難思の弘誓は、難度の海を度する大船」という言葉で始まるらしい(読んでいないので?)三世諸仏の本仏である阿弥陀如来が四苦八苦の苦しみの海からなかなかのがれらない人間を唯一救ってくれる大船である。必ず救って、人に絶対の幸福を与えると請願された。その阿弥陀様の本願を一途に信じて念仏を唱えたり、間断なき聞法に接することが大切である。親鸞は比叡山での長い苦行でも開眼できず、法然のもと、ひたすら南無阿弥陀仏と唱え続けることにより開眼、絶対の幸福を実現した・・・ということを200年後蓮如が津々浦々に親鸞の教えを広め、浄土真宗を確固たるものにしたということらしい。

 とかく人間は生きんがため食わんがため、出世するためとどう生きるかと手段を模索し悩み苦しむ。そうではなくて、その大船にのりこみ、絶対の幸福感を体得することが生きる目的である、と言う。・・・まあ、そのことによって得られる心の安寧が仕事にも家庭にもいい結果をもたらしてくれるということかもしれないがね。生き馬の目をぬくこの資本主義の世の中を生き抜いていけるかどうか?200万円の年収では結婚も、子供を育てることもちょっと難しいかもしれないが・・・

<パソコンで蓮如を検索>

 蓮如上人は、応永22年(1415)に本願寺第七世存如上人のご長男として京都で誕生。母上は蓮如上人が6歳の時に事情があって本願寺を去る。その時の形見が有名な『 鹿子(かのこ)の御影』。

 永享3年(1431)、16歳の時、天台宗門跡寺院の青蓮院において得度。当時の本願寺は不遇の時代、蓮如上人は父・存如上人について、宗学の研鑽を積み、、近江・北陸での教化を助けた。東国の親鸞聖人の御旧跡へも歴訪。

 長禄元年(1457)本願寺第八世を継職、近江の教化に努力。「御文」による文書伝道や名号の精力的な下付など、独自の布教活動を展開。しかし、比叡山延暦寺衆徒の本願寺破却に遭い、親鸞聖人の御真影を奉じて近江の金森、堅田、大津を転々。文明3年(1471)、ようやく越前吉崎に坊舎(吉崎御坊)を建立。吉崎御坊にはまたたく間に多くの参詣者が集まり、その周囲には「多屋」と呼ばれる宿坊が軒をつらねて、吉崎は一大佛教都市になる。

 しかしながら、そのために、周囲の権力者や他宗との間に軋轢が生まれ、文明7年(1475)蓮如は吉崎を後にする。

 その後、摂津・河内・和泉に布教。河内国出口では御坊を建立し、すぐに参詣者であふれるようになり、門徒の間には皆で聞法できる御堂の建立を望む声が広がる。そして文明13年(1481)、京都・山科に御影堂・阿弥陀堂を建て、ついに本願寺の再興を果たす。「寺中は広大無辺、荘厳ただ佛国のごとし」と言われた山科本願寺の建立以後、真宗他派が相次いで多くの門徒と共に本願寺に帰参し、本願寺は全国的な教団へと発展。蓮如上人は延徳元年(1489)隠居、明応5年(1496)には大坂石山に坊舎を建て、山科との間を往復して、晩年も教化を続ける。明応8年(1499)、山科本願寺で多くの弟子や門徒たちに見守られる中、85年のご生涯を終える。今日の本願寺の基盤を築かれ、まさに「浄土真宗開立(かいりゅう)の祖」と言える。  とある。

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170819 我が家の庭にナガサキアゲハが飛来、被写体に収まってくれた!

