彦四郎の中国生活

中国滞在記

アパート周辺の住民たちの暮らしの1コマ―11月に入り、2020年6月卒業生向けの就職説明・企業ブースも

2019-11-27 20:41:05 | 滞在記

 福建省福州市倉山区にある蘭庭新天地という団地に住んでいる。団地住人は2万人をはるかにこえるかと思う。団地には30階をこす高層住宅も多い。2000年代に入ってからできたらしいこの団地は、そのほとんどの家屋は賃貸ではなく持ち家だ。私が住んでいる建物は8階建てと団地では低い。その団地建物の8階の一室に賃貸で暮らし始めてもう3年と3カ月間。2013年9月にここ福州の大学に赴任して以来、3箇所目の住まいとなるが、ここは中国の庶民の日々の暮らしのようすがとてもよくわかる。

 11月になり、私の部屋から見えるところで葬式が2回あった。日本の葬儀と同じく花輪が葬儀前日から飾られる。花輪の習慣は中国が発祥なのかもしれない。早朝の7時ころから「葬儀楽団」が演奏を始める。葬儀楽団の服装もさまざまだ。軍隊式の楽団もあれば、派手でカラフルな服装の楽団もある。一般的に「葬儀は派手に、賑やかに」というのが中国の葬儀の伝統だが、泣き女が雇われて、盛大に号泣する場面も見られたりもする。演奏は3時間あまり続き午前10時頃に出棺となる。爆竹(ばくちく)も盛大に鳴らされる。

 葬式に参加する人たちは、平服の上に長く白い布を首から上半身に垂らしたり、白い筒頭布をかぶったり、腰に白い布を巻くなど様々だ。葬式の日の午前中は、葬儀楽団のけたたましく賑やかな音と爆竹で騒然となり、落ち着いて部屋で過ごすことがむずかしくなる。

 中国の人たちの朝食は、自分の家で作って食べるという人は少ないかと思う。家の近くの店でマントウを買って食べたり、昔からの食堂で食べたりしている人が多い。中国は食堂店がとても多いゆえんの一つだ。可愛らしい面とマントを羽織った可愛い男の子がお父さんと一緒に小さな食堂に朝食を食べにきていた。店の前に机といすを置いている食堂店も多い。

 11月中旬、結婚式を挙げてここの団地に暮らし始める新婚さんが住むアパート団地の棟の入り口に赤い絨毯とハート形の門が飾られていた。このような光景も日本では見られない。中国での結婚式に何回か参加したが、日本の結婚披露宴とはかなりちがうなあと感じたりもした。

 平日の昼や日曜日などに、地方から福州に働きに来ている農民工(出稼ぎ者)の男たちが、団地入口あたりに20人〜30人くらいが電動バイクに乗っていつも集まってくる。そして、小さなお金を賭けながらのトランプ博打をやっている。これが彼等のささやかな楽しみなのだ。同じ出稼ぎ者とも会える。11月中旬のある日、そのようすの写真を近くで撮ったら、一人が じっと私を睨みつけて目を離さなかった。彼らの仲間たちも一斉に振り返って私を見始めた。すごい集団的警戒心だ。状況からしかたなく、彼らの方に行って、「なぜ写真を撮ったのか」を中国語で説明したら、彼らは一転して、笑顔となった。中国人の民族性として、「他人を極度に警戒をする」という点は、中国の歴史・社会と密接に関連している。

 蘭庭新天地の団地と隣接している福建師範大学の倉山キャンパスグラウンドは付近の住民に開放されている。たくさんの市民がここでさまざまな過ごし方をしている。孫を遊ばせて世話する祖父母たちなど、子供から若い人、老年までさいろいろな人が来る。鉄棒をする人、ランニング・ジョキングをする人、バーレーボールをする人、砂場遊び、サッカーをする人、長縄をする人たちなどなど。

 11月中旬になり、12月22日の冬至まで約1か月。4時を過ぎると夕暮れが近くなり、グランドが日陰になる時刻も早くなってきた。夕方には少し気温も下がり寒くもなり始めたので、「石焼き芋」屋のおじいさんが時々、福建師範大学の正門前に出てくるようになった。いいにおいが漂う。

