明日につなぎたい

老いのときめき

まだ別れは難しい

2019-03-27 13:57:24 | 日記

 昨日は定期診察の予約日。穏やかな日和だ。自転車で往復する。この日は検査なし、月初めに済ましていたからだろう。問診でも異常を指摘されることはなかった。前回、脳梗塞の痕跡ありと言われていたので、その後の進行はあるのかと聞いたが、医師の表情は「たいしたことなし」のように伺えた。別の異常があった。財布を持ち忘れて無一文だった。薬局で気がついた。ぼんやりの本格化か。薬局では「後日できるだけ早く」でその場はしのげた。診察料は自動支払機だから問答なし。この病院に行く機会のある長女に電話、支払いを頼んだ。

 

 夜、我が身にちょっとした異変が起こった。風呂から出た途端、突然、頭がふらつき、吐き気を催す。我ながらびっくりした。上半身裸のまま蒲団に横倒れになった。妻があわてて枕元に洗面器とタオルを置いてくれた。何分か何時間か、時間の経過とともに平常に治まる。一体、何だったのだろう。私は「カラスの行水」といわれるくらい、長湯はしない。昔、長く浸かり過ぎて、のぼせ上った苦い経験があるからだ。何でや、何でや、自問自答しながら、薬を飲んで寝入ってしまった。

 

 翌朝は、普段と同じ体調になっていた。強いていえぱ頭がやや重たいような気がする。今日の午後は、あるサ―クルの定例の会合がある。小さくとも黎明期の文学組織だ。私のような枯れ木も山の賑わい、そのつもりで出る気だったが、大事をとって休ませてもらうことにした。それでもパソコンを前にする。孫の操作で表紙が美しくなっている。去年の夏に訪れた四万十川の優美な流れが目に入る。「自然がこんなに美しいのに、人生に別れを告げるなんて難しいよ」。92歳まで生きたフインランドの大作曲家・シベリゥスが言った言葉だそうだ。私の心境も同様だ。

 

 

 


己を知れ・潔く辞めろよ ジュゴンが死んだ

2019-03-25 13:52:21 | 日記

 春を迎えたが私の体調は、ぱっとしない。むしゃくしゃしたままだ。何でや。一つワケがある。安倍内閣のウソと騙しと隠し事、そして強権政治の手法。これらが気に障ってしょうがないのだ。森友学園問題では、昭恵夫人は国会喚問を拒否、財務省はこの件で公文書改ざんをやった。哀れ、職員が自殺に追い込まれた。総理の親友が理事長の加計学園は「ご意向」で開設された疑惑濃厚。愛媛県報告書がそれを証明している。厚労省統計はうさん臭い。イラク派遣の自衛隊日報の行方は?どうケリをつけたのか。民意を踏みにじった辺野古新基地建設強行は最悪の暴政である。テレビに映るジュゴンの死体が痛々しかった。

 

 安倍内閣の政治手法は、まともではない。常軌を逸している。私は、戦後の歴代首相を遠くから見て来たが、安倍晋三ほど、抜きん出てあくどい政治家は誰だっただろうか。その名が浮かんでこない。戦争も知らず、侵略戦争に反省のないこの男が、憲法改悪では最も熱心で、米国への追従ぶりでは群を抜いている。トランプ大統領には忠実そのもの、米国兵器の爆買いには唖然となる。辺野古工事の強行は、屈辱的な日米関係の縮図のようだ。だが、皮肉にも辺野古・大浦湾の地盤は豆腐のように柔らかいそうだ。埋め立て工事の可否が問われ始めている。

 

 悪を重ねてきた安倍政権は、もう傷だらけだ。誰の目にも明らかだろう。平成30年をキリに身を引いたらどうだろう。普通の人間なら、身も心も痛みで夜も寝られない状態ではなかろうか。権力欲で、これからもウソをつき、クロをシロと強弁し、居直る気だろうか。それはあかん。自覚せよ。「オレは癒しきれない傷を負っている。『罪』を重ねてきている」と。己を知れよ。潔く身を引けよ。己を知るのは偉人だけではない。普通人だってわきまえている。安倍晋三さんも自分と、自分の所業を顧み、潔い態度を見せてほしいものだ。私は、まだ目の黒いうちに、この日がくる、政治の春がくることを望んでいる。


