彦四郎の中国生活

中国滞在記

学生達の「日本に関する」興味・関心とは?---レポート発表から---

2013-12-25 12:08:32 | 滞在記

 年末がさしせまってきたが、12月31日まで大学の授業がある。そして正月3日間の休みが終わったら4日から大学は再開し、前期試験期間となる。1月19日から、中国の春節(旧正月)を挟んで、1か月間あまりの冬休みに入る。
 年末やクリスマスのための買い物をする人々で、夕方の福州の街はごったがえしている。大学から宿舎に帰るための公共バスも大勢の人が乗り組んでいるので、なかなかバスの中にも入れないことが多い。そして、大渋滞。大渋滞にしびれをきらしたバスの運転手が、広めの歩道に乗り上げて走り始めたのには少々驚いた。こんな光景がここ1週間ほど続いている。

 昨日は、中国人の教員から2年生の「日本語劇」発表会に向けての指導コメントを依頼されたので、午後から5つの劇のリハーサルを見てコメントした。2年生の前期も終わるこの頃になると、日本語の上達がめざましいようだ。1年生は、ようやく「動詞の活用」の学習に入ってきたので簡単な会話が日本語で成立するようになってきている。
 3年の学生達との授業では、「自分の興味・関心のあることについて」のレポート作成と発表に取り組んだ。レポートのテーマとして「日本に関すること」を発表した学生は、40人中24人。この報告から、学生達が「日本の何に興味・関心があるのか。」が少し見えてくる。発表テーマとしては、「日本のアニメ」「日本のテレビドラマ」「日本人と新聞」「茶道の精神」「日本の一流企業」「日本の料理」「日本の和服」「科学技術におけるロボット」「日本の歌舞伎」「日本人の平均年収」「日本人の美意識と桜」「日本の大学生卒業生の就職について」「日本人の行儀と禁忌」「中日における謝罪表現の認識の差」「日本の車」「東京タワーとスカイツリー」などが日本に関するテーマである。特に、日本のアニメーションへの関心は高いものがある。現在20~21才の学生達は、小学生のころから「日本のアニメ」を見て大人になっているようだ。日本のアニメは、「ストリー性(物語)と映像の良さ」があるという。中国のアニメはまだまだ---と思っている。とりわけ、スタジオ・ジブリ(宮崎駿作品)が一番好きと言う学生が最も多い。次いで、「ドラえもん」「ちびまる子ちゃん」「名探偵コナン」「ワンピース」「犬夜叉」「クレヨンしんちゃん」---などが続く。

 先週の土曜日、大学の「日本文化研究サークル」が、福州大学のサークルと合同で「日本文化教室」を開催。参加依頼されたので行ってきた。茶道と寿司作りの実演。茶も寿司もけっこう美味しかった。日中関係の難しいこの頃だが、このように日本に興味を持っている一群の学生達たちも存在している。





3年:日本語で「ディベート」の授業-「環境問題」「結婚問題」-

2013-12-17 17:47:59 | 滞在記

 福州は、先週の金曜日から5日間、雨が降ったり止んだりする日が続いている。風が強い日もあった。こんなにまとまった雨が長く降るのは、8月下旬に中国に来てから初めてである。この天候のおかげで、10日間あまり続いた「汚染空気中」の微小粒子物質PM2.5が落下したり、流されたりしたようで、スモッグがなくなり、「空気の質:レベル1(良好)」と本日報道された。ようやく普通レベルの空気に戻り、大学の遠方にある高い山々もよく見えていた。日中の最高気温は12度くらいと寒い日が多くなってきた。

 先週、3年生の「総合日語5」の授業では、「ディベート」を行った。テーマの①「住むなら、田舎より都会の方が良い。」②「結婚するなら、見合い結婚の方が良い。」の二つについて、賛成側・反対側に分かれて討論し合った。「中国の学生は、自発的に意見を言ったり発言したりすることが少ない。」と一般的に言われているが、その傾向は私も普段の授業で感じている。しかし、「ディベート形式」をとると様子が違ってきた。過熱するぐらいに、意見や発言が出てくる。意見や発言の際は「日本語を使用しなければならない。」。だが、過熱して「日本語で表現」できない時「中国語」でまくしたててくる場合もあり、司会から制止される。なんとかグループの人に日本語での言い方を教えてもらったりして発言を続けたりもしていた。