 大学では11月に入ってから、2020年の6月に卒業を予定している学生向けの就職説明会などが開かれるようになってもきている。文系学部の就職説明会や理工系学部の説明会などには求人を募集する企業ブースが構内や各教室などを会場に行われる。11月中旬には、グラウンドにたくさんのテントが並べられていた。バルーンには「2020卒業生就職説明・企業ブース」の意味の文字が。

 これを企画していたのは、「中国海峡人材市場」という中国政府や福建省政府が運営している公的企業。福建省や上海や江蘇省、広東省などの企業・約300社のブースがグラウンドでの説明会参加が予定されていた。閩江大学の学生たちだけでなく、福州市内のさまざまな大学の学生たちもここに参加をするようだ。福州市内には30ほどの大学があるが、福州大学、福建師範大学、閩江大学などを会場に年により会場の大学を変えて政府関係の「中国海峡人材市場」が開催していると思われる。

 次の日、別の企画でとして、教学楼の建物では、教室で理工系学生対象の企業ブースがおかれていた。2020年6月の、中国の大学卒業生は約750万人。年々、大学卒業生の就職状況は厳しくなってきていて、昨年の就職率は約80%くらいとも言われている。(日本は98%) このような就職状況もあり、大学院に進学して学歴アップを図ろうとする学生は年々増えてきている。福建省では、2018年卒業生の初任給は3500元(約5万3千円)〜5000元(約7万5千円)。平均的には4200元(約6500円)くらいのようだ。

 大都市の上海や北京、広州や深圳などでは、初任給はさらに高くなり、平均的には4800元くらい(約7万2千円)。賃貸アパート費用も福建省などより高くなるからだ。。2〜3室ある賃貸アパートの家を 友人らとシェアーで借りて暮らしている卒業生も多い。このような生活形態は、高校や大学での寮生活に慣れている中国の卒業学生たちにとっては慣れたものなのだろう。

 日本の大学卒業生の初任給は平均21万円くらいなので、日本の3分の1程度の初任給金額となる。中国人全体の現在の給与金額も日本人の3分の1程度だが、住居費や諸物価などは全体的にはかなり中国は日本に比べて安い。おしなべて、個々人の生活水準は日本がやや上かと思う。ただ、私が暮らす福州市(人口700万人)の大きな団地のようなところでも、地域住民の近所の繋がりはけっこうあって、老年の人も含めて 家族や仲間、地域の人々との人間関係の繋がりという面では 日々の人々の暮らし方を眺め続けていて中国の方がかなり豊かな社会だと思う。

 11月23日の朝、午前4時ころに目覚めて起床し、居間に行くと、床に小さな川ができ、水があたりに広がっていて驚いた。どこから水が出ているのかと思ったら、居間の角(すみ)にある洗濯機の方だった。洗濯機周辺は水浸しとなっていた。洗濯機に水を送る水道の蛇口と水道ホースの連結部分からの漏水だった。夜に寝ている間に洗濯をしておくつもりでスイッチを入れておいたので、朝起きてこの事態に気が付いた次第だ。

 急ぎ、階下の住人の部屋に水が漏れないように、床の水をぬぐい始めて、30分間ほどでふき取った。翌日の夕方、近所の雑貨屋で、子供が砂場で遊ぶときに使うような小さなバケツを3つ買って、漏水対策をしながら 今 洗濯をしている。洗濯中、漏水がポトンポトンと大きな音をたてて3つのバケツに落ちている。

 夕方から夜、朝にかけて、団地の路上や歩道には住民たちが好き勝手においている車で溢れかえる。2車線の団地内道路なども両側に駐車された車で1車線となり、すれ違いができなくなり、大渋滞がおきて、クラクションも鳴り響く。中国では、車購入の際の車庫証明が必要ではない。都市では住宅団地などの高層の建物に住む人が圧倒的に多く、一軒家に住む人はとても少ない。だから自宅の車庫がない人がほとんどだ。賃貸駐車場も少なく、また あったとしても金をだして借りる人も少ない。だから、夕方から夜や朝にかけて、中国の都市では、どこでも同じような光景がみられる。ちなみに、不法駐車という概念もあまりなく、警察もほとんど取り締まりはしない。

