明日につなぎたい

老いのときめき

時を刻み流れゆく希望の川

2015-04-30 15:58:05 | 日記

 

 昨日の夕方、大阪桐蔭高校の吹奏楽を聴く。会場は大阪市中央区のビジネスパークにあるツインタワービルの円形ホール。ミュージカル「河内湖」がよかった。2月の初演で好評を博し、3月にはニューヨークのコンサートでも演奏し喝采をよんだとのこと。古代4世紀の頃の河内湖治水工事をめぐる物語だが、私は2度目の観賞である。フィナーレで歌いあげられる「喜びも悲しみも包み込む川よ~人と人をつなぐ川よ~時を刻み~流れゆく~希望の川よ~」に感動する。何度でも聴きたい。

 

 

 あの治水工事が、今の茨田の堤(まんだのつつみ)や難波の堀江の起源だと聞くと感慨一入である。当時の人々は暮らしや農耕を守るために土木工事に励んだ。守ることが未来をつくったのだ。自然災害や、ときどきの支配者の圧制から身を守るためのさまざまの営みが、どれほど歴史の発展に貢献してきたか。その積極的な意味を否定することは大間違いだろう。コンサートから帰ったら、こんな思いが浮かんできた。憲法9条・平和を守らねば日本の未来は保障されない。

 

 

 橋下大阪市長は”大阪都構想”に反対するものは現状維持派だときめつける。今日の社会では、多くの人たちは現状不満派である。橋下氏はそこにつけこむ。「今のままでいいのか」とつめよれば、大阪市の解体・分断がどれほど重大事かを考える前に「何か新しいことが起きるかも」と、漠然とながら期待感をもってしまう人も少なくないようだ。政令指定都市としての権限、財源をもつ大阪市が消滅すれば、行政サービスは現状よりはるかに劣化する。住民自治の大幅後退になるのに。何故だろう。

 

 

 金も権限も府の支配下におかれるだろう5つの特別区に、今まで以上のことなどやれるはずはない。大阪市の存在という現状を守らなければ大阪の未来は描けない。5つの特別区には都市計画の資格も能力もない。守るべきものを守らねば未来は展望できない。私は、大阪市を守るための与論と運動を「人と人をつなぐ川」「時を刻み流れゆく希望の川」に擬してみた。大阪市解体・分断の危険きわまる構想に反対か賛成かを問う住民投票が始まっている。大阪市は大阪市民が守る。そう信じたい。


空樽を叩くと

2015-04-24 13:36:54 | 日記

 

 昨日午前、通帳を持って銀行へ行った。どういうわけか今年になって、日本年金機構からの年金振込通知書が来ない。入金の有無を確かめるための銀行参りである。振り込まれていた。当然だろうが、振込通知書に記載されている税金、保険料の天引き分までは記入されていない。年金額だけではなく、高い大阪市の国保料にも関心があるのに。なんで通知書を送ってこないのか、その挨拶がない。「ねんきんネット」で確かめろというつもりなのか。それができない人もいるに違いないのに。不親切ではないか。

 

 

 午後は郵便局へ行き、釈然としないが、敬老優待乗車証(敬老パス)の負担金の本年分3千円を納めた。地下鉄に1回乗るたびに50円払っている。橋下市長の公約違反、完全な有料化だ。それでも私はこのパスをよく使っている。”都構想”で大阪市を消滅させたら、この制度はどうなるだろう。特別区設置協定書の説明パンフには何も書いていない。「地下鉄・バス事業が民営化されない場合は、大阪府が継承先となる」とあるだけだ。敬老パスなど眼中にないのだろう。

 

 

 説明パンフを再度見た。子どもの頃、東京に住んでいたという橋下氏は、東京は地下鉄と私鉄が相互に乗り入れ便利でダイナミックだが大阪はどうだろうという。私も出向で東京にいた時期があったが、大阪が劣っていると感じたことなどなかった。阪急、阪神、京阪、近鉄、南海、それぞれ市営地下鉄とつながっていることを知らぬはずはなかろう。大阪、東京を比較する材料にしたのは事実誤認の早とちりというべきか。橋下氏らの本音は公共交通機関を民間に売り渡すことだろう。

