彦四郎の中国生活

中国滞在記

1年前まで住んでいた宿舎のある閩江大学長楽路校区が跡形もなく―近くの「露店群」に行ってみる―

2016-04-30 11:13:28 | 滞在記

 2週間ほど前の4月17日(日)、昨年の11月下旬に行って以来になるが、1年前まで住んでいた宿舎があった閩江大学長楽路校区(旧キャンパス)に行ってきた。閩江大学の新キャンパスまでバスを乗り継いで1時間以上かかる場所なので、授業に行くのは大変だったが、とても大好きな落ち着く宿舎やキャンパスだった。
 昨年の11月下旬、宿舎に住んでいた日本人教員や情報コンピューター学部の一回生・二回生たちが、新しいアパートや新キャンパスの寮に引っ越して行った。この旧キャンパス敷地の8分の7ほどが、民間企業に数十億円で売られることになっていた。今はどうなっているのだろうと、ずっと気にかかっていた。

 旧キャンパスに着く。正門付近の道路の街路樹の葉っぱが落葉して、秋のような景色だ。あと数日で全て落葉した後、2〜3週間余りで新緑の若葉となる。正門の守衛室には、2年間見慣れた守衛さんたちがいる。手をふってくれる。
 正門を入ってすぐの「福州老年大学」として利用されていた建物や「閩江大学中国人職員の宿舎のある建物」は残されていた。そして、それから奥にある場所にあった「学生寮や運動場、授業用の建築群、図書館」、そして「私が2年間暮らした外語人教員用宿舎」に行ことはできなかった。新しく高い灰色の塀が作られていたからだ。

 守衛さんに挨拶をして、正門を出て、旧キャンパスの裏門のほうに回ってみる。ここも新しく高い塀が作られている。なかなか内部を見ることができないが、少し見ることができる場所があったので、登ってみる。「私の住んでいた宿舎、図書館、運動場、学生達の寮、授業用建築群」などが跡形もなく破壊されていた。そして、がれきが広々と置かれていた。「1年ひと昔」というか、とても寂しさを感じた。2年間のいろいろな思い出が まるで10年間いたように濃く凝縮してあった場所だったからだ。
 とぼとぼと歩きながら、裏門近くの商店街(食堂街)に行った。学生はいなくなったが、商店街で閉店している店は意外と少なく、けっこう元気に営業を続けていた。「蒲田麺(プーディエン・メン)」を昼食で注文する。

 昼食をとった後、通い慣れていた道を歩き、毎週の土曜日・日曜日の午前中に開催される「露店市」に久しぶりに足を運んだ。数百軒の露店が並び多くの人でにぎわっていた。骨董・食品・芸術品・日用品・動植物・漢方・薬・衣服などさまざまな店がある。なぜか ここに来ると元気が少しもらえる。人々の原始的な活気が伝わってくるようだ。

 露店を歩いていると、民族衣装のようなものを来た男性が歩き売りをしていた。何だろうと近づくと、「雲南正宗香霊草」と書かれている。植物の「匂い袋」を売っていた。3個で5元(100円)とあるので3個買った。ラベンダーが入っていた。今、寝室の机の上に置いている。微かなラベンダーの香りが心安らぐ。
 骨董品の露店が300ほどある建物の中に入る。「茶道用の抹茶茶碗」を2個買いたいので、いろいろ廻ってみた。福建師範大学2回生の「日本概況」の授業で「茶道体験」を学生全員にさせるためだ。適当な茶碗があったので、値段交渉を始めた。私の方は、2個で100元から始めた。向こうは「冗談じゃない、500元だ。」と言う。次に私の方は、「150元」。向こうは、「450元」。------交渉が続く----。私の方が、「300元」。これ以上は、絶対ださない。向こうは、「380元」からなかなか譲らない。もうこの交渉は終わりだと私が言って立ち去り歩きはじめると、向こうは走り寄って呼び留めて来る、300元で決着をみた。1個150元(3000円)の値段だ。後日、この茶碗なども使って「日本の伝統芸術」(茶道・生け花など)の授業をする。学生にとっても「おもしろい」体験だったようだ。

 露店が並ぶ近くにある市場を通ると、食堂横に自家製麺が干されている。電動オートバイの荷台には、網袋の中に大きな食用の鳥が数羽入れ籠められていた。
 1年前まで よく朝夕に散歩した河川公園に行く。6月の「端午節」にここで実施される「伝統行事」・ドラゴンボートレース用のボートが繋留されていた。もう練習が始まっているようだ。ハイビスカスの花のつぼみが開きかけていた。そろそろ、蒸し暑くて 長い長い福州の夏が近づいてきているようだ。