 堂々と歩道を完全に通れないように駐車している車も珍しくない。他人がどう思おうとも、迷惑がかかろうとも あまり気しない民族性もあいまって、このような光景となる。

 

 


11月、亜熱帯・福州の気候、植物・花々❷―亜熱帯の樹木・花・果実、「椰子」や「バウヒニア」や「楊桃」

2019-11-26 20:49:51 | 滞在記

 11月中旬になると、大学構内に10本ほどかたまってある亜熱帯の果実のなる樹木「楊桃(ヤンタ)」の実が熟れてくる。この果実はたまに果物店でも売られている。私はこの酸っぱく甘い果実が大好きだ。木を見上げると、まだ緑の実もあれば黄色く熟した実もある。果実の形はちょっと変わっているが、この果実を見たり食べたりした日本人は少ないだろう。黄色くなっていない黄緑の実を食べてみるととてもとても酸っぱい。しかし、その酸っぱさが、体や気力をシャキッとさせる。黄色くなると ちょっと酸っぱいが甘い。

 これを授業前にいくつか拾って、教室に行く途中に食べて気合を入れる。教室で学生たちに勧めるがあまり人気がない。酸っぱいというイメージがあるからだろう。少数派だが、2回生の鄭さんという女子学生はこの果実がとても好きなようだ。

 亜熱帯地方や熱帯地方の樹木といえば、椰子(ヤシ)科目の樹木。大学構内でも椰子科の樹木は多い。ココナツ椰子、ナツメ椰子、シュロなど、この椰子科にはさまざまな種類がある。250属2500種類もの椰子科の植物があるという。ココナツ椰子とハイビスカスの花と砂浜という南国の海辺の風景は、東南アジアの亜熱帯・熱帯地方のフィリピンのレイテ島に何度か行った時にもよく見られた光景だった。レイテ島のタクロバン近郊のココナツの実を収穫しているヤシ農家に泊めてもらい、小舟に乗って小さな島まで行き収穫の手伝いをしたこともあった。

 ここ福州でも、多くの椰子科の種類の樹木がある。大学構内のある種類のものは、紅サンゴのような形をしているところに小さな白い花をたくさん咲かせていた。(裸子植物) これが枯れると種となって下に落ちる。この椰子科の花や種にも種類によってさまざまなものがある。ここ福州でも、多くの椰子科の種類の樹木がある。枇杷の大きさくらいの赤い果実がたくさんできる種類もある。枇杷の大きさくらいの赤い果実がたくさんできる種類もある

 亜熱帯の香港の旗紋となっている花「バウヒニア」(中国名:洋紫荊)は、ここ福州にも多い。10月下旬から12月ころまで花を咲かせる。花の色も赤・紫・白・ピンクなどいろいろなものがあり、バウヒニアの種類も何百種とあるようだ。ピンク色の花の樹木は遠目から見ると櫻の花のようだ。大学構内にも市内の並木にもけっこう多い。

 このバウヒニアは花が咲いた後にめしべの部分がグングン成長し、細長い豆のができて垂れ下がる。このような豆の木のような樹木花は亜熱帯植物にはけっこう多いようだ。

 黄色く可愛い花を咲かせる(名前?)も、花が咲いためしべがグングン伸び成長し、枝豆の細長く大きいものができていた。

 日本に比べると、ここ福州は年間降水量がかなり少ない。11月に雨が降った日は4日くらい。それもまとまった雨ではない。散水車が道路わきに植えられている街路樹や植物に水をやる光景は日常的だ。この散水車の名前は「散水車」ではなく「酒水車」とタンクに大きく書かれている。なぜこんな名前なのかちょっと面白い。植物にとって「人間が暑い日の夕方に飲むビール酒のうまさ」のようなイメージから名前がつけられているのだろうか。

 

 

 

 

 

 


