この月の末、亡き友を偲ぶ会があった。彼の人徳が引き合わせてくれたのだろう、久しぶりにかつての同僚たちと顔を合わせる場ともなった。私の持つ辞典では”偲ぶ”という意味は思い慕うこと、または賞美する(ほめたたえる)ことだとある。この日に用意された栞(しおり)にある友人たちの追悼文も、偲ぶ会での何人かのスピーチも確かにそうだった。生前の彼を語るために、なによりも自身とのかかわりを想う。そして彼の人柄や業績、彼から何を学び得たかを顧みる。これらがごく短い言葉に凝縮される。どういう事柄をあげて偲んだか、私はそこに共通点・同一のものを見た。それが当然なのだろう。誰の文章にも語りにも美辞麗句でほめたたえたものはない。だが偲ぶ心は十分に伝わってきた。
私はつぎのような偲ぶ言葉を送った。「(君と)革新府政の実現、推進の道をともに歩んだ絆は強い。その想いは消えることはない。大阪の政治の焦点だった”同和問題”で君の果たした役割は特筆ものだと思う。退職後、私はブログをはじめたが、元気なときはよく開いてくれて、はげましてくれた。有難かった。このブログで”同和問題”に触れるときも君の書いた論文を改めて読み、取り入れさせてもらった。心から敬意と感謝の想いを伝えたい」。わが想いを凝縮して、ハガキの窮屈なスペースに書き込んだつもりである。同じ趣旨で語る友も少なくなかった。私はスピーチで補った。「やるべきことをやってきた、君の人生は立派だった」と。
身近にある人の死を惜しみ、悲しむのは当然である。同時に、死はその人の生きざまを深くみつめる機会にもなる。年齢がどうあれ、晩節を全うすれば、その人の生い立ち、成長過程、歩いた足跡、その社会的意義などに光があてられる。そこで改めて故人の業績が知られ感動を呼ぶ。死によってである。それが尊い遺産として、現在・未来に生きるものに受け継がれる。生きることにも死ぬことにも価値があるのだ。社会に貢献する一員として力のかぎり生きぬき、人生を完結させる。命の尊厳はここにあるのではないか。彼の死もこのことを教えてくれたように思えた。偲ぶ会の帰途、数人の友人たちと京都・哲学の道を歩いた。帰宅後しばらくしてパソコンに向かったらこんな記事になってしまった。