彦四郎の中国生活

中国滞在記

東シナ海、波高し―「台風銀座」・「政治的問題」、「魔の谷」、「魔宮」‥そして、中国渡航

2023-08-28 13:13:31 | 滞在記

 3日後の8月31日(木)の午後3時、日本の成田空港発の厦門(あもい)航空便で中国に戻る予定をしている。9月4日(月)から新学期の大学の授業が始まるからだ。成田空港➡福州空港(中国福建省)の直行便で4時間のフライトとなる。(早朝、京都の自宅から京都駅へ。新幹線で東京駅、成田エクスプレスで成田空港へ。)  

 だが、非常に強い大型台風9号が現在(28日)、フィリピン東北海上にあり、沖縄県の石垣島付近を通り台湾南部へ、そして、31日(木)には台湾海峡から福建省に上陸するという予報されている。31日(木)の午後から夕方にかけては、搭乗する厦門航空便が着陸する予定の福州空港は暴風雨となっているとの予報。おそらく、搭乗予定の航空便は欠航となる可能性がとても高い。欠航の場合の、廈門航空からの連絡は31日の午前中なので、新幹線か成田エクスプレスに乗車している最中になるかと思われる。さあ、困ったことになりそうだ。

 毎年、6月下旬から9月下旬までの3カ月間の東シナ海は台風銀座の季節、特にこの2〜3年の7・8月は、毎週のように台風が通過する。今回は、8月31日がその欠航のピンポイントの日になりそう‥。新たな航空券を入手する必要に迫られることにもなりそうだ‥。

 まあ、この台風もそうだが、中国と日本の間に横たわる"東シナ海の波高し"は、現在の中国と日本の間の政治的緊張関係でもまた、かなりの高波となっている。難破船や漂流の危機が常にあった、古代の時代の遣唐使とは比べられないが、現在、日本人が中国に渡航するということは大きな不安をともなうものとなるのだ‥。

 8月中旬から、中国のインターネット記事報道でのトップニュースは、日本の福島原発処理水の海洋放出問題となっていった。8月24日、処理水の海洋放出が開始されたことにより、これに対する中国政府の批判は一段と強まり完全に政治問題化することとなっている。連日のこの問題に関する多量の報道に、中国国民の海洋放出への不安感も高められ、「国民がスーパーなどで塩を求めて売り切れる」事態も報道されている。(※韓国政府はこの放出については容認しているが、韓国野党「共に民主党」(李在明代表)は、中国と軌を一にして批判・抗議行動を繰り広げている。)

 8月25日付朝日新聞には、「福島第一処理水放出―国産全水産物 中国が禁輸/日本政府批判、撤回求める」「"想定外"の全面禁輸 中国政治問題化 議論かみ合わず」の見出し記事。8月27日付同紙には、「"中国からの嫌がらせ電話"処理水放出巡り 日本大使館・飲食店(福島県内の) ・公的機関などへの着信多数」、28日付同紙には「日本人学校に投石―処理水放出に反発か」などの見出し記事が掲載された。

 この8月28日から予定されていた、日本の公明党(山口代表ら)の訪中は、中国政府からの通告で延期となった。中国のインターネット記事にも、「日本党首 訪華被延期―中方明確告知:時期不合適」の見出し記事。8月26日付朝日新聞には、この問題への中国側対応の問題点を指摘する社説記事。

 このような状況下、中国北京の在中国日本大使館は25日、東京電力福島第一原発処理水の海洋放出を受け、中国の在留邦人に対し、「外出する際は不必要に日本語を大きな声で話さないなど慎重な言動を心がける」といった注意を呼び掛けるメールを発信している。「不測の事態が発生する可能性は排除できない」とも発信しており、注意喚起を呼びかけている。

■この3月下旬、3年ぶりに中国に渡航し、驚いたことの一つに「中国での日本料理」の大人気ブームが起こっていたことだった。私が暮らす福建省の福州市内では、3年前の約5〜6倍は日本料理の店(中国人が経営)が増えていた。海鮮寿司などもそうだが、特に人気が高いのは「日本式すき焼き」。このように日本食ブームの中国だっただけに、今回の福島第一原発処理水海洋放出問題を巡る政治問題化は、とても残念なことだ。

