彦四郎の中国生活

中国滞在記

京洛の紅葉❸「京都の秋は永観堂」と誘うポスター、行ってみれば"この言葉通り"だった

2021-11-30 05:39:39 | 滞在記

 20年ほど前に、モンゴルのゴビ砂漠に何度も一緒に恐竜発掘調査に行った伊藤孝雄さんが、「京都の紅葉はやっぱり永観堂やな」と言っていた。京都に来たら必ず永観堂の青モミジや紅葉を見に行っているらしい。「見返り阿弥陀もいいしな‥」とも言っていた。「へえ、‥そうですか…」と、その時は、そんなものなのかと思った程度だった。

 学生時代から何度も何度も数えきれないくらい境内に行っている「永観堂(禅林寺)」だが、拝観料を払ってまで寺院の伽藍内に入ったことは一度もなかった。境内にいるだけで紅葉がたくさんあってきれいだなあという感じはあったのだが‥。その認識が大きく変わったのが、今年の春に「青もみじ」を見るために、500円の拝観料を払って伽藍内(建物内)に初めて入った時からだった。"素晴らしい青もみじ"の風情に感動させられてしまったのだ。「こりゃあ、晩秋の紅葉もさぞかし素晴らしいだろう」と思われた。

 京阪電鉄や京都地下鉄の三条駅には「京都の秋は永観堂」の大きなポスターが置かれていた。「この秋にもここにぜひ行ってみよう」と思うこととなった。

 11月23日の勤労感謝の日、南禅寺からすぐのところにある永観堂(禅林寺)に向かう。途中の道は人の波だった。南門には「京都の秋は 永観堂」のポスター看板が立てられていた。入り口のの総門まで行くと、すごく多くの人で埋められていた。紅葉が美しい南禅寺でも、このような光景はみられなかった。拝観券(※この時期は1000円となっていた)を買うにも200人ほどの行列が並ぶ。そして、次から次へと人がさらに並ぶ光景だった。「検温所」のテントの中で検温後、拝観券売り場に。ここも着物姿の人が多くみられた。

 永観堂は禅林寺という名前なのだが、「禅」の文字があるが禅宗の寺院ではない。もともとは空海が開いた真言宗(密教)の道場の一つとして853年に創建され、当初は、比叡山延暦寺(天台宗)を離れて黒谷の金戒光明寺の庵で念仏道場を開いた法然を批判していた。禅林寺の中興の祖とも言われる永観は、法然と宗教論争をしていたが、論争を経る中で法然の教えに感動してしまい帰依。その後、浄土宗の寺院となる。

 ここ永観堂も金戒光明寺も、そして真如堂(真正極楽寺)[天台宗]も、1467年から始まった応仁の乱の戦乱により、この地域の南禅寺と同様に伽藍建物のほとんどが焼失された。ちなみに、親鸞は法然に帰依していたが、その後に浄土真宗を開く。

■日本における仏教は、大きくは、①最澄が開祖となった天台宗、②空海が開祖となった真言宗(密教)、③栄西や道元が開祖となった禅宗にルーツをもち、現在は主に13の宗派がある。浄土宗や浄土真宗は①にルーツをもつ。京都の大伽藍の一つである東本願寺や西本願寺は浄土真宗。戦国時代には、この浄土真宗は、国一揆などを起こす原動力となり、また、織田信長に武力対抗して、国内の一大勢力となった。

 飛鳥時代から始まる官製仏教(国家仏教)は、奈良時代、平安時代を経て、鎌倉時代から武家階層や農民・民衆の宗教となった。

 永観堂の方丈に入ると、蓮が描かれた屏風絵が置かれている。たくさんの伽藍の建物は渡り廊下や階段でつながれている。方丈の中庭の紅葉も風情のある美しさ。御影堂や臥龍廊下など、いたるところの紅葉が美しい。

 やはり、ここ永観堂の青もみじや紅葉で、はっとさせられる景観は阿弥陀堂の廊下からの眺め。奥まったところにある阿弥陀堂には「みかえり阿弥陀」の小さな仏像が安置されている。

 阿弥陀堂と御影堂の間の紅葉の光景もまた美しい。龍の口から水が出ている御影石造りの水鉢の水面に紅葉が映る。

 広い境内は、さまざまな色の紅葉に覆われる。勅使門でもある唐門前の紅葉も美しい。真っ赤に染まる紅葉と一面に落葉したイチョウの黄色のコントラスト。

 境内の方丈池のそばから多宝塔(三重塔)を見る。池の周囲のモミジの紅葉が、池の水面を染める。境内の茶屋にもたくさんの人が腰をおろし、みたらし団子や抹茶などを注文していた。

 境内を流れる小さなせせらぎを美しい紅葉が覆っている。「もみじの永観堂」の名前がつくだけあって、この寺には3000本ものモミジがある。紅葉の名所が日本で最も多い京都の中でも、ここ永観堂は最もたくさんのモミジの木があるようだ。

 ゆっくりと、南禅寺と永観堂の紅葉をみて廻ったこの日、午後5時ころには日暮れとなった。南禅寺近くにある京都国際交流館に入り、歩き疲れた体をしばらく休め、京都地下鉄の蹴上駅に向かう。京都地下鉄と京阪電鉄の「三条駅」の通路にある「京都の秋は永観堂」の大きなポスターの近くにあるところの通路売店で「台湾カステラ」が売られていた。店のショーウインドーに背をもたれて、立ったまま眠っている子供が、台湾カステラを注文していたお母さんに起こされて、はっと目覚めていた。私もカステラを1箱買った。

 翌日の京都新聞には、「紅葉 心を洗う―各地見頃 旅客にぎわう」の見出し記事。記事によると、「府内の主な紅葉スポット」のモミジの本数として、永観堂3000本、清水寺1000本、東福寺2000本、北野天満宮850本などと書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 


