明日につなぎたい

老いのときめき

生死の価値ー友を偲んで

2008-05-31 22:55:31 | 日記・エッセイ・コラム

 

 この月の末、亡き友を偲ぶ会があった。彼の人徳が引き合わせてくれたのだろう、久しぶりにかつての同僚たちと顔を合わせる場ともなった。私の持つ辞典では”偲ぶ”という意味は思い慕うこと、または賞美する(ほめたたえる)ことだとある。この日に用意された栞(しおり)にある友人たちの追悼文も、偲ぶ会での何人かのスピーチも確かにそうだった。生前の彼を語るために、なによりも自身とのかかわりを想う。そして彼の人柄や業績、彼から何を学び得たかを顧みる。これらがごく短い言葉に凝縮される。どういう事柄をあげて偲んだか、私はそこに共通点・同一のものを見た。それが当然なのだろう。誰の文章にも語りにも美辞麗句でほめたたえたものはない。だが偲ぶ心は十分に伝わってきた。

 

 私はつぎのような偲ぶ言葉を送った。「(君と)革新府政の実現、推進の道をともに歩んだ絆は強い。その想いは消えることはない。大阪の政治の焦点だった”同和問題”で君の果たした役割は特筆ものだと思う。退職後、私はブログをはじめたが、元気なときはよく開いてくれて、はげましてくれた。有難かった。このブログで”同和問題”に触れるときも君の書いた論文を改めて読み、取り入れさせてもらった。心から敬意と感謝の想いを伝えたい」。わが想いを凝縮して、ハガキの窮屈なスペースに書き込んだつもりである。同じ趣旨で語る友も少なくなかった。私はスピーチで補った。「やるべきことをやってきた、君の人生は立派だった」と。

 

 身近にある人の死を惜しみ、悲しむのは当然である。同時に、死はその人の生きざまを深くみつめる機会にもなる。年齢がどうあれ、晩節を全うすれば、その人の生い立ち、成長過程、歩いた足跡、その社会的意義などに光があてられる。そこで改めて故人の業績が知られ感動を呼ぶ。死によってである。それが尊い遺産として、現在・未来に生きるものに受け継がれる生きることにも死ぬことにも価値があるのだ。社会に貢献する一員として力のかぎり生きぬき、人生を完結させる。命の尊厳はここにあるのではないか。彼の死もこのことを教えてくれたように思えた。偲ぶ会の帰途、数人の友人たちと京都・哲学の道を歩いた。帰宅後しばらくしてパソコンに向かったらこんな記事になってしまった。


死にたまうことなかれーまことの心

2008-05-25 22:01:22 | 日記・エッセイ・コラム

 

 1878年(明治11年)、大阪・堺で生まれた与謝野晶子が1904年、日露戦争に動員された弟を想って詠んだ君死にたまうことなかれ」は余りにも有名である。この”反戦”の心情が、その後の時勢のなかでどんなに変容したのか、それを詮索するつもりはない。明治、大正、昭和の時代を生きた晶子の軌跡を辿り、論じた諸文献、出版物もおびただしい数に上る。その一つに「与謝野晶子評論集」(岩波文庫)がある。1911年(明44)から1921年(大正10)までの評論・随筆集から厳選したものだとのこと。彼女は自らを無産階級だと言い、米騒動をとりあげて時の政府を批判し、階級闘争、婦人解放を論じ、教育の民主化などにも言及している。読むほどにこの人は確かにその時代の先駆だと思った。

 

 そのいくつかを私なりに現代用語で触れてみたい。晶子を国賊呼ばわりした大町桂月への反論が快い。「まことの心をうたわぬ歌は何の値打ちもない。無事で帰れ、気をつけよというのは”君死にたまうことなかれ”ということ。親兄弟たちのまことの心だ」である。「食糧暴動の原因は物価の暴騰、成金階級の横暴、それを助長した寺内軍閥内閣は天下の器ではない」「階級闘争は特権階級の利己的欲望の発露である資本主義制度から発生する」「普通選挙といえば当然、婦人の参政権が含まれているものと考えたい」「離婚は罪悪ではない。双方の気分が食い違って面白くない場合は合議の上で離婚するのが正当。夫唱婦和は女を対等に見ない未開野蛮の思想だ」。あの時代によく言えたものである。