 2014年に制定発布された中国の「反スパイ法」が、この7月1日には、さらに強化された「反スパイ法」となり、発布されることとなった。この法律には、具体的なスパイ行為の定義がないため、中国在住の外国人たちの不安はさらに大きくなった。(※「写真撮影や購読する書籍、会話内容などにも注意が必要」「反スパイ法はどこに"地雷"があるか分からない"ヤバイ法律"」などと、7月上旬の朝日放送報道番組「セイギのみかた」で述べられていた。)

 今年7月30日に、NHKスペシャル「ヒマラヤ"悪魔の谷"―人跡未踏の秘境に挑む」が放映された。

 地球上をくまなく探検し尽くしてきた感のある人類。しかし、この地球に、まだ人類が足を踏み入れたことのない場所がある。巨大な大地のの裂け目、"悪魔の谷"と人は言う。現地住民が「あの谷には水の悪魔が住んでいる。中に入ると命はない」と語る場所とは‥。世界の屋根・ヒマラヤの奥深く、標高7000m級の山々が並び、立ち並ぶ奇岩の足元。岩山の間が深く切れ込み、漆黒の闇がのぞいている。幅十数m、深さ200m以上~400m。人類史上、谷底を見た者はいない漆黒の闇の渓谷が数キロにもわたって続く。谷の名は「セティ・ゴルジュ」。この人類未踏の谷底に、ロープ一本で降りて挑む者が現れた。世界的な渓谷探検家の田中彰(1972年生まれ・50歳)と大西良治(1977年生まれ・46歳)だった。

 この"悪魔の谷"への挑みは、まさに命がなんぼあっても足りないと思わせる、超超超(超が十個ほどつきそうな)危険極まりない、恐ろしい挑みだったことが、この番組で伝えられた。「体力・気力・技術、挑戦への熱き思い」」、そして、経済力(NHKの全面支援)がなければ挑めないが、彼らが40代後半〜50歳という年齢にも驚かされた。そして、挑んだ"悪魔の谷"の渓谷の谷底を数キロ踏破し、命を失うことなくキャンプ地に帰還した彼等‥。

 "悪魔の谷"の渓谷から生還できた、ものすごい冒険(探検)だと思った。

 映画「インディ・ジョーンズ」のシリーズ、第二作目は、「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」(1984年)。インドにある魔宮に挑むインディ・ジョーンズが描かれた作品だった。私もまた、2002年に、モンゴル・ゴビ砂漠での恐竜発掘調査で、「地獄のヘルメンツァフ」と呼ばれる、かなり恐ろしい場所に行ったこともあった。

 "悪魔の谷" "魔宮"、"地獄のヘルメンツァフ"、おそろしい場所を彷彿させる名前だが‥。「東シナ海波高し」もまた、前期の3つの魔や地獄とは種類が違いはするが、このこと(おそろしさや不安)を少なからず彷彿させる場所である‥。

■短期渡航ビザ問題―相互主義の原則に基づき、中国人の日本渡航へのビザ(査証)問題の再考を求む

 2004年から、日本人やシンガポール人が中国に短期(15日以内)で観光や出張で行く場合、査証(ビザ)取得は免除されていた。つまり短期の場合は「ノービザ」で中国に渡航できていた。(※中国人が日本やシンガポールに行く際は、ビザ取得が必要で、相互主義の原則とはなってはいなかった。このため、私が2013年に初めて中国の大学に赴任した時に、学生からは「不平等」だの声があった。中国政府は、日本・シンガポールと南洋の小さな島国など4カ国のみの国民のノーピザを認めていた。)

 しかし、2020年の1月から始まった新型コロナパンデミックのため、中国政府は2020年春からこの「4カ国のノーピザ」の一時停止を発表した。そして、2023年の3月、中国は「ゼロコロナ政策」の廃止に伴って、シンガポールには「ノーピザ」を復活した。復活の条件として、中国人がシンガポールに短期渡航する場合の「ノービザ」が実現したからだ。これは相互主義の原則に基づくものだったので、当然の中国側の要求でもあった。だが、日本政府は、中国人が日本に渡航する場合の「ノービザ」を認める方向にはいまだ至っていない。このため、日本人が短期に中国に行く場合の「ノービザ」の復活の見通しは立っていない。これは、中国の要求が私には当然に思えるので、日本政府は再考をして、早く中国人が日本に短期の「ノービザ」で訪日できるようにしてほしい思っている。