京洛の紅葉❷「五山之上・絶景・名庭・湯豆腐・水路閣」5つのキーワード、南禅寺の紅葉

2021-11-29 07:13:59 | 滞在記

 11月23日、勤労感謝の日で祝日の日、京都の南禅寺と永観堂に紅葉を見に行った。

 南禅寺は、①「五山之上」の禅宗寺院。武家政権である鎌倉時代や室町時代、武士階層に支持されて禅宗は興隆する。禅宗の祖は南インド出身で、中国に渡った僧・達磨(だるま)大師。修行の基本は座禅。私が暮らす中国福建省の泉州などにも、超巨大な石造りの達磨大師像が山中にある。

 日本では主に曹洞宗・臨済宗・黄檗宗の三つの禅宗宗派が存在する。そのうちの臨済宗には特に、「鎌倉五山」と「京都五山」とよばれる格式の高い10の寺院があるが、その10の寺院よりもさらに格式が高いとされ、「五山之上」と呼ばれるのが京都の南禅寺。京都には、この臨済宗の寺院として、南禅寺の他に、天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・大徳寺・妙心寺などの古刹大寺院がある。

 ちなみに、曹洞宗の総本山は越前の永平寺(開祖は鎌倉時代の道元)、黄檗宗の総本山は京都の萬福寺(開祖は江戸時代の隠元)。臨済宗の開祖は鎌倉時代の栄西。中国より本格的に茶を伝えた人でもある。京都の建仁寺境内には、日本で初めての茶園が今も残る。茶は、座禅の時の眠気覚まし効果にも用いられていた。

 これらの新興的な臨済宗(禅宗)寺院は、武家政権の鎌倉幕府や室町幕府の支持を受けていたが、幕府とは時には対立関係にもあった朝廷(天皇)は、奈良・平安時代から続く仏教寺院である比叡山延暦寺や奈良・興福寺などを支持していた。このため、この宗教勢力はあるときには武力を用いての対立も起きていた。

 ②「絶景」の山門(三門)。大盗賊とされる石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな」の台詞(せりふ)で有名な三門で、境内の樹木越しに京都市内が一望できる。この日は、たくさんの人がこの門に登楼していた。紅葉越しに見る三門は迫力のある名建築だ。ちなみに、日本三大三門とは、この南禅寺の他には「京都の知恩院、山梨県の久遠寺」。京都三大三門では、「仁和寺」の三門が加わる。

 この日は着物姿の女性もたくさん見られた。

 ③水路閣の付近の紅葉も見ごろだった。境内の東山山麓を上がっていくと、水路閣の疎水の水路は山中にトンネルがつくられていて消える。そして、このトンネル内を水は通り、哲学の道沿いの疎水となる。

 学生時代には京都の銀閣寺の隣の家に下宿していたので、京都市内中心地の四条や三条に行く際には、自転車でこの南禅寺境内を通っていた。もう何百回となく通った南禅寺境内だが、この境内の最も奥にある塔頭の一つ「高徳庵」には行ったことがなかった。今回初めて行ってみて驚いた。なんと紅葉の自然な美しさの光景だこと。

 背後にすぐに迫る山にも紅葉が見られ、萩の紅葉もまた見事だった。「南禅寺にこんなところがあったなんて‥‥」と感じ入った。

 鎌倉時代の1291年に創建されたは南禅寺は、隆盛時には60余りの塔頭寺院や僧坊があり、2000人余りの修行僧たちが学んでいたとされる。しかし、1393年と1447年の大火によって多くの伽藍や塔頭などが焼失、さらに1467年から始まる応仁の乱の戦乱によって、残された建物も全てが焼失した。その再建は安土桃山時代から始まり、江戸時代の初期に三門をはじめ、現在の建物の多くが再建された。今は、南禅院、金地院、天授庵、高徳庵など、9つの塔頭が境内にある。④それぞれの塔頭の「名庭」もまた、禅宗的な簡素さの中にも、素朴な美しさがある。私は特に、「南禅院」の庭が好きで、青年・中年時代の、人との思い出が今も鮮明に残る場所だ。

 南禅寺境内には、かってはものすごく広域にわたっていた。「総門」と呼ばれる寺域の入り口の門は今も京都市動物園や京セラ京都美術館などの近くに残る。今の境内付近には⑤「湯豆腐」で名高い「順正」と「奥丹」という老舗があり、営業している。なぜここに湯豆腐の老舗が昔からあるのか。その理由は禅寺の精進料理に豆腐が使われ続けていることと、上質の地下水があるためだ。また、寺院には参拝者も多く訪れることもあったのだろう。

 南禅寺から永観堂に向かう途中、疎水の分流沿いにあるモミジが見事に紅葉していた。この南禅寺界隈は、広い鬱蒼とした敷地に、東山の借景を配した庭をもつ別荘の建物も実に多く、「南禅寺別荘群」と呼ばれる。

 

 

 

 

 


京洛の紅葉❶—金戒光明寺・真如堂、哲学の道、安楽寺・法然院—孫の寛太との散歩道で‥

2021-11-28 07:01:44 | 滞在記

 日本に滞在して、あと1ケ月余りで2年近くになる。今年の春は京都市内とその周辺の"青もみじ"の名所といわれるところをたくさん見に行った。青もみじが美しいところは、また、晩秋の紅葉が美しくもなるところ。11月の20日ころから晩秋の紅葉が美しくなり、京都にはたくさんの観光客が訪れている。コロナ禍も、全国の感染者数が激減し、京都でも新規感染者ゼロという日も珍しくなくなってもきた今年の晩秋。

