明日につなぎたい

老いのときめき

日米首脳会談にげっそり

2009-02-27 14:01:35 | 日記・エッセイ・コラム

 

 25日(日本時間)、米国ホワイトハウスで行われた日米首脳会談にはげっそりした。オバマ大統領は「核抑止力を含む対日防衛を約束する」と言明した。両国首脳は「在沖縄海兵隊のグアム移転にかかる協定の実施を含む在日米軍再編を『ロードマップ』(行程表)に基づいて実施していくことで一致した」という。グアム協定とは要するに米国領土であるグアムでの米軍基地費用負担を日本が受け持つ約束のことである。在日米軍再編とは米軍がアジア地域に限らず、中東、インド洋、世界のどこへでも出動できる体制にすることだろう。自衛隊がそのなかに組み込まれる。抑止力とは強大な武力を誇示して、どことも分からぬ相手国をひるませることのようだ。日本はその傘の下で恩を着せられる。

 

 沖縄にいる米海兵隊のグアム移転は、海兵隊がインド洋方面に出動しやすいようにする”再編”である。地元負担の軽減にはならない。高い立ち退き料を押しつけられた。海兵隊が出たあとには別部隊がくる可能性があるともいわれている。普天間基地返還合意は13年たっても実現していない。こうして日本はいっそう強化された日米同盟の金縛りにされているようだ。日米安保体制が出来てもう50年近い。このお陰で日本は平和で安全だったと信じこまされている人も少なくないようだ。だが迷信である。沖縄はじめ基地あるところの狂暴な米軍犯罪の数々、膨大な財政負担、アメリカの侵略戦争への協力、加担、自衛隊の海外派兵なとなど、犠牲のみ大きい安保体制である。事実が証明している。

 

 政府・与党、それから野党の民主党もだが、日米安保(軍事同盟)で金縛りにされ、の道を歩み続けていることへの自覚が全くないのだろうか。抑止とは抑えとどめるという意味である。その相手はどこの国だと想定しているのだろうか、抑止力論は朦朧(もうろう)としたものである。これに固執して相変わらず迷信をふりまくつもりなのだろうか。「相手のない喧嘩はできぬ」ということわざがある。喧嘩の相手になるなという戒めである。国と国との関係もそうすればよいのにと思う。仮想敵国などつくるなということである。完全な中立であれということである。軍事同盟は敵をつくって世界のどこかに出かける。それが危ない。武力による威嚇はもう時代遅れ、戦争放棄の憲法9条、外交こそが平和の力、これが世界の大勢ではなかろうか。


アスベスト・静かな時限爆弾

2009-02-21 16:13:07 | 日記・エッセイ・コラム

 

 大阪・泉南地域に住む友人からアスベスト被害のことを書いたパンフレットを渡された。私のブログでも取り上げて少しでも世に広げろという意図を察した。アスベスト(石綿)は断熱性、耐火性の強い物質。用途の8割は屋根、天井、床などの建材だが、電気、水道、内装工事やトースター、ヘアドライヤーなど日用品にも使われ、その数3千種に及んだという。これが恐るべき有害物質なのである。吸い込むと石綿肺、胸膜肥厚、胸膜炎、肺がん、悪性中皮腫という病気に罹る。有効な治療法はないそうである。潜伏期間は平均40年、この間は自覚症状がなく何十年も経ってから発症する。だから「静かな時限爆弾」といわれるのだが、実はこの被害が史上最大の産業災害だということなのである。

 

 泉南地域は、約100年にわたって全国一のアスベスト産業の集積地。石綿を原料とする糸や布を作り、戦前、戦後の軍需、基幹産業を支えた。最盛期は200社以上が操業、石綿紡織品の生産額は全国の80%を占めた。零細な下請け石綿工場が住宅、田畑と隣り合わせで存在し、工場内外がアスベストで白く覆われる地区があった。玉ねぎ、キャベツ、稲にまで降りかかっていたという。こうして工場労働者だけでなく家族ぐるみ、地域ぐるみのアスベスト被害が広がった。パンフレットにある被害者の証言が胸に突き刺さる。息苦しさに声なき悲鳴をあげ、大量の血を吐き、血痰をつまらせて死んでいった父、母、夫の姿を見て泣き、自分もそうなるのではと死をまつような不安な日々だと語っている。