 日本人の末裔が多く住むブラジルもまた、日本人がブラジルに90日以内渡航の場合は「ノービザ」だった。(ブラジル人が日本に渡航する場合はビザが要求された。)  このため、ブラジルのルーラ大統領はこの3月、相互主義に基づかないとして、このままでは、日本人の「ノービザ」を廃止する旨を日本政府に通知した。これに驚いた日本政府は、急遽、ブラジル人が日本に90日以内の渡航の場合の「ノービザ」を認めると発表した。ブラジル在住の日系人たちや、現在、日本で就労しているブラジル人たちの喜びは大きいものがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ウクライナ国立バレエ団・団員たちとの共演―京都 寺田バレエ・アートスクール生徒定期発表会(8月19・20日)

2023-08-24 09:50:58 | 滞在記

 ウクライナの首都にあるキーウ国立バレエ学校と、1975年以来50年間近く姉妹校関係にある京都の「寺田バレエ・アートスクール」の第49回生徒定期発表会が、この8月19日(土)・20日(日)の二日間、平安神宮や京都市美術館などがある岡崎公園内のロームシアター京都で開催された。新型コロナパンデミック禍のためこの3年間は開催できなかったので、実に4年ぶりの開催となった。

 両日とも、午後2時から4時頃までの発表となった定期発表会、会場のホールには、「キーウの友に 愛と平和を」などの今(こん)発表会のポスターなどが掲示されていた。

 ウクライナの花・ヒマワリも会場にずらっと並べられていた。

 今回の定期発表会には10人余りのウクライナ国立バレエ団の団員たちも友情出演をしていた。そのメンバーには、ウクライナ国立バレエ団のトップダンサーであるニキータ・スハルコフ(男性)や新鋭ダンサーであるカテリーナ・ミクルーハ(女性)なども。満員となった客席から、演技の写真撮影はできない(不許可)ので、演技の写真は撮れなかったが、1部から3部までの各部公演はとても素晴らしいものだった。

 寺田バレエ・アートスクールは京都市内に本校を含め4つの教室があり(東京教室もある)、生徒数は幼児から大人まで約120名余り。公演は①オープニング(ショピニアよりワルツ)、➁第1部プチコンサートⅠ(9場面)、第2部「7人の小人と白雪姫」「名作集6場面」、第3部「コッペリア第3幕より」で構成されていた。各部に、ウクライナ国立バレエ団の団員たちが出演し、寺田バレエの生徒たちと共演した。

 私の孫娘(小学1年生)がこの寺田バレエの生徒なのだが、各部に出演していた。バレエの衣装と化粧をした孫娘は、普段の表情とはまるで違っていた。

 2022年の2月24日から始まったロシアによるウクライナ全面侵略戦争。その最中の昨年7月・8月に、ウクライナ国立バレエ団による日本公演が急きょ実現することとなった。そして、昨年に引き続き、今年もこの7月・8月に日本全国15箇所余りで公演が実現している。この10月から来年の1月・2月にかけても日本全国20箇所を超える地での公演が予定されている。

 これらの日本公演の舞台監督を手掛けているのが、寺田バレエ・アートスクールの校長である高尾美智子さんの息子の寺田宜弘さん。彼は現在、ウクライナ国立バレエ芸術監督でもある。

 ロシアによるウクライナ侵略戦争が始まって、ちょうど1年と6カ月間(1年半)が経過した2023年8月24日の今日は、ウクライナ独立記念日でもある。8月24日付朝日新聞には、「ウクライナ侵攻1年半—ウクライナ"人生"取り戻す戦い」「モスクワにも戦争の影 プーチン氏強気崩さず/欧米世論や支援変化」の見出し記事が掲載された。

 ロシア軍のウクライナからの全面的な撤退と敗戦、ロシア・プーチン大統領の失脚、そしてウクライナ全土に平和がくることを願う、2023年8月24日(ウクライナ独立記念日)。

 

 

 

 

 

 

 