中国における「日本のアニメ(ドラマ・映画)」の人気は依然と高い④1980年代から現在までの動向

2016-04-27 16:58:18 | 滞在記
 日本のアニメは、中国のテレビ・インターネット視聴の市場だけでなく、世界の市場においても強力な競争力を備えている。この「日本のアニメ」という日本のソフトパワーに関して、官民一体となった競争力育成の必要性が必要なのだが、日本政府の支援・対応はどうなのだろう?
 世界最大の市場といえる中国での「テレビドラマの影響力」は低下したが、「日本のアニメドラマやアニメ映画、漫画」の人気は依然として高い。中国国産のアニメの制作は、国家の政策もあってかなり増加してきている。しかし、『漫動作』の調査によると、「中国の青少年」が愛する20のアニメ―キャラクターのうち、ほとんどが日本のもので、中国アニメは「孫悟空」や「喜羊羊」など2〜3と少ない。また、「最も愛するアニメ作品」においては、日本アニメが50%を占め、欧米アニメが30%、中国アニメ(台湾・香港を含む)は、20%となっている。
 その理由は、日本のアニメは①そのテーマは幅広く、②想像力に満ちており、➂魅力的なストーリー、④精巧に製作されているなどが挙げられている。このため、「青少年層だけでなく幅広い層に受け入れられてきた。」30年以上の歴史がある。

 1980年、中国のテレビ局において日本のアニメが初めて放映された。手塚治原作の『鉄腕アトム』(中国名『鉄臂阿童木』)である。その後の1980年代、『ジャングル大帝』や『一休さん』(中国名:『聡明一休』)、『花の子ルンルン』(中国名:『花仙子』)などが放映され、その後 日本のアニメは中国大陸の数世代に渡る人々を惹きつけてきている。

 1990年代に入り、中国人の国民的アニメキャラクターともなっている『ドラえもん』(中国名:『机器猫』)が放映開始され、爆発的な人気アニメとなり現在に続いている。また、『ちび丸子ちゃん』(中国名:『櫻桃的小丸子』)も大人気となった。『名探偵コナン』(中国名:『名探偵柯南』)や『ウルトラマン』も長い人気を持ち続けている。(※「四大アニメ」)
  特に『ドラえもん』は、現在に至るまでの各時代の児童に最も愛され親しまれ、多くの文房具やおもちゃ、衣服などにデザインされたり各種ゲームが開発されている。イベントなどの際にも全国各地で「ドラえもん」が登場する。日本以上に国民的ともいえるキャラクターとなっているかもしれない。
 『セーラームーン』(中国名:『美少女戦士』)、『ドラゴンボール』(中国名:『龍珠』)、『クレヨンしんちゃん』(中国名:『蝋筆小新』)なども、多くの視聴者があったアニメーション・ドラマとなった。小学校から自宅に戻ってしばらくした午後6時台に、中国のテレビで放映され、これ(10アニメ)を視聴するのが楽しみな中国の小学生が激増した。
 また、『キャプテン翼』(中国名:『足球小将』)や『タッチ』などのスポーツ系も人気だった。テレビ放映本数では、1999年が最も多く、年間476本にのぼった。その後は、中国製作アニメを育成する中国政府の方針化のもと、「外国アニメ」の放映は減らされてきた。しかし、2000年代から現在に至るまで、年間100本を越える日本アニメの放映がされ続けている。

 「80后」、「90后」、「00后」という中国語がある。いずれも、1980年代生まれ1990年代生まれ、2000年代生まれを意味する。これらの世代は「日本のアニメを見て育った」と言っても過言ではないかもしれない。中国の世代としては、特に15才から35才までの年代が該当する。1990年代から始まる「反日教育」を受けながら、「日本のアニメ」を見て育ってきた年代でもある。
 2000年代に入り、『ワンピース』、『ナルト』(中国名:『火影』)、『スラムダンク』(中国名:『灌藍高手』)、『銀魂』、そして『新世紀エヴァンゲリオン』などが人気を博した。これらのアニメ作品やアニメキャラクターは現在でもファンがかなり多いようだ。