 

 アスベストの有害性は1930年代から国際的に注視されてきた。日本政府も37年から泉南地域などの石綿工場の衛生調査に入り、戦後も調査を続けて深刻な被害の実態を認めている。だが規制や対策は長期にわたって行われなかった。パンフにある関連年表によれば、60年代の「高度成長期」にアスベストの輸入量が増えている。72年、国連の世界保健機関がアスベストの発がん性を警告した。だが日本の輸入量は74年、88年と2回のピークを記録している。国はやはり経済優先。やっと白石綿原則使用禁止に至ったのは04年である。「国の怠慢」が被害をここまで広げたのである。泉南地域の被害者は立ち上がった。「国は知ってた!できた!でもやらなかった!」。国家賠償を求めて訴訟を起こし闘っている。政府が大企業に弱腰なのは昔も今も変わらない。広い世論の支持、激励が必要なことを痛感した。


そこが聞きたい

2009-02-20 16:43:59 | 日記・エッセイ・コラム

 

 府庁舎移転問題。政治の焦点になるのだろうか。移転先は都心部から離れた大阪湾の埋立地にあるワールドトレードセンタービル(WTC)である。大阪府は早々と移転関連費105億円を09年度予算案に計上した。WTCは利便性や耐震性、経済面などさまざまな危惧が指摘されているところである。それなのになぜ移転に執着し急ぐのか。かつて橋下知事は「住民サービスは市町村で行い、広域行政としての大阪府は産業政策に特化する」と言ったことがある。地方自治体の任務は「住民の福祉の増進を図ること」だと法律で定められているが、府県は例外だ、府庁は福祉よりも開発をやるところだ、だから湾岸部のWTCに移すのだということなのか。念のために聞いておきたいものである。

 

 大阪市も渡りに船とばかりにWTC周辺の臨海部開発事業費として22億円を組みこんだ。WTCは大阪市の第3セクターで総事業費1193億円、それが無残に破産した。市は500億円もの損失補償にあえぐ。他にも阿倍野再開発、フェスティバルゲート、オーク200など市が関与した事業で3000億円もの借金を抱える。平松市長の嘆き、ぼやきが報じられる。「市の判断ミスか、あるいは国の公共政策に踊らされたツケを背負わされている。どこに責任があったのか」と。両方だろう。財政赤字の主因がこれまでの開発にあることを認めない知事よりはましというべきか。だが必要性のない港湾、高速道路建設はやめない。湾岸開発の拠点になりそうなWTCを府に売ろうとする。また判断ミスを重ねるのか。そこを聞きたい。

 

 「府庁のWTC移転こそ大阪再生の道」という人がいる。再生とは死にかけたものを生き返らせるという意味である。それを考えると山、川、海の荒廃ぶりが目に浮かぶ。ヒートアイランド化した町を思う。農業も瀕死の状態、農家、農地が極端に減っている。いま多くの人たちが求めているのはこの自然環境と農業を含む地場産業の再生だろう。破壊の元凶はゼネコン・大企業本位の巨大開発であった。これに大阪府・市は多額の資金を投じた。挙句は事業の失敗で借金の山を築いた。その負担を住民にかぶせて福祉や教育を削ってきた。その上に今回のWTC・新都市構想である。要するに湾岸開発なのだろう。それが大阪再生とどう結びつくのか不可解である。これまでの失敗の二の舞にならないだろうか。この疑念は消えそうにない。


子どもたちとの3日間

2009-02-16 16:44:46 | 日記・エッセイ・コラム

 

 13日、日本ユニセフ協会からのメールが入った。パレスチナ自治区・ガザの子どへの支援の訴えである。死者1400人余の3分の1は子ども。国連代表に訴えた子どもたちの悲痛な声が紹介されている。「母さん、お兄ちゃんたちが目の前で亡くなりました。何もできませんでした」。「家族を取り戻したい。お父さん、お兄ちゃんたちに戻ってきて欲しい。おじさん、おばさん、いとこたち・・みんな死んじまった」「平和が欲しいです。爆弾や砲弾の中で生きるのはもう嫌」。注釈の必要はない。戦争はむごい。なぜ戦闘員でないもの、子どもの命まで奪うのか。身も心も傷つけるのか。子どもにはこの大人たちのやること、その”理屈”が分からない。純粋だからだろう。とにかく今は人道支援が求められる。