2017年08月19日 | 趣味と交遊

 

アゲハチョウは20種くらいいるそうだがこのナガサキアゲハは唯一、尾状突起がないめずらしい種のようだ。ウキペディアではこう説明されていた

 成虫の前翅長60-80mmほどで、日本産のチョウではモンキアゲハやオオゴマダラに並ぶ最大級の種類である。種類内ではメスがオスよりも大きい。アゲハチョウ属の中では翅が大きくて幅広く、後翅に尾状突起が無いことが特徴だが、メスに尾状突起が現れる「有尾型」もあり、台湾など多産する地域もある。有尾型は日本国内でも九州南部などで稀に記録される。

また、アゲハチョウ属の中では珍しく性的二形が顕著である。翅のつけ根に赤の斑点があるのは雌雄共通で、雄の翅はほぼ全体が黒く、後翅の外縁にわずかに赤い斑点がある。一方、雌は後翅の中央部に白の細長い斑点が数個外向きに並び、その外縁には赤の環状紋が並ぶ。白色部は翅脈とその周辺が黒く、内側が白くなる。オスはクロアゲハに、メスはモンキアゲハに似るが、尾状突起が無いので区別できる。

日本では南の個体群ほどメスの白色部が広くなる傾向があり、九州や沖縄では前翅にまで白い部分が広がる。特に西表島の個体群は、少数ではあるが翅全体に白い部分が広がることで知られる。ただし台湾以南産の個体ではむしろ白くない傾向がある・・・・

まあ庭にいろんな昆虫、生物が来てくれることは四季折々、変化があっておもしろく、あり難いこと。

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170817 山賀灯篭祭り千人踊り、夢幻の夜、暑し!日帰り観光バスツアー!

2017年08月17日 | 趣味と交遊

数日前、雨予報だった熊本山賀エリアの天気が16日午後から晴れてくれた。毎年、山鹿灯篭祭りの前後は天候不順で悩まされる。

 1週間前に第一観光に日帰り観光バスツアーを申し込む。雨でもそれなりに楽しもうと思って申し込む。家にだらだらおっても仕方ない。軽キャンパーで行くのもこの暑さではね。昼、JR二日市横の市営駐車場に車を止める。12時間600円、バスでいっても往復600円くらいなのでいつもこの駐車場を利用。このツアーは事故保険500円を含めて6480円。お手頃。12時50分、水道局前に博多から大型の西鉄観光バスが到着。49名満席、他のお迎えコース7台ふくめて計8台の日帰りバスツアー。人気のツアーのようだ。最後列に乗車、最後の申し込みだったという女性が私の横に座り込む。

 最初の行き先。浮羽、田主丸の巨峰狩り。

次は内山緑地近くのイチジク観光農園

甘いのは緑色はダメで赤黄色くうれて割れているのがいいらしい。7個くらいのセット品で1000円。イチジク園に入ってよさそうなのを4個もぎ取る。650円なり。

三か所目は紅乙女酒造の巨峰ワインのワイナリー。

地下の貯蔵庫をみる。ひんやりしている。しかしモノ作りも時間をかけて大変だね。ワインの試飲もしたがやや甘すぎる感じ。

 麦焼酎のカメがずらりと並び壮観。午後4時、いよいよ本番の山鹿へむけて出発。隣の女性と雑談。沖縄の話やキャンピングカーのこと。北海道ツアーや四国88か所巡り、なんやかや話し込む。富山の「越中八尾おわら風の盆」にもバスツアーで行ったとか。御主人が無趣味だということで嘆いていたが私の多趣味には驚いていた。世の中、いろいろな夫婦があるものだ。

 17時半、山鹿の会場、大型バス駐車場に到着。雨があがってくれてたが日ざしが強くむし暑そう。夕食弁当がくばられ、車中で食す。結構押しかったね。18時、添乗員のH女史が山賀小学校への15分の道のりをガイド。帰りは各自20時45分までバスにもどるということで。私は3度目なので自由行動。18時20分からお祭り広場で恒例の鹿本農業高校郷土芸能伝承部の女生徒たちの演舞。西日をうけて、カメラマンたちがすでに真正面に多数陣取っている。サイドのすいているところに待機したがやはりベストポジションは真正面だったね。

 高校の男性教員かだれか知らないが先頭の女性の前に座り込むもんだから邪魔になってしかたない。18時40分、千人踊りの会場の山賀小学校に向かう。ちょっと大回りしてしまった。汗だく。19時着、すでに校庭の階段席の最上段は三脚がずらり、入り込む余地なし。割り込ませまいと先客は頑として動かない姿勢で待機している。