 明日29日に1歳の誕生日を迎える孫の寛太(かんた)の守(もり)に、この夏ころからほぼ週に2度あまり行っている。ベビーカーに乗せて散歩に2時間ほど周辺を散歩するのが定番ともなっている。いくつかの散歩コースがあって、最も多いのが吉田山山麓にある金戒光明寺(黒谷さん)と真如堂。あとは、京都大学キャンパスや哲学の道などのコース。

 よく孫をベビーカーに乗せて散歩するところの紅葉も、このところ美しくなっている。金戒光明寺の山門前の紅葉や塔頭寺院の紅葉も今が盛り。

 真如堂の境内全域の紅葉はみごとな美しさ。春の青もみじと山茱萸(さんしゅゆ)、6月の沙羅双樹(夏椿)や菩提樹や紫陽花、そして秋の紅葉と、まあ、この寺は四季を通じて美しい庶民的な寺だ。いつも寛太をベビーカーから降ろし、本堂の階段や広い縁側で遊ばせてきた。

 孫たちの世話に行った11月19日の夕方。午後5時半頃に暗くなった頃、娘の家の近くの番場公園のベンチに腰を下ろし、タバコを一服しながら大文字山の方を見やると三日月の月が見えた。「おかしいな、この頃は満月のはずなんだが‥‥」と思い、「あっ!今日は月食が見られる日なんだ!」と気が付く。しばらく見ていると月はさらに欠けてゆき、日本刀のような三日月がわずかに欠けてきた。

 京都市バスや京阪電車を乗り継いで、自宅に戻った午後7時過ぎ、2階の窓から月食を見ると、月は再び半月となっていて、午後8時ころには満月となっていった。

 翌日20日付の京都新聞には、「午後5時すぎに、東山連峰の夜空から姿を見せ始めた月は、左側半分が欠け赤みがかかった月。午後6時ころには右下部がわずかに残る月に。月の97.8%が欠ける今回の月食。これほど大きく欠けるのは140年ぶりとのこと」と書かれていた。原始・古代・中世・近世の人々は、この月食のさまをどのような思いで見つめていたのだろう。天地異変の前触れと恐れていたのかも知れない。

 11月26日、孫の寛太との散歩で哲学の道エリアに行く。白い山茶花(さざんか)の大きな木がたくさんあるところは雪が積もっているように思えてしまうが、この山茶花の白の上には赤い紅葉。若王子神社付近の紅葉は、哲学の道では紅葉が最も美しいところ。

 ここから金戒光明寺や真如堂のある吉田山を見る。愛宕山の山容もはるか向こうに臨める。

 哲学の道から大文字山や如意が岳山麓にベビーカーを押しながら登って行く。鹿ケ谷の中腹にミッション系のノートルダム女子中学校・高等学校の校舎が見えてきた。ちょうど生徒たちの下校時刻の4時すぎとなっていた。ここの正門前にある守衛室の警備員さんは、女性だった。さすが、女子高だ。

 このノートルダムからほど近いところにある安楽寺の小さな茅葺(かやぶき)屋根の山門の紅葉はみごとの一言につきる。おそらく、哲学の道界隈の紅葉では最も風情がある美しさ。

 そのとなりにあるのが法然院。ここの紅葉も風情のある美しさ。急な坂道をベビーカーを押して、境内に入る。

 ここの山門も小さな茅葺の屋根。日本的な、実に日本的な、建物と紅葉の光景だ。

 

 

 

 


衆議院選挙結果を巡って❷貧富の格差是正に最も反対する維新の会の躍進、憲法改正も現実味

2021-11-22 19:12:16 | 滞在記

 3週間前の10月31日に行われた衆議院議員選挙について、その翌日の11月1日、各紙はその結果を報道していた。11月1日付朝日新聞では、「自民過半数を維持 立憲・共闘効果は限定的」「岸田首相続投 維新3倍超す」の見出し記事。2日付では、「野党誤算 振るわぬ共闘」の見出し記事が掲載されていた。

 最終的な選挙結果(投票率55.9%)は、衆議院公示前と比較すると、❶自民党(276➡261)[−15]、❷公明党(29➡31)[+3]、❸維新の会(11➡41)[+30]、❹国民民主党(8➡11)[+3]、❺立憲民主党(109➡96)[−14]、❻日本共産党(12➡10)[−2]、❼れいわ(1➡3)[+2]、❽社会民主党(1➡1)[+−0]、❾N党(1➡0)[−1]、❿その他(12➡10)[−2]となった。特に、維新の会は公示前の4倍近くとなる。また、自民党も公示前の選挙予想(250前後)をはるかに超える議席を確保している。(※衆議院の単独過半数は233議席) 

 政党支持を有権者が示す比例における選挙結果は、❶自民党1991万4883票、❷公明党711万4282票、❸維新の会805万830票、❹国民民主党259万3396票、❺立憲民主党1149万2097票、❻日本共産党416万6076票、などとなった。

 この選挙結果により、改憲に必要な衆議院議員数の3分の2以上(310議席以上)が、❶❷❸❹[自民・公明の与党及び改憲に積極的な政党]の合計獲得議員数345議席によって可能となった。公明党は改憲には慎重な姿勢をもっているが、改憲に最も積極的な維新の会の大躍進により❶❸❹の合計議員数は309となり、310にあと1議席。改憲に賛成の国民民主党とともに維新の会は急先鋒となって、公明党の改憲賛同への行動を迫ることとなった。また、自民党内では改憲に慎重な立場をとる岸田首相にも迫ることとなった。

 11月2日付の朝日新聞には注目すべき記事が掲載されていた。「富裕層の負担増慎重 自民当選者"分配"巡り温度差」という見出し記事だ。この記事によれば、今回の衆議院選挙で当選した全議員に、❶「①所得や資産の多い人への課税を強化すべきだ、②どちらとも言えない、③反対寄りだ」の三択、❷「④企業が納める法人税率を引き上げるべきだ、②どちらとも言えない、③反対寄りだ」の三択で聞き、その結果が報じられていた。

