手許にある未使用の何枚かのハガキには、私の住所を印刷してある。大阪市旭区となっている。百枚近くの名刺もそうなっている。私だけではなく、他の大阪市内居住の方々もハガキや名刺をお持ちであれば、同様ではないかと察する。だが、いま日程にあげられている維新の会提唱による「大阪都構想」の中心部分は大阪市の廃止である。私の住む旭区も消えることになる。若しも、仮にも、これが実現するとなると、ハガキも名刺もパ―になる。都構想の被害は大阪の未来にとって由々しき大問題なのだが、市民の身近なところにも及んでくるものだと実感する。都構想なるものを難かしい、分かり難いものだと思われている向きには、こんな実例を見ればよいのではなかろうか。
都構想によれば、現在の大阪市域は4つの特別区に分割される。私どもは、そのうちの北区の住民ということになるらしい。私は、少年期は東淀川区三国町(現淀川区)に、それから生野区、都島区、旭区と市内を転々、旭区に落ち着いて30年余。94歳の私は東京生まれだが、80余年は大阪市民。子や孫は当然、生まれも育ちも大阪市だ。根っからの大阪市民である。大阪市は市制発足から130年だそうである。94歳の私は大阪市の歴史の6割以上を過ごした。小学校、中学校(旧制)も大阪市立、子や孫に至っては、どこから見ても100%大阪市民である。大阪市の廃止は、生まれ、育った、故郷ともいうべき、わが町の名を勝手に変えられることだ。何故、そんな無理を強いるのか。大多数の市民が理解に苦しむだけではないか。
かつて、前大阪市長・橋下徹氏は「世界の文明が転換する大事な時期」に「ゴミ集めの分別」や「放置自転車の問題」など「内向きな政治」などと、市民の現実的で切実な願いや要求を小バカにするような言葉を放っていた(体制維新—大阪都・堺屋太一と共著)。彼のなかには、国際競争でパリやロンドンに負けるなの過剰意識が働いているようだだ。大阪市は都市間競争の対象ではない。市民は、豊かで潤いのある大阪を望んでいる。ゴミの町を嫌っている。福祉や環境問題や地方行政などで学ぶべきところがあれば大いに学ぶべきだろう。外国を競争相手に見るだけが能ではなかろう。大阪市は大阪市民が育て、発展させるところである。大阪都構想とやらは、そうなっているだろうか。それを問いたいものだ。「負けたらあかんで 東京に」という演歌を聴くことがある。文化・芸能で競おう、その心意気を実感している。