 

 もう一つ感服したことがある。「私たちの学校の教育目的は、画一的に他から強要されることなしに、個人の創造能力を本人の長所と希望とに従って、個別的に、みずから自由に発揮させるところにある」という学校教育論である。女性の自立を強く主張し、大正デモクラシーを謳歌した晶子でこそ言えたのではなかろうか。太平洋戦争開始の翌年、1942年(昭和17年)に没するが、終生、彼女の政治論に矛盾や限界がなかったとはいえない。時代の制約もあり当然だろう。”社会主義ぎらい”も影響したかも知れない。しかし、そのときどきに発したメッセージは今も生きている。その個性は燦然と輝いている。   今日の昼、孫娘が通う学童保育所の運動会に出向いた。明日を担う子どもと親たちの元気な姿を見た。若々しい生命力・エネルギーを発散している。


天と地の激動に備えよ

2008-05-23 16:05:50 | 日記・エッセイ・コラム

 

 予想はされていたが被害が広がっている。先日(15日)のこのブログでは、サイクロンに襲われたミャンマーの死者、行方不明者6万人と記したが、今日では死者6~10万人、不明者22万人とされている(国連推計)。中国・四川大地震では死者1万4866人が5万1151人に、行方不明も増えて2万9328人、合わせて8万人を超える。負傷者は約29万人、家を失った避難者は500万人に上る(中国政府発表)。いま中国が緊急に求めているのは、感染症対策のための医療活動や、捜索救援活動とともに被災地へのテント、仮設住宅を設置することだとのこと。「国際社会」の出番である。日本の医療チームは現地入りした。私は一介の市民、何ができるだろうか。やっぱりカンパだろう。

 

 8万人というと私の住む旭区の人口にほぼ近い。500万人は大阪市の人口の2倍に近い。未曾有の被害、驚異の数字である。大阪がこの規模の地震に直撃されたら「大阪壊滅」ということになる。中国では「おから建築」と称する手抜き工事が仇となり学校が倒壊したそうだが、大阪、日本は大丈夫だといえるだろうか。耐震性の点検、対策、補強に手を尽くして欲しい。これこそ緊急不可欠の公共事業ではないか、人工島の造成や空港の拡張、道路建設よりもこの方を優先させるべきだ、誰しもそう思っているのではなかろうか。被災地に出動した中国人民解放軍の姿をテレビで見たが、戦車も大砲もなかった。当たり前だ。武器は役に立たぬどころか邪魔物でしかない。日本も軍隊は要らない。

 

 いま大阪府政が熱気を帯びてきている。「財政再建」のために福祉、医療、教育の施策を切り下げ、文化、スポーツ施設も売り飛ばすという知事側の「試案」をめぐってである。また知事は「支出予算は収入の範囲内で」を繰り返す。スペースの関係で府財政悪化の原因や「試案」の内容には触れないが、一つだけ疑問を呈したい。知事の側には、いつくるかも知れぬ災害のことなど視野にあるのだろうかということである。いま大阪に大地震が起こったらどう対処するのか、台風はもう4号も発生している。いよいよシーズンに入る。一撃されても予算がないからと無策でおられるだろうか。まさかそれはないだろう。問いたいのは、人の命は福祉、医療、環境で保障される、財政はそのためのもの。この哲学の有無である。


中国大地震に想う

2008-05-15 22:11:37 | 日記・エッセイ・コラム

 

 そろそろ何か感じたことでも書き込もうかと思案していたときである。死者、行方不明者6万人を出したミャンマーのサイクロン災害に続いて、5月12日、中国四川省の大地震という衝撃のニュースに遭遇した。これで私のあれこれの思案は吹っ飛んでしまった。中国政府が14日午後2時までにまとめた死者数は1万4866人、うち1万4463人が四川省。同省が14日時点で把握した生き埋め、行方不明者は合わせて2万7千人を超え、捜索が進むにつれて新たな被害が広がる可能性が高いとのこと。損壊家屋415万戸、倒壊家屋は21万6千戸に上る。四川省以外の死者数も400人以上だと報じられている。水道などライフラインの壊滅、土砂崩れ、道路、橋の崩壊、凄まじい自然の猛威、災害だ。

