明日につなぎたい

老いのときめき

偽装社会

2007-06-30 21:24:48 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

 輸入牛を国産牛だと銘打って売られていたウソがばれた。牛肉のミンチ、コロッケなどに、豚肉などが使われていた。賞味期限がとっくに済んでいるのを隠して食品が売られていた。去年、大問題になったマンション、ホテルの耐震構造偽装事件や、「ここが危ない」と脅して、法外な「修理代」をせしめていた、悪質なリフォーム業者のことも思い出す。庶民の食、住の世界に、これほどウソやニセ物が横行するとなると、衣類はどうだろうかと疑いたくなる。もし何かあれば、衣食住「三位一体」が成り立つ。そんな皮肉も出そうだ。「衣食足りて礼節を知る」が通用しない世間だ。その主たる原因は、今日の政治がつくった「規制緩和万能」「弱肉強食」の「競争社会」にあるのではなかろうか。

 

 「上(かみ)清ければ下(しも)濁らず」という諺がある。この「上」を「安倍政治」にあてはめたらどうだろう。正反対だ。なんとウソ、偽りの多いことか。最近のいくつかの例をあげてみよう。定率減税の廃止で地方税は大増税なのに「納税額は変わらぬ」と大ウソ。安倍総理は昨年末から「宙に浮いた年金記録」のことを知っていながら、すぐに手をうたず、社会保険庁の解体・民営化にすりかえる。天下りをやめると言いながら、国家公務員法”改正”で再就職斡旋の「新人材バンク」(天下り自由化)をつくる。閣僚の事務所費・光熱費の不正疑惑をかばい続ける。世界に隠れなき不正・不義のイラク戦争支持に反省なく、自衛隊派兵2年延長を決める。ウソにまみれた濁った政治というしかにない。

 

 ただ、濁っているだけではない。歴史観が危なっかしいのである。安倍総理は「過去の戦争が正しかった」というグループの中心にあった。しかし、内外の注視を気にしたのだろう。就任直後、侵略戦争と植民地支配を反省した”村山首相談話”や「従軍慰安婦」問題を謝罪した”河野衆院議長談話”を継承すると表明した。だが、まもなくして、日本軍の「強制性の事実はなかった」とも言った。本音が出たのだろう。いずれにしても、歴史の偽造も、政治の偽装も許せない。その罪「万死に値する」。安倍総理は「戦後レジーム(体制)からの脱却」というスローガンを掲げた。戦後民主主義の否定だろうか。国民投票法成立を強行し、憲法改定を現実の政治日程にあげた。意のままにさせたら日本の前途は危ない。一ヶ月後の参院選がだいじだ。


「日本の青空」を観る

2007-06-26 11:48:18 | 日記・エッセイ・コラム

 

 24日午後、映画・「日本の青空」を観た。憲法誕生のドラマである。敗戦後まもない1945年10月末、学者、評論家、ジャーナリストたちが「憲法研究会」を発足させた。事務局を憲法学者・鈴木安蔵氏が受け持ち、「憲法草案要綱」を起草。これを内閣、GHQ(連合国軍総司令部)に提出、記者発表も。GHQのラウエル中佐(法規課長)らは「民主主義的で賛成だ」と評価する。占領軍の憲法草案は、この要項が大きく影響していた。民主主義に無知な松本国務大臣らによる政府案は、大日本帝国憲法(明治憲法)を踏襲した無反省なもの。GHQに厳しく退けられ、民主憲法が制定されるに至る。映画はこの真実が、雑誌社に勤める若い女性派遣社員とアルバイト青年によって明らかにされていく過程を描いている。

  

 研究会では「国の統治権は日本国民に」「天皇は、国民の委任で国家的儀礼を司る」「国民の言論・学術・芸術・宗教の自由を妨げることはできない」「国民は、健康にして文化的水準の生活を営む権利を有する」「男女は完全に平等に権利を享有する」などの条文案が熱っぽく議論される。「軍隊のこと書かなくても」「男女平等と戦争放棄は一体」という鈴木夫妻の会話のシーンが印象的。いまの憲法の骨格が組まれていくか思えた。帰宅後、ネットで資料を取り出して見た。鈴木氏は、起草にあたって、明治初期の自由民権の憲法草案を参考に、欧米各国の憲法も資料にしたとある。自らが体験した抑圧の時代、自由をめざして苦闘した歴史を憲法に刻もう。その強い意志を感じさせられた。

