20日から3日間、入院していた。どんな症状だったのか、よく覚えていないが、胸の圧迫感を覚えていたので、多分、狭心症のようなものだろうと、勝手に解釈していた。ごく一瞬の苦痛はあったが、その後は何もない。とにかく退屈の3日間になりそうだった。カテ―テル治療のあとは、日に三度の味気のない食事と寝るだけだった。この退屈病を助けてくれたのは、たまたま鞄に入れていた文庫本(上、下)であった。『嶽神』(長谷川 卓・講談社)という長編の時代伝記小説、少年の頃から好きだった”忍者物”である。戦国時代、徳川方に滅ぼされた武田家の遺児を守る「山の者」と忍者たちが、徳川軍相手に死闘を演ずる物語だ。武田家が隠した埋蔵金をめぐる争いがからむ。どうして味噌、塩類を手に入れ、生きて行くか、この時代の生き様も描かれる。それが、この作品のリアリティを感じさせていた。
久しぶりに面白い小説に出会った思いがした。私は何年か前から月刊誌・「民主文学」を購読している一人だが、私の見落としだろうか、面白い歴史・時代小説にお目にかかったことがない。願わくば、この種の作品が登場しないだろうか、そんな気分になることがある。私は、「民主文学」が醸し出す、現代のリアリズムに徹した作品に敬意を持つ一人だが、更にいえば、一介の老人の胸をもわくわくさせる、波乱万丈のロマンチックな創作、歴史・時代物が現れないだろうか。そんなことを期待するのは無理ということになるのだろうか。何も書けない、読むだけの年寄りの、儚い望みなのだろうか。
さて、 退院の際、職員から告げられた病名は狭心症だった。貰った退院証明書にある傷病名には「不安定狭心症」と書かれていた。この「不安定」で「退屈」の3日間を埋めてくれたのは、一冊の文庫本「嶽人」だった。この本が退屈しのぎの作品などという失敬な気は毛頭ない。読書なるものは、病院暮らしの人間にも活力をもたらすものなのだ。私と同じ病室にいた人物は、私より若い患者だったが、何か読んでいる姿は全く見えなかった。文句たらたらの独り言、何が気に入らないのか、看護師を呼びつけては叱りつけていた。わがままな、部屋中をうるさくする年寄りだった。顔を合わしたとき、その男をにらみつけた。無反応だった。何でもいい、「読む人」だったらと思った。退院時、長男、長女たちが迎えにきてくれた。私は幸せな年寄りだ。