明日につなぎたい

老いのときめき

天晴れ!野球人生

2010-09-26 16:57:04 | 日記・エッセイ・コラム

 

 2010年9月23日、米大リーグ・マリナーズのイチロー選手が10年連続200本安打を達成した。この一大朗報に多くの人が沸き立った。私もその一人である。10年連続というのが凄い。大きな怪我なく休むことなく試合に出続けたからつくれた記録なのである。3割打者のことを好打者というそうだが、イチロー選手は米大リーグに所属してから毎シーズン3割の打率をあげている。10年目の今年もたぶん3割を打つだろう。自分の体力、体調を保つためにどれだけ自己管理に努めたか。これが天晴れだと思うのである。

 

 イチロー選手は、この記録達成の5日前に日米通算3500安打という記録をつくっている。試合数の違いはあるが日本では近づく者もいない未踏の領域である。米大リーグでも3500本以上は5人だけだという。しかし、4256安打の記録保持者ピート・ローズ氏は「日本の野球は低レベル、イチローの記録を大リーグだけで達成されたものと同等に扱うべきでない」と言ったとか。合算だからこういう議論もありうるだろうが、そこまで言わなくてもという人の声も聞いた。米国には天晴れという言葉がないのだろうか。

 

 私の記憶はさかのぼる。6年前の2004年10月、イチロー選手は1シーズン262安打の世界新記録をうちたてた。その瞬間、選手たちは敵味方の区別なくイチロー選手を讃えた。スタンドは大歓声。各新聞の号外が出る。夕刊が、テレビがトップで報じる。特集が組まれる。偉業はさらに続いた。翌05年6月、大リーグだけで1000本安打に達する。日本の実績と合わせると2278本。09年3月のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)優勝の決定打はイチロー選手の2点タイムリーだった。

 

 そのたびに国民はすかっとする。夢と希望と勇気をもらった気になる。1995年は阪神淡路大震災の年だった。オリックス・チームのメンバーは、ユニホームに『がんばろうKOBE』のワッペンをつけてグランドを駆け回り、震災から復興に立ち上がる市民を励ました。そのなかにイチロー選手の雄姿があったことを思い出す。この人は”努力の天才”だと評される。並々ならぬ努力の結晶が数々の記録となり、それが人々の心に灯をともす。イチロー選手は素晴らしい野球人生を歩んでいる。


「いのちの山河」

2010-09-23 20:12:19 | 日記・エッセイ・コラム

 23日ヒル、妻や近所の仲間と一緒に、映画「いのちの山河」を観た。ドラマの舞台は岩手県山間部の寒村、沢内村(現・西和賀町)である。村長を先頭に村民ぐるみで、豪雪・多病・貧困の三悪に立ち向かう姿が、この地域の自然、四季のうつろいのなかで描かれる。挙げた成果は日本一、冬季バスの開通、老人、乳幼児医療費の無料化、乳児死亡率ゼロに。50年前の出来事である。あのとき村がめざした地域包括医療計画の目標は「すこやかに生まれる」「すこやかに育つ」「すこやかに老いる」だった。

 

 「政治の中心が生命の尊厳・尊重にあることを再確認し、生命尊重のためにこそ経済開発も社会開発も必要なんだという政治原則を再確認すべきであります」。沢内村・深沢村長の年頭挨拶(1965年)である。村長は1月末には惜しくも帰らぬ人となる。映画は延々と列をなして故人を見送る村人たちの姿を象徴的に映し出す。沢内村があげた成果は全国の地方自治体に広がり、いくらかは国の制度、施策ともなった。だが80年代に入って切り崩されていく。公共事業の名による大型開発の犠牲にされたのである。

 

 いま、産婦人科、小児科医の不足。姥捨て山と称される後期高齢者医療制度。医療機関の経営破綻、地域医療の崩壊が進んでいる。高度の資本主義国・日本の惨状である。こんなときだからこそ「すこやかに生まれ育ち老いる」という人間の理念、目標に迫っていくべきではないのか。半世紀も前、医者に会うのは死亡診断書をもらうときだけというような無医村を、村民の団結で医療・福祉の豊かな村に変貌させた、活性化させた。その真実の記録をもとにした「いのちの山河」が教えているのではなかろうか。