 

 あの「要項」があってこそ今日の憲法がある。「押しつけ憲法」ではない。映画はそれをリアルに劇的に語りかけた。私は感動し、爽快な気分に浸る。同時に「改憲」を呼号する安倍首相の顔が浮かんだ。「憲法前文は連合国軍への詫び証文」「憲法草案はGHQが10日間そこそこで書き上げたもの」などと言い、憲法への異常な侮蔑、敵意を示すこの政治家には、真実など眼中にないのだろう。映画では、憲法成立を目の当たりにした鈴木夫人が「8月15日は鮮やかな青空だった」と声を出す。1945年敗戦の日である。私も覚えている。本当に澄んだ青空だつた。自由・平和の日本へ。新たな歴史の始まりだったのである。若者たちがこの歴史を受け継いでいる。多くの人に観てほしい映画である。


思いこみ政治の危なさ

2007-06-18 18:34:47 | 日記・エッセイ・コラム

 

 私のブログ「千人塚」(6月11日付)を開いたと言う20歳そこそこの青年に感想を求めた。「年代や、空襲の回数、B29、P51とか分からんものの数字が一杯で、読む気にも・・」と。数字を使ったのは、あの空襲の規模、凄まじさを伝えたかったのだが、実体験のない、しかも、私と60も年齢差のある戦後世代に、それだけで通じるだろうか。勝手な思いこみはよくない。真実を伝える心構えと手法をもっと磨かねばと思った。ところで「思いこみ」といえば、戦後日本の見方にそれがあるようだ。日本の平和と安全は、アメリカに守られてきている、この風潮は広く根強い。だが、それを立証する証拠や実績はあるだろうか。なければ、危険な意図でつくられた「思いこみ」だといわざるをえない。

 

 大問題の一つは「在日米軍は日本防衛軍なのか」だろう。" 知恵蔵2007版"(朝日新聞社刊)でそれを探してみた。データ集だから、それぞれの執筆者も”客観性”には留意されているだろう。海兵隊、陸軍、海軍、空軍、4軍からなる在日米軍の解説がある。「海兵隊が日本防衛兵力でないことはカールーチー元国防長官が1982年に米議会で証言」、「有事の際、米本土から日本に派遣される米陸軍を指揮することになっていたが、廃止された」、「在日米軍司令部は単に基地・支援部隊であり、横須賀、長崎県佐世保などの基地を管理している」、「在日米空軍は日本の防空に直接責任を負っておらず、交代で中東等へ派遣されていた」。こんな文言が目についた。これを見る限り日本防衛軍とは言えまい。

 

 戦後の歴代政府は、この虚構を真実かのように思いこませ、在日米軍への至れり尽くせりの政治をすすめてきた。ベトナム戦争もイラク戦争もアメリカの侵略。日本防衛とは全く無関係。なぜ協力・加担したのか。政府は、この30年来、在日米軍駐留費(思いやり予算)を支出してきた。年間2千数百億円。自衛隊のイラク派兵・インド洋派遣費用は1668億円に達する。基地のグアム移転をはじめとする米軍再編費用の負担は3兆円だと聞く。この米軍との共同作戦のための防衛(軍事)予算もふくれあがる。こんなことやめれば、年金、保険の財源も確保できるだろうに。対米追従の「思いこみ政治」は恐ろしい。国民の生存権、戦後かちとった平和が脅かされる。それが憲法改悪の動向に現れている。許せない。


千人塚

2007-06-11 17:19:20 | 日記・エッセイ・コラム

 

 10日の午前、区内の婦人団体が催している「千人塚の碑前祭」に参加した。この30年余、毎年6月7日前後に取り組んでいる行事だという。6月7日とは、62年前、大阪市東部を狙った米軍の大空襲があった日のことである。米爆撃機B29が409機、 P51が 138機という大編隊だった。高射砲が据えられていた旭区の大阪工業大学(当時、摂南工専)と、淀川を跨ぐ赤川鉄橋が攻撃目標。だが実際は無差別爆撃、区内の3分の1,5千軒が焼かれたと聞く。避難場所とされていた大工大近くの城北公園周辺も埒外ではなかった。千数百名の遺体が運びこまれて荼毘にふされ、無縁仏として眠っている。その由来を記した石碑の上に、「千人つか」と刻まれた大きな石が座っている。淀川堤防上にある。

