明日につなぎたい

老いのときめき

入院、「忍者物」が面白かった

2020-08-25 13:30:18 | 日記

 20日から3日間、入院していた。どんな症状だったのか、よく覚えていないが、胸の圧迫感を覚えていたので、多分、狭心症のようなものだろうと、勝手に解釈していた。ごく一瞬の苦痛はあったが、その後は何もない。とにかく退屈の3日間になりそうだった。カテ―テル治療のあとは、日に三度の味気のない食事と寝るだけだった。この退屈病を助けてくれたのは、たまたま鞄に入れていた文庫本(上、下)であった。『嶽神』(長谷川 卓・講談社)という長編の時代伝記小説、少年の頃から好きだった”忍者物”である。戦国時代、徳川方に滅ぼされた武田家の遺児を守る「山の者」と忍者たちが、徳川軍相手に死闘を演ずる物語だ。武田家が隠した埋蔵金をめぐる争いがからむ。どうして味噌、塩類を手に入れ、生きて行くか、この時代の生き様も描かれる。それが、この作品のリアリティを感じさせていた。

 

 久しぶりに面白い小説に出会った思いがした。私は何年か前から月刊誌・「民主文学」を購読している一人だが、私の見落としだろうか、面白い歴史・時代小説にお目にかかったことがない。願わくば、この種の作品が登場しないだろうか、そんな気分になることがある。私は、「民主文学」が醸し出す、現代のリアリズムに徹した作品に敬意を持つ一人だが、更にいえば、一介の老人の胸をもわくわくさせる、波乱万丈のロマンチックな創作、歴史・時代物が現れないだろうか。そんなことを期待するのは無理ということになるのだろうか。何も書けない、読むだけの年寄りの、儚い望みなのだろうか。

 

 さて、 退院の際、職員から告げられた病名は狭心症だった。貰った退院証明書にある傷病名には「不安定狭心症」と書かれていた。この「不安定」で「退屈」の3日間を埋めてくれたのは、一冊の文庫本「嶽人」だった。この本が退屈しのぎの作品などという失敬な気は毛頭ない。読書なるものは、病院暮らしの人間にも活力をもたらすものなのだ。私と同じ病室にいた人物は、私より若い患者だったが、何か読んでいる姿は全く見えなかった。文句たらたらの独り言、何が気に入らないのか、看護師を呼びつけては叱りつけていた。わがままな、部屋中をうるさくする年寄りだった。顔を合わしたとき、その男をにらみつけた。無反応だった。何でもいい、「読む人」だったらと思った。退院時、長男、長女たちが迎えにきてくれた。私は幸せな年寄りだ。


一つのパソコン、スマホがあれば

2020-08-08 15:48:22 | 日記

 1945年8月は、15年間(1931年~1945年)も続いたアジア・太平洋戦争が終った月である。今から75年前の8月15日に、日本は交戦国であった米英ソ中など連合国に無条件降伏。8月は終戦(敗戦)の月なのである。もっと踏み込んで言えば、日本が反戦・平和への道に踏み出す転機に立ったときだったのである。当時、私は18歳、大阪市郊外の親戚の家で、この報に接した。何故か、悔しくも悲しくもなく、涙も出なかった。終戦を喜んだわけでもない。反戦とか平和とかの意識もゼロだった。いま思えば、呆然とこの日を迎えただけの、空きっ腹を抱えた、ぼんやりした少年でしかなかった。こんな私を目覚めさせたのは、戦犯の追及、政治犯の釈放という超大ニュ―スであり、先輩や文献から社会主義を学ぶ機会を得たからであった。真理は人を変える。

 

 そのごの私の人生は、社会主義の未来に向かう道であった。私の性癖は他人に真似たり、お世辞が嫌いだった。それも幸いしたのだろう、社会主義を標榜しながら、ジグザグする旧ソ連や中国などの横暴に屈しない自主独立が好きだった。1950年代は朝鮮戦争勃発、米国と吉田内閣の手による民主運動、共産党への弾圧、レッドパ―ジなど、言い尽くせぬほどの苦難に直面したが屈しなかった。1960年代の日米安保条約反対の闘いは史上空前の高揚であった。私もその中の一人、もう数少ない生き残りかもしれない。70年代、全国に政治革新の流れが広がる。大阪にも革新府政が誕生した。私のは母など「アカに染まった息子」の私に怒っていたが、このときは私を自慢の息子にして隣近所に言い廻っていたそうだ。

 

