明日につなぎたい

老いのときめき

8月の終わりに―人生の潤い(うるおい)

2017-08-30 16:56:12 | 日記

 「ときに感傷に浸るのは人生の潤いである」。2005年秋に亡くなった、ミュ―ジカル女優・本田美奈子さんについて書き込んだブログ「アメイジング・グレイス」(2005・11・19)の終わりにあった一節である。「潤いの人生」、大事なテ―マだ。最近の私はこの思いを強くしている。90歳を越えた年寄りだからだろうか。そうでもあるまい。感傷とは、広辞苑によれば「感じて心をいためること、感じてかなしむこと」とある。自分のブログから関係記事を拾ってみた。

 女優さんのグル―プが演じた朗読劇「この子たちの夏」(2005・7・23)はその一つだ。記事のタイトルも同じ。「この子を人間の形に戻してください!」。原爆にわが子を奪われた母親が、愛と憎しみと怒りを爆発させた絶叫である。迫真の朗読でそれが伝わってきた。フィナーレはスクリ―ンに写る「生きぬこう、生きぬこう」と叫ぶ子供たちの姿だった。私は、感傷にかられ、心も体も震わせてこの記事を書いた。

 「さまよえる人生」(2013・1・14)は、太宰 治の生きざまにたいする私なりの寸評である。戦前、左翼運動にかかわり挫折、怠惰な生活に落ち込み、虚無感にとらわれる。大正、昭和の歴史を社会科学の目で見ることはなかった。これが挫折のもとではなかったか。だが、「斜陽」「人間失格」など数々の作品を出し、多くの読者を得た。優れた作家だった。1948年、愛人と心中。私は「迷いも彷徨いもない人生などありえない。人生とは死ぬまで考え続けることだと書いた。

 「鮮やかに生きぬく」(2012・10・16)も感傷的な記事である。著名な歌手・谷村新司の歌う「昴」(すばる)から引用させてもらった。亡くなった何人かの友人の生きざまを偲んでいたときであり、この詩が人生訓のように思えたのである。「されどわが胸は夢を熱く追い続けるなり」「せめて鮮やかにその身を終われよ」。ウソの多い政治家たちに投げつけたい詞でもあった。不肖の私も、鮮やかに、潤いを忘れずに、残りの人生をと望んている。

 

 


大震災・流言とテロと

2017-08-28 18:01:25 | 日記

 1923年(大正12年)9月1日の正午前、関東大震災が発生。私の生まれる3年前だった。マグニチュ―ド7・9、震源は相模湾海底。激震地は東京、神奈川、千葉、埼玉、静岡、山梨、茨城の1府6県。大揺れに驚いた人たちは、台所の火を消す余裕もなく、たちまち火災が広がる。生命、財産、すべて物凄い被害だったと伝え聞く。人々の精神状態も異常をきたした。奇怪な流言が飛び交い、震災地のみならず、全国に伝えられる。「社会主義者が朝鮮人と一緒になって放火している」。それが新聞記事になり、人々がそれを信じる。今も思う。流言は怖い。

 

 支配者は、自然災害時にも、無慈悲に権力を行使する。軍隊、警察、流言を信じた自警団(市民)の手によって、約6000人もの朝鮮人が虐殺されたという。大杉 栄・伊藤野枝夫妻は、7歳の甥っ子ともども、甘粕憲兵大尉によって絞殺され、古井戸に投げ込まれた(9月16日)。亀戸警察管内で、南葛飾労働組合の平沢計七ら13名が殺害された。私がこのような惨劇を知ったのは、1945年8月の敗戦で、真実を知る機会を得たときである。私は、戦中、戦後、親しかった朝鮮人の友達のことを思い浮かべながら、関係の資料や文献を眼を向けた。

 

 時代は変わる。近年の阪神・淡路、東日本大震災では、さすがに社会運動弾圧はない。被災地の復興、支援にとりくむ連帯が心強い。東京では1973年、朝鮮人犠牲者を追悼する碑が設置され、毎年9月1日に朝鮮人犠牲者追悼式典、都知事の「追悼の辞」が読みあげられてきた。ところが、小池都知事は今年の式典には、それを取りやめると言い出した。賢く見えても犠牲者の痛ましさが分からぬのだろうか。「何の責めもないのに、人手にかかり虐殺された被害者の心に寄り添う姿勢に欠けている」との声が上がっている。かつて日本が朝鮮に何をしたのか、その歴史を知れと言いたい。


ウソつくなよ 真夏の昼のひとこと

2017-08-25 12:41:15 | 日記

 「思い切って本当の事言って」。今日の朝刊(毎日)の投書欄に出ていた主婦の声である。加計学園・森友学園、自衛隊の日報問題などで「誰が聞いてもうそとしか思えない答弁・・国民はうそが嫌いなのです・・・誰かが本当のことを言って早く幕引きしてほしいです」。国民の総意を代弁しているかに思えた。

安倍政権下の財務当局は、時価9億円余の国有地を、森友学園に1億円余で大安売りした。背任罪に問われている。背任とは任務に背くことだから、これ自体ガウソだということになる。何で8億円も安くしたのか。「地下9・9メ―トルまでゴミがあるから」。自然の堆積層をゴミだとウソをついている。籠池前学園理事長を詐欺罪で引っ張っても、この大ウソを晴らさねば幕引きにはならない。