撮影できそうなわずかな隙間に小型踏み台をおいて三脚も最長にのばして準備。千人の踊り子たちが入場してくる。最初の写真のように全景を入れるには16ミリ以上の広角レンズでないと全景がはいらない。18-200mmズームでは3分の2くらいしか入らない。ということで今回は10-17ミリのフィッシュアイ(魚眼レンズ)を準備、17mmくらいで水平に撮った。

 ルミックスコンデジFZ200の28-600mmとペンタックスK3に18-200mmをつけて近、中、遠景を撮影。ズームと魚眼のレンズ交換が狭い場所で大変だった。一眼2台は重いのでやめたが交換は面倒。ISO4500、それでもシャッター速度60分の1、被写体ブレをおこす。

やはり二兎を追ったらだめなようだ。18時前には階段席に陣取って場所取りをしてゆっくりスタンバイしておかないとだめですね。割り切り必要。

汗だくになりながら20時ごろまで奮戦。

 鎮めの演奏がはじまり、ぼちぼち撤収。お祭り広場は屋台、出店がずらり。歩くのもままならないくらいの混雑。お祭り広場横のトイレで冷たい水でタオルを絞って顔をふく。さっぱりした。さくら湯に入れれば最高だがまあ団体バスツアーだから仕方ないね。20時半、大型バスにもどる。冷えた生ビールでも飲みたいところだがぐっと我慢。20時45分、JR二日市駅にむけて大型バスは帰路に着く。添乗員さん、運転手さんお疲れさんでした!

 22時無事到着、車に戻り、600円入れて出庫、帰路、セブンで缶ビールとつまみを仕入れて帰宅。シャワーを浴びてさっぱりしたところでぐいとひと飲み、疲れたが結構な日帰りバスツアーでした・・・・

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170815 今日は終戦記念日?、敗戦記念日と認識すべきではないか!

2017年08月15日 | アフターセブンティ

武道館で終戦記念日、戦没者慰霊式典がおこなわれた。

式がすすみ、司会者が天皇、皇后両陛下退席と言われたにもかかわらず、天皇陛下はじっと祭壇をながめられ動こうとされなかった。戦後72年、ずっと戦中戦後を見てこられて感慨ひとしおというか忸怩たる思いもあられたのかもしれない。

 戦後世代が人口の82%に達し、65歳以上の高齢者3459万人でみてもその3分の1が戦争未体験。日本が先の大戦で米英中ソなど連合国に負けて、310万人近くが戦陣や戦火でなくなり、国土は一面焼け野原となってしまった。私は生まれて3か月、よく生きていたものだし、それから小学生になるまでどんな生活ぶりであったのかまったく記憶がない。親の苦労はいかばかりか計り知れない。

 神国ニッポンが負けるはずはないと骨の髄まで叩き込まれていた一般国民は虚脱状態に落ちいったに違いない。今、80歳前後のヒトで満州など外地にいた人は一転、支配民から非支配民におちいり難民となり引き揚げ船にのれるかどうかわからず、全く国から見放された。この敗戦日にどこにいたかによって戦後の生きざまは180度違ったに相違ない。終戦記念日というと勝ったのか負けたのかわからない。1937年、日中戦争あたりからのかじ取りいかんでは日本は優秀国家として存続できた可能性大、どこで何を間違えたのか、しっかり敗戦に至った要因を分析しておかないと、ふたたび過ちを犯しかねない。

 かけがえのない平和日本を維持継続させるためにどうあらねばならないのか、あらためて日本人は考えるべき時だろう。近世、近代史教育を子供、若者たちにもっとしっかり教育すべきと思う

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170813 孫たちをつれて墓参。般若心経を聞かせる!何思う!? 

