うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

神なき時代の神仏習合その3

2009年11月15日 | お出かけ
古代の神が住まう杉木立の前の拝殿に私は招かれざる人であるように座っていた。
10人あまりの車座の人は三々五々散って話をしている。関西からのご夫婦は雨で濡れた上着を脱ぎ、持参の風呂敷に丁寧に包んでお参りをしている。なんとご丁寧なことと、作法も知らぬ自らが恥ずかしくなってしまった。
違和感は神官さんから発せられたものではない。ということはこの見えぬ被拒絶感は、参列の人からのものなのだろうか。杉木立の神の拒絶でなければよいのだけれど、と思った。わたしが今まで参った神様はそんなことはなかった。どの神様もそこにすっくと居られ、動かれることなくご挨拶を聞いてくださる。唯一、夕方の上鴨神社で感じたピリピリした感じに少し似ているけれど。
雨で濡れた足を気にしながらお参りする。私は招かれぬ者でしょうか。来てはいけないところにお邪魔してしまったのでしょうか とね。もちろん、神は沈黙している。神はいつも何も語らない。
が、私の隣で参っていた人品卑しからぬ温厚そうな男性は沈黙してはいなかった。
それは神への感謝の言葉だったのだけれど、呪文のように3度繰り返された言葉がはっきりと私の耳に響いた。むしろ誇らしげに私に聞かせようとするかのように唱えていたのだ。
下座に戻ると他の人々の話が途切れ途切れに聞こえる。皆楽しく談笑しているが、漏れ聞こえる地名から、村の人の他に数人が遠方から訪ねてきた一家であることがわかった。高速を使わねば4時間はかかるところだ。
先ほど隣で唱えていた男性と他の人が話をしている。この人たちも時間をかけてここまできたようだ。「ブログ」とか「霊感」とかいう言葉が聞こえる。
私は、混乱の極みとなった。
新興の宗教のようなものか?でも神職さんはこの長い歴史を持つ神社の方のようであるし。わからぬ。とにかく私の理解を超えている。
先ほどのご夫婦と再び話をした。「滝は紅葉が素晴らしかったですよ」と言ってもあまり興味のない様子で、ここには2度目だということだ。
え?関西からこの奥の神社に2度もおまいりか?
話が弾まないかと、私も寺社巡りをしていることを話してみたが、このご夫婦からも拒絶感があることに気づいた。
どうしてこちらをお参りですか と聞いてみた。
ご夫婦は古くからの信仰の地であるこのお山と、別の参拝の地をつなげておっしゃったのだけれど、私は「熊野古道」やら「中山道」やらのような古道を巡っておられるのだなと思って聞いた。
なんだか、割り切れぬ気持ちのまま、来た山道をくねくねと走って里へと帰る。「あっ」と気づいて思わず声が出そうになった。二つの参拝の地は遠く遠く離れている。二つを繋ぐ古道も新しい道もない。この二つを繋ぐ話などきいたことがない。
どういうことだ。どういうことだ。どういうことだ。

家に帰ってネット検索をした。
まずは神社の名で。 寺社の紹介とか釣り人のブログとか。なにも らしい ことはない。
次は ご夫婦の語った二つの参拝の地
そして、隣の男性が唱えていた言葉。
わらわらと hit
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2 コメント

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似たような感覚 (けんちゃん)
2009-11-15 07:42:47
言葉に表せないけどうさとさんと同じ経験した覚えがある。
どこだったか忘れたがやはり神々の鎮座しているような霊界(高野山のような)場所だった。

こちらはどちらにあるのですか?
そして次は?
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11046 (家主うさと)
2009-11-16 07:51:06
けんちゃんもある?
けんちゃんの理系頭脳で解明してもらいたい。
ここは県境近くです。
返信する

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