明日につなぎたい

老いのときめき

「風強くとも」から

2021-03-10 17:37:32 | 日記

  石炭、石油など、化石燃料の大量使用で、膨大な二酸化炭素が排出され、地球環境が危機に面しているという「人新世の " 資本論"」(斎藤耕平ー集英社新書)を読み始めていたら、この書とは全く無関係の「風強くとも ー安保廃棄の旗を掲げて―」(竹馬 稔 遺歌句集)が送られてきた。彼(故人)とは長く付き合ってきた間柄だ。申し訳ないが「人新世」を一端中止して「風強くとも」の頁を開いた。周知のように、60年安保は共産党、社会党、総評など幅広い共闘の力で闘われた。これに恐れをなした当時の自民党・岸内閣は、国会内に大量の警官隊を引き入れ、その   "力"を背景に単独で強行採決、60年安保は、こんな異常事態下で成立したものである。やがて社会党、総評は安保共闘から離脱していく。大阪は、その先がけだった。「反共は戦争前夜の声」(蜷川元京都府知事)なのに。この書では「安保屋」の異名をもつ竹馬君の人柄や業績がよくわかる。「この道を歩み続けて四十年壁があろうとこの道を往く」。竹馬君の詠んだ一句である。

 

 60年以来、安保闘争の火は消えたのだろうか。否。「60年安保闘争」の壮大な歴史と伝統を受け継ぐ「安保破棄大阪実行委員会」が登場した。竹馬君はそこの専従者だった。60年安保後、池田内閣の「所得倍増計画」など高度成長政策が喧伝される。「安保条約」の固定期限は10年、これと闘わず無為に過ごせば、自動延長となる。70年を前にして安保反対の闘いが始まった。68、69、70年と安保闘争が続く。公害反対など住民運動が広がる。革新民主勢力は勢いづく。共産党、社会党の共闘が成立、黒田革新府政が誕生する(1971年)。75年の知事選では社会党が公明党などと通じ革新府政倒しにまわったが、黒田知事再選をかちとる。政党は共産党だけ、社会党、総評がどうであれ、多くの府民の選択は革新府政の継続だった。黒田事務所に出向してきた竹馬君たちの姿を覚えている。

 

 革新府政の業績の一つは、発生源からの総量規制だった。この立場を地球的規模にまで広げたのが、私の思い過ぎだろうか、先述の「人新生の " 資本論"」ではないかと思った。「いったい あとどれくらい経済成長すれば、人々は豊かになるのだろうか・・・格差は拡大し続けているではないか。そして、経済成長はいつまで自然を犠牲にし続けるのだろうか」。この問いかけに、あれこれ言及するスペースはない。だが「若い世代は、新自由主義が規制緩和や民営化を推し進めてきた結果、格差や環境破壊が一層深刻化していく様を体感しながら育った。このまま資本主義を続けても、なんの明るい展望はなく・・・」との説は注目に値する。時代を、世界を、見ろ、考えろ "と言われてのではないか。いや、今、生きるもの、言われなくても「風強くとも」そうすべきことなのだろう。

 

 

 

 


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人新世の「資本論」考 (岩下経興)
2021-05-01 16:42:31
菅生さんのブログで、「人新世の『資本論』」について触れられていましたので、一筆書いてみました。      岩下経興

① 著者は、新メガ編集にも加わっており、マルクス、エンゲルスの著書を「ノート」類も含めて、圧倒的部分を読み込んでいる少ない気鋭の学者・研究者とみえます。
     また、世界各国の社会矛盾やそれを打開するための研究・実践を情報収集、学究としてもよくこなし、自分のものとして紹介し、国際的評価も受けています。
     さらに、気候変動の問題を地球世代を隔絶する大問題ととらえ、それに対する深い考察を行っています。トマピケッティの方向転進も学べました。
     以上の点から、今後の社会運動の上で、よく吟味もして、連帯・連携していく流れであると考えます。市民連合などへの参加や連携ができれば、今日の政党運動、野党連合とも連携できる存在になっていく可能性があると考えます。
著者の学識の深さは、前述の通りですので、全面的評価は、研究者でない私にできる内容ではありません。そこで、政党活動に参加する一人として、取り違えを恐れず、自分の認識到達のもとで、何がどう違うのか、評価してみました。