 これらの「ディベート討論」を通じて、「空気・水・食べ物」などの深刻な問題や「家族や地域の人達との人間関係・つながり」の問題、そして「結婚や仕事」の問題などに関する、中国人学生達の問題意識なども見えてくる。例えば、結婚に関しては「両親の存在や思い」を大切に考える傾向が日本よりもかなり強く、結婚適齢期は25才頃(女性)と考える学生が多い。
 先週の金曜日の授業終了後、3人の女子学生から「先生。いつも同じセーターを着ています。明日、安くて良い服が売っている店に私達が案内します。行きませんか。」と言われた。(※何着かのセーターはあるのだが、私は同じものを続けて身に着けてしまう傾向がある。) 土曜日の夕方、学生が宿舎にやって来て、福建省で「衣服関係の店舗数最大規模を誇るらしい」中亭街に一緒に出かけた。中亭街での衣服選びが終わった後、以前行ったことのある「日本料理居酒屋:古都」に学生達を連れて行った。彼女達は、日本料理を食べるのが初めての経験のようだった。「おいしいです。」といいながら食べ、日本酒も「あまくて、からくて おいしい!」と言って飲んでいた。(※中国では、喫煙や酒の年齢制限は特にないが、「中国の白酒(※バイヂュウ--52度)より、おいしくて飲みやすい。」らしい。

 日中関係の緊迫が続く中での中国生活。このような学生達との交流は、ありがたい。11月中旬から12月上旬にかけての連日の日本批判ニュース番組の嵐は、少し弱まってきているようだ。北朝鮮情勢に関するニュースは、日本では関心が高く毎日報道もされているようだが、中国では「12月上旬に、張成沢(チャン・ソンテク)氏の失脚と処刑の事実が短く報道された時と、今朝、金正日没後2周年式典が短く放送された。」だけの2回しか私は見ることができなかった。






 



 

中国における大気汚染の深刻さ 

2013-12-14 04:24:53 | 滞在記

 先週の土曜日、ついに福建省の省都「福州」でも始まったPM2.5を含む大気汚染。大学に行って学生に聞いてみると、「福州で生まれ育ったが、福州で大気汚染を経験するのは初めてです。」と言う。福建省は、北京や上海、南方にある広東省の広州からも遠く、山地・山脈で他の省と隔てられているため、今まで大気汚染の影響がほとんどなかった省らしい。
 昨日の早朝、出勤途中のバス内のテレビ放送で、「福州の大気汚染は、昨夜の雨で少し改善されました。空気指数が3レベルから2レベルに下がりました。」との説明がなされていた。少しほっとするが、遠方の景色は依然として靄(スモッグ)で見えない。
 中国では、「空気の状態」を次の6レベルに識別している。「1級→良好、2級→良、3級→軽度汚染、4級→中度汚染、5級→重度汚染、6級→警戒超重度汚染」。現在指数2レベルは、「良」と表記されていても、大気が汚染された状態である。レベル1にならないと普通の空気ではないことになる。

 中国国内の大気汚染は、昨年度までは①北京周辺の華北地方②東北地方(満州)➂重慶周辺の四川地方④広東省の広州・深圳周辺が汚染地域だつたが、今年の冬になって、一気に国土の半分近くまで広がってきている(※上記の地図の赤線で囲まれた地域)。東北地方の遼寧省では、汚染指数の非常に高い8都市に対して罰金が科せられた。省の「面子」を汚しているということで、各都市に約10億円の罰金。そのお金は、空気汚染対策に使われるらしい。中国政府も巨額の資金で対策を講じているのだが----。

 上記の写真2枚は、1960年代末から1970年初め頃の東京。当時「光化学スモッグ」と呼ばれていた、日本の大気汚染問題。大阪に行った時、空が「スモッグ」に覆われ、ぼーわっとした薄い灰色になっているのを見たことがある。日本の場合、四大工業地域(東京・名古屋・大阪・北九州)や四日市(三重県)や水島(岡山県)の地域以外の地方までは、大気汚染の広がりはみられなかった。環境問題に対する世論や住民運動などの高まり、そして環境改善の技術の開発があり、その後の改善に好を奏した結果となった。中国は、どうなるのだろう?テレビ放映を見る限り、「汚染の事実」は放映されるが、空気汚染への抗議や住民運動などの映像はまだ見たことがない。