 2005年ころより、テレビよりもインターネットを通じての視聴が多くなり始めている。そしてこの頃から、中国国産の人気アニメが出現し始めて現在に至っている。そのアニメとは、『喜喜羊羊与灰太狼』(※一匹の羊が、仲間たちと協力しながら、狼から守り合う物語。なにか『アンパンマン』のストーリーなどを彷彿させる。)と『熊出没』(※森を伐採しようとたくらむ銃を持った人間たちに対して、二匹の熊が、森の動物たちとも協力して追い払う。環境問題教育ともなつているかもしれない)。
 アニメ作品を主に扱うチャンネルもある中国中央テレビでは、連日放送されている。特に最近では『熊出没』がよく放映される。それぞれ100話以上が製作され、今後も新しく製作放映されていくだろうと思う。特に「喜喜羊羊(シーシーヤンヤン)」は、中国で最も愛されている国産アニメキャラクターである。けっこう可愛い。

 2013年9月、日本のアニメ界の巨匠「宮崎駿」氏が引退表明をした。連日、反日報道が多かったこの時期、このニュースは、中国中央テレビなどでも大きく報道され、新聞でも数多く報道された。中国人にとっても、宮崎駿の存在の大きさがうかがえた。日本のアニメが大好きな日本語学科の学生の一人は、「スタジオ・ジブリ作品は哲学性があります。」とも言っていた。2000年代に中国で放映され、映画上映され、パソコンでのインターネツト視聴を通じて、改めて「日本のアニメーション」のすばらしさを実感した中国人は多い。

 2010年代に入り、最近では『NO,6』、『青の祓魔師』、『坂本ですが?』、『進撃の巨人』などが、中国のアニメ・漫画オタクの間で人気だが、これらは日本人でもアニメ好きのオタクが知っているくらいだろうか。『進撃の巨人』の映画は見てみたいと思うが、中国では「暴力性が高い」との理由で上映禁止措置が取られている。
 最近、日本に於いて、「国民に愛されるアニメ」が新しく創られなくなってきているのではないかと、心配になる。アニメがオタク化されてきているのではないだろうか。
 日本語学科の学生の中にも、「日本のアニメを研究したい」という学生がいて、「日本のどこの大学がいいですか。」と聞かれることもある。大学院で「アニメ・漫画」の研究科をもっている大学はそう多くはない。勧められる大学の大学院としては、「東京芸術大学(国立)」、「京都精華大学(私立)」、「京都造形芸術大学(私立)」などがある。中国の大学でもアニメ学科を設置する動きがでてきている。「中国アニメソフトパワー」は、まだまた日本に較べると作品力は弱い。しかし、日本も「国力をもって」このパワーを 予算を増やして育成しなければ そのうち弱くなるだろう。「ソフトパワー」はとても重要だ。

 ◆前回のブログで、「GTO」(1989年)と記しましたが、「GTO」(1998年)の間違いです。訂正します。









中国における「日本のテレビドラマと俳優たち」➂—1980年代から2010年代(現代)まで—

2016-04-24 14:21:23 | 滞在記
 1980年代から1990年代にかけては、中国の国産テレビドラマの製作力が不足していたため、海外のテレビ番組(香港・台湾・日本・アメリカ・韓国など)が巨大な市場を占め、発展していた。日本のテレビドラマが中国における輸入海外ドラマの中心となっていたのは、とりわけ1983年から1997年の、約15年間がその黄金期であった。
 一方、NHKスペシャル『シルクロード』や『海のシルクロード』が1980年代から90年代にかけて日中合同製作放映され、ベールに包まれていた「中国」についての関心が一挙に日本国民の間に広まった。1990年代から2000年代初めにかけて「中国ブーム」が起き、多くの人が中国へ旅行に訪れた。(※中国に旅行した知人たちの「中国式トイレにはまいったよ!」という話もよく聞いた。)
 日本に於いては、1964年の東京オリンピックを契機として1960年代にテレビの普及が急速に進み、1970年にはほぼ100%近くとなった。中国におけるテレビの普及率は、1985年(約70%)、1995年(約85%)、2000年(約94%)、2010年(約97%)となっている。

 日本の二人の学者(原田・塩田)が1999年に行ったサンプリング調査によると、中国大陸の人の75%の人が『赤い疑惑』(※中国では1980年代前半に放映)を、72.6%の人が『おしん』(※中国では1980年代後半に放映)を、57.2%の人が『燃えろ、アタック!』(※中国では1980年代前半に放映)を見たという。山口百恵の中国での人気はすごかったようだ。また、『燃えろ、アタック!』を見て、バレー選手を志した中国女性も多くいたという。貧しい家庭環境から、逆境を乗り越えて成功して行く「おしん」の姿は、特に 中国の人々から大きな共感を受けることとなった。これらの日本のドラマの中国人視聴者は、包括的なもので、老若男女、労働者、農業従事者、商業従事者、学生などの各年齢をほぼ含んでいた。

