明日につなぎたい

老いのときめき

インフルエンザに負けるか

2017-01-23 12:58:55 | 日記

 「狂った権力者」(19日付)という記事を書き込んでいるとき、咳が烈しく、身体が熱っぽかった。「やられたな」と思いながら、送信をすましてから体温を測った。まだ昼前だったが、38度を超していた。久しぶりの発熱だ。蒲団の上に横たわる。夕方には39度前後、食欲なし、口に入れるのは、ス―プ、ジュ―スなど液体ばかり。この状況が3日間続いた。「多分、インフルエンザやろう」。娘が電話でそう言っていたそうだ。

 

 21日、事故が起きた。トイレに行こうと立った途端にふらつき、前のめりに転倒、傍にあったお膳の角に下顎をぶっつけた。下唇が切れ、かなりの出血。鏡を見たら、唇は無残に膨れあがっていた。「ああ情けない。この程度の熱でふらつくオレではなかったのに。口惜しい」。22日、ちょっと落ち着いたので、妻と一緒に行きつけの病院へ行く。若い医師から「90歳なのに元気ですね」と言われたが、複雑な気分だった。診断はインフルエンザ。

 

 息子から「どうや?」と電話があった。「もう大方、治ってんねん。来んでもええで。染ったらあかんから」と返した。ふっと孫が気になった。発熱前夜、我が家にきて私の目の前に座っていた。電話で私の症状を説明し、変わったことないかと聞く。「何もないで、普通やで」の返事なのでほっとした。オレも齢だが、インフルエンザなんかに負けなかった。自己満足である。4日ぶりのブログはこんな次元の記事になった。日課なのだから。隣室のテレビから国会討論が聞こえてきた。また一言いう機会がくるだろう。


狂った権力者

2017-01-19 11:33:37 | 日記

 安倍内閣は20日から始まる通常国会に「共謀罪」法案(組織犯罪処罰法改定案)を提出するという。口実はテロ対策。実際の犯罪行為がなくても、共謀=相談・計画したというだけで犯罪に問われるそうである。これで、ある事件が私の脳裏を走った。100年前の大逆事件(幸徳事件)のことである。1910年、菅野スガ、宮下太吉ら数人が、明治天皇の暗殺を相談したとして、全国数百人の社会主義者、無政府主義者が検挙され、一審だけの非公開裁判で、首謀者でもない幸徳秋水ら12名に死刑判決。一週間後には執行された。

 

 「相談」を罪にでっちあげ、極刑をもって人の命を断つ。その狙いは、無政府主義、社会主義思想そのものの根絶であった。平沼大審院次席検事は、論告求刑で「動機は信念なり」と思想弾圧の意図を隠さなかった。批判と抗議の声が上がる。石川啄木は「時代閉塞」を書き、徳富蘆花は謀反の自由を語った。森鴎外も夏目漱石も永井荷風も黙っていなかった。戦後になるが「幸徳らを絞首台に送った山形有朋ら権力者たち・・・その連中こそ実は一種の狂人たちであった」と辛辣に酷評する人物もいた(山田風太郎・人間臨終図鑑)。

 

 幸徳らが唱えたのは、自由、博愛、平等、そして非戦であった。絞首台に上がった菅野スガは「われ主義に死す。革命万歳!」と叫んで絶命した。大逆事件の冤罪者たちは、人間の自由を求めて戦った。その遺志を受け継いだ現代の人たちが、平和と人権のために戦っている。安倍首相たちには、自分らの先輩・権力者たちが犯した政治犯罪・人権冒涜を顧みたことがあるのだろうか。教育基本法の改悪、特定秘密法や安保法制の制定、そして共謀罪へ。平和、自由、民主主義を掲げるものは許さぬつもりなのか。やっぱり狂っているのだろう。


ある夜の「共謀」

2017-01-13 11:37:29 | 日記

 昨夜、私の関係していた団体の新春懇親会に出た。1972年から2017年まで毎年欠かさずにやっているから45回目だろう。私も欠かさず参加している。90歳の私が最年長のようだ。一期生のOBみたいな存在になっている。「よう一人で電車に乗ってここまできはりましたね。びっくりですわ」と言ってくれた女性がいた。「お久しぶりですね」「お元気そうですね」と声をかけ握手してくれた人は何人だっただろうか。かつての府知事選で私らのライバルだった人とも挨拶を交わした。野党共闘の賜物か。

 

 懇親会が終わったあと、現、元労組幹部や弁護士さんと帰り道を歩くうちに、誰が言い出したのか「ちょっといこうか」となり、居酒屋に入った。私はあまり昔話はしないことにしているのだが、先輩扱いにされていろんなことを聞かれる。酒の勢いもあって普段よりも饒舌だった。国と大阪の政治や、それを変えていく方向性など、居酒屋談義が盛り上がった。終わる頃に私は「今日は凄く元気をもらった」と感謝した。みんな喜んでくれた。こんな呑み会も、政府が提出を決めている「共謀罪」になるのか、皮肉りたかったが、口を押え余韻を残した。