 母が好きだった美空ひばりの歌を思い出した。「・・一本の鉛筆があれば 戦争は嫌だと私は書く・・・一枚のザラ紙があれば  あなたを返してと 私は書く・・・一本の鉛筆があれば八月六日の朝と書く・・・人間のいのちと 私は書く」(昭49・8・9 第1回広島平和音楽祭、昭63第15回広島平和音楽祭)。歌謡曲の女王、国民的歌手と言われた美空ひばりが、一本の鉛筆で、一枚のザラ紙で、平和を歌いあげている。私は改めて感動した。そして広く訴えたいとの衝動にかられた。パソコンを、スマホをお持ちの皆さん、思う存分に使ってください。平和への想いを、高らかに歌い上げてください・・・。何もなくても声をあげてください。

 


大阪を汚したセクハラ知事

2020-08-04 19:31:14 | 日記

 もう齢だから、という程度の記事である。1995年の大阪府知事選挙に、横山ノックという漫才師(前参院議員)が名乗りをあげた。私の友人が、ある集会の挨拶で「ノックは花月に戻れ」と言った。早速、ある筋から「それはよくない。撤回しろ」との沙汰があった。誰だって所定の年齢がくれば被選挙権がある。芸能人を差別したり蔑視するかのように受け取られかねないと。結果は「オ―ル与党ノー」を叫んだ横山ノックの大勝だった。なにしろテレビで出まくっている、子どもでも知っている超有名人だ。”浮動票”を独占してしまった。

 

 この何年か前の参院選地方区では、漫才師の西川きよしが100万票を超すダントツの当選。「大阪はおもろいとこでんなあ」と、冷やかされたのか、皮肉られたのか、私どもの心境は複雑だった。横山知事が何をしたのかは、色々わけありで後述するが、きよし師匠が国会で何を取り上げ、発言したかは、聞いたことがない。2期目には出ず、芸能界に戻っている。私は、それで結構だと思っている。個人がテレビで名も顔も売りまくって選挙に出る。野暮はいわないが、選挙は公平でなければなららないものだ。

 

 政界、芸能界を汚したのは横山ノック元大阪府知事である。2期目の選挙のとき、選挙カ―の中で、大学生の女性乗務員に対して”権力者”をみせびらかし、しつこくセクハラ行為に及ぶ。相当えげつなかったようだ。女性は反撃で法廷闘争に。ノックは、たとえ許されなくても、土下座して反省し、謝罪する人間らしい誠意を尽くすべきであったのに、逆の対応だった。名誉棄損とやらで反訴するが、当然敗訴になる。ノックはわいせつ行為を認め、判決は執行猶予つきだが有罪。知事辞職となる。哀れで醜い姿を天下にさらしたものだ。花月におれば彼の運命は別だっただろうに。

 

 

 

 


「維新」はスカタン?

2020-08-02 15:07:28 | 日記

 大阪維新の会の号外『維新プレス』(都構想特別版』というビラが配られてきた。何を言っているのか。「二重行政(府と市の)を解消し・・・大阪市を4つの特別区に再編・・・住民サ―ビスを実現する制度にする」という。要するに、大阪市を廃止するわけである。特別区は公選の区長、区議会を設け、新庁舎をつくる、金のかかる話である。間に合わなければ、中の島の本庁を各区共同で使うそうである。何で大阪市を無くするのか。わけが分からん、多くの市民が首をかしげている。この構想は、すでに2015年の住民投票で否決されているのに。

 

 『維新プレス』は「府と市の二重行政が大阪市の財政破綻を招いた」「府、市が多額の税金を注ぎこんで、類似の施設やサ―ビスを提供し、多くの事業が破たんへと追い込まれた」と言っている。その最大のものは60年代終わり頃から、市が府とともに進めた大阪湾岸開発だった。それを象徴する例は、財界が求めた、舞洲、夢洲、咲洲など人口島の造成である。府・市は共犯である。与党がそれを支えた。維新の会の前身、先輩の自民党などが推進したことだ。財政破綻・失敗を云々するのなら、府、市一体で推進した開発政策、与党責任を問うべきではないか。

 

 『維新プレス』は「これらの過去の失敗を繰り返さないために、仕組みを変えるのが大阪都構想です」という。過去の失敗とは何なのか。無謀な湾岸開発ではなかったか。これを府と市が二重でやったのではないか。維新の会には、それを批判する姿勢は見られない。二重行政が大阪の成長戦略を30年間停滞させたというのは、全くの言いがかり、的外れである。大阪では的外れのことをスカタンという。今、コロナ禍が渦巻いている。この対策こそ、緊急の最優先課題である。『維新プレス』にはコの字もない。大阪市を廃止する都構想、そのための住民投票など、それはスカタンそのものの愚論ではないか。