 1990年代に入ると、生活の向上傾向とともに中国の大衆文化もしだいに発展してくると、1992年から日本のトレンディードラマが中国の各大都市で急速に人気を高めた。『東京ラブストリー』(※前出のサンプリング調査では33.2%)などの多くの日本のトレンディードラマが、ファッショナブルで、現代的で、都会的であることの代名詞となった。そして、鈴木保奈美は一躍 中国でのアイドルとなっていった。その後、『一つ屋根の下』、1996年の『ロングバケーション』、1997年の『ラブジェネレーション』、1989年の『GTO』、2000年の『ビュティフルライフ』などで演じる日本の俳優は、ファッショナブルな服装に包まれ、洗練されていながらも痛ましい美しさをもったストーリーによって、多くの中国の視聴者に好まれ、彼らの涙をさそったという。
 この1990年代の時期に中国中央テレビ局(CCTV)が放送した日本のテレビドラマには、『北の国から』、『すずらん』、『星の金貨』などがある。『北の国から』の主演ともいえる田中邦衛は、1980年の『君よ憤怒の河を渉れ』での悪役とは全然違った魅力を中国人に印象づけた。また、「1995年秘密」(『北の国から』)に出演した宮沢りえ(※純の恋人「小沼シュウ」役)や『星の金貨』の主役:酒井法子、連続テレビ小説『すずらん』の主役:常盤貴子などの女優の人気も高いものとなった。3つのドラマは、舞台が北海道である。中国人の観光客が北海道行きを多く望む理由は、これらのドラマの影響もあるようだ。
 他に、俳優として、木村拓哉・竹之内豊・滝沢秀明・松たか子・反町 等は中国で人気となり、多くの中国人の若者のあこがれの対象となったという。これらの日本ドラマは中国の流行文化に大きな影響を与え、1990年代の中国の若者の中に「哈日族」(※日本に熱狂する族)を誕生させた。

 1990年代の後半より、それまでの中国の海外ドラマのなかで日本より影響の少なかった韓国のドラマが徐々に存在感を高めて来た。日本の「冬のソナタ」に始まる韓流ブームのようなものが中国でも始まってきていた。2000年代に入ると、中国におけるテレビでの海外ドラマ放映の割合で、韓国と日本は逆転し、韓国ドラマの方が多くなった。韓国の「官民一体となった」ソフトパワー戦略の勝利ともいえる。また、中国国内で制作されるテレビドラマの本数も激増し、中国政府は国内テレビでの海外ドラマの放送を制限するようになった。
 2008年の1年間統計では、テレビドラマの放送内訳として、①中国国内製作ドラマは約50万本(約85%)、②香港制作ドラマは約3万本(5.5%)、➂韓国製作ドラマは約2万4千本(4.5%)、④台湾製作ドラマは約2万本(3.6%)、⑤日本製作ドラマは約2千3千本(0.44%)となっている。
 1990年代末までは、日本のテレビドラマは多くの中国の視聴者が「最も愛する」ものであったが、2000年代になると中国のテレビ画面では、主流ドラマ番組から周辺的な存在へとしだいに向かっていき、視聴者層も全体的なものから、若年層を中心とした特定の層へと縮小していった。しかしながら、日本のテレビ番組の中国テレビ市場での地位と、中国の視聴者への影響は依然として軽視できるものではなく、現在でも時にブームが出現する。例えば、2005年に日本で放映された『白い巨塔』が2006年に中国で放映され、ブームを起こしたことや、2008年頃に放映された『結婚できない男』(阿部寛主演)なども、中国で高い視聴率を記録したことなどである。(※韓国ドラマも2005年をピークとして減少していく。)
 そして、2005年頃より、中国でも日本でも「パソコン」などの普及によって、視聴のスタイルが大きく変化することとなった。とりわけ中国では、安価な「海外ドラマや映画」の海賊版での視聴、インターネット配信による「違法ダウンドーロ」による視聴が広範に行われるようになった。さらに、中国のさまざまなインターネット配信会社による配信無料サービスの普及によって、中国国内外のテレビドラマや映画はインターネットで視聴する人々が激増した時代となったのである。
 私も2013年9月に中国に来て以来、中国のインターネツト会社の無料配信により、多くの日本のドラマや映画、アニメを見ることができた。日本のテレビを見ることができなかったので、インターネツト無料配信が 唯一の楽しみでもあった。中国の大学生たちも、ほぼ全員が寮生活。寮ではテレビ設置が禁止されているので、インターネットを使った視聴を行って生活している。だから、インターネツトでの様々な視聴方法に非常に詳しくなるようだ。
 ちなみに、現在 全世界のインターネツト利用者の人口は、一位:中国(6憶5千万人)、二位:アメリカ(2憶8千万人)、三位:インド(2憶4千万人)、四位:日本(1憶900万人)、五位:ロシア(8千4百万人)となっている。中国は携帯電話インターネット利用者を含めた超巨大ネツト大国である。携帯電話の普及率は90%に達しているが、インターネット普及率は48%となっている。