2017年08月13日 | マイ家族

 孫たちが飼っているハムスターを預けにきたついでにお墓参りに連れてゆくことにした。

 

 般若心経を4枚コピーしてでかける。車で2~30分の西日本霊園。10時ごろ着いたがすでに10数台車がとまっていた。

 われわれ夫婦は年に春秋のお彼岸、お盆、年末と4回は墓参するが娘やその子供たちは墓参の機会は少ない。墓地には200ほど墓があるが雑草ぼうぼうのほったらかしのようなのが増えてきた。まあ娘があと引き継いで墓を守ってくれるなら良いがどうなるかね。この墓地公園には妻方と自分の家のがあって一度に済ませられるので便利ではあるが・・

 

 孫たちはお遊び気分で雑草をとり、墓に水をかけ、たわしで磨いて嬉々としていたが、花を活けて線香をたいて、座らせて、ここにご先祖さんが眠っているのよ、今晩、1年ぶりに家に帰ってくるのよというと神妙な顔つき。

 コピーした般若心経をもたせて私が読経する。5年生の孫娘はお経の意味はともかくなんとなく雰囲気は理解しているような感じ。1年生の孫息子にはむつかしいかもしれないね。お彼岸は日本独自の行事のようだがお盆は「盂蘭盆経」に由来する先祖崇拝の行事。

 お盆のいわれは、瀬戸内寂聴さんの痛快仏教塾によると、釈迦の弟子の目連が神通力をつかってなくなった母の姿をみたが地獄の苦しみをしている。生前、人の為になることをしなかったからと釈迦にいわれる。母親の罪を償うにはお前が夏安吾(げあんご)の終わった断食修業後の僧侶たちに布施をしなさいと言われたというのが「盂蘭盆経」に記されている。夏におこなわれる僧の修業である夏安吾のあと、目連は僧たちにたっぷり布施をして母親の地獄を救ったとある。

 母親の地獄で受けていた罰を「ウランバナ」といい逆さずりの苦しみという意味。これに漢字をあてはめて、お盆と言われるようになったということだが、お盆は正式には「盂蘭盆会」といい、亡くなった人がどうか極楽浄土に行けますようにと祈願する仏事ということになる

 夏安吾が終わるのが旧暦の715日、新暦では815日となる。盆踊りは帰ってこられたご先祖様に楽しんでもらうために手をあわせながら楽しむ行事。なすとキューリに4本足をさして仏前に備えるのはキューリが馬で早く帰ってきてほしい、なすは牛でゆっくり帰ってもらいたいという意味らしい。

 今日はご先祖が道に迷わないように玄関先で迎え火をたき、15日には送り火をたく。昔から行われてきたこんな行事をデジタル時代の孫たちに体験させることが、あらためて日本人の心を取り戻させるために必要なことではあるまいか・・・

 

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170811 祝日「山の日」いつできた?!三並の里でヒマワリを撮る!

2017年08月11日 | 趣味と交遊

 快晴、今日も暑くなりそう。山の日と称する祝日らしいがいつできたのかね?サラリーマンは今日から5連休?盆休み。働き方改革とやらで祝日を増やそうという国の策略か?

(ペンタックスK3、魚眼レンズで)

  墓参のための花を買うため、車で15分前後の街の駅「諸岡市場」にでかける。花を買って、さらに10分ばかりの筑前町ファーマーズマーケットみなみ(三並)に行く。マーケット横のひまわり畑、今が見頃とか。10本300円でもちかえりOK。

 祝日とて子供ずれの客でいっぱい。

(50mm単焦点レンズで)

畑そばには止めるところがなく、裏手の駐車場所に車を止める。妻は野菜の調達。私は裏から畑に行こうとして1M弱の土手を飛び越えた。その時、右足首にちょっとした衝撃感じた。

 まずは18-135mmのシグマの望遠で撮る。積乱雲がでてくれていたので雲をからめせて、姿勢を低くして電線など写り込まないようにして撮影。

 つぎに50mmのF1.4のペンタックス単焦点レンズで背景をぼかして撮る。

最後はペンタックスの魚眼レンズ10-17mmで全景を俯瞰する格好で撮影。ものの2~30分、汗がふきでてくる。しかし時節は「秋隣」、天空には赤とんぼがスイスイ。

人気のレストランはすでに満員。あきらめて帰路に着き、家近くのディスカウントストアで弁当他調達。帰宅。35度の炎天下、高校球児が甲子園でガンバっている。あんな時代が我々にもあったんだなと思いながら食事・・・右足首は今のところ大丈夫のようだが、無理はせんことだね・・

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