明日につなぎたい

老いのときめき

私のひとこと

2019-01-25 11:18:27 | 日記

 毎年1月の中頃「旭区平和の会」(旧・旭区平和委員会)のニュ―スが送られてくる。1月号は新年号のようなものだから、会員から寄せられたコメントが「私のひとこと」として特集される。私もこの企画が始まって以来、常連として欠かさず「ひとこと」を送ってきている。だが、21日に届いたニュ―スに私の分はなかった。15日頃に締め切るとされていたので、その日までに「ひとこと」を書いてファックスで送信している。それが載せられていないのだ。編集者に問い合わせたら、届いていないという。手違いがどこにあったのかは分からない。

 

 その詮索よりも「私のひとこと」が出ていないことで、無用の心配や、いわれなき誤解が生まれるとしたら不本意である。電話でやりとりしたときの、編集者の口ぶりも、私への不満のように聞こえた。ならば、どんな方法にしろ「私のひとこと」を発表するしかなかろう。このブログとFBに載せることにした。会員の誰かが見てくれるだろう。以下は私が送ったつもりの「ひとこと」である。

 

  「私のひとこと」

 「沖縄が心から離れたことはない。新年早々、嬉しかったのは、1月7日、ワシントン・ホワイトハウス前で集会が開かれ『辺野古基地建設の埋め立てをやめろ』と声があげられたことだ。埋め立て停止を求める請願署名は米国で20万を超えた。モデルのロ―ラさんや、英国の著名なギタリスト、ブライアン・メイさんらが賛同、協力をよびかけているという。世界の良識を尻目に、沖縄を米国への貢物に献上し、基地建設にうつつをぬかしている安倍総理、菅官房長官の姿は醜悪だ。売国の徒というべきだろう。厳しい審判を下すときが近づいている」。

 


夜更かしも程々に

2019-01-20 17:26:42 | 日記

 寒い日が続いている。電気代、どのくらいかかっているのか、気にならないわけではないが、家にこもっている時間が長いから、暖房もつけっ放しに近い。こんなとき『原発ゼロの会・おおさか』からパンフレットが送られてきた。原発や火力発電に依存しない「”自然エネルギ―100%のおおさか”への提言」である。原発は人類と共存できない。深刻な福島第一原発事故の教訓である。安倍政権の原発輸出策など受け入れられるはずはない。こんなときの「提言」だ。時宜にかなっているではないか。そう思って読み始めた。

 

 「提言」は太陽光、風力、小水力、バイオ、四つの自然分野に電力源を求めている。これを見た私の脳裏に、ふと、エンゲルスの”自然の弁証法”が浮かんだ。難しい本だが「地上で起こるどんな変化を見ても、電気的な現象がそのさいに検出されないようなものは、ほとんど皆無にちかい」と書いている。その先駆的な見識に恐れ入った。物質には電気がある。電気のない物質はない、ということだろう。電気はどこからでも起こせるのだ。電源は身近にあるのだ。原発燃料のウランはもちろん、火力発電用の石油、石炭も、血相変えて買い走ることはないのだ。

 

 『原発ゼロの会』の提言には「自然エネルギ―の推進で行政・自治体の果たすべき役割」が挙げられている。私が注目したのは「下水処理過程で発生するガスを活用したバイオマス事業や下水熱利用」「廃棄物の焼却場の活用」による発電である。大阪には、合計39カ所の下水処理場があるが、これらが発電事業に取り組めば、相当な発電量が期待されるとしている。同時に市民の省エネ意識の向上も指摘されている。コンビニなどの長時間深夜営業の再検討だとか、私どもの夜更かしも程々にしてはどうか。色々と考えさせられた。


ウソだらけではないか

2019-01-12 13:23:00 | 日記

 年明け早々、真っ先に頭に浮かんだのは沖縄のこと。気分がよかったのは、沖縄問題で世界の良識が発揮されていることである。7日、ワシントン・ホワイトハウス前で集会が開かれ「辺野古新基地建設の埋め立てをやめろ」との声があげられたとの報に接した。米国内で集められた、埋め立て停止を求める請願署名は20万を超えたそうだ。モデルのロ―ラさんや、英国の著名なギタリスト、ブライアン・メイさんらが賛同し協力をよびかけているという。基地建設を強行する日本政府関係者はらは、この世界の良識の声を何と心得ているのだろう。

  沖縄県議会は、先月20日、埋め立て土砂の投入中止を求める意見書を可決したが、自民党は反対、公明、維新は退席したそうだ。私が癪に障ったのは、これらの党が支持する安倍総理の言動である。またウソをついている。土砂投入で絶滅の危険にさらされている珊瑚を別の場所に移したというのである(6日放送・日曜討論)。沖縄県からは「土砂投入されている区域から移植されていない。環境保全策が不十分だ」と反論される始末だ。しかるべき措置をとることなく、このウソを報道したNHKは、やっぱり安倍応援団なのかと思ってしまう。

