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広島、長崎原爆は米軍から無線放送や航空機からのビラ撒きで市民へ通知されていた、

2015年08月09日 16時00分54秒 | thinklive

*このタイトルについては幾度か述べた、今日が長崎原爆投下の日で思い出した、三菱の長崎造船所では米軍の捕虜が50名程度、強制労働をさせらていたが、原爆投下の1週間ほど前に郊外の工場へ移動させられていた、と、「日本のいちばん醜い日」に記載されていた、原爆投下が日本へ米サイドから知らされていた、という1つの事実である、加害者が米国で判明しながら、米国へ抗議するのではなく、世界へ向かって語り告ぐなんて、おかしいじゃないですか、もっとも米軍は原爆の日の数日前に飛行機から、散らしを撒いて郊外への避難をすすめたり、対日放送では繰り返し、避難を知らせていた、だから、これほどの被害にはならなかったハズなのだが、日本側が、被害を最大化しないと、降伏を受諾できない、国内で反乱が起きる、として、米側の告知を回収、あるいは沈黙を関係者に強いていた、だから、原爆の日は日米の合作といってもいい、市民の人命被害は最小化できたはずなのだ、米サイドは市民への告知義務は果たした、として、証拠の提出も可能であろう、

*この重大な事実をないことにして原爆記念日が実施されてきたワケである、大元帥及び戦争内閣の閣僚、軍幹部はその責任を問われるべきなのだ、広島で生き残った要人は、畑第二総軍司令官と高橋県知事の2人は比良山の県知事別荘にいて無事であった、高橋知事の夫人は市内の自宅で死亡した、県知事は夫人にも伝えられなかった極秘情報であった、と鬼塚英昭は書いている、第二総軍は降伏反対、受諾すれば、東京へ攻め上るという強硬な敗戦反対派であった、

『原爆投下は予告されていた』 古川愛哲*ブログ検索

この本には、原爆投下に関して軍や官僚はかなりの情報を持っていたばかりではなく原爆投下を了承していた者たちもいたという疑惑が、実証をあげて書かれている。

近年のNHKスペシャルで原爆を投下したテニアン島のB29の部隊の存在を無線の傍受などから日本軍はつかんでいたらしという内容のドキュメント番組があった。
当初、数が少ないこの部隊の目的はわからなかったが広島に原爆投下され、部隊の関与が明らかになった。にもかかわらず、3日後、長崎にむかう同部隊のB29にたいして迎撃命令を出さなかった。番組では、これを日本の軍組織の硬直した官僚機構の弊害がもたらした大失態みたいに扱っていたが、どうやらそんなことではないらしい。
じつは広島に向かうB29も軍は察知しており、呉では海軍の最新型高角砲(高射砲)がエノラ・ゲイに照準をあわせていた。最大射程は18000メートル。エノラゲイは3機の編成で高度8000メートルを飛行。しかし、ここでも攻撃命令は出されなかった。

日本軍は無線の傍受、海外ラジオ放送の傍受などからかなりの情報を得ていたが、国民には一切伝えなかった。国民は短波放送で海外放送を聞くことはできたが当時、短波放送の受信機は国内に500台くらいしかなくその受信も禁じられていた。
アメリカは中波でも対日宣伝放送をしていた。何も知らされない日本の国民に戦況などを直接伝えようというものだ。しかし空襲警報を聞くためラジオのダイヤルは日本放送協会に固定しておくのがほとんどで、おまけに日本放送協会は雑音をだしてアメリカの放送を聞こえなくする妨害もしていたらしい。さらに、昭和20年には「敵はサイパンに放送局を作って、日本語で一般国民に呼びかけている・・・
このデマ放送に対抗する最高の方策は聞かないことである。もし、この放送を聴取する者がいれば誰であれ尋問される」こういう脅しが日本放送協会のラジオから流された。

このデマ放送とされた『ボイス・オブ・アメリカ』はニュースや空襲の予告をしてたが、8月1日、次のような放送を数回繰り返した。「8月5日に、特殊爆弾で広島を攻撃するから、非戦闘員は広島から逃げなさい」広島逓信局の無線技士はこれを聞いて上司に報告するが、敵性放送を聞くとはなにごとだ、デマをもらしてはいけんから、おまえは家に帰さん!と一蹴されてしまう。こうした情報を広島の陸軍は知っていた。「米軍の情報によると、明日6日、広島に新型爆弾を投下するから
非戦闘員は今夜から郊外に避難せよと通告している・・・それを知らせてあげようと思って」陸軍通信隊の兵士からそういわれた当時の少年の証言もある。
当時、広島逓信病院の院長だった蜂谷道彦氏の『ヒロシマ日記』には「軍隊は用意周到だ」 「将校の家族はほとんどすべて郊外の安全そうなところへ疎開していた」 とある。

また、米軍はB-29を使って空から対日宣伝のビラも撒いた。戦争末期には、空襲の予告、日本の実情の暴露、降伏勧告などがビラに書かれていたが、市民は拾ったビラの内容を見ることは許されず内容を見ず、すぐに警察に届けなければ犯罪に問われた。
広島の原爆投下の前にもビラは撒かれ、それを拾って密かに読んだ人もいた。そのため、7月末頃から「8月5日に広島を大空襲する」との噂があったのだという。広島への原爆投下の予告はグリニッジ標準時で8月5日になっていたのが多かったらしい。


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