夢の島

2019-03-21 11:01:51 | 日記・エッセイ・コラム

上の写真は、大阪府・市が2025年夏の万博誘致をめざし

ている会場予定地の夢洲が出ている。舞洲は、2008年

催のオリンピック誘致のために、大阪市が53億円も使っ

たが結果は中国・北京に敗れた因縁の島。夢洲の土壌の

強弱、開催時期が台風シ―ズン、強風、大波対策は如何、

ゴミ集積場の島だから、環境の汚染はどうする。毎日

15万人と予想される来客を、どう捌けるか、いろんな

不安を解決して迎えたいものだ。

 


OBの会

2019-03-18 16:39:02 | 日記

 60年来の友人から連絡があった。「西淀川のOB会をやりたいので、呼びかけ人になってくれ」であった。文句なしに引き受けた。出席の返事には、大要、次のようなことを書いた。「92歳になっていますが、30歳代を過ごした西淀川など、西大阪地区の活動を忘れるときはありません。未熟な若輩者の私を温かく育ててくれたところです。優しい慈父のような多くの先輩、そして同僚、後輩に恵まれました。60年安保をこの地で闘い、西淀川各地で取り組まれる、生活と権利を守る運動が、選挙戦の力になることも教えられました」と。

 

 OBの会では、50年ぶりの再会という人も何人かいた。各人の近況報告が交わされる。みんな80歳は越えているだろうが元気そうだった。だが「老いてますます盛ん」というのは当たっていない。それぞれ老いを自覚し、自己管理に努めているのだ。難病の苦痛をこらえて参加してくれた人もいる。話しを聞くと痛々しいが、同時に参加者一同への励ましでもあった。古めかしい言葉だが「負けじ魂」は衰えていない。お互いに「初志貫徹」を確認し合った会合だった。わがOBたちのは意気は高い。

 

 会の終わる頃、福祉に詳しい北山良三市と、年齢を感じさせない若々しい高校教師の門谷みちお氏が挨拶に来た。北山氏とは旧知の間柄だが、門谷氏とは初対面。しかし、同氏は私を知っていたようだ。門谷氏は、維新の会の橋下徹氏が知事のときに、廃校を決めた西淀川高校の教諭だった。何で高校を減らすのか、腹に据えかねていた私は、門谷氏の心中を察した。午後は、共産党、後援会の合同決起集会だった。私の参加もわざわざ紹介してくれた。私は旭区の住人だが、縁深き西淀川が胸の内から離れない。全国一斉地方選挙は目前だ。


どこが狂っているのか

2019-03-11 17:23:25 | 日記

 3月8日は定期の診察日。「脳梗塞の形跡がありますね」と言われた。今年1月のCT検査による診断だろうと察した。まったく自覚がなかったので、意表をつかれたような気分だった。帰宅してから思い当たるフシを探った。ちょうど1年前頃か、頭がふらついたことがある。一瞬だろうが私の脳は異常をきたしたのである。その形跡が写っていたのだろうか。長引けば障碍者になる可能性もあったのだろう。そうでなくても92歳の年寄りだ。何が起こるか分からない。

 たまたま『民主文学』(2月号)所載の小説「樹々のそよぎ」を読んで、身体障碍者の生き様に触れた。このブログで2度も記事にさせてもらった。10年ほど前に視た映画「ふるさとをください」の中で「心はゆれる、それが人間だ。精神障害は、肉体の一部である脳の、誰もが罹る可能性のある病気だ」との精神科医の説に共感した。その目で「樹々のそよぎ」を読み返した。ヒューマンな物語だ。

 読むうちに、障碍者とそうでない人との境界が判然としないようになってきた。主治医は「主傷病を、鬱病にするか、発達障害にするか、迷っている」と言い、喫茶店のマスタ―は「発達障害なんて言っても、世の中に、ひとりだって個性的じゃない人なんかいるかい」と言い、患者である今日子は「ですよね。素人が自己分析して、自分が如何に病的かを見付けて書き出すなんて、難しくて」という始末だ。

 話は飛ぶ。維新の会が目論む「大阪都構想」が議会内外で支持されず、松井府知事、吉村大阪市長が辞職すると言い出した。予算議会の真っ最中だ。その模様がテレビに映る。松井知事が「死んでも死に切れんわ」と嘆いたのを見て、私は思わず笑ってしまった。大阪市をなくして二重行政を廃するという「構想」は、2015年の住民投票で否決された代物だ。死んだものを蘇らせようという維新の会こそ狂っている。4月の一斉地方選で、松井が大阪市長選に、吉村が知事選に出るという。町の声は「ワケわからんわ」だった。私は思い出した。70年代・黒田革新府政の障碍者対策は実に温かった。