 国有地値引きの当事者だった財務省理財局長は「適正な価格で売却した」「記録は破棄した」「面会記録はない」とシラを切り、今は国税庁長官に”栄転”している。疑惑隠しのお手柄からか。安倍首相夫人・昭代氏と森友・籠池氏との間の使者役だった経産省の女性職員は、イタリヤの日本大使館に書記官として封じられた。数々のウソから生まれた”怪人事”というべきか。

 

 安倍首相と加計学園理事長は、頻繁に会食、ゴルフを重ねる腹心の友である。だが、首相は「獣医学部設置の話題はゼロ、一切、関与せずという。そこにウソはないのか。前川喜平前文科省事務次官は、国会の場で「文科省が内閣府から、総理のご意向、官邸の最高レベルから早期開学を促された内部文書が存在していた」と証言した。ウソではない、本当の事である。

 菅官房長官は、これを怪文書だときめつけた。私もテレビで見ていた。傲慢で冷酷だった。これでは、とても「森友」「加計」の幕引きは望めないだろう。前記の投書は「自らの保身のため、党のためとはいえ、顔を出してうそを述べるのですから、きっと家族も一緒に辛い思いをしているはず」と優しい。権力者には、この人間の心がわからないのだろうか。哀れだ。いっぺん、野に下ったらどうだろう。

 

 


酷暑に負けず

2017-08-23 08:38:36 | 日記

 先日の昼前、夫妻で入院中の知人を見舞った。病院への道も暑かった。当人は眠っていた。熟睡か昏睡か、耳元で声をかけ、腕に触れてみた。だが、目をあけない。素人目にも重症のように思えた。揺り起こすわけにもいかず、そのまま引き揚げる。当然、面会にきたことも気がつかなかっただろう。この人、私より一回り以上若い。だいぶん前から、酒もタバコもきっぱりやめて健康に心がけていたことを知っている。それでも病魔は容赦してくれないようだ。生きる気力を持ち、元気を取り戻してくれと期待するしかない。

 

 我が身の方はどうか。連日、朝、昼、晩、ク―ラ―の利いた部屋に閉じこもっている。不自然な暮らしだ。新聞や本を見始めると直ぐ眠くなる。夏に負けて、だらけているのである。数日前には下痢に見舞われた。腹は痛くないが、一夜に何回トイレにいっただろうか。これがしんどかった。何が原因か、心当たりはない。今は治まっている。やっぱり夏負けということか。しかし、90歳を越えた年寄りだ。よう耐えている、頑張っている、自分を褒めてやりたい気もある。拙くとも、このブログが活力源になっているのかもしれない。

 

 さすがに、お盆も過ぎると、微かに秋を感じるようになる。朝、目を覚ますと、表の扉と裏の窓を開ける。風が気持ちよく吹き抜ける。また、海か山か、初秋のドライブを、孫に無心しようかとの思いが募る。身勝手なようだが、私にとっては、これが何よりの暑気払いになるのだ。脳に溜まっているように思える夾雑物を吹き飛ばすチャンスにもなるのだ。近頃、沈滞気味の妻・ばあちゃんを元気づける最良の方策だとも思っている。折角の休日も年寄りのお守りか。孫には気の毒にも思うが甘えてみよう。

 

 


母と違う道

2017-08-21 12:46:23 | 日記

 「夜また夜の深い夜」(桐野夏生・幻冬舎文庫)。題名からしてやるせない小説を、頑張って読んでいる最中である。主人公は舞子という18歳の少女。ナポリのスラム街で、何を仕事にしているか知れない母と住んでいる。監視が厳しい。父親は誰かも分からない。日本人なのだが国籍がなく、パスポ―トなど取りようがない。私は、物語の経緯を飛び越えて結末に入る不埒な読者であることを自認して言う。終章で出自の秘密もあかされるが、親の犯した罪に喘ぐ子どもたちを描いているようだ。舞子は思うところあって日本に帰らず、母、その愛人と暮らすことを決意する。

 

 この「読中の余韻」が残っているとき、犯罪者の子どもの実話が目に入った。21日朝の毎日新聞・特集「ジャ―ナリスト重信メイさん 母とは違う方法で」という記事である。母の重信房子は元赤軍派の中央委員、国際テロリストであった。父はパレスチナ人の兵士。母はハ―グ事件(オランダのハ―グで起こしたフランス大使館占領事件)で、共謀共同正犯として懲役20年の判決、八王子医療刑務所で服役中。メイさんはその娘である。イスラエルと日本政府から追われる母とともに、難民キャンプなどを生命の危険を感じながら転々。悲壮な日常だったと察する。

 

 メイさんは重信房子の娘であることを秘密にせざるをえなかった。日本国籍もなかった。ようやく、母が逮捕された2001年、重信房子の長女として日本国籍を取得できた。28歳になっていた。選んだ道はジャ―ナリスト。「今でもパレスチナ人は差別され、殺され、祖国に帰る道は閉ざされたままです。私はジャ―ナリストとして、母とは違ったやり方で問題解決の方法を探していこうと思います」。エミさんは「夜また夜の闇」を思わせる、暗い中東に、そして世界に、明るい光を投げかける人だ。日本のジャ―ナリストだ。”中東通”だ。活躍を大いに期待しよう。