黒岩重吾氏は、大阪出身の著名な作家である。数々の意欲作を出して、高い評価を得ている。ご自身が、戦中、戦後に味わった苦闘の故だろうか、人生、社会、時代を語るとき、そこには必ず庶民の営みがある、そんな作品が多いと聞き及んでいた。しかし、何故か、同氏の小説を読む機会を逸していた。5月のある日、書店で「役小角仙道剣」という本を見つけて買った。文庫版だが、かなりの長編小説である。著者は、03年に79歳で病没されるが、その1~2年前に「小説新潮」に連載されたとあるから、新しい作品だといえよう。7世紀後半・古代のロマンチックな物語だが、現代に通じるものを考えさせてくれる。
主人公は、役小角(えんのおづぬ)という修験者。活躍の場は、金剛、葛城、生駒、吉野、大峯、熊野の山々、大和、河内の地名が出てくる。私も歩いた、お馴染みのところだ。役小角は、修行で独特の能力を得たが、荒行に脅え、女性を想って悶える、生臭い人間であった。だが、勇敢な弱者の味方である。ときは「律令国家」といわれる、天皇を頂点とする中央集権の統一国家が形成されつつある頃である。法律、制度は支配者のため、土地は国家のものとされ、農民は、苛酷な税金と労役、兵役を課せられ、逃亡するものは残忍な刑罰を加えられる。役小角は、この時代を憎み、これまた人間臭い弟子たちとともに戦って、庶民を助け、救い、信望を高める。
役小角は、集まってくる民衆を指揮して、大和川など河川の改修工事をすすめる。農民たちは、労役のときとは別人のように、嬉々と働く。後の名僧・行基が見学にくる。小角の名声は上がる一方。これを妬むものが、小角の母親なる女性を人質に、伊豆流転を受け入れさせる。「解脱」の心境にある小角は、悠然と伊豆に下る。この小説での役小角は、求道者ではあったが、説教者ではなかった。人間の煩悩にも肯定的だった。一方、法令が誰のためのものか、事あるごとに批判を加え、弱者のために、己の力と技を使う人物であった。こんな役小角像が印象深い。なお、作中の行基もそうだったというが、当時の支配層も含めて、朝鮮半島からの渡来人の子孫が多く出てくる。日本とアジアの関係、考えさせられる。