 ❶の「富裕層への課税強化」をみると、①の課税を強化すべきと答えた議員は、自民党43%、公明党44%、立憲民主党90%、国民民主党91%、日本共産党100%、れいわ100%となっている中、なんと維新の会はたったの24%だった。②の「どちらとも言えない」と答えた議員は、どちらかというと反対寄りのニュアンスが強いので、実質は反対よりかと推定される。

 つまり、維新の会は、貧富の格差是正において最も重要な本丸である税制改革による「貧富の格差」是正に対して極端に反対している最先鋒の政党であることが見て取れる。これが国民生活にとって最も重要な政治政策「貧富の是正、より公平な富の分配、働く人の立場を守る」ことに強く反対する維新の会の実際の姿なのだろう。吉村大阪府知事(維新の会副代表)のコロナ対応に関するこの1年間半あまりの過熱したテレビ報道で、「庶民の味方」「庶民の代弁」などの最近のイメージも、この調査結果を見る限り、それは単なる維新の会のコロナ対応を評価するイメージが全体の評価にもつながっているにしかすぎず、「庶民の味方・代弁者」というイメージは、実はそうではないことが歴然とする調査結果だ。

 ❷の「企業への法人税率引き上げ」では、与党の自民党や公明党は、自民党(①は17%、②が51%、③が32%)、公明党(①が6%、②が81%、③が13%)となっていた。政権運営を担い続けている自民・公明は、特に大企業に対する優遇を求める議員が多く、税率改革による貧富格差の是正には反対ということがみえる。

 11月2日付朝日新聞には、「分配格差語られぬビジョン」(経済学者・白井さゆり)、「新自由主義からの転換 首相貫いて」(社会学者・社会運動家・東京大学特任教授・湯浅誠)の見出し記事。11月6日付同新聞には、「遠かった?若者と政治」という見出し記事。記事には、「コロナ貧困対策が切実に」(古井康介・Poteto Media 社長)、「期待しない・現状でいい」(藤田結子・明治大学教授)、「主権者教育と真逆な大人」(安達晴野・高校生)が選挙結果について語っていた。11月7日付同新聞には「ロスジェネ 女性 非正規」という見出し記事。

■「貧富の格差是正、より公平な分配、労働者を守る仕組み」を多くの国民は求めてはいるが、それらがより悪化している現状の中、今回の選挙では、それを根本的・改革的に実現に近づけようとする政党には人々の大きな支持は向かなかった。そして、それに最も反対する維新の会などに支持が流れていったのはなぜなのか?このことの考察はとても重要だ。

 実は今回の衆議院選挙戦において立憲民主党は、この「格差是正」に関して次のような選挙公約を出していた。それは、「分配を最優先に―格差是正し"1億総中流社会"復活へ」というものであった。そして具体的には「▼消費税率 時限的に5%に▼当面 所得税を実質免除(年収1000万円程度)」というもの。これは、1000万円以下の年収の人の所得税実質免除とともに高額所得者や大企業などへの税率を上げるというものとセットとなっている。かりに日本人勤労者の平均年収430万円余りの人は、100万円近くの減税となる。

 しかし、この立憲民主党の公約は、有権者にあまり知られることは少なかった。特に、新聞・テレビ、さらにインターネットでも、このことはほとんど取り上げられなかったように思われる。選挙戦が短期だったということもあるが、今年の11月中までには実施が予定されていた衆議院選挙に向けて、立憲民主党の選挙戦略の稚拙さが露呈したことが大きく影響もしているように思う。

 11月3日付朝日新聞には、「立憲 枝野代表辞任表明」「枝野立憲 迫られた刷新—共闘路線 代表選争点に」の見出し記事。枝野代表の辞任表明に対し、維新の会の松井代表は「責任をとって代表を辞めるというのは気の毒な思いがある。責任をとるような負け方をしたかと言えば、それは違うのではないか。枝野さんが引き続きリーダーとして党を引っ張りたいという思いであれば、再び代表選をやって、立候補すればいい」と、政敵の立憲民主党党首に余裕の同情論を語る。

 今回の選挙結果について、日本共産党の11月14日付「赤旗日曜版」に、「共闘の確かな大局的確信を―比例票でも議席でも、共闘勢力は前回(2017)比増加」の見出し記事を掲載していた。確かに前回は、民主党が分裂し、小池都知事が主導する新政党「希望の党」に民主党議員が大量に参加し、50議席獲得と躍進した選挙だった。立憲民主党は55議席だった。その後、希望の党が分裂し、多くの国会議員が立憲民主党に移籍し、一部議員は国民民主党を結成している。そのような状況の前回選挙結果と今回の選挙結果を比較しているのだが、あまりに大雑把に論じている日本共産党の見解には、ごまかし的な論説との疑問が残る。

 今回の選挙結果における4野党共闘について、11月19日付朝日新聞は、「衆院選でみえた課題 どう生かすか」という見出し記事を掲載していた。この記事は19日告示・30日選挙の立憲民主党の代表選挙に関連してのもの。

 記事は「今回の衆院選で、"野党共闘"は失敗だったのか。立憲民主・共産・社民・れいわ・国民民主の5党は、全国217の選挙区(無所属の4選挙区含む)で候補者を一本化した。しかし、当選者は62人にとどまり、公示前の51人から大きな積み上げはできなかった。ただ、激戦区は2017年衆院選より増えた。217選挙区のうち、与党候補に1万票以内の差で敗れた選挙区は31あり、このうち16が5千票差以内の激戦だった。党幹部は"これらの(31の)選挙区で競り勝てば、自民党を単独過半数割れに追い込むことができた"と語り、一定の共闘効果があったとする。‥‥‥

