明日につなぎたい

老いのときめき

歴史を正す「集団自決」判決

2008-03-29 21:34:59 | 日記・エッセイ・コラム

 

 大阪地裁は28日、沖縄戦での「集団自決」に日本軍が「深く関与」したと認める判決を下した。裁判は旧日本軍が住民に「集団自決」を命じたとする岩波新書・『沖縄ノート』などの記述で名誉を傷つけられたとして、当時の戦隊長らが著者の大江健三郎さんと出版元の岩波書店を訴えていたもの。これにたいする判決は棄却だった。一大朗報である。とくに沖縄の人々は感無量だっただろう。「この島々で軍のいるところだけで自決が起きているのは事実。真実を語った成果だ」「請求棄却は当然。地獄絵の事実は簡単に曲げられない。この判決は歴史を正す一歩になる」「県民全体が団結し行動してきた成果だ。引き続き真実を訴えていきたい」。こんな沖縄からの声が報じられている。

 

 沖縄は日本で地上戦が行われた唯一の戦場。米軍は1945年3月26日に慶良間諸島、4月1日に沖縄本島に上陸、「鉄の暴風」と呼ばれる激しい艦砲射撃や空襲で日本軍を圧倒。住民も地上戦に巻き込まれ、各地で日本軍による住民殺害事件や集団自決が起きる。座間味島178人、渡嘉敷島368人が突出して多い。例の裁判を起こしたのはこの両島にいた海上挺身隊戦隊長とその関係者である。両島の守備隊は貴重な手榴弾を住民に渡す。1945年3月28日の朝、渡嘉敷島内で爆発音が響き渡る。集団自決であった。これが真実である。日本軍は5月下旬に首里の司令部を放棄し本島南部に撤退、6月23日司令官自決、沖縄戦は終わり、8月、日本敗戦を迎える。悲劇の幕は下りたが沖縄は戦後も地獄であった。

 

 文部科学省は昨年、この裁判を起こした原告の主張を理由にして、高校教科書から、日本軍が「集団自決」を命令・強制したとの文言を削除した。実行の主導は沖縄問題や近現代史の研究者でも専門家でもない文科省の一職員である「教科書調査官」だったという。今回の判決はこの教科書検定の誤りを浮き彫りにした。政府はこれを認めて直ちに検定意見を撤回し是正すべきである。昨年秋の国会で就任早々の福田首相は「沖縄県民の思いを重く受け止める」と言っていたが、それは11万を超える大抗議集会に示された沖縄県民の必死の気持ちを無視できなかったからだろう。「集団自決」を軍が強制したことを否定する根拠はまたもや崩れたのである。この真実を重く受け止めるべきではなかろうか


「同和」の認識不足

2008-03-23 12:41:45 | 日記・エッセイ・コラム

 

 もう終わるはずの()問題について、今なお次のような”説”を唱える人がいる。「差別意識はまだ残されており、同和問題はまだ解決されていない。本当に差別意識があるのかどうかを、肌身で感じている人たちの話を聞いてから判断していただきたい。同和問題が解決されたということは、全くの事実誤認、認識不足だ」。要するに、解決されていないのは差別意識が存在しているからだ、これを唯一の理由にしているような言い分である。これこそ誤認ではなかろうか。いわゆる差別意識が生じる根拠は劣悪な生活環境である。今日ではそれが改善され、平等な市民生活が送れるようになっている。この社会の変化をなぜ見ないのか、この人こそ認識不足ではないか。そう言いたくなる。

 

 差別は江戸時代に仕上げられる。幕府が士、農、工、商のほかにエタ、という最下層身分を制度化したからである。この層は社会を支える仕事をしているのに人間として扱われなかった。住居、職業、往来、婚姻、服装にいたるまで、自由は極度に制限された。誰の仕業か、この悲惨を嫌悪する観念が民衆のなかに植えつけられる。時代は移り、明治政府はこの身分制度廃止を布告する。だが環境改善が進まず、差別は封建社会の遺物として残され、部落住民の苦難が続く。解放の道が開けたのは、アジア・太平洋戦争が終わり、農地改革の実施や、基本的人権を保障した平和・民主の新憲法が制定されてからであった。法の下の平等を謳った憲法はあらゆる差別を許していない。