11月、亜熱帯・福州の気候、植物・花々❶―秋なのか、まだ夏なのか?―ハイビスカスとブーゲンビリア

2019-11-26 19:03:20 | 滞在記

 亜熱帯地方・中国福建省福州の緯度は沖縄の那覇市とほぼ同じ。だが、半年間もの夏の長さや、気温・湿度の高さは那覇市の比ではない。11月上旬になり、その湿度もようやく少なくなり、11月中旬になると早朝・夕方・夜は気温もかなり低くなった。最低気温が13℃くらいになる日もある。しかし、日中はまだ30℃近い夏日や真夏日が続くのである。3日前は36℃くらいまで気温が上がった。だから、11月に入っても、早朝・夕方・夜は秋、日中は夏という気温、そして、中途半端ながらやや紅葉をする樹木も少しだけある。

 そして、秋なのか?秋があったのか?と思う間もなく、12月になると日中の気温もかなり下がり始め、一応の冬の季節に入って行く。こんな亜熱帯の気候なので、夏の盛りに咲く花が、今もまだ咲いている。

 閩江大学正門(南門)近くの、大学構内の針葉樹林の森も朝夕の気温のが低くなったので、11月中旬頃から色付き始めた。ポプラの並木も少しだけ黄色く色づき始めた。でも、中途半端に少しだけ色付き、落葉していくので、紅葉という美しさは感じられない。大学構内の90%は、ほとんどが常緑樹の緑色。福州に暮らしていると、日本のような秋という季節感をほぼ感じられない。

 11月中旬、小さいが積乱雲(入道雲)がまだ見られた。大学構内では、11月いっぱいは、ちらほら日傘がまだ見られる。芙蓉の花も11月いっぱいまで花を咲かせている。赤い毛玉のような亜熱帯の花「朱纓花・しゅえいか(大紅ごうかん)」が今も咲いている。これも、夏の花。

 亜熱帯地方を代表する花の一つ・「ブーゲンビリア」は、今も咲いている。これも夏の季節の花だ。この花は気温が25℃以上あると開花するが、年に2回開花時期がある。大学構内の水面に花が美しく映っている。水辺で太極拳をしている人が二人いた。夏に美しい花を咲かせていた蓮の花や葉は枯れているが、11月20日頃に、水辺を管理手入れしている人によって水中の茎から上が刈り取られた。また来年も美しく咲くだろう。

 ブーゲンビリアは中南米の亜熱帯・熱帯地方が原産地の花。赤やピンク、白や黄色、紫やオレンジなどの様々な色がある。色付いているのは、花ではなく、小さな黄色い3つの花の周りにある葉である。花言葉は「情熱」「魅力」など。ベトナムのハノ市やフエ市などはこのブーゲンビリアの花が美しい街として有名だ。

 亜熱帯を代表する花の一つ・ハイビスカスが今も花を咲かせている。この美しい花は、アメリカ・ハワイ州の州花となっているが、原産地はここ福州などの中国南部の亜熱帯地方。中国語では「扶桑(フーサング)」と呼ばれている。日本語の和名は「仏桑花(ぶっそうか)」。ギリシァ語では、「Hibiscus(ハイビスカス)=女神に似た花」。英語名でも「Haibiscus」だが、別名は「China Rose(中国薔薇)」。

 色は、赤・白・青・オレンジ・紫・オレンジなど様々な色があり、種類としては5000種もあるという。大学構内のハイビスカスには、葉っぱが赤く紅葉しているものもある。花言葉は、「信頼」「新しい恋」「勇気ある行動」「微妙な美しさ」など、色によって花言葉が違うようだ。私たちに日本人には、ハイビスカスと言えば沖縄をイメージする。ここ福州には、沖縄のもう一つの代表的な花、「デェイゴ」の真紅の花も多く咲いているが、この花は5月~9月の夏の盛りに花を咲かせる。

 このように、11月の 一応は秋の季節になっても、気温的にも植物や花も「夏と秋が混在している」のが亜熱帯だ。

 10月下旬、「建校61周年 校友返校(回家)」の催しが開催されていた。卒業生たちが集まる集い。最も大きい大学構内のグラウンドには、「校友会足球友誼賽(校友会親睦サッカー大会)」が開かれていた。参加させてもらい一緒にプレーしてみたかったが、開催時間にはあいにく担当授業があり、サッカー遊びができなかった。

