彦四郎の中国生活

中国滞在記

11月となり、今年もまた秋がすすみはじめる❸—美山町・京北町、丹波山地の紅葉すすむ

2021-11-18 06:01:52 | 滞在記

 11月12日(金)、福井県南越前町の故郷の家から京都に戻る際、久しぶりに福井県の若狭地方を通ることにした。福井県小浜市から名田庄村へ。そして、福井県と京都府の県境にある堀越峠を越えて、丹波地方の京都府美山町や京北町を経由。美山町や京北町の丹波の山々の紅葉が見たくなったからだ。そして、京北町の二軒の親戚に敦賀の日本海市場で買った蟹やエビを届けるためでもあった。

 福井県の小浜市や名田庄村には、「小浜—京都間 約19分 みんなの力で早期開業 北陸新幹線 小浜・京都ルート/小浜市」の幟(のぼり)が国道162号線の道路沿いに立てられていた。北陸新幹線は2023年末には、金沢—敦賀間が開業する予定だ。敦賀から京都や大阪に至る新幹線ルートはまだ最終的に決定されていない。最も有力なのが、敦賀―小浜—京都―大阪のルート。工事着工開始は2031年の予定で、完成は2046年となっている。

 小浜市など若狭地方の人々の願いはわかるが、2〜3兆円の巨額の税金を投入して、今の時代にはたしてこの新幹線ルートが必要なものなのかとは思う。美山町や京北町の丹波山中を通るルートは、そのほとんどがトンネルで、地下水脈の破壊への懸念や掘り出した土や岩石の処理場となる美山町や京北町は強く反対をしている。

 標高が500mある堀越峠を越えて、その京都府美山町に入る。峠からひたすら川沿いに162号線(周山街道)を下って行く。川沿いのモミジやカエデの紅葉が美しくなっていた。この道はかって、小浜から京都まで鯖などの海鮮物を運ぶ道でもあり、「西の鯖街道」とも呼ばれた道。

 美山町は京都市内からかなり北方の丹波山地の山間地にあり、標高も高いので紅葉の訪れは早い。町の名前の通り、山の新緑や紅葉が美しい町だ。

 茅葺の家も多いので、茅葺屋根の家と紅葉の光景も美しい。

 戦国時代末期、この美山町一帯を領有していた戦国大名の川勝氏の山城や平山城が7箇所ある。そのうちの5箇所の山城に行っているが、高野地区にある今宮城もその一つ。城山は紅葉が始まっていた。

 美山町上平屋地区に京都府立北桑田高校美山分校がある。その高校に初めて立ち寄ることにした。翌日の13日(土)には文化祭があるようで、生徒たちは販売するための野菜を並べていた。この分校は、現在は農業科と家政科があり、昼間定時制で1年生から4年生までの35人が学ぶ。そのほとんどは寮生活で、全国から生徒は来ているようだ。

 美山町から深見峠を越えて京北町に入る。周山街道沿いの紅葉がみごと。

 京北町の弓削地区に福徳寺という寺がある。ここの楓(かえで)の紅葉は、ずっと眺めていたいほど、とても美しい。近くの妻の姉の家に海鮮を届けて一服する。ここから近い塔地区の妻の実家にも立ち寄り海鮮を届けた。

 周山街道を京北町から京都市内に向かう途中に小野郷地区がある。ここの岩戸落葉神社の4本の銀杏(いちょう)の大木があり、今を盛りと黄色く色づいていた。この神社の創建は不明だが、平安時代初期にはあったとされる。『源氏物語』にもこの小野郷やこの神社が登場する。

 ここからしばらく周山街道を南下し、杉坂口から脇道に入り、杉坂地区や京見峠に到着。京都市内が一望できる峠だ。西の鯖街道でもあるここを通り京都市内に入った。京都市岩倉地区の親戚(息子の妻の実家)にも立ち寄り、海鮮を届けた。

 14日(日)、家からほど近い石清水八幡宮(日本三大八幡宮)のある男山に登った。展望台のあるところからは京都盆地や京都市内、丹波山地の山々、そして比叡山や比良山系、愛宕山なども見える。奈良との県境が近い山城平野も一望できる。みごとな景観だ。また、ここから近い場所からは、大阪平野や生駒山系も一望できるし、はるか神戸や六甲山系さえも一望できる。男山(標高164m/比高は130mほど)の山麓は、木津川・桂川・宇治川の三川が合流し淀川となる。

 かって織田信長は、安土城の次に、京都や大阪の地に大城郭を築こうとしていた。候補地としてあがっていたのが三つある。一つは、京都市内の吉田山とその山麓、二つ目はこの男山のとなりの鳩ケ峰とその山麓、三つめは大阪本願寺のあった場所。今の大阪城の場所である。1582年の本能寺の変での信長の死がなければ、どこにその城郭が造営されたのか興味がそそられる‥。(※安土城のある安土山の標高は199m。比高は120mほど。信長はこの高さの平山城が大好きだ。ちなみに吉田山の標高は121m。比高は90mほど。)

 この男山も少し紅葉が始まっていた。11月下旬になると男山の紅葉も美しくなる。