 

 かくして問題は法制的にも、生活環境の実態としても、一定の年月を要したが解決の方向をとっている。婚姻、混住、交通は自由に行われ、一般との格差・差別は消滅しつつある。地区()を存在させる根拠はもうない。暴力・利権あさりを排し、民主的な解放運動を進めてきた当事者もそう言っている。これが歴史の流れである。この発展のなかで差別意識なるものが永久に伝承されることなどありえないだろう。差別意識があるから同和対策を終わらせないというのは解せない。もう終結のときだ。なお、意識・観念という人の内心に行政が立ち入ることはできない。現憲法の精神を汲んだ教育、啓蒙に委ねればよいではないか。以上は、報道された大阪府議会での知事と野党議員の論戦を見ての感想である。


”後期高齢者論”を斬る

2008-03-15 18:38:56 | 日記・エッセイ・コラム

 

 昨年末、「明日につなぎたい」の出版に際し、編集者が「78歳からのブログ時評」という副題をつけてくれた。さすがだと感心し、その旨をブログに書いた覚えがある。75歳以上を”後期高齢者”だという陳腐で冷酷な”定義づけ”がかなり話題になっていたときだったからピンときたのである。おそらく編集者もそれを意識し、そして「78歳から」が閃いたのだろう。高齢になっても元気で活躍している人は少なくない。75歳で線を引く根拠などどこにあるというのか。そんな問題意識があったのではなかろうか。いま改めてそれを感じる。この本を読んでくれた方からも「『78歳からのブログ』がすごい。励まされた」という感想が少なくない。これで私自身が励まされた。

 

 私の知己ともいうべき友人が、大阪の地方紙に有難い書評を寄せてくれた。過分の評価と熱い友情を感じる。あとの部分で「後半生の生き方」に言及されている。「未来を信じる前向きの人生哲学」を強調されているが、ご本人がそうなのだろうと察する。「老齢期に入ると人生を有意義に暮らしたい、社会に役立ちたいという心境になる」。高齢者の心を代弁している。”後期高齢者論”へ一太刀浴びせたようで痛快である。「本書は老後の生き方を模索されている方々ばかりでなく、将来に向けて助走する若い人にも読んでもらいたい。そこに年齢を超えた溌剌とした人間の生き方を学びとることが出来るに違いない」。このしめくくりが嬉しい。私の願望だからである。多くの元気な高齢者が若者とともに明日を担う。

 

 昨14日、参院予算委員会で舛添厚労相は、小池晃議員(共)の追及にたいして、75歳以上の後期高齢者の特性、それに見合った医療なるものを繰り返し強調した。その特性とは1、治療が長期化し、複数疾患がある。2、多くの高齢者が認知症。3、いずれ避けることのできない死を迎えることだという。そして、この特性にふさわしい別枠の医療制度にするというのである。要するに病気がちで死の近い75歳以上の高齢者には金も手間もかけたくない。だから保険料を年金から天引きし、治療には制限を加えるというのである。非情である。社会に貢献してきた、これからも高齢者ならではの役割が期待される人たちをなぜ粗末にするのか。許せない。老いも若きも正義と人道の名にかけて立ち向かう。


ウソから始めたイラク戦争もう5年

2008-03-13 12:20:13 | 日記・エッセイ・コラム

 

 アメリカがイラク戦争を起こした口実は、フセイン政権の大量破壊兵器の保有、国際テロ組織アルカイダとの結びつきなるものであった。これらは日を経ずしてCIAなどの情報操作による虚構であることが判明し、ブッシュ政権の蛮行と愚かさが内外にさらけだされた。さいきん、それを物語る「調査報告」が報道されている。大統領や副大統領、国防長官らの高官たちが、2001年の9・11同時テロ事件から03年のイラク開戦までの2年間で、演説、メディアへの説明、議会証言などで、大量破壊兵器、アルカイダの「虚偽発言」を重ねること935回に及んでいたというのである。戦争はウソから始まるというがその典型だろう。だが内外世論に逆らって終わらせようとはしない。もう5年である。