まだまだ暑さ厳しいが、少しずつ"ゆく夏"と"近づく秋"―お盆、五山の送り火―71歳の誕生日に孫たちが泊りに来る

2023-08-24 05:03:26 | 滞在記

 今年のお盆もまた、台風の広範な影響などで、故郷・福井県南越前町への帰省が危ぶまれた(※昨年は8月上旬の南越前大水害で、故郷に戻る道路の多くが通行止めとなった)。13日に帰省して15日に京都に戻る予定を、台風7号のため1日早く14日に戻ることとなった。娘夫妻と孫たち(3人)も13日に私の故郷のお盆に来てくれた。

 14日には実家近くの海で、孫たちらと海水浴。16日には、京都の「五山の送り火」。京都・出町柳の寺の門前に、「送り火や 母の心に 幾仏 <高浜虚子>」の一句。例年、お盆が過ぎたら暑さも和らぎ始めるが、今年の夏は、お盆を過ぎても猛烈な暑さが続く夏。

 17日(木)の夕方、京都府京田辺市の居酒屋で、京都府南山城地区の親しい退職教職員(60代・70代)の10人ほどが集(つど)い飲む。

 暑さ厳しく秋の訪れが待ち遠しいが、秋の季節到来を告げる"柿の実や梨(なし)の実"は大きくなり始め、イチジクも食べ頃となってきている。そして、百日紅(さるすべり)の花が美しい8月下旬。

 8月22日(火)、私はこの日に71歳となった。誕生日のこの日、孫たち3人が私の家(京都)に泊まりに来てくれた。私の妻が孫たちを連れてきてくれたのだが、まあ賑やかな私の誕生日となった。孫娘二人(小学1年生と4歳半)が、誕生日メッセージの絵を書いてきてくれた。思い出にのこる71歳の誕生日となった。

 19日(土)の夕方、妻の弟(名古屋市在住)が京都に来て、祇園の赤提灯居酒屋「侘助(わびすけ)」にて久しぶりに会って飲むこととなった。昨日23日(水)の昼、東京から森下さん(中国の大学やインドネシアやインドで教員)、大阪から亀田さん(中国やウズベキスタンの大学で教員)と会い、奈良県庁の国際交流課に行きウズベキスタンとの国際交流について意見交換をしたり、3人で喫茶店で話したりもした。

 7月20日過ぎから始まったWカップ女子サッカー大会、日本は惜しくも準々決勝でスウェーデンに1:2で敗れてベスト4には進むことができなかった。優勝国はスペインとなる。この夏、日本に滞在し、この大会での日本戦を5試合、テレビで視聴でき、とてもよかったとも思う。

 またまだ暑さと湿気が厳しいが、少しずつ"ゆく夏"と"近づく秋の気配"、アブラゼミの鳴き声も聞かれなくなり、ツクツクボウシゼミが時々聞こえるようになった8月下旬。8月31日に中国に戻る日まで、あと1週間となった。来年の7月・8月はどんな夏になるのだろうか…。

 

 

 


鴨川の源流域を巡る❸―鞍馬川・貴船川・静原川、京都大原に源を発する高野川、そして比叡山中から流れて来る白川

2023-08-16 13:17:00 | 滞在記

 京都の町の北方の北山連山(丹波山地)を主な源流域とする鴨川だが、主な川は雲ケ畑地区を流れる雲ケ畑川・貴船川・鞍馬川が合流した「賀茂川」、そして三角デルタで合流する「高野川」の二つの川だ。

 鞍馬寺で有名な鞍馬地区を流れる鞍馬川は、花背峠付近の天ケ岳(788m)などの山々を源流域として、鴨川に流れていく。そして、この峠を越えた花背地区を流れる川は桂川(大堰川)の源流域となる。鞍馬には山椒の木が多く、地区にある林(ハヤシ)商店の山椒入りの木ノ芽煮(佃煮)は絶品だ。(8月10日、林商店で木ノ芽煮を買い、車をそこに駐車して、鞍馬川を撮影した。)

 『源氏物語』(紫式部著)では、鞍馬寺が光源氏と紫の上の出会いの場所としても描かれている。(来年度のNHK大河ドラマは「源氏物語」なので、この鞍馬山も登場するだろう。)