ついに福州にも、PM2.5を含む汚染空気が南下してきた

2013-12-10 17:44:02 | 滞在記
 先週の土曜日(7日)の朝、外を見たら霧のような靄(もや)に包まれて視界が悪くなっていた。このような状態が一日中続いた。翌日の日曜日も同じように続いた。空気が、かすかに「こげくさい」臭いがする。これは、もしかすると汚染された空気?!かもしれない。しかし、金曜日(6日)の空は、靄(もや)などのない青空で、視界もよかったのに?

 上の写真は、宿舎近くの同じ地点から撮影したものだが、左の写真は9月上旬の曇りの日で、右の写真が日曜日(8日)の写真。曇りの日でも見ることができる向こうの山が靄(もや)のようなものにさえぎられて、まったく見ることができない。日曜日の午後、福建師範大学に勤めている友人の宿舎で開かれている会食に出かけて行った。そこで、「空気」のことを中国人学生達に聞いてみたら、「とうとう来てしまいました。悪い空気の塊が。福州のテレビで放送されていました。」とのことだった。とうとう、北京や上海からも相当遠い、中国華南地方まで空気汚染の影響が出てきたのかとショックを受けた。

 中国ではここ数年、大気汚染がますます深刻化してきている。その汚染地域は、北京がある華北地方から全国的に広がりつっあるようだ。華中地方にある上海は、昨年度まではあまり空気汚染の問題は少なかったようだが、今年の11月下旬から深刻な空気汚染に見舞われている。12月上旬のテレビ放映では、汚染度レベル6(※6段階の汚染度指数のうち最高。50m先が見えない。)と報告されていた。東北地方のハルビンや長春も同じように深刻らしい。そんなテレビの放映を聞いて、「まさか、京都から仙台までの距離ぐらい上海から離れている福州までは--。」と思っていたが、とうとうやってきてしまったようだ。中国全土の半分近くが空気汚染に直面していることになる。
 中国は現在、エネルギーの75%を石炭から作り出している。特に、冬が始まる11月中・下旬になると、国や地方行政の方から、各家庭に暖房用石炭の支給がされ始める。各家庭の暖房の煙、工場の煙、車の煙などの量は、日本の比ではないようだ。

 今日の朝、通勤途中のバスの中のテレビで、福州にも到来した汚染空気(※中国では「ウーマイ」と発音。微小粒子物質PM2.5が含まれている。)に関連するニュースが流れていた。汚染度レベルは3(軽度)と表示される。この汚染空気は、「蔣結束」(もうすぐ終わる)とアナウンサーが言っていたが、いつまで続くのだろう。大学の教室からいつもは見える山々もかすんで゜見えなかった。

日本人・中国人の相互理解を、「言語表現の違い」から考え合う授業

2013-12-08 08:44:03 | 滞在記

 一昨日の金曜日、午後も3年生の補講授業があるため、1時間目から8時間目までの連続授業となった。体が少々疲れ気味。午後の授業が終了後、「午前中の授業の時、先生のセーターの脇が破れているのに気が付いたので、糸と針を持ってきました。セーターを脱いで下さい。」と突然言われ、修復してもらうことに。
 また、木曜日には、1年生の授業だったのだが、朝の授業が終わって午後の授業に出かけるまでに3時間ほどの空き時間があり、大学の部屋で仮眠をしていたら、寒さで目が覚め(部屋には暖房器具や布団や毛布がないので)、風邪をひき始めてしまった。授業のため教室に行っても「くしゃみ」が出てくる。学生達に、「私の大学の部屋には、布団がありません。我没有被子大学的房間。寒いです。一点我得感冒了。」と話してから授業を始めた。授業終了後に、一人の女子学生がやつてきて、「先生。私の布団は 2つです。一つ 先生 使うですか。」と言ってくれたのには面食らった。申し出を丁寧に辞退させてもらったが、このようなことを言ってくれる学生がいるとは、針の穴ほどにも考えていなかった。これらのことは、日本の大学の学生と先生の関係の中では、ほぼありえないことだと思うのだが。これらは、「一旦、人間的な関係ができてくると、身内に対するような情を中国人は持つようになる。」と言われていることの一つの出来事なのだろうか。