 小選挙区で与党と戦う構図はつくりながら、接戦で勝ちきれなかった。比例を中心に議席を伸ばすこともできなかった。候補者の多様性や世代交代を進め、党の魅力をどう高めるかが、代表選の焦点になりそうだ。」と報じていた。これはこれで、客観的な事実ではあるだろう。だが、接戦で勝ちきれなかったのはなぜなのかは、それなりの理由があることは考えるべきだ。

 立憲民主党の代表選挙には、泉健太氏・逢坂誠二氏・西村智奈美氏・小川淳也氏の4人が立候補。有力候補の泉氏は今回の野党共闘路線にはやや否定的な見解のようで、特に国民民主との共闘路線又は合併路線志向かと思われる。また、日本共産党との共闘路線には反対の意向が強いようだ。昨日の報道番組のNHK政治討論会では「民主党代表選挙」に立候補している4人が、それぞれの政策について語ることとなった。4人とも、国政、立憲民主党をリードする政治家としては‥‥あまりピンとこなかった。

 この8月には菅内閣の支持率は31%にまで落ち込み、不支持率は61%となっていた。岸田内閣が成立した時点では、内閣支持率は48%、不支持率は40%となる。そして、総選挙を通じて岸田内閣の支持率は上昇し63%の支持率に、不支持率は30%となり、現在に至っている。また、政党支持率では、維新の会は選挙告示前は2.5%だったのが、選挙後は9.8%と上昇し現在に至っている。(自民党35.9%、公明党9.9%、国民民主党1.9%、立憲民主党9.3%、日本共産党3.1%) 

 さっそく、公明党が選挙公約し主導している18歳以下に1人10万円を一律給付するという案に、「所得制限は設けるべき」と維新の会は厳しく批判、困った自公が「年収960万円未満」の所得制限をつけることを決めた。するとさらに、維新の会の吉村氏は「政策の目的が非常に不明瞭だ。年齢で区切る意味も分からない。バナナのたたき売りだ」と自公に追い打ちをかけた。「じゃあ維新の会はどんな政策をもっているの?」と聞きたくなるが、それは吉村氏は語らない。維新の会の基本政治姿勢は、「共助」「公助」社会の実現ではなく、「自助」又は「無助」社会の新自由主義の急先鋒だからだ。国民がこの10万円支給問題で、疑問や不満について感じることには素早く批判の急先鋒姿勢はとる。しかし、格差社会の根本的な解決策は提示しない。

 総選挙後、維新の会と国民民主党は代表者会談で政治的連携をもつこととなった。自民党と公明党は政治的連立関係だが、自民党岸田政権は、維新の会や国民民主党との連携を模索し始めている。

 月刊雑誌『タブー』は、コンビニでも置かれている雑誌だか、11月号は維新の会を特集していた。雑誌の表紙に「維新の会大勝の異常 大阪府民の絶望的な民度」と大きく書かれていた。その雑誌を買って読んでみた。「大阪19選挙区の中、15選挙区で維新当選 あとは公明党4」との結果。この公明党の4選挙区は、維新の会と公明党が選挙協定を結び、維新が立候補者を擁立しなかった選挙区。

 記事は、「大阪で維新が強い理由とは?」との見出しで、テレビ報道の影響力の強さを指摘している。また、大阪における吉本興業タレントの影響力の大きさも。「800人以上のタレントをかかえる吉本興業は、国のお笑い業界を支配する企業というよりも、もはや政治的圧力団体」と指摘。吉本所属のダウンタウンの松本人志氏などと維新の会や自民党との密接な関係なども指摘している。

 また、格差社会を扇動し、新自由主義の旗振り役でもあり続ける竹中平蔵氏と維新の会の子弟関係的(指南役的)な結びつきにも言及。維新の会の参謀トップは実は竹中氏だとしつつ、竹中氏の派遣大会社「パソナ」は、大阪府や大阪市の非正規雇用者の8割ちかくを派遣している実態も明らかにしている。

 特集記事は、15ページにわたり、「吉村頼み&"候補者隠し戦術で総選挙に大勝 日本維新の会の本質」、「庶民の味方の振りをして、実際は既得権益者とズブスブの関係」「維新を牛耳る松井一郎のコネと虚言まみれの政治人生―人気者・吉村知事を影で操る」などの見出し記事が掲載されていた。記事内容はちょっと過激すぎる眉唾(まゆつば)ものの内容もあるが、おおむね、正鵠を得ている内容ではあるかと思う。(※「正鵠[せいこく]を得る(射る)‥‥物事の急所や要点を正しく押さえていること)

 今週号の週刊誌『週刊ポスト』にも維新の会躍進関連の特集記事が組まれていた。記事の見出しは「岸田官邸がビビッて震える―吉村維新の殴り込み—2025年"大阪万博"を吉村総理で迎えるか」。この特集記事には、日本維新の会が大躍進したその背景がかなりわかりやすく指摘してもいた。

 その指摘とは、特にこのコロナ禍下でのテレビ報道での吉村大阪府知事の、「大阪モデル」などを次々と提案し、テレビ出ずっぱりのインパクトの大きさ。コロナ対策で目の下に隈(くま)を作った吉村知事の体調を気遣い、ツィッターでは「#吉村寝ろ」がトレンド1位になったこともあった。昨年の世論調査では、「新型コロナ対策で評価する政治家」の1位にもなっている。「イソジンがコロナに効く」などの眉唾政策の失敗など、政策の失敗も多々あったが、「吉村はん、ようやってはるで」と支持が下がらなかったばかりか、今回の総選挙の立役者ともなったとの指摘だ。