 

 テレビ、新聞で無残な場面を見る。肉親を失い、安否を気遣う人々の慟哭と悲鳴を聞く。写された瓦礫の山を見ると生存者のうめきが聞こえるようだ。生き埋めになった人の救出活動を固唾をのんで見つめる。胸が痛くなる。おそらく世界中の人がそうだろう。何はさておいても救命、救出、そして復旧を。可能なかぎりの物的、財政的、人的支援が求められている。こんなときに、手抜きの建築工事とか権力の介在とか中国の「国内事情」を取り上げた報道を耳にする。これは中国の人たちも承知のことだろう。この人たち自らが究明し解決することではないか。えらそうに云えない、日本でも世を騒がす耐震偽装工事があったではないか。わが身をふりかえれ。そんな気分になったのは私だけだろうか。

 

 偶然のタイミングだろうか。政府の中央防災会議専門調査会がこの14日、中部圏や近畿圏の内陸直下で大地震が起きた場合の被害想定をまとめたという報道があった。大阪市中心部を走る「上町断層帯」を震源とするマグニチュード7・6の地震が冬の正午に起きたときは、97万棟が倒壊・焼失し、鉄道、高速道路も大被害が予想され、大阪府内の67%が断水、82%でガス供給が停止、オフィスビルでは約1万人がエレベーター内に閉じ込められる。避難者は7府県で550万人、15万人が生き埋めに。経済損失は最大74兆円だとされる。国の年間予算(一般会計)に匹敵する。この大地震いつ起こるか。大阪も日本も危ない。この対策が急務。軍事よりも、ムダな湾岸、山間部の開発、不要な道路建設よりも防災ではないか。


北京五輪で一言

2008-05-08 23:11:34 | 日記・エッセイ・コラム

 

 5月、某週刊誌のワイド記事に、ある女性ジャーナリストの「チベット問題をお忘れですか」という発言があった。「長野での聖火リレーでは何人かのランナーが笑顔で沿道に手を振りながら走っていました。この状況でなぜ笑顔で走れるのか、私には理解できません」と二人のランナーが槍玉にあげられている。これはちょっと厳しいのではないか。そんな印象をうけた。さらに「聖火リレーはすでに極めて政治的な意味合いの強いイベントになってしまっている。何も知らずに参加しただけでも、中国側の政治宣伝に加担したことになる」と述べている。たしかにこんな見方があり、同意する人もいるだろうが、すべての人がそうだとはとても思えない。やはり言い過ぎのように感じた。

 

 私も報道の範囲ではあるが、チベット問題は知っている。忘れることはない。だが、もし仮に大阪の私の周辺でこんなイベントがあったとしたら、私は沿道に出てランナーに声援をおくっていただろう。「スポーツを通じて友情、連帯、フェアプレーの精神を培い、相互に理解しあうことにより、世界の人々が手をつなぎ、世界平和を目指す」という素直なオリンピック観からである。この立場は多くの人たちの共通感だと思う。ランナーであろうと沿道の観衆であろうと違いはないだろう。外国の政治宣伝に加担したなどと云われる筋合いはない。付言すれば、日本は米軍基地あるが故にさまざまの人権侵害をうけている。だが米国のオリンピック参加に何の異議も挟まない。選手の活躍には拍手を送る。

 

 どの国であろうと自由と人権は保障されねばならない。暴力による抑圧など許されるものではない。同時に国と国は敵対関係ではなく、あくまでも友好・平和でなければならない。女性ジャーナリストは、1936年のベルリン五輪、80年のモスクワ五輪を例に「過去に五輪が開催された独裁国家は不思議と崩壊に向かった・・中国の行方がこの二つの事例に重なって見える」と書いている。見るのも言うのも自由である。信ずることを堂々と披瀝する勇気も是とする。この発言も他国にたいする危惧や懸念の表明なのだろう。対外関係を敵視型、対決型でなく平和・友好を望んでのことだと思いたい。私は北京オリンピックがその理念にそって成功し、この国が崩壊どころか、自主的・民主的に発展し、世界平和に大きく貢献することを願う日本国民の一人である。