 この際、辺野古だけに限らず、米軍基地存在の根拠そのものにウソがないかどうか、考えて見る必要があるのではなかろうか。在日米軍がアジアの平和と安全の保障なのか。それがウソではなかろうか。米軍のベトナム侵略戦争に沖縄の基地が散々使われたことは歴然たる事実である。フィリピンでは、米軍基地は何年も前に撤収している。韓国に米軍基地はあるだろうか。世界で米軍に基地を提供しているのは日本だけではなかろうか。日本は何でそこまでして大枚の駐留費や基地費用を負担するのか。辺野古は何のためなのか。どこかにウソがある。

 

 森友・加計疑惑での公文書改ざん・隠ぺい、裁量労働制のデ―タねつ造、勤労統計調査結果の偽装・・・推して知るべし。安倍総理の「福島原発事故は解決した」の大ウソに呆れたことがあったが、とにかく,よくウソをつき続ける総理大臣だ。許せない!退陣あるのみではないか。

 

 

 

 


鼻水垂らし・・・勝たねばならぬ

2019-01-08 14:23:25 | 日記

 「みなさん 風邪を引かぬように、お元気で、2019年、ご活躍ください」。本年初のブログはこんな言葉でしめくくった。今年は、春、夏に勝つべき闘いが待っている。6日に地元・旭区の仲間の集いに出て、顔を合わせたもの同士、お互いの元気を喜び合った。ところがその夜、大袈裟な表現だが、私の身に異変が起こった。一風呂浴び、さっぱりした気分で蒲団の上に横になった途端、咳き込んだ。風邪の順序は、くしゃみ、鼻水からと思っていたが、いきなりの咳込みだ。苦しい。止みそうにない。寝入ったのは何時頃だっただろうか。

 

 翌朝、目を覚ましたが咳は止まっていない。食欲なし。だが、熱は出ていないようだ。風邪薬は一服も呑まなかった。妻に小型の餅を焼いてもらったが、半分ほどで箸をおいた。早々に蒲団の中に入り、仰向けで新聞に目を通す。午後、よく陽が射す部屋に移動し、窓越しだが、ポカポカの温かいお日様を背に受けていい気持ちになった。夕食時、いつものように晩酌をつけてもらったが、一口で止めた。全くうまくない。何も食わず、蒲団にもぐりこんで『民主文学』(2月号)を読み始めた。「千切られた日記帳」という”青春物”を読み終えて寝入った。

 

 明くる8日、私の容態は鼻かぜ程度に回復?していた。パソコンのフェイスブックを開くと、6日の集会で出会った人たちが、私の元気そうな様子を見て喜んでくれている手記がいくつもあった。その日の夜から丸一日寝込んだことなど、夢にも思っていなかっただろうから、何か申し訳ない気になった。黙っておれば何事もなかったことで済むのに。しかし、私は鼻水を垂らしながら書いた。老いても回復力あり。それは私だけてはない。みんな持ち合わせている。それを言いたかったからだ。私の健康を案じてくれている仲間たちへの感謝の意を伝えたい気持ちもあった。


2019年が始まった

2019-01-02 14:22:32 | 日記

 「2019年、明けましておめでとうございます」。毎年のことだが、温かい年賀状を頂き、嬉しく拝見させてもらった。ご自身や身内の方が描いた絵が載せられているハガキには、ひときわ熱い友情を感じるとともに「ああ、彼、元気でやってるんやな」と安堵する。そして励まされる。春の一斉地方選、夏の参院選への固い決意が多く見られた。頼もしい。老齢(92歳)の私を気遣ってか「お体を大切に」「健康にご留意を」などの、有難いメッセ―ジが少なくなかった。「丈夫で長生き」をモット―にしようか。

 

 私は幸せ者だ。去年7月に親しい仲間がやってくれた「卒寿を祝う会」を思い出している。私に生きる喜び、生きる勇気、生きる張り合いを加速してくれた場であった。これに応えなければならない。しかし、私の能力はタカが知れている。やれるのは、拙く、貧しいけれども、一連の文章で過去と現実と未来を語ることだろう。元号などで人生を区切られるのは、バカバカしいが、大正、昭和、平成、そして○○と生きる、90歳余の人間が語ることに価値がないはずはない。そんなつもりでブログを続けようと思う。

 

 私なりの勝手な事情で、去年(18年)から年賀状を止めた。今年も出していない。このブログ・フェイスブックの初めの一行が、唯一、私の新年の挨拶になる。心はこめたつもりだ。この種のものをご覧にならない方には礼を失することになるが、お許し願いたい。外を眺めた。陽は照っているが空気は冷たいようだ。このブログをお読みの皆さん、風邪を引かぬように、お元気で、2019年、ご活躍ください。