 特に関西はテレビのローカル番組が多く、お昼や夕方の情報番組やニュースに吉村知事の報道がこの1年半余り途絶えることはなかった。この吉村知事のコロナ対応報道から、関西の人たちの維新の会に対する空気が変わり、年配層の女性などがアイドル的に熱心に応援するように変化していったと指摘する。

「吉村さんも、ものははっきり言うが、橋下さんや松井さんみたいな"こわそう"感はなく、どこかかわいげがある。そして、コロナでがんばってはるように見えます。大阪のご婦人たちは、彼を自分の息子のように感じていたんじゃないかと思う。少なからぬ失敗があっても、自分の息子だから悪意のない失敗なら許し、支えようとするわけです」と野党系無所属の大阪堺市市議の渕上氏はそう話すとの記事内容も。

 今回の衆院選で維新候補に敗れた立憲民主党の辻元清美氏は、「吉村知事や松井市長は、とにかく"見せ方"を意識しての動きがすごかった」とし、「橋下さんの場合は人気があるが、アンチもおおかったのでは、好き嫌いがあるんですが、吉村さんの場合は嫌いという人が少ない。言っていることは橋下さんと吉村さんも同じでも、受けとめられ方が随分ちがうように感じます」との弁。

 庶民層の不満を代弁するかのように、特定の相手に論戦を挑んでねじ伏せる"喧嘩上等"の橋下氏・松井氏が率いてきた維新は、"やってみせる政治家"吉村氏の存在感が大きくなる中で、大阪府民だけでなく、関西を中心に全国的にかなりの支持を獲得したと記事は指摘する。また、今回の衆院選での大阪・関西現象での維新にとっての勝負は、来年の参議院選挙としつつ、「憲法改正論議で自民党を左右分裂状況に追い込み、この参院選で自民党が大きく議席を減らし、維新が野党第一党へと躍進した時、自民党の改憲勢力と組むことで政権のチャンスが回って来るからだ」と記事は語り、「2025年の大阪万博が開催される時、日本に吉村総理が生まれているかもしれない」と指摘する。

 同じ関西でも、大阪府と隣接する京都府の衆院選における府民の選択はかなり違ってはいる。日本共産党系の地方紙「京都民報」の11月21日付の一面には、「自民府連会長"野党共闘に負けた"―京の自民に衝撃、当選6➡3に半減」の見出し記事。京都府には6つの選挙区がある。選挙結果としては、この6つの選挙区で、自民2人、立憲2人、国民1人、無所属(立憲や国民に近い)1人が当選した。比例復活では、共産1人、維新1人、自民1人が当選した。つまり、自民は公示前の6人から3人に半減している。

 これは、「野党共闘」がかなりの効果があったことを示す。維新の会は2つの選挙区で候補者を立てたが、小選挙区での当選者はなかった。しかし、かなりの票数を獲得し、比例復活につながっている。京都府での国会議員を維新が獲得するのは初めてだ。ここにもやはり吉村効果の大きさが及んできていることを示している。だが、この1年間半、連日、テレビで京都府民も吉村知事を見ているにもかかわらず、大阪府民と京都府民の民度は大きな違いがあることも示している。

 ちなみに、日本維新の会が今回の総選挙では告示前の11議席から41議席へとほぼ4倍近くの議席を獲得したわけだが、そのうちの25議席(62%)は関西(近畿地方)で獲得した議席だ。小選挙区では、大阪府(19選挙区)が15議席・兵庫県(12選挙区)で1議席を獲得。比例復活では、兵庫県で7議席、京都府(6選挙区)で1議席、奈良県(3選挙区)で1議席を獲得している。ほぼ、大阪府と兵庫県(最近になり知事も維新がとっている)での獲得だ。また、滋賀県(4選挙区)・和歌山県(3選挙区)・三重県(4選挙区)では維新の会は比例復活はいずれも0。あとの16議席(38%)は、東京・名古屋・福岡などの大都市圏を中心とした比例復活となっている。

 今回の衆院選での選挙結果をどうみるか?特に日本維新の会の躍進をどうみるか?一昨日に京都市内の丸善書店に行ってみたら、ベストセラー紹介コーナーには、奇しくも、新書本第1位に『戦後民主主義に僕から1票―民主主義はなぜここまで劣化したのか/この国に絶望しないための21の論考』(内田樹著)が置かれていた。

■大阪と京都は文化風土も人間もかなり違うなあと常々感じてもいる。2020年1月に大学の冬休みで、中国から日本に一時帰国して以来、日本に滞在しながらオンライン授業を続けてもうすぐ2年近くになる。この間、大阪には一度も行ったことがなかった。私が暮らす町は、京阪電鉄の最寄り駅から40分間ほどで大阪市中心の地区に着くにも関わらずである。ほとんどはこの最寄り駅から中心部まで30分間ほどの京都市内に行く。

 なぜなのか?それは京都の街は、街中を鴨川の清流が流れ、それなりの落ち着きがありホットする街だからだ。一方の大阪はなぜか落ち着かず、同じ街中の喧騒があっても疲れる都市だから、よほどの用事がない限り行くことはない。しかし、中国人の観光客たちには、大阪はとても人気度が高い。中国の都市の多くは、喧騒があふれ、落ち着きがとてもない文化風土。そんなところが大阪とは共通していて、中国人は心が落ち着くのだろう‥。こんな風土文化などの違いも、政治風土の違いともなってきているようだ。

■昔、大阪も人情のあふれる街並みの光景が多くあった。商売と人情の街というイメージだったが、今はかなりその光景も変わってきている。特に、800人を超えるタレントを擁する吉本興業が、この街の支配者のもう一つの顔だ。「おもろてなんぼ」という文化風潮の街へと変貌していった。吉本興業所属の芸人やタレントには、「この人の人間味はとてもいいなあ」という人もけっこう頭に浮かぶが、総じて日本のテレビ界に現在出ている若手タレント・芸人?は「薄っぺらな」芸?で闊歩している。まあ、日本人の劣化現象に大きな影響を与え続けているのが吉本興業。

