明日につなぎたい

老いのときめき

負けたらあかんで「都構想」に

2020-10-23 17:14:09 | 日記

 手許にある未使用の何枚かのハガキには、私の住所を印刷してある。大阪市旭区となっている。百枚近くの名刺もそうなっている。私だけではなく、他の大阪市内居住の方々もハガキや名刺をお持ちであれば、同様ではないかと察する。だが、いま日程にあげられている維新の会提唱による「大阪都構想」の中心部分は大阪市の廃止である。私の住む旭区も消えることになる。若しも、仮にも、これが実現するとなると、ハガキも名刺もパ―になる。都構想の被害は大阪の未来にとって由々しき大問題なのだが、市民の身近なところにも及んでくるものだと実感する。都構想なるものを難かしい、分かり難いものだと思われている向きには、こんな実例を見ればよいのではなかろうか。

 

 都構想によれば、現在の大阪市域は4つの特別区に分割される。私どもは、そのうちの北区の住民ということになるらしい。私は、少年期は東淀川区三国町(現淀川区)に、それから生野区、都島区、旭区と市内を転々、旭区に落ち着いて30年余。94歳の私は東京生まれだが、80余年は大阪市民。子や孫は当然、生まれも育ちも大阪市だ。根っからの大阪市民である。大阪市は市制発足から130年だそうである。94歳の私は大阪市の歴史の6割以上を過ごした。小学校、中学校(旧制)も大阪市立、子や孫に至っては、どこから見ても100%大阪市民である。大阪市の廃止は、生まれ、育った、故郷ともいうべき、わが町の名を勝手に変えられることだ。何故、そんな無理を強いるのか。大多数の市民が理解に苦しむだけではないか。

 

 かつて、前大阪市長・橋下徹氏は「世界の文明が転換する大事な時期」に「ゴミ集めの分別」や「放置自転車の問題」など「内向きな政治」などと、市民の現実的で切実な願いや要求を小バカにするような言葉を放っていた(体制維新—大阪都・堺屋太一と共著)。彼のなかには、国際競争でパリやロンドンに負けるなの過剰意識が働いているようだだ。大阪市は都市間競争の対象ではない。市民は、豊かで潤いのある大阪を望んでいる。ゴミの町を嫌っている。福祉や環境問題や地方行政などで学ぶべきところがあれば大いに学ぶべきだろう。外国を競争相手に見るだけが能ではなかろう。大阪市は大阪市民が育て、発展させるところである。大阪都構想とやらは、そうなっているだろうか。それを問いたいものだ。「負けたらあかんで 東京に」という演歌を聴くことがある。文化・芸能で競おう、その心意気を実感している。

 

 


わが故郷は大阪市

2020-10-13 12:00:00 | 日記

 昨12日は、私の誕生日だった。多くの友人たちからお祝いのメールが届いた。ある女性からは豪勢な菓子折りのプレゼント。近所の親しい女性は、わざわざ赤飯を炊いて届けてくれた。昨夜は長男夫妻の奢りで寿司のご馳走。前夜祭のつもりだろうか。月末には”正規”の誕生会をやってくれるそうだ。前日はお湿り程度の雨だったが、秋晴れが続く。94歳の私、89歳の妻、つつましい幸福感を満喫した一日であった。ふと感じたことがある。私どもは勿論、長男、長女も、そして孫息子も、近くのマンションに住んでいる。みんな大阪市民なのだ。私は東京生まれの大阪育ちだが、妻や子や孫の故郷は大阪市である。

 

 この馴れ親しんだ大阪市を廃止して大阪都にすると言い出した勢力がいる。日本維新の会という新興政党である。5年前の2015年には、大阪市を廃止するか存続させるか、の住民投票までやられた。結果は「存続派」の勝ち。だが「維新」はしつこい。再度、住民投票をやるという。今日、その告示がされ、11月1日投票ということになった。コロナ禍で、行政あげての対策が急務となっているとき「なに考えとんねん」との非難、批判が巻き上がっている。大阪市廃止派の言い分は府と市の二重行政のムダをなくすという一点張りだ。結着済みなのに何で蒸し返すのか。

 

 公立の病院や学校、保育、老人施設など、有り余ったところなどあるだうか。こんな公共施設の民営化を言い出したのは、経済主義者の堺屋太一(故人)、上山信一慶大教授(元大阪市顧問)、その流れを汲む橋下徹氏らであった。この人たちは、地方自治とか住民自治の大切さがわかっていないようだ。企業経営の発想を自治体に持ち込みたいのだろうと思えて仕方ない。市民の税金で成り立っている大阪市を廃止とか無くすとか、上からの目線どころか、市民無視のムチャクチャな暴論だと言いたい。万万が一、大阪市廃止が叶ったとしても、国法上、都にはなれないのだ。大阪府に吸収されるだけなのだ。もう騒ぐなよと言いたい。90歳をこえた老人は、大阪市民として残された人生を過ごしたい。私だけのことではない。大多数の高齢者とその家族の熱い想いである。


