明日につなぎたい

老いのときめき

お詫び

2021-03-27 10:43:59 | 日記

 3月25日付の一文「1970年代の決戦から80年代の闘いへ」は、いつものブログの「一般向け」の記事ではありません。友人たちが行う学習会の講義用のメモでした。あとで気がつき、その旨をタイトルに追加したのですが、うっかり送信欄にクリックしてしまっていたのです。文章も特定の友人向けになっています。お読みになった方は、何を一方的にと不審に思われたり、不快感をお持ちになられたかもしれません。お詫び申し上げる次第です。しかし、事実に反したところは皆無だと確信しています。厚かましいことですが、それでも、読まれた方が、この文章にご理解いただければ有難いことだと思っています。以上、御詫びまで。


1970年代の決戦から80年代の闘いへ

2021-03-25 10:49:13 | 日記

①1979年・全国いっせい地方選と総選挙

 〇自民党・大平内閣・・・・日本型福祉社会、消費税導入、公共料金値上げ、元号法制化などを打ち出した。

 〇大平政権下の「TOKYO作戦」(東京都、京都府、大阪府、横浜市、沖縄県など革新自治体の奪還許す)。主因は社会党の動揺、裏切り。

 〇大阪府知事選。6党軍団と共産党・無党派との対決。岸179万、黒田167万で惜敗。敗因は社会党、大阪総評の裏切り。

 〇共産党。府議選で19議席(前回比✙2)。大阪市議選で18議席(✙3)。

 〇総選挙(70年代の政治決算)。自民党、過半数割れの250議席。共産党・革新共同、41議席に倍増(70年代、得票数、率とも伸ばしたのは共産党だけ。

②1980年代・内外の激動(戦後第2の反動後世の時期)

 〇ソ連がアフガン侵略開始。アメリカ(カーター政権)も力の政策、インド洋、ペルシャ湾に第7艦隊投入。大平首相は「西側の一員」として「積極的に同調」。日米軍事同盟の侵略性と日米共同作戦体制が強化された。

 〇日本共産党は、ソ連の軍事介入批判、撤退を要求。、アメリカの力の政策、これに追随する日本政府追及した。

 〇「社交合意」が成立。安保存続、政権協議からの共産党排除を「政治原則」とした。労働戦線の右翼再編が進む。

 〇共産党15回大会が内外の諸問題を詳しく解明した。

③衆参同時選挙(戦後はじめて)。

 〇共産党、衆院29議席(ー12)。参院12議席(ー4)。地域セクト主義の弊害。

 〇自民党、安定過半数を確保。

 〇創価学会の反社会的行為の露呈(宮本委員長宅電話盗聴事件、新宿区の替え玉投票事件、豊中の放火・ニセ電話事件・・」

④臨調・行革路線と大衆運動の高まり。

 

        


「風強くとも」から

2021-03-10 17:37:32 | 日記

  石炭、石油など、化石燃料の大量使用で、膨大な二酸化炭素が排出され、地球環境が危機に面しているという「人新世の " 資本論"」(斎藤耕平ー集英社新書)を読み始めていたら、この書とは全く無関係の「風強くとも ー安保廃棄の旗を掲げて―」(竹馬 稔 遺歌句集)が送られてきた。彼(故人)とは長く付き合ってきた間柄だ。申し訳ないが「人新世」を一端中止して「風強くとも」の頁を開いた。周知のように、60年安保は共産党、社会党、総評など幅広い共闘の力で闘われた。これに恐れをなした当時の自民党・岸内閣は、国会内に大量の警官隊を引き入れ、その   "力"を背景に単独で強行採決、60年安保は、こんな異常事態下で成立したものである。やがて社会党、総評は安保共闘から離脱していく。大阪は、その先がけだった。「反共は戦争前夜の声」(蜷川元京都府知事)なのに。この書では「安保屋」の異名をもつ竹馬君の人柄や業績がよくわかる。「この道を歩み続けて四十年壁があろうとこの道を往く」。竹馬君の詠んだ一句である。

 

