明日につなぎたい

老いのときめき

5月・友からの便り

2022-05-06 10:37:35 | 日記

 5月、親しくしていた二人の友人から、懐かしい便りと、それぞれの著書が贈られてきた。一人は元羽曳野市会議員の黒川壽磨男君、もう一人は元東大阪市長の長尾淳三君。黒川君の本は「二上山のふもとで—振りかえれば昨日のこと」。長尾君のは「住民自治の音頭をとる―共産党員市長がみた深層」というタイトルである。「二上山の・・・」には、反共と同和特権を掲げた「部落解放同盟朝田・上田派」による暴力・脅迫による市政介入との戦いが生々しく綴られている。津田一朗市長は(共産党員)は、公正民主の旗を掲げ、乱暴に屈せず、立派な市民本位の行財政にとりくんだ。その実績は輝いている。黒川君と私の親交は津田市政を介してであった。

 

 枚岡、河内、布施の三市が合併して発足した東大阪市は、人口50万、堺市につぐ府下第2の都市となった。合併以前の1970年6月には、社共共闘で革新市長が誕生した歴史がある。だが、1989年12月には保守の清水行雄が市長となり、市職員敵視、側近体制による独裁的な市政運営と人事。不公正きわまりない公共事業の談合。暴力団との癒着、市長後援会のヤミ献金事件、、、市役所は「疑惑のデパート」と呼ばれたそうである。こんな不埒な市政が長続きするはずはない。1997年12月の市長選に、共産党市議団幹事長だった長尾淳三氏が立った。7万5千票と5万6千票、大差で敗北する。しかし、清水市長は逮捕され辞職に至る。悪いことはできぬものである。

 

 1998年7月12日の市長選で、共産党の長尾淳三氏が9万9471票を得て当選した。相手との差は5千票。このとき私は退職して、ひとり自宅にいたが、一大朗報に万歳を叫んだことを覚えている。私の「現職当時」に果たせなかった想いがかなえられたのだ。しかし、よいことも長続きしないものか。時代はジグザグで進む。議会での異常な市長いじめ、2002年には落選する。しかし、が続く。2006年、長尾の返り咲き市政は、僅か1年2か月だったが、職員との信頼関係、住民との二人三脚の市政運営もやれた。この市の汚点といえば、それはは乱暴な「市長不信任決議」の強行による行政の中断だろう。党利党略より住民自治を大事にしろと、今も思っている。

 

 

 

 


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