「ぽうっと生きてるんじゃねぇよ」。テレビで出てくるチコちゃんとかいうキャラの科白(せりふ)である。私も思い当たることがあった。昨日(28日〕の朝、ある会合に参加すべく家を出た。服を着かえたので、敬老無料パス入りの定期入れを忘れたと勘違いして、M駅で、小銭入れから210円を取り出して乗車券を買った。ぼうっとしていたからだ。さらに、小銭入れの小袋を券売所に置いたままホ―ムに上がり、入ってきた電車に乗った。目的のT駅に着いてから置き忘れに気がつき、駅員に頼んでⅯ駅に照会してもらったが、見当たらないという返事だ。がっくりした。
会場へ向かう途中、ふと内ポケットに手を入れたら、なんとパスの入った財布兼定期入れが入っていた。ぼぅっとするにも念が入っている!「小銭入れ」など使う必要はなかったのだ。晴れぬ気分で出席者の報告や討論を聴き、久しぶりの仲間や後輩たちに会えて、鬱陶しい気分も遠ざかっていったが。帰途、あきらめずにT駅で「忘れ物」の件を聞いた。「ありましたよ。Ⅿ駅で保管しいてます」との返事だった。「うわ―」、普段、大声を出さぬ私だが、この時は特別だった。周りに響いたのではなかろうか。些細なことのようだが、ものすごく嬉しかった。
近頃の私は、物忘れ、早とちりが多くなっているようだ。ちゃんと目標をもって生きてるつもりだが、齢とともに、ぼうっとしている時間も、徐々に増えているのではなかろうか。それは、恥も外聞もなく認めようと思う。この自覚がなければ、、もっとひどい呆けた老人になるだろう。Ⅿ駅では失態だったが、T駅では、その取り返しのために正常に手をつくした。「ぼぅっと生きてんじゃねぇよ」。コメディ・ドラマのギャグなのだが、私には有難い示唆だった。これからも私なりの働きはするつもりだが、高齢の私には「ぼぅっとする」ひと時も大事な気がしている。齢には関係ないか。