明日につなぎたい

老いのときめき

「公明」「維新」は第三勢力ではない

2021-10-25 10:55:28 | 日記

 広辞苑では、第3勢力のことを「対立する二つの勢力の外に立つ第3の中立勢力」と定義づけている。昔、公明党は保守でも革新でもない第3の道をゆく新しい政党だと、第3勢力面(つら)していたような気がする。発足時の科白だった。日米安保条約即時廃棄とまで唱えたことがある。真っ赤なウソだった。公明党は、日米安保絶対の自民党と仲良く手を組む政権与党に成り下がっている。きっちり閣僚の一角も占めている。第3勢力どころではない。明々白々な当事者・与党である。当事者とは「そのこと、または事件に直接かかわりをもつ人」のことである。公明党は自民党政治の一翼、当事者なのである。無節操ではないかと言いたくなる。

 

 「日本(大阪)維新の会」という新興政党も新米の与党になっている。維新とは「すべてが改まって新しくなること」とされているから、政治の世界では完全な野党であるべきだと思うのだが、この党は自民党べったりの与党というしか言いようがない。何が新しくなったのか、言葉に窮する。国民は維新の名に改革を期待したが、それは幻想に過ぎなかった。国民は、すっかり騙されたのである。第3勢力どころではない。自民・公明政治の協力者の一員になってしまっているのではないか。どういう政党名をつけるか、自由・勝手だろうが、やることが自民党の補完政治の域を出ないのなら、それにふさわしい名にすればよいのにと思ってしまう。

 

 維新といえば「明治維新」を連想する。徳川封建体制に果敢に挑戦、命を賭けた志士もいれば、明治政府に巧妙に取り入って、立身出世を遂げた「英雄」もいたという。甚大な犠牲を伴なった日清、日露戦争を経て、日本の軍国主義化は急ピッチ。それは昭和の日中戦争、太平洋戦争につながっていつた。いずれも日本に相手国の軍隊が入ってきたのではない。日本の他国への侵略戦争だった。やがて敗戦国となり、戦勝国・米軍支配下の屈辱に耐え忍ばされた。日米安保条約はその象徴である。沖縄は未だ占領下にある。この無残な歴史を招いた日本政治の歴代指導部に、国民への謝罪と反省があっただろうか。それを追及する政党は共産党、社民党以外にどこがあろうか。「維新」はどうしてる!? 

 

 

 

 


佐渡の旅

2021-10-22 15:52:25 | 日記

 10月は私の誕生月、12日に満95歳になった。何人かの私よりかなり若い友達から「おめでとうございます」とのメールを頂戴する。「私を知ってくれている」のが嬉しい。「私の嶺をめざして歩く」とまで言ってくれる友がいる。くすぐったくなる。毎年この時期に感動の瞬間が訪れるのだ。「長生きはわるくないで」。そのたびに90歳代夫妻で交わされる会話である。これも例年のことだが、ある女性からは立派な菓子折りが贈ってこられた。私は、どちらかといえば、甘党ではなく左党のほうなのだが、数日後には箱の蓋があき、中身は消えてなくなる。やっぱり届いたものが、心のこもった銘菓だからなのだろう。

 

 「18、19日は休みがとれるねん。どこか行こうか」。孫息子からの連絡だ。これにも飛びついた。「この齢になって、まだ新潟には行ってないねん」と言うと「じゃぁ佐渡へいこうか」と誘われる。こんなチャンス滅多にない。孫のお母さん(わが娘)に声をかけてみた。「その日やったら休みがとれる。行けるわ」との嬉しい返事だった。何十年ぶりか、親、子、孫、3代の旅の実現だ。我が胸はわくわく。娘と孫とわが夫妻、4人そろうのも久しぶり、正月以来だ。タクシーで伊丹空港へ、晴天のもと、飛行機は快調に飛び、無事に新潟空港に到着。孫が運転するレンタカーで新潟港に。フェリーで佐渡の港に向かう。短時間だったが、いい船旅だった。

 「佐渡はよいとこ 一度はおいで」。この歌の文句だけが何度も胸の内に浮かんでくる。それから先の歌詞を覚えていないのだ。夜、ホテルでの夕食時「夕日が消える。綺麗やで」。誰かの声が耳に入った。咄嗟に何年か前の島根県・出雲の旅を思い出した。日本海に沈み消えていく陽の光の美しさだった。自然は公平、平等だ。ここでも"美 "を楽しめた。翌朝、佐渡の小高い丘に登って、心ゆくばかり日本海を眺めた。晴天なのに太平洋のような澄んだ青い海ではない。何故なのか。孫の運転で島を一周、日本海を指して「あっちはロシアやなあ」と呟いた。佐渡の旅を終えて帰途に着く。新潟市のどこからか宣伝カーの声が聞こえた。この日は衆院選の告示日だった。