24日午後、西村宮内庁長官が定例記者会見で「天皇は・・現下の新型コロナウィルス感染症の感染状況を大変に心配されておられます」「ご自身が総裁をお努めになるオリンピック・パラリンピックで感染が拡大するような事態にならないよう、万全を期していただきたい」と述べたとの報道を見た。これはよしとするが、先日の文学サークルのことを思い出してしまった。月刊誌「民主文学」(6月号」にある『引き継ぐべきもの』(作・三富健一郎)についての話題である。物語りの舞台はドイツ。論評を担当したSさんは「人間の罪業や戦争責任に対して、これからの時代において、どう引き継いでいくべきか、歴史的問題に迫った重い作品だ」と紹介した。
聞くうちに、私は第2次世界大戦に責任を負うべきは、ドイツだけでなく、日本もだと言った。出席者は若い。戦時体験者は私一人だけ、日本の戦争責任を問う義務感が沁みついた身である。私は敢えて言った。「もう風化されたのか、殆どの人が口にしないが、最高の責任者は昭和天皇だ。御前会議とやらで積極的に発言し、宣戦布告も、終戦宣言も天皇の名でやられている。私は生きている限り、これを言い続けるつもりだ」と。昭和のある時期、戦地の将兵は天皇のためにとか、皇国日本のためにとかの"大義"で『名誉の戦死』を遂げていった。ウソか、まことか「天皇陛下万歳」と叫んで。
帰宅して、本棚にある『昭和天皇』(ハーバート・ピックス)、『昭和天皇独白碌』(文春文庫)を取り出した。いずれも、昭和天皇が飾り物でも木偶の棒でもなかったことの"証言 "である。わが少年期を思い出した。どこの家庭にも天皇、皇后夫妻の額が掲げられていた。小学校では毎朝、バカバカしいが、東に向かって宮城遥拝、各校の奉安殿に最敬礼だった。戦後初の東京メーデーで「朕はたらふく食っている。汝臣民飢えて死ね」のプラカードが現れた。多くの人々が快哉を叫んだが、ときの政府部内ては不敬罪を云々したとか。天皇賛美は軍国主義と結びつく。この天皇・皇室を報じるマスコミは今でも敬語を使っている。日本のジャーナリズムも怪しい一面を持っている。