2010年9月23日、米大リーグ・マリナーズのイチロー選手が10年連続200本安打を達成した。この一大朗報に多くの人が沸き立った。私もその一人である。10年連続というのが凄い。大きな怪我なく休むことなく試合に出続けたからつくれた記録なのである。3割打者のことを好打者というそうだが、イチロー選手は米大リーグに所属してから毎シーズン3割の打率をあげている。10年目の今年もたぶん3割を打つだろう。自分の体力、体調を保つためにどれだけ自己管理に努めたか。これが天晴れだと思うのである。
イチロー選手は、この記録達成の5日前に日米通算3500安打という記録をつくっている。試合数の違いはあるが日本では近づく者もいない未踏の領域である。米大リーグでも3500本以上は5人だけだという。しかし、4256安打の記録保持者ピート・ローズ氏は「日本の野球は低レベル、イチローの記録を大リーグだけで達成されたものと同等に扱うべきでない」と言ったとか。合算だからこういう議論もありうるだろうが、そこまで言わなくてもという人の声も聞いた。米国には天晴れという言葉がないのだろうか。
私の記憶はさかのぼる。6年前の2004年10月、イチロー選手は1シーズン262安打の世界新記録をうちたてた。その瞬間、選手たちは敵味方の区別なくイチロー選手を讃えた。スタンドは大歓声。各新聞の号外が出る。夕刊が、テレビがトップで報じる。特集が組まれる。偉業はさらに続いた。翌05年6月、大リーグだけで1000本安打に達する。日本の実績と合わせると2278本。09年3月のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)優勝の決定打はイチロー選手の2点タイムリーだった。
そのたびに国民はすかっとする。夢と希望と勇気をもらった気になる。1995年は阪神淡路大震災の年だった。オリックス・チームのメンバーは、ユニホームに『がんばろうKOBE』のワッペンをつけてグランドを駆け回り、震災から復興に立ち上がる市民を励ました。そのなかにイチロー選手の雄姿があったことを思い出す。この人は”努力の天才”だと評される。並々ならぬ努力の結晶が数々の記録となり、それが人々の心に灯をともす。イチロー選手は素晴らしい野球人生を歩んでいる。