94歳まで生きた人々

2020-10-05 14:59:12 | 日記

  この月の12日が私の誕生日、94歳になる。とくに感慨らしきものが浮かんでくるわけではないのだが、もう癖になっているのか『人間臨終図鑑』(山田風太郎―徳間文庫)を開いて見た。94歳で死んだ人々の中に、右側の”代表格”とも評される徳富蘇峰(1863ー1957)の名が出てくる。まだ少年だった私も、蘇峰の名は知っていた、超有名人だった。彼の書いた『近世日本国民史』には「昭和20年8月15日は、実に我が皇国に取りて、永久に記念すべき悪日である」「おれの恋人誰かと思う。神の作った日本国」だと歌っているそうだが、彼は皇国史観の権化、日本軍国主義の思想的バックボーンだった。日本は敗戦、当然、蘇峰は戦犯に指定されるが、彼が反省、謝罪したという話しも、批判の声も聞いたことはない。「死者に鞭打つな」の”美徳”の故だろうか。

 

 左側の人では、荒畑寒村(1887―1981)。「明治、大正、昭和をつらぬいた熱血清冽(せいれつ)の社会主義者だと評されている。明治権力にデッチ上げられた大逆事件で、幸徳秋水らとともに処刑された菅野すがを恋い慕っていたとか。寒村は「赤旗事件」とかで獄中にいたため、大逆事件の弾圧を免れたそうである。若い頃から肺結核、胃の切除、白内障など、病いをおしての、70年に及ぶ運動だった。日本共産党の創設にもかかわったことがある人物だと聞く。昭和55年秋に入院、翌年3月、気管支の切開手術、寒村は「枯れるように死にたいと思っていたのに、こんな目にあうとはなあ」と言ったそうである。「なぜ93歳まで生きた人が、こんな苦しみを・・・もう安らかにしてあげてください」は、見舞った瀬戸内寂聴さんの言葉である。

 

 現代の若い人は、ジャ―ナリスト・長谷川如是閑(1875―1969)という人物を知っているだろうか。私は終戦直後に、この人の全集を買ったことがあるが、恥ずかしながら中身を覚えていない。彼は多忙な世の中で「余は是く(かく)の如く閑なり」と称して小田原の別荘で暮らした。生涯、独身だったそうだ。入院しても我儘な患者だったらしい。しかし、死は静かだった。見舞った小林勇氏(岩波書店)は「私は多くの長寿者の死を見たが、如是閑翁のような静かな死の姿を見たことはかってなかった」と語っている。さて94歳の私、これからも静かに齢を重ねたい。どこまでだろう。それは分からない。

 

 以上、3名の先人たちの生き様ならぬ死に様について触れてみた。『臨終図鑑』だから当然だろう。その人たちの思想や活動の是非を云々したわけではない。激しく揺れ動く時代を、私と同年の94歳まで生きた人たちの結末に目を向けることで、後世になを残した人たちの生きざまを伺えるだろうと思ったのである。

 

 

 

 

 

 

 


大臣たちよ 歴史を知れ!

2020-10-03 10:15:06 | 日記

 科学者の代表機関である日本学術会議が、新会員候補として105人を推薦した。目をむくような異変が起こった。菅 義偉首相が6名の任命を拒否したのである。その6人は、安倍政権が強行した安保法制や共謀罪、辺野古新基地建設などに反対を表明してきた学者だそうだ。学識を理由に任命しないのだとすると、それは憲法が保障する「学問の自由」を侵害することになるではないか。ある大学教授が言う。「菅総理は耳の痛い声を聞きたくなくて、6人を排除したのだろう。”戦後生まれだから沖縄のことはわからない”と開き直っていた菅氏だから、今度は学問の自由が弾圧された戦前のことは知らないとでもいうのだろうか」。私も感じた。何という不見識、お粗末な総理だろう。

 

 私は、たまたま友人から貰った著書『戦争に反対した人々』を読んでいた。言論・思想の自由を否定した近世、最大最高の悪法『治安維持法』と、それによる逮捕、拷問、虐殺の数々が紹介されている。犠牲者数、判明分だけで1690人前後にのぼった。24歳の短い生涯を閉じた伊藤千代子のことも描かれている。「高き世をただ目ざす処女(おとめ)らここにみれば 伊藤千代子がことぞかなしき」。アララギ派の歌人 土屋文明が詠んだ哀悼の歌である。何度、読んでも胸に突き刺さる。それは、戦前、戦中生まれの人だけにあてはまる悲劇なのだろうか。戦後生まれの人には無縁の事柄なのだろうか。それは歴史への認識不足というより、歴史の否定というべきだろう。総理大臣にはそれが許されるのだろうか。

 

 学術会議の話に戻る。この団体は、政府から独立した機関としての活動が保障されている。だが、菅首相の認識はそうではなさそうだ。官僚組織の延長ぐらいだと思っているのではないか。、だから人事権も、首相の我にありと思って、介入してくるのであろう。とんでもない独裁者の発想である。それを許したら学術会議の存在意義が消え失せてしまうのではないか。それどころか、民主主義そのものが危なくなるのではないか。あの野蛮な、かつてのアジア・太平洋戦争の前にも、大学の自治や、学問の自由が奪われた。言論はもとより、思想まで弾圧された。学術会議の人事への介入は、その一里塚のように思える。菅総理よ「戦後生まれはわからない」というのだから、改めて歴史を勉強したらどうだろう。周りのご一同も。