 

 14日夜、DVDで「はだしのゲン」を見た。1945年8月6日、米軍機が広島に原爆を投下した。少年ゲンの父、姉、弟は無残に命を絶たれる。ゲンは母を助けて懸命に生き抜く。こんな物語である。ゲンたちは食物を廃墟の中で探しまわる。私も戦中を過ごした一人、その辛さが身に沁みる。父親は非国民だと迫害されながら反戦の心を曲げなかった。母親の戦争指導者への怒りも凄まじかった。この日までになぜ降服しなかったのか!幼いゲンもその魂を受けとめた。母の出産を助ける。絶望した人の命も救った。ときおり人の善意に出会う。そんな強さと優しさがあの残酷な時代を生き抜く力だったのだろう。この物語は、歴史の真実をふまえた、いま生きるものへの熱いメッセージだと思った。

 

 15日昼、前進座(青少年劇場)公演の「龍の子太郎」を家族と一緒に観に行く。原作は松谷みよ子さん、民話をもとに書かれたもの。国際アンデルセン賞の受賞作品だと聞いていた。いつの時代とも分からぬ昔の子どもが主人公。巧みな脚色、演出による和風ミュージカル。子ども、大人ともに楽しく面白く観ながら何かを味わったようだ。米など食べたことのない貧しいものたちの友情や親子の情愛、労働と共同の尊さが子太郎の成長とあわせて感動的に伝わる。興をそぐのでこれ以上は書けない。とにかくいつの世にも大切なことが語られている。その芯が通っている。人それぞれの感じ方があるのだろうが。終演のとき、子どもも大人も長い拍手を送った。それが嬉しかった。

 私が子どもと過ごした3日間は以上のようなことであった。


国守の孤独

2009-02-11 15:13:32 | 日記・エッセイ・コラム

 

 藤沢周平氏の時代小説『密謀』を読みかけていたら、いきなり「そういう景勝に時おり国守の孤独をみる」という箇所に出会った。直江兼読が越後の国守・上杉景勝に抱いた一抹の想いのことである。国守とはその国の最高責任者、”長”である。民政、軍事の成否は領民、兵士の生死、国の存亡を左右する。その責任は”長”が負わねばならない。事を謀り,決め、実行するのは集団であっても、結果に責任を問われるのは”長”である。他に代わるものは存在しない。だから孤独なのである。責任を自覚することが孤独につながるのである。私の解釈だが、作者は主君の孤独を感じとれる、人の深層心理を読める人物として兼読を描いたのだろうか。この挿話を現代にかさねて見たいと思った。

 

 帝王学なるものの一部を辞典で見た。「様々な幅広い知識・経験・作法など、跡継ぎとしての人格や人間形成に到るまでをも含む全人的教育」「現代では政治家や企業家の二世、もしくは次期指導者にたいして”帝王学”が施される・・。権力・財力を持った者がその力を自覚し、維持しつつ正当に行使する云々」とある。特権的な支配者の側に立った教育論なのだろう。今は帝王も世襲も不必要な時代である。それでもこの帝王学が一般世間の話題に出るときがある。帝王学の定義や概念に頓着しないで、責任者いかにあるべきかとか、”長”たるものの器とか能力とかが議論されるような場合に俗に使われるのである。”長”にたいする人々の期待感の現れだろう。どの分野だろうと帝王に擬せられる”長”の責任は重大である。

 

 ところで、日本では僅か2年半ばかりの間に総理大臣・最高責任者が3人もめまぐるしく代わった。2人は途中で落伍、あと1人もそうなりそうだとの観測が流れている。この3人いずれも政治家、企業家の二世である。この人たち帝王学を施されたかどうかは知らないが、どうも”長”の資質に欠けているように思えてならない。3人目にいたっては二転三転の言動で国民から見放される。人の心を読める側近もいないのだろう。それでいて孤独の影を感じさせないのはなぜだろうか。謙虚な自己分析がないのだろう。アメリカには追随するのみ、大企業にはもの言えぬ政治の基本路線、政策が破綻しているのに、それを認めない、改めない、無責任、無自覚の故だろうか。求められるのは真の変革者の登場である。