 


伏見稲荷大社の狐の面❷―狐の面を、細面の顔の女性が付けるとかなり怖い―孫も怖がる

2019-11-23 19:56:33 | 滞在記

 伏見稲荷大社には、私が学生時代にあった参道沿いの土産物店や食堂などがほどんど残っていて今も営業している。昨今の観光客の激増によって新しい店も開店している。また、大社の大鳥居に近い旧街道沿いには、数年前にJR「伏見稲荷駅(奈良線)」が新しくできた。これにより、JR「京都駅」からもすぐに来ることができるようになっている。

 閩江大学卒業生から頼まれていた狐面は、8つぐらいの店におかれていた。いろいろな店に様々な種類の狐面があるので、どれを買おうかまよったが、リアルな つけたらちょっと怖いかもしれない面を買うことにした。あとは、狐のストラップも。

 伏見稲荷大社といえば、昔からの名物は、「稲荷(いなり)寿司」と「雀の焼き鳥」。今も売られていた。この日、11月8日(金)は伏見稲荷大社の神事の一つ「火焚(ひたき)祭」だった。午後から火焚きの神事、夕方からは奉納舞などがあるようだった。

 伏見稲荷大社から京阪電鉄「伏見稲荷駅」に向かう。疎水上に架かる朱塗りの橋の上を、着物姿のイスラム教の3人の女性が通って行く。頭を覆うムスリムの衣装に赤い日傘の女性も。

   駅前に昔からあったダルマ薬局、その薬局の店頭に「海女さん姿の女性の牡蠣肉エキス」の懐かしい看板が今でも置かれていた。駅前では、中国人観光客の激増にともなって、「大国薬局(ダイコクドラッグ)」がここにも開店したらしく、中華系のネームプレートを付けた女性が呼び込みをしていた。

 京阪・伏見稲荷駅の朱色も鮮やか。ここ伏見稲荷や深草界隈に大きな日本語学校が4つほどある。いずれも、中国からの留学生対象の日本語学校。このうちの二つは、日本でも「東大・京大など、有名国立・私立大学・大学院への合格者がとても多い日本全国NO.1とNO3」の日本語学校である。最近 京都の伏見にできたらしい日本語学校の朱色の大きな看板が駅構内に掲げられていた。「行知学園・日本語学校」という名前のようだ。「日本:東京・大阪・京都 中国:上海・長沙・天津・西安・武漢」に、日本語学校を展開している学校のようだ。ここらもあたりは、日本語学校への中国からの留学生が増えたので、中国人向けの食堂や食材店なども増えてきている。

 伏見稲荷駅には、アジア系・アラブ系・欧米系など、さまざまな国の人々が電車待ちをしていた。欧米系の小さい女の子が、日本の子供浴衣みたいな着物を着ていた。

 伏見稲荷から銀閣寺の娘の家に行き、子守の手伝いを。3才になった孫娘に、伏見稲荷で買ってきた狐面を付けて見たら怖がって母親にしがみついていた。顔が細面で髪が長い娘がこの面を付けるとより怖い、リアルだ。顔全体が面にかくれるからだ。

 中国に戻ってから1週間後の11月17日(日)の夕方、中国福州の日本料理店で、狐面を頼まれていた閩江大学卒業生で現在は「ゲームソフト開発会社」で働いている鍾君に会って、狐面と狐のストライプを渡してあげた。彼も、細面で長髪なので、狐面を付けるとかなり怖くなる。店の女性従業員も付けてみていた。この面をつけて夜に歩くと、出会った人は恐怖心にとらわれるだろうと思う。

 


来日外国人観光客人気NO.1の京都伏見稲荷大社に久しぶりに行く❶―たくさんの外国人が来ていた

2019-11-21 19:02:07 | 滞在記

 福建省福州市在住の閩江大学の卒業生から、狐の面を買ってきてほしいと頼まれていたので、11月8日(金)の午後に「稲荷神社」の総本山・京都伏見稲荷大社に行くことにした。学生時代、友人がここ伏見稲荷神社境内内の個人の家に間借り(下宿)していたので、時々遊びに行ったりした時に酒を酌み交わし、泊まったりもして、翌日の早朝に鳥居の続く山を登り散歩などもした場所だった。