 日本の民放テレビ局への圧力でテレビ界に絶大な影響力もある吉本興業。自民・維新・吉本興業・竹中パソナの連携的つながりは、特に安倍首相の時代から生まれてきていると言われている。最近では、関西テレビ(KTV)[フジテレビ系列]の朝の報道番組(メインキャスターは谷原章介)の、メインキャスターとして橋下徹氏がほぼ連日のように出演している。この橋下氏や大阪府吉村知事を影で上手操る人が松井一郎(大阪市長・日本維新の会代表)だ。

 3年ほど前に、私はブログで「維新と吉本が日本をダメにする」をテーマに書いたことがあった。そして、現在、そのことが現実になりつつあるのかもしれない。私は、自民党や維新の会の政策でもある、「憲法改正」や「外交政策」に対して、共感するところもある。中国という国の最近の動向を目にする限り、「平和がいいから」という単なる憲法擁護などの単純思考には疑問も感じている。

 政治は「国民の生活(経済)」と「外交関係」の二つが二大要件だ。だが、日本維新の会は、国民生活における格差是正や富の分配では、最も反対している新自由主義の筋金入りの党であることを、大阪府民や兵庫県民をはじめとする、日本国民は知っておくことはとても重要だ。だが、テレビ界は、吉本興業の支配もすすみ、なかなかその日本維新の会の本質を国民に知らせない。そして、マスメディアの少なからずがこれに追随する。

 再生されるべき立憲民主党や日本共産党などの野党勢力は、これらの対策をどうとるかも問われている。

■今日11月22日付の朝日新聞には「連合よ いまこそ労働者を見よ—政府との過度な協調を見直し、賃上げの主体に」という見出し記事が掲載されていた。記事は日本女子大学名誉教授の高木郁朗氏へのインタビュー記事。

 1990年代に入ってからの30年間、ほとんど賃上げのない状況が続く日本社会だが、その原因の大きな一つは、日本の労働組合組織「連合」の、労働者を見ず、あまりにも政府との協調・企業との協調路線にあるとする。日本の労働組合の組織率は、1947年には56%あったが、1960年代・70年代には30%台となる。特に80年代からは組織率の下降の一途をたどり、2019年には17%にまで下がってきている。2020年には少し上がり18%。

 現在の日本の労働組合のセンターでは、「連合」には700万人が加盟し、「全労連」には75万人、「全労協」には10万人が加盟している。日本では最大の組合組織の「連合」は、"赤い貴族"とも呼ばれ、労使協調路線をとる。最近、神津会長から芳野友子会長へとトップは交代した。しかし、この芳野氏のこの間の言動をみる限り、「労働者」を見ず、神津氏以上に政府協調・労使協調路線の人のようだ。立憲民主党には、「日本共産党などとの野党共闘は言語道断」と言い切る人物だった。

 

 

 

 

 


衆議院議員選挙結果を巡って➊日本における貧富格差、コロナがさらに貧困問題を直撃したが

2021-11-20 08:46:15 | 滞在記

 今年の8月には支持率が30%前後と低迷していた菅政権。9月にはいり、菅首相の突然の事実上の辞任表明を受けて、自民党内の政局は一気に動いた。そして、9月29日の4氏による自民党総裁選挙で岸田文雄氏が自民党総裁に選出され、10月4日に岸田内閣(政権)が発足した。その内閣や幹事長など自民党中枢幹部の顔ぶれは、安倍・麻生元首相の政局影響の強いものとなっていた。その後、10月31日に衆議院議員選挙を行うという短期決戦を決めることとなった。

 この衆議院選挙までの3週間、さまざまな報道期間は、選挙の争点や結果の予測について報道がされる。10月20日付朝日新聞には、「衆院選告示 コロナ・格差・多様性問う―岸田・菅・安倍政権に審判、5野党/217選挙区」の見出し記事、10月中旬の朝日新聞には「岸田首相"新しい資本主義"源流たどる―"分配重視の源流探る"独自色打ち出す/渋沢栄一に共感」などの見出し記事もあった。岸田首相はかなり、新自由主義によって拡大してきた格差や貧困の問題を意識した政策を選挙戦でも模索もしているよでもあった。

 選挙前の10月下旬の夕刊紙「夕刊フジ」では、「自民50減—甘利幹事長落選危機」「自民単独過半数割れ、勢いは間違いなく共闘野党」「ジリ貧岸田自民 地滑り的な敗北の可能性」などの見出し記事が掲載されてもいたが‥。

 この1年間、新型コロナ感染拡大が繰り返され、これにより、「貧困問題」がより拡大してきていた。特に、非正規で働くシングルマザーなどの生活困窮が、より広範な人々を直撃してきていた。書店には、『貧困女子—助けてとは言えない39人の悲しき理由』(カラダを売っても食べるのがやっとの生活 人生が自転車操業 もう限界)や、『東京貧困女子』、『女性たちの貧困』など、非正規労働の女性たちの問題についての書籍も並んだ。

 この10月29日付朝日新聞の「母子SOS"住む場所失う"―コロナ禍直撃、仕事・貯蓄なし 全財産2万円、1歳児と―"貧困の連鎖断つ策を」の見出し記事を読み、胸が詰まった。

