彦四郎の中国生活

中国滞在記

春節まで10日余り後にせまった中国

2014-01-20 15:45:03 | 滞在記
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 中国の旧正月である春節まで後10日間余り。大学の寮に住む学生達も、ほぼ全員が故郷に向けて帰って行った。学生のいない大学は、静寂につつまれている。18日(土)に、市内をぶらぶらしていたら、「習字」や「絵画」を学ぶ朱子書画院という場所があった。明の時代から続いている書院(塾)らしい。この日は、小学生達が書道の練習に励んでいた。墨の匂いが心地よい。

 市内は、春節に向けて食材を買い求める人々や、故郷へのお土産を買う人々でごつたがえしていた。市内の交通機関も大渋滞で、バスもなかなか前に進めない。バスの中は、それこそすし詰め状態で、次から次へと人々がぎゅうぎゅうのバスの中を乗り降りしてくる。
 ある市場に行ってみた。豊富で大量な野菜や果物、そして魚や肉類。肉類は、毛や皮を剥がされた動物そのままのものも多い。30種類くらいの漬物。家族そろって食べるお菓子や酒や餅。それこそ、京都の錦市場や大阪の黒門市場の雰囲気とは違った、かざりけのないエネルギーに満ち満ちた生の情景が見られる。

 学生達の話によると、「中国の春節」は、大晦日の夜12時まで、日本の「紅白歌合戦」に匹敵するようなものを見ながら、食べ・飲みするそうだ。12時からは、市内のあちこちから一斉に爆竹が鳴り響き始め、町が間断なく大爆撃されているような音が早朝まで続き、とても眠ることなどできないという。

 19日(日)の午後2時半に、関西国際空港に到着した。京都の自宅に帰るため、大阪の地下鉄等を利用した。中国に渡る以前には、大阪の街が非常にうるさく、落ち着きのない街に感じられていた。今回中国から帰ってくると、ゴミのない静かな街に感じられるのが不思議な感覚。




やはり異郷の地で、山頭火と放哉に出会う

2014-01-17 05:46:39 | 滞在記

 1月4日(土)より2週間、大学は前期試験期間に入った。試験期間に入ると、寮では勉強に集中しにくいためか、夜遅くまで空き教室で勉強にいそしむ学生が多く見られるようになった。私の担当している1回生と3回生の試験は、それぞれ13日と10日に実施した。
 3年生の「会話能力試験」は、一人10分×40人分で、午前8時半から午後3時半までの約7時間を休みなしで実施。最後の40人目も、隣の控え教室で約7時間を待つことになった。(携帯電話などで試験問題が漏れたりしないための措置:控室にも監督教員がいる。) 今週末の今日までに、成績等に関する関係文書を作成提出して、前期の仕事がようやく終了する。明後日の19日からは、約1か月間の冬休みに入る。そして、1月31日からは、「中国の春節」が約1週間。故郷で、家族そろって過ごすための民族大移動がすでに始まっている。
 試験をすべて終えた学生達は、故郷に帰郷する。閩江大学の学生は広域から来ているため、遠くは東北の「吉林省」まで40時間あまりかけて帰る学生もいる。キャリーバックと背中にリュツク・バックを背負う姿が、大学のバス停留所に多く見られるようになってきた。そして私は、1月19日から2月12日まで、日本に一時帰国予定。

 8月下旬から今日までの約5か月間は、とても長く感じられた。中国社会のさまざまな様子を見、いろいろなことを経験し、すでに1年間以上が経過したような気がする。大学の授業などでの学生達との交流はあるが、大学から1時間あまり離れている市内の旧キャンパスにある宿舎での一人暮らしは、中国語がほとんど聞き取れない中、「孤独や不安」を感じる日々も多くあった。そして、ある程度親しい間柄になったらなったで感じる、人間関係における「日本人と中国人との間の、考え方や実際行動様式の大きなギャップ」に対応できないとまどい--。
 そんな中国生活の中で、「山頭火と放哉」に出会ったように思う。淋しい時、孤独を感じる時、そして心が穏やかな時も、時折彼らの句集に共鳴し、慰めともなった。日本で彼らの句集を読んでいた時とまた違い、彼らの「叫びや感嘆・あきらめ・心穏やか」な心情などがより深く私の中に入ってきている。そんな彼らの句集より------。


[種田山頭火]1882-1940(享年57歳)
「まっすぐな道でさみしい」
「夕焼雲のうつくしければ人の恋しき」
「分け入っても分け入っても青い山」
「けふもいちにち風をあるいてきた」
「月が昇って何を待つでもなく」
「やっぱり一人はさみしい枯草」
「こころおちつけば水の音」
「すべってころんで山がひっそり」
「ふりかえらない道をいそぐ」

[尾崎放哉]1885-1926(享年41歳)
「ころりと横になる今日が終わって居る」
「雀のあたたかさを握る はなしてやる」
「咳をしても一人」
「呼びかえしてみたが話も無い」
「ゆっくり歩いても灯台に来てしまった」
「庭をはいてしまってから海を見ている」
「夕空見てから夜食の箸をとる」
「障子をあけておく 海も暮れきる」
「障子しめきって淋しさをみたす」
「鳳仙花の実をはねさせてみても淋しい」
「いつしかついてきた犬と浜辺に居る」

