 

 

 某テレビ番組が児童相談所の問題をとりあげていた。大阪市に1ケ所あるが、5つの特別区に設置するとしたら専門職員を確保できるのか?説明パンフにこんなことは書かれていない。機構上の事務的な説明はふんだんに羅列されているが、福祉、医療、教育などの施策がどんなによくなるのか。その中身は見えない。「空樽は音が高い」という諺がある。空っぽの樽を叩くと騒々しい高い音を出す。中身のない軽薄な人に限ってよく喋るということへの揶揄だそうである。パンフもさることながら橋下市長の独演ぶりはいかに?


消えたら もう戻れない!!

2015-04-18 08:39:22 | 日記

 

 14日から『特別区設置協定書』(大阪都構想)の説明会が始まっているが、橋下大阪市長の長広舌らしい。「治を為すは多言に在らず」。この格言ご存知だろうか。市の『説明パンフレット』に目を通した。はじめに市長の”考え”が出てくる。日頃からの言い分だ。要約すれば「二重行政の無駄をなくし、住民サービスと大都市・大阪の発展をめざす」ということ。例にあげているのは、府と市が巨費をつぎこんで建てたりんくうゲートタワービルとWTCビルのことである。さらに「府が関西空港対岸を開発すれば、市は大阪湾を埋め立てる。失敗のツケは市民、府民に回された」とも言って二重行政を槍玉にあげる。それは的外れである。事実は財界戦略に沿った府と市あげての大規模開発事業だった。二重どころか府市一体でなかったか。

 

 

 私の記憶は確かなつもりだ。08年、当時の橋下知事は「大阪府は破産状態にある」と言明し「非常事態宣言」を出して歳出カットを強行した。福祉、教育、文化が犠牲にされた。橋下知事自らがツケを回したのである。そのあとに財政の総括が必要だとして『財政悪化の原因を総括する会議』(2010年7月)を指示した。そこで府幹部たちは言う。「バブルが崩壊し税収が大幅に減っているのに大型事業やハコモノ建設で借金を増やしてきた・・財政危機を判断する機能が麻痺していた」。遅まきながらの反省の弁か。大阪市のベイエリア(湾岸)開発事業も財政破たんの主因となった。総括会議をやれば同じような発言が出ることだろう。こんな開発政策の間違いを棚上げして二重行政の所為(せい)にするのは筋違いではないか。

 

 

 橋下氏は知事のときも市長になっても、間違った路線を継承し、大型開発に大乗り気である。ただ、もう大阪市は要らない。府だけで強力にやりたいというのである。パンフレットにある「大都市戦略の必要性」その「司令塔としての大阪府庁」に危惧を感じる。5つの特別区についての図解入りの説明も見た。法人税、固定資産税、都市計画税など、いわゆる大口も、大阪市の財産も府に入る。開発の資金にするつもりだろう。特別区は府からの配分まちということになる。サービスがよくなる保障はどこにあるのだろう。なにが便利になるわけでもない。何のための特別区か、理解に苦しむだけである。はっきりしているのは、一旦、大阪市を消滅させたら、もうあとへは戻れないということである。5・17の住民投票で大阪市を守り抜こう。


「二度あることは三度ある」

2015-04-14 13:02:51 | 日記

 

 統一地方選(前半)が終わった。全国的に嬉しい結果だ。共産党は道府県議、政令市ともに議席を伸ばし、一昨年の都議選・参院選・衆院選に続いての躍進である。”二度あることは三度ある”こんなことが言えるのは全く久しぶりだ。わが大阪はどううだったのか。他府県に見られぬ結果が出ている。大阪維新の会が前回に続いて、府、市会ともに第1党の地位を占めたことである。何でや?あっけにとられたり首をかしげた人も少なくないようだ。