 狐は夜行性の動物だが、狐にとっての一日の活動の終わりとなる早朝・午前5時や6時頃には、一家団欒をする狐の家族などを見かけることもこの稲荷山でもあった。当時は、外国人の観光客などを見ることはほぼなかったように記憶している。また、年に4回ほどある神社の行事や正月の初詣以外の日は、閑散としている静かな神社だった。

 それが近年、日本に来日する外国人観光客の近年人気全国NO.1の場所となっている伏見稲荷大社。金曜日の平日にも関わらず、京阪電車「伏見稲荷駅」で乗車・下車する外国人観光客の多いこと。参道には昔から続く店だけでなく新しい店もかなり多くなっている。そして縁日にはお馴染みの露天商の露店が、縁日に関係なくたくさん出ている。それだけ観光客が1年間を通して多いのだろう。この参道の店舗や露店などの風情も、ここが人気NO.1となる一因なのかと思った。

 大鳥居や楼門の前で記念撮影をする人たちも多い。インドネシア人でイスラム教信仰の服装をしている人たちから、カメラのシャッター押しを頼まれた。イスラム教徒らしい人もけっこう多いが、日本の神社の神を祈ってもいいのだろうか?とふと疑問にもなったが、インドネシアの教徒は「ハラル(宗教的に認められた食べ物)以外の食べ物には戒律が厳しいが、他のことは戒律が緩い」とも聞いている。

 伏見稲荷神社の御神体(神)を守護し神の使いともなる動物は狐だが、ここ伏見稲荷の多くの狐の像が口に咥えているものは4種類がある。稲穂や巻物、玉や鍵。稲穂は「五穀豊穣」、巻物は「知恵」など、それぞれに意味があるようだ。

 日本の着物姿に身を包んだ中国からの若い女性の観光客もけっこう多い。日本の中学・高校の修学旅行生もここには多い。欧米からの観光客に詰め入り学生服やセーラー服姿の学生たちが、英語でインタービューをしている光景もよく見かける。これも修学旅行学習の一つなのだろう。

 朱色の小さな鳥居が延々と稲荷山の山頂近くまで続く入り口付近に行くと、ここはまた一段と多くの人が。思い思いのままに写真撮影をしている。いわゆるインスタ映えする場所。

 日本の着物を着ている中国系の男女や、最近は中国国内で若い人に流行ともなりつつある「漢服(中国の伝統服)」を着て写真撮影をする女性の姿も。

 伏見稲荷大社は、平安時代の初期に創建された神社だが、京都の地に住み着いた朝鮮半島渡来の古代技術集団の一つ・「秦(はた)氏一族」の穀物神を氏神としている。

 その氏神の守護・使いの動物が狐。日本の神社の守護・使いの動物として、八幡神社の鳩、熊野神社の烏(カラス)などがある。いわゆる多くの神社にある「狛犬(こまいぬ)」もその神社の守護・使いである。中国南部や沖縄には、伝統建物や歴史のある石𣘺などに狛犬や狛獅子が置かれている場合が多いし、それなりの規模の会社などの建物の玄関入り口には、左右に立派な狛獅子などが多く置かれている。日本には約10万の神社があると言われているが、そのうち、稲荷神社が約3万とかなり多いし、八幡宮神社や天神神社も多い。10万神社のうち、7万は無住となっているようだ。ちなみに日本の寺院(お寺)は約8万。

 朱塗りの建造物は稲荷神社に限らずよく見かける。朱色は魔力を封じ込める色ともされているからだ。朱の原料は水銀=丹である。これは、古来より木材の防腐剤としても用いられているものだ。

 今、閩江大学で卒業論文指導をしている学生の一人は、「日中色語彙の文化的内包の比較研究―赤・白・黒・青を例に、その象徴的意味」というテーマで卒論に取り組んでいる。それぞれの色に対する日本人と中国人の歴史的・社会文化的比較研究論文だ。