明日につなぎたい

老いのときめき

維新・第3極論の欺瞞

2022-06-29 11:29:22 | 日記

 29日の「毎日朝刊」の選挙報道を見た。東京選挙区を取り上げているのだが、少し気になったところがあった。「日本維新の会は・・・『第3極』を強調して無党派層の取り込みを図る」という部分である。第3極というのは第3者の位置の事だろう。政治の分野では与党でも野党でもない、保守vs革新、二つの勢力の中間にある第3勢力のことらしい。第3者というと、当事者ではない、"中立の立場にあるかに思われるが「維新の会」はそうなのだろうか。第3極なら責任はとらなくても済む?そんなことがありうるだろうか。

 

 大阪府知事、市長の座は「維新の会」が占めている。最近、目立ったのは、保健所を1か所廃止、減らしたことだ。コロナが猛威を振るっていたときにである。保健所の職員はへとへとになるほど忙しかったそうだ。何でこんな時代錯誤のようなことをやったのか、私どもにはさっぱり分からない。本来なら保健所の充実、拡大強化を断行するべきときなのに。広辞苑によれば、維新とは「すべてが改まって新しくなること」とされている。誰もが予想しえなかった「コロナ危機」に直面したとき、もっとも望まれたのは保険所の役割発揮ではなかっだろうか。維新はこの課題に逆行したのではないか。改まって出直してこいと言いたくなっている。

 

 行政に責任を負うべきものが、第3極とかにあって、涼しい顔をしていられるだろうか。そんな無責任は許されるものではない。維新の名が泣くのではないか。国民が苦難にぶつかったとき、政党・政治家はどうあるべきか。与野党を問わず、その存在、役割が問われる。「維新の会」が与党なのか野党なのか、その詮索はともかく、自らの言動には責任をもってもらいたい。大阪府市政では、与党の最右翼というべき存在である。大阪の行財政に失態があれば、当然、その責任を問われることになるだろう。こんなことを言う私も、70年代、議員ではなかったが、豊かな業績を積んだ黒田革新府政の与党の側にあった。第3極どころではない、知事与党としての責任を果たすべく懸命に努力した、貴重な、悔いなき人生体験だったと確信している。