 貴船神社や京都の奥座敷として、貴船川の渓流にある川床料理店などで有名な貴船地区。貴船神社はまさに、鴨川の源流域で水に祈る神社であり、おみくじもまた、紙を水につけると吉などの文字が浮かび上がってくるというもの。この神社は平安時代から都人の信仰が篤く、「万物の命の源である水の神を祀る、全国二千社を数える水神社の総本宮」である。水に祈り、また、恋愛成就の神社として平安の時代から有名で、平安時代の歌人で『和泉式部』などの著書もある和泉式部の歌碑もある。また、『枕草子』の作者である清少納言や紫式部も参拝しているようだ。

 貴船神社の奥の院付近の貴船川の河原には、私は娘と孫娘とともに2018年に川遊びにも来ている。この河原から山道が、貴船川の源流域沿いに、くねくねと急坂で続き、しかもとても狭い道が芹生峠(せりょうとうげ)へと続いて行く。とても怖い、危険な峠道だ。峠を越えると京北町となり、桂川の源流域となる。鴨川の源流域の一つである貴船川は、貴船山(698m)や鞍馬山(513m)に源を発している。(※貴船神社の境内付近には、「丑の刻参り/呪いの藁人形」をしている木々の場所がけっこうある。現代でもこの丑の刻参りをしている人がいるようだ。)

■この貴船川は鞍馬川に貴船口で合流し鞍馬川となる。そして十三石橋付近で、前号のブログで記した雲ケ畑川(賀茂川)と合流し、賀茂川となる。

 賀茂川が鴨川と漢字が変わる高野川との合流地点の三角デルタ。ここから高野川の上流域に行くと八瀬がある。京福(叡山)電鉄の「八瀬駅」付近の清流と河原は、電車でも来れる遊泳場所として、たくさんの人が訪れる。バーベキューなどを楽しむ人たちも多い。そして、さらに上流域に行くと大原の里がある。高野川はこの里を流れ、さらに源流域にと川は続く。

 京都から私の故郷・福井県南越前町との行き帰り。行きは琵琶湖西岸の湖西道路(国道161号線)を通り、帰りは安曇川沿いに朽木町などを経由する鯖街道(国道367号線)を利用し、京都の大原や八瀬地区を通って自宅に戻ることが多い。帰路、滋賀県と京都府の県境近くにある峠が花折峠(はなおれとうげ)だ。その峠下の花折トンネルの手前から山々を見上げる。山々の手前の滋賀県側に降る雨は、安曇川の源流域となり、琵琶湖に流れていく。

 トンネルを抜けてから山々を見上げる。その山々に降る雨は、大原や八瀬を流れる高野川の源流域の山々となる。県境のなだらかな途中峠を越えてると大原地区の小出石の集落に至る。ここに「高野川」と書かれた小さな橋がある。ここは鴨川に流れる高野川の源流域に近い場所。

 もう一つ、高野川の支流である小出石川がある。その川の幅はけっこうあり、清流が流れる。ここも鴨川の源流域となつている。ここをこの8月上旬に、福井県からの帰路に巡ってみた。

 最後にもう一つの鴨川の源流となる川がある。白川だ。この川は川底の砂が白っぽい花崗岩なのでこの名がつくが、比叡山山中の山中町付近が源流となる川だ。この川は比叡山山麓の京都北白川地区や銀閣寺の近くを流れて、平安神宮の近くや祇園の町中を流れて、鴨川に架かる四条大橋の近くで鴨川に合流していく。(祇園の白川沿いに、歌人の吉井勇の「かにかくに碑」がある。歌碑には、「かにかくに  祇園はこひし 寝るときも 枕の下を 水のながるる」と和歌が書かれている。)

 以上が鴨川の、いくつもの源流域を巡る、この夏の「水に祈る」記録でありました。

 

 


鴨川の源流域を巡る➋―1300年余りにわたり鴨川源流の「水の守人」、山寺「光明院」に行き、源流の一滴を見る

2023-08-16 08:16:45 | 滞在記

 8月10日(木)、京都市内を流れる鴨川(かもがわ)源流域の一つ、丹波山地の山間集落・雲ケ畑地区にある岩屋山志明院(山寺)を目指して鴨川沿いに車を走らせた。賀茂川と高野川が合流する三角デルタ▼地点から賀茂川を堤防道沿いに遡(さかのぼって)って行く。上賀茂神社付近の堤防道を過ぎ、賀茂川の上流域へと入る。高校生くらいの年代の4人が滝のような突堤の付近で泳ぐ姿が。さらに遡ると、鞍馬川や貴船川、静原川などが賀茂川と合流する十三石橋。