—蒼井空(あおい そら)—
 この人の名前を知る日本人は少ないだろうと思う。私も中国に来るまでは知らなかった。1983年生まれの彼女は、2002年にAV(アダルトビデオ)女優としてデビューをしたようだ。その彼女の何本ものAVが中国で大人気となった。海賊版として違法販売され、インターネット配信の違法ダウンロードによって 瞬く間に 中国男性のアイドルとなっていったという。その日本国内外での人気の高さから、「嫌われ松子の一生」「ガリレオ」「嬢王」などのテレビドラマにも出演。
 そして、中国・韓国・台湾などでも活動を開始し、とりわけ中国では絶大な人気をほこる日本人の一人である。「蒼井老師」「空老師」(※中国語では「老師」は「先生」の意味。) 日本に関連する中国国内のイベントなどにも出演すると、彼女のAVを見たこともない何万人という観客が参加するという超有名人大物となっているようだ。
 
 —金城武(かねしろたけし)—
 1973年に台湾で生まれ育った彼の父は日本人で祖父は沖縄、母は台湾人だ。国籍は日本。日本語・中国語・英語を流ちょうに話すことができる。1998年、東京の新宿歌舞伎町を舞台とした映画『不夜城』の主人公:劉健一役で有名となった。その後、中国や台湾、香港の映画界でも活躍し、中国でも有名となってきた。2008年には、映画『レッドクリフ—赤壁』での諸葛孔明役を演じている。

 2013年9月に中国に来て以来、中国でブームになった日本の人気テレビドラマが3つあった。2013年の『半沢直樹』と連続テレビ小説『あまちゃん』、2015年の『5-9私に恋したお坊さん』である。『半沢直樹』のせりふ「倍返し」(※中国語では「加倍奉還」と言う)は中国でもブームとなった。
 2012年9月の尖閣諸島問題以降の「日中関係悪化」の中、日本のテレビドラマが中国政府によって さらに激減させられることになった。しかし、日本のアニメやドラマのファンは多い。そこで使われるのがインターネツトでの動画共有サイトだ。例えば各国のテレビ番組をリアルタイムで流す「風雲直播」。中国本土だけでなく、香港、台湾、韓国、日本の局も網羅し、視聴派は無料。「半沢直樹」も日本での放映当時、同時に見られたという。知的財産保護意識の高い日本では考えられない状況だが、これによってソフトパワーとしての日本のドラマが中国で視聴される有益さは大きいだろうと思われる。しかし、日中関係の政治状況によって 中国当局は このインターネットでの視聴をできなくなる電波措置を行ったりもしている。
 女優や男優で、現在人気が高い日本人をあげるとすれば、さまざまなドラマにも出演している「嵐」のメンバー、「石原さとみ」「新垣結衣」「小栗旬」「綾瀬はるか」などの名前があげられると思う。

 日本人の若手俳優として「古川雄輝」なども、最近の中国では人気が高くなってきている。日本のCS放送で放映された『イタズラなKiss〜Love in Tokyo』がネツト経由で中国で注目された。中国ツイッター「微博」のフロワーも100万人を越している。『5-9私に恋したお坊さん』のドラマにも三島聡役で出演したり、映画『永遠の0』や『潔く柔く(きよくやわく)』に出演している。1987年生まれの27才。
 2015年7月に上海でのファンミーティングのため中国に来た際には、空港に1000人を超す女性たちが出迎え、宿泊先のホテルには数百人が待ち受ける騒ぎとなったようだ。中国で古川は「男神」と呼ばれている。