 

 とにかく、年末以来、体調はあまりよくなかったが、この日の行事に出たことが、一つの転機になったように思った。精神面のことなのだが、それが身体にも影響したのだろうか。もっとも、この日のために、私なりの自己管理もやってはいた。行くべきところに行く、会うべき人に会う。これが本来の人間の生活なのだろう。こうして人は長く生きていけるのだ。去年の6月だったか。麻生財務相が90歳の高齢者に「お前いつまで生きているつもりか」と言って物議を醸したことを思い出した。


『武蔵野夫人』を読む

2017-01-11 19:02:35 | 日記

 少し体調を崩して(今は回復)、布団の上にごろ寝。テレビを見る気もしない。文庫本を並べた本棚の前に立つ。『武蔵野夫人』(大岡昇平・新潮文庫)が目に入った。同氏の”野火”、”レイテ戦記”、”俘虜記”などの戦争文学は一通り読んでいるが、これは何年も前に買ったのに見落としていた小説だ。私も僅かな期間だが武蔵野のあるところに住んでいたことがある。戦争直後の心象風景も思い出さされる。懐かしい気持ちに駆られて直ぐ読むことにした。

 

 恋愛小説なのだが、物語は先ず武蔵野の自然描写から進んでいく。「富士は見晴らす多摩の流域と相模野の向かうに、岬のように突き出した丹沢山塊の上に小さく載っていた。その四季と天候による変貌は、彼のいつも見飽きぬ眺めであった・・・」。彼とは主人公の女性の恋人・大学生のことである。「学徒召集で南方の戦線に駆り出され、人間に絶望する反面に言わばその補色ともいうべき自然への愛を、ほとんど唯一のみやげとして帰還してきた青年」である(解説)。

 

 彼は戦争の暗さを背負っている。彼女はその男の匂いを嗅いでいる。彼は人間に絶望していたが自然は愛していた。戦後、もてはやされた実存主義を「戦場の醜悪に飽きた彼にはそれを誇る気にはなれない」。共産主義も「戦場の混乱を知っている彼には、革命がこう整然と進行したとは思われない」。要するに戦後に高揚した思想や社会運動にはネガティブなのである。ただ「恋は思想によって殺し尽くせるものではない」と考えるニヒルな人間のように描かれている。

 

 彼の恋人となる夫人は、貞淑で優しい女性である。若くして死んだ長兄、次兄に憧れることはあったが、恋というものを知らなかった。18歳でフランス語教師と結婚する。夫は兵役を免れ、はげしい戦争下だったが、平穏な家庭生活を送る。戦後、この男も別の女性と関係する。戦争中、辛くも二人を繋いでいた心の絆が切れていく。そして、幼馴染の彼と恋に落ちる。戦後とはいえ”姦通”がまだ罪とされた頃、武蔵野夫人の”道ならぬ恋”が始まる。その結末は?戦後民主主義も未分化の時代の物語である。 


飢えた子たち

2017-01-09 15:47:55 | 日記

 私の好んだ鴨ナンの呑気な話から一転する。送られてきた『ユニセフ・ニュ―ス』(Ⅴol・252)を見る。アフリカでは、異常気象による干ばつの影響などで、多くの子どもたちが食糧や水不足、病気のリスクに直面している。南部の小国・ジンバブエ(人口1524万人)では、農作物と家畜が甚大な被害を受けたため、2017年3月までに、人口の3割近い410万人が食糧・栄養不足に陥ると予測されている(半数は子ども)。主食はトウモロコシのおかゆ、たまにオクラなどの野菜を食べているとか。

 

 大人は都市部や他国に出稼ぎに、子どもたちも学校に行かず、食糧を得るために働きに出る。女の子は性産業に、男の子は違法な採掘の仕事に就いている。残酷だ。これが21世紀か、ぞっとする。アフリカだけではない。「何十年にも及ぶ戦争は、アフガニスタンの多くの資源を破壊してきました。犠牲になったものの一つが、国民に清潔な水を届けるインフラ基盤です」。「水を汲むために、何時間も行列していた」という。今は、貯水槽や井戸ができて、いくらか改善されているようだが。シリアや南ス―ダンはどうなのだろう。

 

 戦争は、必ず貧困と飢えをもたらす。程度の差はどうあれ、かつての日本もそうだったではないか。敗戦直後、食糧危機突破大会とか食糧メ―デ―などがやられたのを覚えている。中東、アフリカ諸国の多くは、帝国主義国の植民地であった。その後遺症がひどいのだろう。水や食料に不自由しない国々からの丸腰の人道支援が求められる。戦争は絶対ノ―である。アメリカという国は、いつも、どこかで戦争している常習犯のようだ。それに従って戦争する国をめざす安倍政権ほど危険なものはない。平和を願う人びとの連合で立ち向かうときではなかろうか。