② 気候変動の地球規模での問題点を深くつかむという点では、私たちの問題意識と共通しています。さらに、それの脱却をめざす、政治的主張、研究、実践を多く紹介し、その限界性を詳細に論じ、そこに、現今資本主義では、脱却できない限界を示しています。ここにも大いに共感でき、学ぶ点があります。
     ただし、従来のマルクス主義では、この危機を打開できないとの主張には、賛成
できません。著者は、その根拠を、現存含む従来のマルクス主義の生産力至上
主義とヨーロッパ中心主義にあるとし、「資本論」刊行後の晩年のマルクスのエコ
経済、共同体重視の研究に学べと主張しています。

③ 生産力至上主義とヨーロッパ中心主義についての評価
(1) マルクスが賃金価格利潤や資本論で展開した、資本主義の生産力のあくなき発展は、それを是認、絶賛するものではなく、利潤第一主義に陥らざるを得ない、資本主義のシステムを解き明かしたもので、その解明により、資本主義の限界と変革への可能性をはじめて、「科学の目」でとらえることができるようになった、と考えるべきです。
     (2)マルクスの革命論に変化があったという理解は、著者と我々も共通していま
す。しかし、内容は、違いがあります。
我々の理解は、恐慌による資本主義の没落が革命を引き寄せる、という考  
      え方から、1865年前後から、恐慌の運動論の解明が進み、革命の主体の成 
長がその生産過程の中からつくられる、というとらえ方です。
  そういう意味で、資本主義の発達した状況からの社会変革の可能性の大
きさとその後の新しい社会の発展の可能性をヨーロッパにみた、と理解してい
ます。
(3)付則として、ゴータ綱領の規定や「必然性の国」「自由の国」の理解にも、ず
れが感じられます。ソ連型の理解からの脱却したとらえ方を、日本のマルクス主義が進めてきたことを、知らぬわけではないでしょうから、それへのコメントがあってしかるべきです。外国のマルクス主義者の論評は多くされていますから、著者の力量でいえば、情報も知り、コメントできることができるはずです。
 高い生産力を未来社会に活用できるポイントが、「労働時間の短縮」ということも弁証法的に理解できるはずです。
 農業問題や物質代謝論、ロシアを含む共同体の認識については、著者が新たに「発見」したものではなく、以前から考察されてきたことであり、「経済」5月号の関係論文でもそのポイントが考察紹介がされています。一緒に発展させていきたい角度です。

④ 著者は、気候変動や今日の資本主義の行き詰まりを打開する方向として、晩年のマルクスの「転換」方向(エコ経済、共同体)へシフトしていくことが必要としています。
     実践方向としては、生産手段の社会化・市民有化、地産地消型の脱成長生
産システム、にあるとして、デトロイトやバルセロナの実践を紹介しています。また、そ
うした実践に進むためには、99%の利益を代表する3.5%の人が口火を切って実践
すれば可能だと主張しています。
  しかし、それは脱成長コミュニズム、というものではなく、生産手段の社会化と生
産者が主役、への社会の切り替えで、可能だという、我々の主張の方が説得力が
あります。この理論の実践の過程の中で、成長の適切な調整や社会化の様々な形態の中に、地産地消や協同組合による生産管理と消費推進なども積極的に検討できるといえます。一つ一つの都市から実践を進めて広げる、という主張も否定はしません(70年代革新自治体の広がりが民主連合政府の展望を広げた経験もあります)が、やはり政党としては、国全体の変革の道筋を示すべきと考えます。
 一方で、市民社会の運動に関心を払い、既存の運動や政党活動が連携・協同をすべきことは、この間の野党共闘の流れの中で模索されていることであり、一層発展強化すべき課題です。

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