  06年5月、米軍占領下でのイラク新政権が発足したが治安はおさまらず、米軍の死者4千人、イラク市民の犠牲者は7万とも10数万人とも報じられる。難民は国内で200万、国外で220万人といわれる。この「ウソで始めた戦争」にたいして日本政府は「米国は一人で立ち向かっているわけではない。日本は米国とともにある」(小泉元首相)「イラク安定に向けての米国の決意を支持する。日本はつねに米国の同盟であり、今後も米国とともに歩む」(安倍前首相)と忠誠を尽くす。福田現政権も同様。インド洋で軍事作戦をすすめる米艦船への給油活動再開の新テロ法成立を強行した。かくして3代にわたる自公政権は、どういう形にせよ、陸上、航空、海上自衛隊をイラク戦争に参加させているのである。

 

 この3月10日に”イラク派兵阻止裁判をすすめる会・関西”のメールマガジン(最終号)が届いた。大阪高裁による控訴棄却の判決と、それにたいする反論が書かれている。”すすめる会”の集会(2月9日)の模様も紹介されている。「そもそもイラクに攻め込んだことについて、ブッシュは間違った情報にもとづいて侵攻したとして去年のアメリカ国会で謝ったはずです。しかし、小泉、安倍、福田、この3人の総理大臣はブッシュの尻馬にのってイラクに自衛隊を派遣したことについて、国民になんら謝っていない。そのことを国会でもっと議論し、おかしいとなぜ言わないのか」。この参加者の発言、当を得ていると思った。さらに広く国民的討論が必要だとも。イラク戦争もう5年にもなるのだ。


深まる脅威、安全保障は?

2008-03-04 12:46:58 | 日記・エッセイ・コラム

 

 輸入冷凍餃子に殺虫剤が混入。またもや米海兵隊員が少女に暴行イージス艦が漁船に衝突、沈没させる。最近のニュースで多い事件はこの三つだろう。問題の性質は異なるが人の命にかかわるという点では共通している。誰もが感じただろう。自給率低下一方の食糧危機、軍事基地被害の深刻さである。さらに思いを巡らせると、現実の脅威がきわめて多様なことに突き当たる。地球環境の破壊(温暖化)、気候変動による風水害、いつでも起こりうる大震災、原発事故、経済の破綻、貧富の格差、難民の続出、あげればきりがない。殆どが歪みきった現代資本主義社会がもたらした脅威である。求められるのは、日本と世界がこぞって実効ある対策をはかり、安全を保障することではなかろうか。

 

 自然、社会の脅威に軍事力など全く役に立たないどころか有害である。陸上自衛隊は、戦車910両、装甲車950両、野戦砲660門など。海上自衛隊は、護衛艦53隻、潜水艦16隻、掃海艇31隻、大型哨戒機96機、対潜ヘリコプター97機など。航空自衛隊は、各種戦闘機360機、偵察機27機、輸送機50機、他に警戒機、練習機など(『知恵蔵2007』-朝日新聞社)。これら3軍の隊員は24万人余。世界屈指の軍事大である。加えて在日米軍・基地がある。これらに投じた費用がいかに莫大かは察しがつく。武器を持たぬ自衛隊が災害救援・復興に出動するのは結構。戦車や大砲を持って行ったら邪魔で仕方がなかろう。ブルドーザーやクレーン、ジャッキ、医療器具の方が役に立つ。自明のことである。

 

 1年前、防衛庁が防衛省に「昇格」した。自衛隊の海外活動も本来任務に「格上げ」された。政府が5年ごとに作成する中期防衛力整備計画(05年~09年)によれば「新たな脅威や多様な事態・・侵略事態への備え、国際的な安全保障環境改善のために・・戦車、護衛艦、戦闘機等の基盤的戦力の確保・・」とある(『現代用語の基礎知識2008』ー自由国民社)。防衛省だからだろうが、それにしても何が脅威で多様な事態なのか、地球や人類のことなど視野にないのだろうか。その防衛省の初代大臣は「原爆投下しょうがない」との暴言で辞任。次官を先頭の利権疑惑が発覚、イージス艦事故の対応はまったく不透明。それでも軍備増強、海外活動で日米共同作戦なのか。こんな安全保障はない。新たな脅威である。

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