 10月25日付朝日新聞には「格差の時代―激しさ増す"ことば"」の見出し記事。記事には、「ワンチャン」(成長神話よりも偶然性)、「上級国民」(ネットで伝染する悪意)、「タワマン文学」(図式化が作り出す幻想)などのことばが説明されていた。同じく10月20日付には、「30年間増えぬ賃金 日本22位 上昇率は4.4% 米国47% 英国44%」の見出し記事。記事によれば、日本人勤労者の平均賃金は424万円で、米国とは339万円も低いこと、G7諸国や韓国などと比較すると、この30年間の賃金上昇率が極端に低いというよりも、ほとんど上昇していない国であることが報道されていた。

 10月20日付朝日新聞、「新自由主義と社会保障―アベノミクス9年 非正規やひとり親への欠けた配分の回路」の見出し記事。(中央大学教授 宮本太郎筆)  「"1億総活躍"も"自助"もムリ筋—先に待つのは"無助"の社会」のネット記事(宮本太郎筆)もあった。10月21日朝日には「富裕な高額者への増税も"議論"を」(明治大学准教授 飯田秦之)、「下位層への再分配 道筋示して」(東京大学名誉教授 大沢真理)などの記事も。

 —日本における経済的格差(※純金融資産保有量2017年)の世帯階層別割合は次のようになっている―

❶超富裕層[5億円以上]8.4万世帯/全世帯の0.15%(84兆円保有)、❷富裕層[1億円以上~5億円]118.3万世帯/全世帯の2.2%(215兆円)、❸準富裕層[5000万円~1億円]322.2万世帯/ 全世帯の6.0%(247兆円)、

❹アッパーマス層<大衆上位層>[3000万円~5000万円]720.3万世帯/全世帯の13.4%(320兆円)、❺マス層<大衆層>[3000万円未満]4203.1万世帯/全世帯の78.2%(673兆円)

■この階層別割合を見ると、❶の超富裕層数と❷の富裕層数の割合は、日本の全世帯数の割合の2.35%となる。この経済的階層は、日本の純金融資産保有量の20%を占めていることとなる。

—日本人資産家ランキングTOP100(2020年)では、次などのようになっている—

1位柳井正(ユニクロ)2兆4000億円/年間所得20億円、2位孫正義(ソフトバンク)2兆2000億円/年間所得53億円、3位滝崎武光(キーエンス)2兆2000億円/年間所得10億円、4位三木谷浩史(楽天)5800億円/年間所得1.5億円、5位前澤友作(Zozo)2500億円/年間所得18億円、6位‥‥‥、‥‥‥100位。

※有名人としては、41位北野武/ビートたけし110億円/年間所得16億円、秋元康(AKB48などのプロデューサー)100億円/年間所得25億円、61位有吉弘行(タレント)51億円/年間所得6億円、85位指原莉乃(タレント)16億円/年間所得5億円、92位堀江貴文(著作業・実業家・タレント)10億円/年間所得3億円などが入っている。

—年間所得(給与)実態調査[国税庁発表2019年版]では、日本の勤労者6418万8985人の所得を次のように発表した—

❶100万円未満:898万人(13.9%)、❷100万円~200万円:1071万人(16.7%)、❸200万円~300万円:945万人(14.7%)、❹300万円~400万円:969万人(15.1%)、❺400万円~500万円:807万人(12.5%)‥‥‥‥‥、⓭1億円~2億円:1万6000人(0.03%)、‥‥、⓰10億円~20億円:442人(0.01%)、⓱20億円~50億円:206人、⓲50億円~100億円:31人、⓳100億円以上:16人

■この年の日本人の平均年間所得(給与)は436万円。貧困の目安とされる200万円以下の❶❷の合計比率は30.6%とされるので、勤労者の3人に1人はこの層となる。ちなみに、初任給を19万円とすると、1年目の人がボーナス込みで年間所得は260万円程度。平均年収436万円は、順当に昇進して社会に出て7年~10年という中堅どころが得る金額。❶❷❸❹の400万円以下の人の合計比率は60.4%。勤労者の3人に2人の割合となる。400万円以下が多いにもかかわらず、平均値を押し上げている高額所得者も多いことを示している。

■勤労者約6400万人に該当しない人が多い高齢者(年金暮らし)は、この勤労者年間所得データには入っていないので、これらを合わせると、年収が200万円以下の割合は、40%をはるかに超えて、50%近くになるのではないかと思われる。つまり、国民の2人に1人が相対的な貧困層だ。(※年金の平均支給額は現在、①国民年金と②厚生年金の両方を支給される人で年間147万円。これから、高額な税金や健康保険料や介護保険料などを徴収されると、あとにはあまり残らない。①の国民年金だけ支給される人は、さらにさらに所得が低くなり、年間の平均受給額は60万円ほど。これから税金や保険料などを引かれると、残るのは雀の涙ほどとなる。更に輪をかけて、年々、年金支給額は削減されてきている。)

■10月の「赤旗日曜版(日本共産党発行)」に、「1億円の壁=所得が1億円を超えると税負担率が下がる」という見出し記事が掲載されていた。それによると、年収が増えるほど税負担率は上がり1億円の所得に対する税負担率は27.9%となるが、1億円を超えるとだんだん税負担率の下降し、100億円の所得に対する税負担率は16.2%となっている。これは大企業や高額の株などの資産運用をして高額所得を得る者に対する超優遇措置だ。ちなみに、日本人の年間平均所得の場合の400万円~500万円への人への税金は20%。つまり100万円近くが税金として徴収されている。

■この2021年10月末に実施された衆議院議員選挙では、2000年代の小泉内閣(参謀は竹中平蔵)から始まった新自由主義政策によるこの所得格差(貧富の差)の拡大是正や非正規労働者の拡大是正(特にコロナ禍下で顕著となった貧困の問題)などが最大の争点となる必要があったのだが、そうはならなかった。選挙結果は、政党の中ではこの所得格差(貧富の差)是正に最も反対している日本維新の会が大躍進するという結果に終わった。