 60年以来、安保闘争の火は消えたのだろうか。否。「60年安保闘争」の壮大な歴史と伝統を受け継ぐ「安保破棄大阪実行委員会」が登場した。竹馬君はそこの専従者だった。60年安保後、池田内閣の「所得倍増計画」など高度成長政策が喧伝される。「安保条約」の固定期限は10年、これと闘わず無為に過ごせば、自動延長となる。70年を前にして安保反対の闘いが始まった。68、69、70年と安保闘争が続く。公害反対など住民運動が広がる。革新民主勢力は勢いづく。共産党、社会党の共闘が成立、黒田革新府政が誕生する(1971年)。75年の知事選では社会党が公明党などと通じ革新府政倒しにまわったが、黒田知事再選をかちとる。政党は共産党だけ、社会党、総評がどうであれ、多くの府民の選択は革新府政の継続だった。黒田事務所に出向してきた竹馬君たちの姿を覚えている。

 

 革新府政の業績の一つは、発生源からの総量規制だった。この立場を地球的規模にまで広げたのが、私の思い過ぎだろうか、先述の「人新生の " 資本論"」ではないかと思った。「いったい あとどれくらい経済成長すれば、人々は豊かになるのだろうか・・・格差は拡大し続けているではないか。そして、経済成長はいつまで自然を犠牲にし続けるのだろうか」。この問いかけに、あれこれ言及するスペースはない。だが「若い世代は、新自由主義が規制緩和や民営化を推し進めてきた結果、格差や環境破壊が一層深刻化していく様を体感しながら育った。このまま資本主義を続けても、なんの明るい展望はなく・・・」との説は注目に値する。時代を、世界を、見ろ、考えろ "と言われてのではないか。いや、今、生きるもの、言われなくても「風強くとも」そうすべきことなのだろう。

 

 

 

 


「風強くとも」から

2021-03-10 12:45:27 | 日記

  石炭、石油など、化石燃料の大量使用で、膨大な二酸化炭素が排出され、地球環境が危機に面しているという「人新世の " 資本論"」(斎藤耕平ー集英社新書)を読み始めていたら、この書とは全く無関係の「風強くとも ー安保廃棄の旗を掲げて―」(竹馬 稔 遺歌句集)が送られてきた。竹馬君(故人)とは長く付き合ってきた間柄だ。申し訳ないが「人新世」を一端中止して「風強くとも」の頁を開いた。周知のように、60年安保は共産党、社会党、総評など幅広い共闘の力で闘われた。これに恐れをなした当時の自民党・岸内閣は、国会内に大量の警官隊を呼び込み、その   "力"を背景に単独で強行採決、60年安保は、こんな乱暴、異常下で成立したものである。やがて社会党。総評は安保共闘から離脱していく。大阪は、その先がけだった。「反共は戦争前夜の声」(蜷川元京都府知事)なのに。

 

 以来、安保闘争の火は消えたのだろうか。否。「60年安保闘争」の壮大な歴史と伝受け継ぐ「安保破棄大阪実行委員会」が登場した。竹馬君はそこの専従者だった。60年安保後、池田内閣の「所得倍増計画」など高度成長政策が喧伝される。「安保条約」の固定期限は10年、これと闘わず無為に過ごせば、自動延長となる。70年を前にして安保反対の闘いが始まった。68、69、70年と安保闘争が続く。公害反対など住民運動が広がる。革新民主勢力は勢いづく。共産党、社会党の共闘が成立、黒田革新府政が誕生する(1971年)。75年の知事選では社会党が公明党などと通じ革新府政倒しにまわったが、黒田知事再選をかちとる。政党は共産党だけ、社会党、総評がどうであれ、多くの府民の選択は革新府政の継続だった。黒田事務所に出向してきた竹馬君たちの姿を覚えている。

 

 革新府政の業績の一つは、発生源からの総量規制だった。この立場を地球的規模にまで広げたのが、私の思い込みかだろうか、先述の「人新生の " 資本論"」ではないかと思った。「いったい あとどれくらい経済成長すれば、人々は豊かになるのだろうか・・・格差は拡大し続けているではないか。そして、経済成長はいつまで自然を犠牲にし続けるのだろうか」。この問いかけに、あれこれ言及するスペースはない。だが「若い世代は、新自由主義が規制緩和や民営化を推し進めてきた結果、格差や環境破壊が一層深刻化していく様を体感しながら育った。このまま資本主義を続けても、なんの明るい展望はなく・・・」との説は注目に値する。"時代を、世界を、見ろ、考えろ "と言われてのではないか。いや、今、生きるもの、言われなくても、風強くとも、そうすべきことなのだろう。