明日につなぎたい

老いのときめき

しぶとく生きて歩く

2020-12-15 15:36:10 | 日記

  サ―クル仲間からから連絡あり。「ニュ―スを出すから原稿を。100字以内で」というもの。もちろん悪気ではない。私のことを慮っての好意であることは間違いなかろう。しかし、正直に言えばしんどい注文である。何をテ―マにするかの指定もない。私は”文筆業”とは縁なき94歳の年寄りである。そんなこと言ったってブログを続けているではないか、と問いかける人がいるかもしれないが、それはそれである。気が向いたときに勝手に書いている雑文である。「乞われて」「求められて」とは全く趣が違うのである。だが、折角の話だ。100字で書いてみよう。以下の一文がそれである。

 

 「ありし日の 苦難に堪えて 生き抜きし この老人の しぶとさを 見よ」。親しくさせてもらっていた、故黒田了一大阪府知事が詠った、自戒自省の言葉である。年長者、大いに学ぶべき人生論ではなかろうか。晩年は革新懇運動の先頭にあった。私も命あるかぎり、平和と民主主義のために、多くの仲間とともに、同じ道をしぶとく歩いていくつもりである。


我に「同居の孤独死」はない

2020-12-07 12:00:00 | 日記

 私どものことではない。今朝の毎日新聞の記事についての感想である。「家族と同居していたのに、自宅で死亡してもすぐに発見されない」。このことを指して「同居の孤独死」と名付けられているのである。「大阪市内で『同居の孤独死』が17~19年に計90人に上がったが、約7割は死後4~7日以内に発見された一方、1カ月以上かかった人も7人いた。最も遅れたのは半年後だった」「8月、80代夫婦がともに遺体で見つかった。認知症の妻を夫が世話していたが、約1週間前に夫が心疾患で急死・・・妻はエアコンにもあたらず、熱中症で死亡したとみられる」(堺市美原区)。大阪だけではない。「高齢夫婦などの共倒れは全国で相次ぐ。介護者が急死し、残された家族も亡くなってしまう場合が多い」。何とも痛ましい話である。

 

 対策に乗り出す自治体の事例も紹介されている。「11年に餓死したとみられる高齢姉妹の遺体が見つかった大阪豊中市は、翌年に『安否確認ホットライン』を設置。地域住民から゛高齢者宅に新聞が溜まっている"などの通報(29年度・86件)を受け、救急搬送に繋がった事例が6件あった」と紹介されている。私は、この記事を見て、毎朝、我が家に届けられる2種の新聞を、きっちり取り入れていることの意味を思い知った。溜まっていれば近所の人は、何らかの”異変”を感じるかもしれない。些細なことのようだが、ここにも大切な日常がある、こう言ったら大袈裟だろうか。私事だけではない。両隣は妻、夫を亡くした、一人住まいの高齢者である。余計な口を利くことはしないが、心しておこうと思った。

 

 我が身を顧みる。幸いにして、私どもは『高齢家族』ではあるが、健康な子ども、孫たちが近所に住んでいる。「孤独死」の恐れはない幸せ者である。いろいろと気配りしてくれる、親しい仲間も少なくない。妻も新年とともに90歳代になる。「九十歳。何がめでたい」(佐藤愛子)を読んだが、意気軒高の著者に感心したことを覚えている。私どもは揃っておとなしい。出しゃばりの爺さん、婆さんにはなりようがない。いずれ、いつの日か、寿命が尽きるときを迎えるだろうが、『同居の孤独死』はありえないだろう。家族、友人たちに支えられて(依存ではない)、つつましく、90代の旅を續けようと思っている。2021年はどんな風が吹くだろうか、それを楽しみに、前を向いて歩くつもりである。