 賀茂川の上流域を雲ケ畑集落を目指してさらに進むと、山間の上流域らしき川のようすが見られてきた。「洛雲荘(川床料理・料理旅館➡3キロ」の看板が道路わきに。

 雲ケ畑集落の中心地・出合橋に到着した。雲ケ畑集落は賀茂川沿いに細長く続く集落で、2010年には71世帯177人が暮らしていた。雲ケ畑小学校・中学校が2011年まであったが、廃校(正式には休校)となっていた。(1960年には雲ケ畑小学校には84人の児童が在籍していた。)  出合橋の下の川は、賀茂川(雲ケ畑川)と中津川が合流する地点で、少し深い淵(ふち)があり、京都市内から母親らといっしょに泳ぎにきていた。2012年まで京都バスがこの集落まで運行していたが撤退。その後、「雲ケ畑バスもくもく号(マイクロバス)」が、京都市内の北大路駅まで1日に2便運行している。細長い集落なので、乗り降り場所は乗客の随時のようだ。

 京都北山友禅菊が美しく咲いていた。この辺りは4月から5月にかけて、石楠花(しゃくなげ)の群生が咲き誇るようだ。また、オオサンショウウオの生息地らしい。出合橋付近には、この雲ケ畑地区の案内絵地図看板が掲示されていた。

 出合橋から賀茂川のさらに上流域である雲ケ畑川沿いにすすむと、厳島(いくつしま)神社の赤い鳥居や樹齢数百年の杉があった。この神社もまた、賀茂川の水源地を鎮守する神社のようだ。映画「八墓村」にでてくるような立派なお屋敷の家もみられる。ここ雲ケ畑集落は古代より昭和30年(1955年)ころまでは、都の鴨川の水源地として、死者の埋葬は(穢れとなるとして)、持越峠(鴨川流域と桂川流域の分水嶺の峠)を越えて、桂川の源流域の眞弓集落まで運び埋葬していたようだ。このように雲ケ畑住民は、水を穢(けが)さない心持ちをもちながら古代より生活していた。

  雲ケ畑川(賀茂川)をさらに遡ると岩屋橋に着いた。この橋の下で、雲ケ畑川は岩屋川と祖父谷川に分岐する。この岩屋橋のところに「洛雲荘」があった。祖父谷川の渓流にそって川床があり、川床料理を食べさせてくれる。80歳くらいの店主に聞いてみると、「今はもう旅館の方はやってなくてえ、川床料理を金土日の週末3日間くらい営業しているんですわ」とのこと。2018年の7月に、私は娘と孫の3人で、この祖父谷川の渓流に水遊びに来たことがあった。

 岩屋橋からさらに岩屋川沿いに山道を車で2キロほど登って行くと、目指す、鴨川の源流を守る寺であり、この7月上旬にNHKBSプレミアムで「水の守人―京都鴨川の源流・めぐる生命(いのち)の物語」で放映された志明院(金光峯寺/岩屋山)が見えて来た。境内入り口の駐車場には車が10台ほどは置ける広い場所があった。駐車場わきの細い小川には、小さな魚が群れていた。

 ここ岩屋山光明院の開山は650年。そして、山寺である光明院の建物などが建立され創建されたのは、794年の平安京設営から35年後の829年。「水源を祈願し祀らなければ、暴れ川である賀茂川は治まらず、都の平穏はない」として、空海(弘法大師)が創建した真言宗の水源地を守る山寺で、不動明王が祀られている。寺の標高は450mと高い。駐車場から石段を少し登ると、古色蒼然とした立派な山門が見えて来た。山石楠花(やましゃくなげ)の大きな樹木が群生している。現在の住職(49歳)の母親(前住職の妻)が、寺院参拝の受けつけをしていた。(入山料は400円/この入山料収入などで、寺院の運営・生活をしているのかと思われる。)

 境内には庫裡(寺の人が生活する建物)や宿泊棟のような建物もあった。かって、歴史作家の司馬遼太郎などもここに宿泊し、作品の執筆をしていたこともあったと、NHKでの番組内で語られていた。(夜になると、「魑魅魍魎」[ちみもうりょう]の類[たぐい]が現れたと司馬遼太郎は語る。) 魑魅魍魎とは、所謂(いわゆる)、妖怪のようなもの‥。モノノ怪(け)とも呼ばれるが、この寺での体験を宮崎駿に司馬さんが話したことがあり、宮崎駿によるジブリ映画「ものの怪姫」の着想はここから生まれたとも言われている。