◆中国では、テレビ局が約300局ある。チャンネル数は、各ケーブルテレビや衛星放送の各局を加えると、約1300チャンネルが存在する。各家庭では、そのうち約100ほどのチャンネルが視聴できる。中国中央テレビ(CCTV)は16チャンネルあるが、そのほとんどを全国各地で視聴できる。多チャンネル国家であり、国内で製作されるドラマや番組は膨大である。そして、同じ番組や同じニュース番組が複数回放映されている。










 


中国で「最も中国人に愛され・尊敬され・惚れられた日本人俳優」②―高倉健という日本人—

2016-04-21 12:53:19 | 滞在記

 中国人にとって、日中戦争や第二次世界大戦(太平洋戦争)が終結する1945年以前より「李香蘭」の名前で中国大陸(※主に満州国)で映画出演していた彼女の名前は有名だった。中国の人々からは、「彼女は中国人」と思われていた。終戦後、中国より、日本軍に協力した「売国奴」の罪により逮捕され裁判にかけられ、日本人であることが証明され無罪となり帰国を許された彼女。
 本名、山口淑子。1920年生まれで2014年、94才で死去した。自由民主党の参議院議員として活動していた時期もあった。

 中国の人々から「最も愛され・尊敬され・惚れられた」日本人俳優は、高倉健であった。中国人で45歳以上の人なら知らない人はいないようで、「中国人民10億人に愛された男」であった。
 私が中国の大学に派遣された2013年9月の翌年の2014年1月、学生の実家というものに初めて宿泊した際、食事をして飲みながら 学生の父親や彼の友達たちから出て来た言葉が「ガオ・ツァン・ジェン!」だった。何かと思って筆談で書いてもらったら、高倉健の中国語読みだった。あと、「ツァン・コウ・バイ・フィ!」。これは何かと書いてもらったら山口百恵だった。みんな熱烈なファンだという。その時は、「ふうん、そうなんだ--。」という感想程度しかもっていなかった。
 1966年から始まった「悪夢の文化大革命」が、「4人組」の逮捕をもって終結を終えた1976年。そして、1978年に「日中平和友好条約」が締結される。改革開放路線に巨大な舵を切った中国の新指導者・小平主席(※毛沢東の死後、中国国家主席となる)は、日本を中国の経済発展の未来モデルとした。しかし、それまでの長年にわたる中国社会思想方針「反米反日」教育の徹底下、日本人に対する中国人のイメージは非常に悪いものであり、極悪非道の敵国国民でもあった。小平としては、「日本に学ぶ」ためにも、日本人に対するイメージを好転させる必要に迫られた。そんな時代の要請のもと、政府間文化交流として、中国で初めて「日本映画週間」が多数の都市で行われ、3つの映画が中国各地で上映された。『サンダカン八番娼館 望郷』と『キタキツネ物語』、『君よ憤怒の河を渉れ』だった。
 中でも『君よ憤怒の河を渉れ』(中国映画名『追捕』)は、中国国民の心を完全にとらえた。当時1億人以上の人が見たと言われる。主人公の杜丘冬人(もりおか・ふゆと)の、寡黙で毅然とした見かけの中に脈々と優しい心を持ち、東洋の男らしさのイメージをもつ高倉健は、無数の中国の男女を魅了した。ヒロインの中野良子は「真優美」(本当に美しい)と呼ばれ、これまでの中国の国産映画のヒーローやヒロインには見られなかった東洋の男らしい男であり、魅力的なヒロインであった。また、文化大革命による多くの冤罪やでっちあげで殺された人々が多かった時代を経験した中国国民にとって、冤罪を晴らすため行動する正義の行動は深い共感を得た。
 その後、高倉健と倍賞千恵子の『遥かなる山の呼び声』や『幸福の黄色いハンカチ』、『八甲田山—死の彷徨』などが次々と中国各地で上映され、高倉健の主演した映画を見た中国人は8億人にのぼると言われている。この視聴を通じて、中国人の日本や日本人へのイメージが大きく変化したようだ。映画の舞台となった東京や北海道の情景を見て、日本へのあこがれへと変化したと言われている。
 当時、1980年代、「高倉健風」は褒め言葉であり(※主人公を追う矢部刑事役の原田芳雄も「原田芳雄風」といわれ褒め言葉)、田中邦衛の演じた悪役・横路敬二(風)は、蔑称となった。