 11月の中旬すぎから、3年生の「総合日語5」の授業では、「謝罪表現・感謝表現・非難表現・接客表現」などに関する一連の授業を実施している。授業準備のために、これらに関する日中双方の研究者の論文などを何編か読み、日中の言語表現や心情の比較などをしながら、授業を進めてきた。
 日本人から見た中国人への一般的なイメージ(中国人観)の一つとして、「すぐにはあやまらない。なかなか謝罪しない。自分が悪くても、相手の非をまくしたてる。」「日本人は、相手にかかわらず、すぐ感謝の言葉を気軽に表現するが、中国人はそうではないらしい---。」「中国人の接客態度は、ぞんざいで荒っぽいらしい---。」などなどがあるように思われる。このため、日中の政治的問題における緊張関係の高まりを考えた場合でも、「やっぱり、中国人は自分の方が悪くても、非を認めず、面子にこだわり相手の非をまくしたてている。」と感じてしまうこともあるのだろう。実際、中国社会で3か月以上生活してみて、そのような中国人観にあてはまる場合をよく経験もし、見てもきてきた。しかし、これは、「表面的な中国人観・中国人に対する見方」にすぎなかったことも、私自身感じ始めてきている。

 一連の授業の中で、言語表現と歴史的・文化的な社会背景をも説明しながら、諸表現や心情についての日中双方の共通性や違いについて、中国人学生達と話し合いながら授業を進めてきた。例えば、「謝罪表現」について比較すると、日本人の場合「すみません。」や「申し訳ありません。」などをすぐに表現する。謝罪の言葉をまず相手に言って、具体的補償内容はは相手に委ねる。相手が「そこまで謝るなら、もういいよ。気持ちはわかったから。」で済んでしまう場合もよくある。逆に、すみませんや申し訳ありませんの言葉が初めになくて、お金の補償から切り出した場合、「おまえ、気持ちがないやろ!金払えばいいって問題じやないやろう!!」と、軽いトラブルや問題でも事態が深刻になりかねないことにもなる。最初に「謝罪言葉ありき」の社会である。
 一方、中国人は、「すみません。」「申し訳ありません。」に相当する「不好意思」(ブハイ・イス)や「対不起」(ドィ・ブチ)をなかなか表現しないのが一般的であるようだ。混雑した場所などで、体がぶっけられてヨロヨロした場合、瞬時に相手に期待する「すみません。」の一言が返ってこない場合の多い中国社会。中国の研究者の論文や学生達の話によると、ものすごく人が多い中国社会では、体がぶつかるのはあたりまえのことで、お互い様ということなので、一方が悪いというような謝罪の対象にはならないと考える人が多いという。また、いったん「対不起」と表現した場合は、日本でいうところの「もういいですよ。」と言われても、補償を含めた何らかの謝罪行動をとらないと気持ちが済まないという心情があるのだという。つまり、言葉で謝罪するというよりも、謝罪する場合は心情を伴う現実的な行動で表現する傾向が強いということがうかがえる。

 日中どちらの謝罪のあり方が良いかは、判断はしかねる。しかし、はっきり言えることは、日本の謝罪行動の方がお互いにそれぞれの非を認め合うのに早くたどりつけることは確実に思える。一方、中国の方は、お互いの非を認め合うのにすごく時間がかかるが、その後の実質的な謝罪表現行動は「情と実」のともなったものとなるのことが多いように思われる。そして、中国人の「謝罪表現」に関しては、世代間の違いが大きく、若い人ほど「謝罪の言葉」を早く出す傾向が強く見られてきているという。
 一昨日の早朝、大学に通勤するバスに乗っている途中、片側4車線ある大きな十字路の交差点で信号待ちをしている時、横断歩道の中央付近で、バイクと電動自転車の二人の男性が、お互い相手に人差し指を突き付けながら、「お前が悪いんだろうが!」と激しく言い合っている。その二人を避けてたくさんの車が通過していく。おそらくその場でえんえんと責任をめぐって口論が続くのだろうが、100%主張しあい、お互いがもう言うことがなくなり、疲れてきて冷静になってから、解決にけ向かい始める会話になっていくのだろうか---。