真田幸村(信繁)は、私の小さい頃からのファンである。今もだ。去年の秋、火坂雅志の小説『真田三代』を読んだ。終わりの方で「力がすべてか、世には、強い者に靡かず、おのが誇りをつらぬく生き方もまたある」という幸村の生き様が描かれている。これに感ずることあって、ブログに『男のロマン』という記事を書いた。ありていに言えば、幸村は負けを覚悟していたと思う。比べるのはおかしいのだが、自分の人生体験とかぶらせて、幸村の「強い者に靡かず」という気概に共感するのである。
渡辺 武さん(元大阪城天守閣館長)の『戦国ゲルニカ』(大坂夏の陣図・読み解き)を手にしたとき、真っ先に見たのは第3章にある真田幸村隊だった。ちょっと悩ましくなった。第4章の「殺し殺さされる合戦の実態」がショックだった。「両軍の戦死者の遺体が大阪の地に散乱した」と解説されている。幸村も「赤備えの隊」を率いて多くの相手を殺したことだろうと察する。動機がどうあれ、惨たらしい戦闘の指揮官となった人物のファンでいいのか。ちょっと引っかかる。徳川の大軍と闘った「日本一の兵(つわもの)」だと割り切っていいのだろうか。
ゲルニカとは、ドイツ軍のスペイン・ゲルニカへの無差別都市爆撃(1937年)をピカソが描いた、反戦、抵抗のシンボルといわれた壁画のことだと聞く。渡辺さんは、徳川軍を侵略軍としている。幸村ファンは嬉しい。「略奪とそれに伴う殺傷が侵略戦争には不可欠の一要素であることが”夏の陣”でも証明された。”屏風”はそのことを見落とさずに告発している」「・・必ず無法な夜盗群を生み出し、その横行を強める・・ことを”屏風”は描き残している」と説く。この書も反戦・平和を訴えている。