 2005年、中国での第一次反日運動が高まっていた時期、『単騎、千里を走る』が製作され、中国各地で上映された。反日運動の高まりの中でも多くの観客が映画館にかけつけた。監督の張芸謀(チャン・イーモウ)は、高倉健に憧れ続けていた人だった。彼は、『初恋の来た道』(※章子怡・チャン・ツイー主演)などの優れた映画を作り、2008年の北京オリンピックの開会式・閉会式総合芸術監督を務めた。
 2011年、原田芳雄が死去した際、中国の新聞などで追悼記事が多く掲載された。そして、2014年11月18日、高倉健が死去、享年83歳。(1931年生まれ)

 高倉健の訃報を知った中国政府は、中国の国営中央テレビ(cctv)は、すぐに全国ニュースの「新聞伝播」で報道しただけでなく、中国外交部の洪磊(ホン・レイ/こう・らい)報道官(※外交部副局長)が「彼は中国人のだれもか知る日本の俳優であり、日中友好に重要な貢献を尽くした」と功績を讃える声明を発表した。2012年9月以降、尖閣諸島をめぐる日中関係の悪化にともなう時期以降、いつも「日本絶対許すまじ!」という表情で日本を非難する、あの報道官が、である。これは、私もテレビを見ていて驚きだった。そして、中国人にとって高倉健とはどんな存在だったのだろうかと知りたくなったきっかけとなった。
 様々な中国の新聞でも、一面記事で訃報を伝えた。ソフトパワーは、政治や軍事力よりも強く、そして「銭」よりも強い力を持っていると思える出来事だった。

 2016年の今、『君よ憤怒の河を渉れ』のリメーク版の映画製作が中国・香港で準備されている。映画の中国名は『追捕 MAN HUNT』。「追い捕まえる—憤怒の男」という意味になるだろうか。監督は、香港映画界の巨匠:呉宇森(英語名はジョン・ウー)。数十億円の巨費にのぼる映画作成となるようだ。
 昨年の秋、「主役の杜丘冬人が誰になるか?金城武かチャン・ハンユーに絞られる。」と話題を集めた。今年の2016年3月16日、公式発表が行われた。主役の杜丘は、張涵予(チャン・ハンユー)、矢村警部役は日本人の横山雅治、そしてヒロイン役は戚薇(チー・ウェイ)と発表された。ヒロイン役の女優は、私は全然知らない人だった。主役のチャン・ハンユーは、「アジアのおじさん」とも呼ばれる有名俳優。中国テレビドラマ『水滸伝』の主役:宋江を演じた俳優でもあり、硬派のおじさんというイメージがある俳優である。




 

中国で「最も人気があり、中国人に愛される日本人俳優」①―矢野浩二―抗日ドラマ「日本兵」役より

2016-04-21 08:16:29 | 滞在記

 アジアの大国、中国で注目を集めている日本人男優。2013年、2014年、2015年に発表された中国で人気の日本人男性芸能人調査では---ベストテンに福山雅治、山下智久など蒼々たる顔ぶれが。そんな中---木村拓哉をも抑え、堂々第一位に輝いた人物がいる。中国に来るまでは、私はその人のことは全然知らなかったのだが----。
 俳優、矢野浩二(45歳)。日本のドラマや映画にも幾つかの出演歴はあるが、彼の名を知る人は少ないだろう。しかし、中国で好きな日本人といえば、必ず名前が挙がり---彼が登録している中国版ツィッター「微博」には、146万人以上のフォロワーがいるという。
 知人の依頼で、高校の日本語授業にサプライズで訪れると、大歓声で迎えられパニック状態となり、授業後は教室はサイン会場に早変わり。全校の生徒だけでなく、生徒の携帯電話での連絡で駆けつけた大勢の人たちが長蛇の列をなすこともあるという。
 1月ほど前に、彼は 中国人や日本人の新進トップモデルたちと共に登場し、「今後 中国だけでなく 日本での活動も広げて行きたい。」と抱負を語っていた。NHK朝ドラでブレークした「ディーン・藤岡」のようになる可能性があるかもしれない。