 

 きな臭さが匂う今日この頃だ。62年前の大阪大空襲を思い出すのも意味があろう。1945年3月13日深夜から14日未明にかけて、グアム、テニアン、サイパンから発進したB29爆撃機、計274機が来襲。低空から一般家屋に焼夷弾の雨を降らす。北区、西区、港区、浪速区で大火災、死者3987名、行方不明678名との記録がある。これが第一回大阪大空襲である。以後、6月1日、7日、15日、26日、7月10日(堺市)、24日、8月14日(京橋)と続く。8月14日は陸軍造兵廠狙い、京橋駅(片町線)ホームに1トン爆弾が直撃、身元判明の犠牲者210名以上、不明者500ー600以上とされている。日本降伏は8月15日。分かっていたのに前日に何故?戦争は理性なき狂気の世界というしかない。

 

 「千人塚の碑前祭」では、犠牲者への餞(はなむけ)とともに、参列者が戦争体験を語り合うことになっている。突然、指名された私は、空襲のことや、やせ細った学友が召集され、戦火を交えることもなく、病死したという、悲痛な思い出を語る。当時は国内も飢餓地だったのだ。結核で命を散らした同世代の姿がどれほど胸に焼きついたことか。戦争末期の頃の私は、間一髪、兵役を免れたものの、空腹感と虚無感に苛まれながら、ただ生きている哀れな青年、戦争犠牲者の一人だったのだろう。戦後、り歴史の真実を知り、これを語り続けねばと思い、今日に至る。京橋駅南口近くに慰霊碑がある。そこにも訪れて、今の日本政府の中枢が、理性を失い、危ない道に向かっている。それを伝えたい。


嫌なヤツがやってきた

2007-06-08 17:03:51 | 日記・エッセイ・コラム

 

 誰も歓迎したくないヤツが、我が家にもやってきた。市役所からの「納税通知書」である。即座に開封して目を通した。住民税が前年度の4倍の額になっている。予期はしていたものの、見ればやっぱり唖然とする。やがて不愉快な気分に陥る。説明書が添付されている。前書きが”傑作”だ。「ほとんどの方は昨年と比較して大幅に増えています」「『計算が間違っているのではないか?』と思われる方も多いと思いますが」とある。役所自身も認める大増税なのだ。これに加えて、現在、高すぎる国保、介護保険料にたいする世論が厳しくなっている。疑問や苦情、減額要求が殺到してきたらどうしよう。当局は嵐を予感し、頭を抱えている。そんな雰囲気を連想させる文面にも思えた。

 

 しかし、説明書は大増税とは言わず、「『税制改正』による市・府民税の計算方法の変化」だとしている。その内容には「定率減税の廃止で市・府民税所得割の減額廃止」「国から地方への税源移譲で市・府民税の引き上げ」「老年者非課税措置の段階的廃止」の三点があげられている。どれも納得できない。景気上昇が定率減税廃止の理由とされているが、大儲けしているのは大企業だけ。庶民は貧困と格差にあえいでいる。税源移譲とは、国は地方への補助金をカットする。その分、国税(所得税)を減らし、地方の税源にというものだが、医療、福祉、教育など、もっと地方で負担しろという意図が丸見えである。年所得125万円以下の老人の非課税措置廃止は弱い者いじめの典型ではないか。

 

 こうなると、税金が何に使われているか、改めて考えさせられる。大阪府・市の事業失敗の後始末に使われるのが腹立たしい。府は今年、泉佐野丘陵地域整備事業に87億、りんくう公園用地買収に100億円もの予算を組んだ。市は、破たん3セク(アジア太平洋トレードセンター、ワールドトレードセンター、港町開発センター)に64億円。これらは一例、府・市とも、失敗続きの大型開発に相変わらず巨額の公費を投入。もう止めるべき「同和事業」の予算も組む。自治体のやるべき福祉事業も、国の路線にそって民営化ひた走り。この流れを止めなければ「移譲された税源」も、市民サービスにまわってきそうにもない。4倍、6倍にはねあがった住民税、気分よく払える日がくるだろうか。