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2014-01-07 10:47:46 | 滞在記

 12月の年末に学生から、「先生。1月1日から3日までの予定がなかったら、私の故郷に来ませんか。」と言われた。1日から一週間あまりの休みがあり、この間どう過ごそうか困っていたところだったので、「では、行ってもいいですか。」と二つ返事をした。
 一日目(1月1日)、もう一人の学生(湖南省長沙)の学生ととともに3人で、学生の故郷:福建省三明市尤渓(ゆうけい/ヨウシー)に新幹線で向かった。1時間あまりで到着する。学生の祖父(おじいちゃん)のアパートに泊まることになっているので、まずはそのアパートに行った。おじいちゃんは、笑顔で私達を迎えてくれた。午後は、尤渓の町を散策する。福州から西方の山間地区にあるこの町は、町中を閩江(びんこう)の支流の川沿いに発達した町で、こじんまりとしている。緑深い山々が間近に迫り、妙に感心感を与えてくれる町であった。空気もおいしい。

 夕方になり、町の郊外にある学生の父が(おとうさん)が経営する「自動車販売店」に学生の兄(おにぃちゃん)の車で行く。ちょうどオートバイかあったので、借りて1時間あまり疾走させてもらう。お父さんの友人たちも交えて、おじいさんのアパートに行き、夕食・宴会となった。料理や酒も地元のもので、美味しかった。そして、いつのまにか眠ってしまった。宴の最後のあたりの記憶がなかった。

 二日目(1月2日)、朝は近所の小さな食堂での朝食。その後、小高い山の上にある「尤渓保安寺」に向かう。登ること30分で到着。町が一望できた。中国式「おみくじ」を教えてもらい、引いてみた。番号33番の観音霊答は、「身宮清吉喜平安 在家出外一般般 春夏平平秋冬吉 凡事称心大喜欣」となっていた。たいへん良いものらしい。

 山を別ルートで下り、昼食をとる。そして城門などの場所を散策を散策する。小さいが歴史のある町のようだ。夜は、お父さんの店で鍋料理を囲んで、昨日に続く宴会となった。この日も酒を飲みすぎて、私だけこの店のソファーで眠り泊まる。
 三日目の1月3日、朝10時の新幹線で福州に帰った。










年末のこと②---家族が帰国。そして大晦日---

2014-01-04 14:44:45 | 滞在記

28日(土)は、家族が福州に来て4日目。早朝から、宿舎周辺の河川公園に出かける。公園内には、いろいろなグループや人々が、「ダンス」「太極拳」「釣り」「体操」「舞踊」などをしている。そして、ごった返す人々で溢れる庶民の露店市場にも出かけた。宿舎のある旧キャンパス内では、福州市老年大学の文化発表会が開催されていたので見てもらう。また、500軒ほどの露店:骨董・日用品が並ぶ通りを巡ったり、庶民の家が所せましと立ち並ぶ狭い路地裏を通って中華街にも行った。どこも人・人・人、そしてエネルギーにむせ返る中国社会の庶民生活の様子を見てもらいたかった。

 午後には、西禅寺に出かける。とても立派な寺院。夕方6時から、3回生の学生達と日本料理居酒屋で会食。学生達から福州のお土産をたくさん渡され二人は恐縮しながらも喜んでいた。
 実質3日間、福州に滞在し、29日(日)の早朝、二人は日本に帰国した。

 翌日の30日(月)、中国に来て初めて熱が出た。38.5度くらい。一日中寝ていた。中国に来てタバコもビールも欲しいと思えない一日だった。翌朝の31日(火)。熱も下がって体調が回復。午前中は1回生の授業。午後、日本語学科の先生達と昼会食。1か月前に准教授に昇進した先生のおごりだった。そして、大晦日の夕方。学生二人が宿舎に来て夕食を作ってくれる。12月当初は、孤独な大晦日をイメージしていたが、にぎやかな一日となった。9時ごろに学生達は、大学の寮に帰って行った。ウトウト眠っていると10時半頃に電話があり、「市内大大大渋滞でバスが動きません。寮に帰れない!!」との連絡あり。心配したが、大晦日中には、帰れたとの連絡が入って安心する。

年末のこと①--- 家族が福州に来てくれた---

2014-01-04 13:53:54 | 滞在記

 中国の年末・年始は、1月1日が休み。大学は、12月31日まで授業がある。そして、1月2日から授業再開。年末の12月25日の夜、家族が福州に来てくれた。妻と娘を宿舎に案内し、近くの公園で毎夜繰り広げられる各種舞踊グループの見学に誘った。翌日26日(木)は、1回生の授業を担当するため、家族とともに大学にバスで出勤。授業の初め、2人に自己紹介をしてもらった。その後、授業を参観・交流してもらう。

 この日の夕方6時から、2回生の「日本語・演劇発表会」があるため、家族とともに「審査員席」で劇を見る。「シンデレラ」「スマフォに夢中」「ピーターパン」「男子高校生の日常」「ペットショップ」の五つが上演された。審査の結果、1位・2位の作品は素晴らしかった。家族もとても楽しんだようだった。

 翌日の27日(金)は、3回生の授業がなくなったので、家族と市内散策。景勝地の「西湖」「烏山」や歴史的建築群が多く残る「三坊七巷」、宇山の寺院や塔を巡った。