 1970年、矢野浩二は大阪府東大阪市で生まれ育った。高校を4年間で卒業しバーテンダーの職についたのだが、常連客の「東京でも行って役者でもなりな」という一言が彼の人生を変えたという。東京で養成所に入り、俳優活動をスタート。しかし、仕事は通行人などエキストラばかり---セリフのある役はまったく巡ってこなかったという。上京して9年--8年間は先輩俳優・森田健作の付き人兼運転手をしながら、下積みの役者活動を続けた矢野。そして、ついにチャンスが訪れる!
 2000年、中国のテレビ局制作の「永遠の恋人」という連続ドラマ。矢野は あまり中国語ができない日本人留学生役で出演。ドラマ自体はヒットしなかったが、クランクアップ間際に中国人スタッフたちから中国に来るように誘われたという。矢野はその言葉を信じ、中国に渡ることを決意。中国に新たに渡るため、寝る間も惜しんでアルバイトに励み、渡航資金を貯めたようだ。そして、ドラマ終了から1年後、単身中国に渡り、中国語を学びながら俳優活動をスタートさせた。
 中国では、愛国教育のために毎年数百本に上る抗日ドラマが制作される。私も2013年の9月に中国に渡って、テレビをつけると連日、一日に何回も抗日・抗国民党の番組が放映されていることを知った。昨年の12月、福建省の泉州にある学生の家を訪れた際、学生のおじいちゃんが「初めて日本人というものを見ました。日本人はもっと背が低いものだと思っていました。戦争ドラマの日本の兵士はみな背が低いからです。あなたは背が高いので驚きました。(※私の身長は173センチ)」と言われたことがあった。
 この抗日ドラマに矢野は数多く出演し続けることになった。自分が本当にやりたい役はなかなか巡ってこなかった。来る日も来る日も「日本軍人や兵士の役」を演じることになる。それまで、中国人が変な日本語で日本軍人を演じていたので、矢野の演技はリアリティがあり注目されたという。しかし、「極悪非道な日本軍人や兵士」ばかりを演じることに大きな悩みを抱えることになってきたという。そして、そんな矢野の気持ちを察した事務所は、以後 悪役日本兵の出演オファーは全て断ることになったという。その後、矢野への仕事のオファーがなくなったが、事務所は彼を解雇しなかった。

 仕事のオファーを失ってから1年が経とうとしていた、ある日。意外な仕事が舞い込んだ。それはトーク番組だった。数人の外国人が出演し、「中国での失敗談」を話すという番組だった。これまでの中国人にとって、彼は抗日ドラマの影響から強面のイメージしかなかった。しかし、もともとはお調子者の大阪人。日本人ならではの失敗談を披露し、観客にも大うけ。こうして意外な評価を受けた矢野。その後の2008年、なんと中国でも有名なバラエティ番組「天天向上」のレギュラーに抜擢されることとなった。そして、映画やドラマのオファーも増え、役者としても見事に返り咲くことができたという。(歴史ドラマ「記憶的証明」、「狙撃手」、「翡翠鳳凰」「東風雨」などに出演)
 2010年には四川省重慶市出身の中国人女性と結婚し、現在5歳になる女の子がいる。2012年1月には、中国における「最優秀外国人俳優賞」を受賞した。日本人としては初めての快挙であり、アジア人としても初めての受賞だった。そして、2012年9月には、日本政府内閣府国家戦略担当相から「世界で活躍し『日本』を発信する100人」の1人として表彰を受けた。
 その直後、2012年9月から始まる「尖閣諸島」をめぐる日中間の政治的緊張や抗日運動の高まりという日中関係の悪化の中、仕事は激減した。すべての仕事の契約が断られることになる。ストレスからの呼吸困難や不眠症に悩まされるようになるが、中国人ファンからの「早くテレビで浩二が見たい。」「矢野浩二は日本人。でもよそ者ではない。」「落ち着いたら飲みに行こう」などの励ましを受けて支えとしたという。
 降板から半年後、反日運動も落ち着き始め矢野は再び中国のテレビに復帰する。2013年には、米誌などから「中国で最も有名な日本人俳優」として評される。2015年8月には、日本の外務省から「日本と中国との相互理解促進に貢献した」として外務大臣表彰状を授与された。
 矢野浩二は、「誠実さと不器用な一面」を併せ持つ日本人として、中国人スタッフからも親しまれるようだ。今後は日本でどのような活躍を見せてくれるのだろうか期待したい。

 ◇矢野浩二は、日本のテレビ番組「奇跡体験!アンビリバボー:中国で最も人気がある日本人」(フジテレビ)で、今年に放映された。

 ◆著書に『大陸俳優 中国に愛された男』(ヨシモトブックス刊) がある。
 ◆矢野浩二公式ブログ:http://www.yano-koji.jp(日本語)、http://blog.sina.com.cn/shiyehaoer(中国語)