 

 「霞ヶ関解体」だとか「地方分権」「地方主権」とかをふりかざして、府・市再編、都制、道州制などを主張し、高速道路、湾岸開発イコール自立などと考えている政治家たちに言いたい。主権は制度や機構、企業にあるのではない。主権者は国民である。「すべて国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する」(憲法25条)。国、地方自治体の任務はここにある。「いのちの山河」はそれを訴えているのである。さらに一言、基地などで民族主権も侵害されている、この認識、自覚があるのだろうか。


雑感  あれこれの維新

2010-09-18 11:26:53 | 日記・エッセイ・コラム

 「大阪都市構想」を掲げる地域政党『大阪維新の会』(代表・橋下大阪府知事)が来春の大阪府、市議選で大量の候補者を立て過半数をめざすそうだ。構想の中身は府と大阪市、周辺の市を解体、統合して大阪都にし、その下に特別区をつくって公選制の区長、区議会を設ける。都庁は交通・産業政策などの広域行政を、特別区、市、町が福祉、教育など日常の住民サービスを受け持つというもの。この構想、知事以外のメンバーは余り語らない。一般には分かりにくいことだろう。

 

 私は知事のブレーンだという某氏の「大阪維新―橋下改革が日本を変える」(角川SSC新書)を読んだ。冒頭「大阪市・府の改革は大企業の改革と同じ手法、体制でのぞんだ」「『大阪維新』の目的は『One大阪』の実現・・さらに関西全体の自立(関西州)を目指す」としている。多くのことが述べられているが、気になったのは医療、福祉の”産業化”、地下鉄、水道など公共事業の”民営化”を強調しているところである。地方自治体本来の使命である住民サービスが二の次にされているように思えた。これが平成維新なのだろうか。

 

 かつて『昭和維新』というものがあった。1920年代から30年代にかけて、軍部急進派や右翼団体が「昭和維新実現」を唱えて数々の事件を起こした。5・15事件、相沢中佐事件、2・26事件など。いずれも首相や政府要人の暗殺だった。天誅、討伐、維新回天を口にして決行したものだが、そのあとの方策が何だったかは分からない。要するに改革・維新とは無縁の無謀な蛮行に過ぎなかったと評される。今いわれている維新は、時空も次元も異なるから同一視できない。だが、どこか乱暴ぶりに共通性があるのでは。言い過ぎだろうか。

 

 『平成維新の会』も存在していた。1992年結成。会長は経営コンサルトの大前研一氏。「生活者主権の国」を掲げ、道州制・規制緩和などに賛同する国会議員を推薦・支持した。95年夏『政党・維新の会』として参院選に打って出るが惨敗、同年末で解散する。『大坂維新の会』もこの流れを汲んでいるかに見える。自民党からの”移籍組”も多いようだが大阪都構想について余り喋らない。拍子抜けだと他党から冷やかされる始末である。何が維新なのか、メンバー自身が分かっていないのでは。


川上さんの”除名演説”

2010-09-14 13:04:19 | インポート

 

 11日午後、1968年9月に亡くなった川上貫一代議士(共)の碑前祭に参列。記念碑は西淀病院の前庭にある。私も親しくしてもらった者の一人、真紅のバラを献じて黙祷を捧げた。川上さんは51年1月の衆院本会議で代表質問、平和と民族独立、米占領軍の即時撤退、軍事基地絶対反対、堂々の論陣をはった。有名な”除名演説”である。これに当時の自由党、民主党は議員の品位を傷つけたと難癖をつけて陳謝を迫った。川上さんは屈しない。国会は懲罰動議を可決、遂には議員除名という暴挙に達する。

 