 

 

 私は期間中、ブログで地方選に関する記事を書いた。「地方選で問う」「昭和男 自由への選択」の2本である。問題意識は安倍暴走政治のもとでの地方自治体の役割であった。争点となった「大阪都構想」もこの視野からとらえたつもりだ。この前には「何で大阪市を失くすのか?」も発信していた(3・16付)。だが、他府県のように”自共対決”を言うことはできなかった。自民党も「都構想」反対だ。多くの有権者には、維新の会が改革者に見えたのだろうか。大阪は複雑だ。

 

 

 私は地域の集会で話した。「維新の政治は文化とか教育に無知だ。民間から区長や校長を採用したが、区民にアホかと怒鳴ったり、これから昼下がりの情事に行くと言った区長、給料が少ないからと3カ月で辞めたり、セクハラ行為を働いた校長がいる。要するに維新の政治は野蛮で乱暴なのだ」と。橋下市長は公募制の間違いを反省しない。職員の思想調査は違法だとの司法判断に反抗したり、パワハラ教育長を庇ったり、ムチャが続いている。私はこんなこと書き足らずのようだった。残念に思っている。

 

 

 かつて橋下市長は「今の政治では独裁と言われるくらいの力が重要だ」と言った。3年前の市長選では超党派で反独裁の市民連合が組まれた。忘れられてはいないだろう。地方選後半戦が済んだあとの5月17日から、都構想(大阪市解体・分割)の賛否を決める住民投票が始まる。大阪市民の暮らしも、教育も文化も壊してはならない。市民の税金は市民のために。府に吸い上げて勝手な開発に使われてたまるか。「都構想イコール改革」は詭弁だった。この結論を得たいものだ。


「昭和男」  自由への選択

2015-04-11 11:05:17 | 日記

 私は昭和元年(大正15年)生まれの「昭和男」である。明日の地方選投票日を前に改めて考えることがあった。安倍内閣は「地方創生」をスローガンに掲げた。沖縄の自治権を無視し続けているものが何をいうのか。この人、地方自治にどれほどの見識をお持ちなのだろうか。この分野でも歴史認識を問われるのではなかろうか。こういう限りは、私も改めて地方自治について語る必要を感じた。明治維新後の地方自治にどんな展開があったのか、その一端でも触れることにした。

 

 

 手許にある「明治維新史研究講座」(歴史学研究会・平凡社・昭和33年)を開いた。第5巻の「第2章 自由民権運動と憲法体制の成立」の中に地方自治に関する一項があった。何人かの研究者の論考をあげて、画期的な意義をもつとの評価が加えられている。因みに、自由民権運動とは、薩長藩閥政治に抗して、憲法制定、国会開設、地租の軽減、不平等条約阻止、言論、集会の自由などを掲げ、1874年(明治7年)から1890年(明治23年)まで続いた政治・社会運動である。

 

 

 1890年、帝国議会が開設され、明治天皇の「国民に対し此の不磨の大典を宣布す」との勅語で大日本国憲法(明治憲法)が発布された。条文のどこを探しても地方自治の文字はない。現在の憲法には「地方自治の本旨」が明記されている(第8章)。自由民権運動の歴史と伝統は、今日の憲法によって活かされたのである。地方自治法は、地方公共団体は住民の福祉増進を基本とすること、国は地方公共団体が自主性、自立性を発揮するよう義務づけている。

 

 

 昭和の前期、自治体は国の下請けとして戦争推進、戦後は高度成長政策で大型開発事業に動員された(”大阪都構想”もその類になる)。だが、後半には、全国各地に「憲法を暮しに生かす地方自治体」が誕生した。福祉増進、公害・環境対策がめざましい。国の政治も動かした。「昭和男」たちはその歴史の中で生きた。自治とは自ら治めること、自由とは不可分である。「われ死すとも自由は死せず」。かつての自由民権運動の指導者がテロに襲われたときに叫んだ言葉である。明日は自由を守る日である。