 山門のそばには、山からの水がたまり、柄杓(ひしゃく)が置かれた鉢(はち)が置かれていた。手に水をすくって飲んでみると、甘くて、とても甘露な味がする軟水の美味しい水だった。ああ、この水が賀茂川(鴨川)に流れていき、京都盆地の地下水としても地下に満々と蓄えられているのかと思った。そういえば、京都伏見の酒は、甘口の銘酒で軟水の地下水でつくられている。そして、神戸の灘の銘酒は、六甲山系の花崗岩(かこうがん)から流れるくる硬水の地下水(宮水)でつくられる辛口の銘酒であることが思い出された。

 山門をくぐり、本堂に続く石段のそばには、山石楠花と杉の大木の並木が続く。この寺は石楠花が群生している寺でもあった。本堂も山門同様に古色蒼然とした面持ち。ここに不動明王が祀られている。

 本堂のそばには、「お滝」と呼ばれる「龍神の滝」の赤い祠(ほこら)。石の樋(とい)から賀茂川の源流の水が落ちてきていた。住職は毎朝、この水を碗(わん)に入れて、本堂の不動明王に供えるのだそうだ‥。この「お滝」の祠からさらに山道を少し登ると「薬師如来」や「不動明王」を祀る洞窟が。この寺の周辺で採れる薬草は、古来、都で流行った疫病の薬としても使われたそうだ。それで薬師如来が祀られてもいる。山をさらに登ると薬師峠や祖父谷峠などに至る。分水嶺の峠を越えると、そこに降った雨は桂川の源流(支流)の一つである清滝川に流れていく。

 本堂のすぐ背後にある山道の階段を登って行くと、まさに鴨川の源流の水の滴(したた)りという感じの場所に行きついた。さらに登ると「岩屋清水」という清水(きよみず)の舞台のような建物の祠が見えた。祠の背後は巨大な大岩の塊。ぱっくりと口を開けた岩窟(がんくつ)に、かすかな水の一滴が滴(したた)り落ちていた。大河の一滴、鴨川のまさに源流での、最初の一滴だった。

 寺の入り口に、この付近の山々や山道や峠の地図が木の板に書かれていた。この寺から少し行くと、京都の北山(丹波山地)最高峰の桟敷ケ岳(さじきがだけ)がある。標高は896mで、比叡山よりも48m高い。この山に降った雨は、祖父谷川となり鴨川の源流の一つとなる。この桟敷ケ岳の向こう側には、私の妻の故郷である京北町周山・山国地区があり、ここからも桟敷ケ岳が望める。この山は、鴨川に架かる市内の四条大橋や三条大橋などからも望める山だ。(最も高く見える山が桟敷ケ岳であり、その少し左側[西]の山中にこの岩屋山光明院がある。)

■ここ雲ケ畑は、西の鯖街道(若狭の小浜—堀越峠—美山―京北(周山)―京都)の、京北から京都に至る間道としての山間地の場所でもあった。(東の鯖街道は、小浜—朽木—大原―京都というルート)

■現在、北陸新幹線の延伸問題が起きている。福井県の敦賀―小浜—美山町や京北町―京都市―大阪市というルートだが、その延伸計画には美山・京北町や京都市の地元住民の多くが反対している。小浜—京都までのその区間の多くはトンネル工事となり、丹波山地の水系が破壊され、トンネル工事にともなう大量の残土問題が起きる。また、京都市内の京都盆地の地下の水脈も著しく破壊される。

 この時代に、このようなルートの新幹線の必要性はほとんどない(京都と小浜間には駅はない計画/小浜市の人たちにとっては念願かもしれないが‥)にも関わらず、なぜこんな工事を国民の血税を使ってやるのか‥。この時代の、大阪市府の大阪万博やカジノ設営と同様に、その必要性はとても薄いように思うのだが‥。まあ、百害あって一利なしのような気もする‥。大手ゼネコンなどのための政治を自民党や維新の会はやっているように思える。そんなことも思いながら、鴨川の源流域の一つ、岩屋山光明院をあとにした。