 それから60年近い歳月が流れた。だが、川上演説の先見性は色褪せるどころか燦然と輝いている。不滅の記録だというべきだろう。後世に汚点を残したのは川上除名に加わった当時の国会議員どもだろう。情けないのは川上質問のかなりが衆院会議録で削除されていることである。アメリカ占領軍や政府・与党には公表されたくない痛いところを消したかったのであろう。つまり真実の隠蔽である。最高の言論の府であるべき国会で真実を語ったら封殺される。だらしないにも程がある。今も痛感している。

 

 「今日本の民族にとって一番大きな問題は、戦争するかしないか、平和が保たれるか保たれないか、民族の独立が保たれるか、日本民族が外国の奴隷になるか、という問題であります」。”除名演説”の冒頭である。以後も川上さんはこのことを訴え続ける。大阪府民の熱い支持を得て衆院議員に返り咲くが、その舌鋒にはますます磨きがかかる。私の印象では、民族独立のための全国民の団結・統一戦線を訴えられたところが強烈だった。普天間をはじめ米軍基地の存否が焦点になっている現在、それが鮮やかに蘇る。

 

 川上さんは心臓病で没する。80歳だった。私はこの大先輩よりも4年も長く生きている。医学の進歩の故だろう。40年前はどうだったのだろう。今ほどの水準だったとしたらまだ頑張れたのでは、いささか感傷めいた気分になる。発作を起こすまでは周りに元気を感じさせていた。頑固不屈、人一倍の努力家、好奇心旺盛、書画は達人の域、ロマンチスト。多くの人がもつ川上像である。私も同感である。だが、何よりも伝え続けたいと思っているのは”除名演説”にこめられた川上さんの魂である。


プラスチック公害

2010-09-09 20:59:37 | 日記・エッセイ・コラム

 

 ヒートアイランドでうんざりしているときに毒のある排ガスはかなわない。思っている矢先に「廃プラ処理による公害から健康と環境を守る会」という市民団体から、6年も前からとりくんでいるという『寝屋川市の廃プラ処理施設の操業差し止め裁判』への支援要請が送られてきた。『新しい公害―廃プラ公害病とは』と題するパンフレットが添えられている。ある程度のことは知っていたが、パンフレットのおかげで理解が深まる。この問題を避けてあれこれ地球環境について語れるだろうか。そんな気がした。

 

 発生源は北河内4市(寝屋川、枚方、交野、四条畷)による施設組合と、民間のリサイクル・アンド・イコール社の処理施設(廃プラ工場)である。プラスチックは高分子の合成化学物質、これに熱を加えたり溶かしたりすれば有毒ガスが発生する。当然だろう。その多くは空気よりも重く沈みやすい揮発性有機化合物(VOC)だといわれる。操業以来、異臭がただよい、住民は目の痛み、湿疹,咳と痰、頭痛、化学物質過敏症などを訴えだした。疫学調査の結果は「工場稼動と健康被害の因果関係」を明らかにしたものだった。

 

 市民の生活圏に何故こんな工場をもってくるのか。納得できない市民は、寝屋川市、大阪府に建設、操業中止を訴えたが聞き入れられず、裁判所も仮処分提訴を却下、本裁判を起こすに至る。だが、一昨年9月の一審判決は二つの施設は「公共性、公益性があるから住民は受忍せよ」であった。行政は求められた調査もしない。やむなく市民は専門家の協力を得て被害の実態を調べる。司法はその科学的なデーターも無視する。そして泣き寝入りを強いる。それが国策なのか。耐え忍べるだろうか。

 

 どこでも”ビニール袋だらけ”を見て思う。大量生産、大量消費、大量廃棄、このこと自体が問われるときを迎えている。とくにプラスチックではなかろうか。廃棄物(ゴミ)のリサイクル、大事なことだが間違うと寝屋川のように新しい公害を生み出す。リサイクルとは悪循環のことではないはずである。廃棄物処理は国民の安全と環境を守るために、国、地方自治体、企業が責任をもって行うべき事業である。道理ある方策が示されれば、国民は納得して協力するだろう。寝屋川市民の勝訴を祈る。