正確にいえば、歯そのものではない、歯の根っこにある筋肉である。ここが痛いのである。明け方、布団の上で、ふと思い出した。20年ほど前だったか。退職した仲間同士の一泊旅行に誘ってくれた。行く先は四国・徳島、総勢5人、乗用車につめこまれて出発、運転は私どもよりは何年か若いF君だ。無事に到着、宿泊は低料金の「簡保の宿」。残念だったのは、私とF君以外は、みんな下戸。食べる方も少ない。それが、健康のためだとかいう。やむを得ず、私とF君、差し向かいで酒を酌み交わし、料理を喰う。他の者は黙々と箸を動かしていた。食後、お互いの近況報告、何かをやっているという人はいなかった。私は始めていたブログを紹介したが、頷く人はいなかった。
そういえば、パソコンどころか、携帯、インターネットなど、この人たちには、まだ無縁の時代だったのだろう。誇る気にはなれなかった。たまたま、私の場合、それを扱い、私に教えてくれた人が傍にいたということだけである。「現役」のとき、文章を書くことを余儀なくされていたのが幸いしていたともいえるだろう。良き環境、習慣に恵まれていたのである。翌朝、洗面所で驚いた。透明な水の入ったコップには、F君と私以外、すべての人の入れ歯が入っていた。綺麗にして嵌め込むのだろう。20年後の今、私がそれをやっているのである。
今、この仲間たちとの交流はない。みんな90歳前後の人たちだ。どうしているだろうか。何人かの訃報はもらっている。老いても、私よりもいくつかは若いはずである。軍隊経験はないにしても、戦時と敗戦直後の苦労は味わっている、死ぬか生きるか、食うか食わずか、その時代を生き抜いた、貴重な存在であることはにはちがいない。戦中、戦後を語れる人ではないか。「あの時代」を生きたことの意味、その価値は貴重である。かつて、人間の自由と人権を奪い、暴虐な侵略戦争に駆り立てた連中を告発する権利の保持者である。一日でも長く生きてと願う。私も、その仲間の一人である。歯痛なんかに負けてたまるか。