彦四郎の中国生活

中国滞在記

福建省・外国人大学教員研修会(その2)

2013-11-24 05:04:01 | 滞在記
1900年から1948年までの約50年間は、中国は混迷を極めた時代であった。女帝の西太后の死を最後に清王朝が完全崩壊し、孫文を中心とする国民党、軍閥、中国共産党、そして日本軍が、中国各地での覇権をめぐって戦いが繰り広げられた。1925年に孫文が死去すると、蒋介石の国民党軍と共産党の対立が激化し内戦が大規模に繰り広げられた。中国共産党軍は、福建省に近い江西省や湖南省を主要拠点とし、国民党軍に抵抗するが包囲されて、ついに1万キロ以上にわたる「長征」を経て北方の黄土高原にある「延安」に中心拠点地を移し、日本軍や国民党軍に抵抗することになる。今回の最初の研修地「井岡山」は、江西省と湖南省を中心とした共産党の中心根拠地であった。1000m以上の山岳地帯にあるこの根拠地は、広大なエリアを有していた。中国各地からの観光客や研修団体などが、たくさんの人が訪れていた。中国の青海省に所属する中国軍(100人ほどの部隊)も、中国共産党軍の当時の制服に身を包み、訪問研修を実施していた。


 18日の午後1時より、バスで湖南省の「韶山」に向かう。午後9時に宿舎ホテル「韶山賓館」にようやく到着。この「韶山」は、毛沢東の生家があるところとして、有名な地らしい。「韶山賓館」は、歴史ある超有名ホテルらしく、歴代の国家主席などの主要要人が宿泊した時の写真がずらりと飾られてあった。胡錦濤や習近平の宿泊写真もあった。

 翌日、毛沢東の生家とその周辺に行く。毛沢東の家は、「中農家」だったようで、結構大きい。平日にもかかわらず多くの観光客や小・中・高校生が訪れていた。また、周辺地域には、毛沢東が「文化大革命」の指揮をとった中央政府の建物群などもあり、当時の部屋群(執務室・寝室・娯楽室・トイレ・浴室・防空壕など)が参観できる。毛沢東像のある中央広場で、私達外語人教師がこの像に献花する式典が行われた。この研修旅行には、ずっとテレビ局員が同行していたので、この場面も含めて、ニュース番組等でテレビ放映され宣伝に使われるのだろう。複雑な心境だ。

 午後3時ころに、湖南省の省都「長沙」に向かう。長沙市を流れる川の巨大な中州(柚島公園)には、スフィンクスのような毛沢東の像があった。夜には、「火宮殿」という長沙一の超有名店で晩餐。長沙に住んでいる旅行社のガイドさんも、ここには初めて入るとのこと。かなり辛いが、中国に来て以来初めて、中国料理がとても美味しいと思った。

 夜は、長沙市内の普通のホテルに宿泊し、最終日の翌日は、湖南大学や隣接する岳麓書院(湖南大学の前身で、歴史ある巨大な建物群)を見学した。昼食後、廈門(アモイ)大学など福建省中南部の大学から参加している約半数の教員は、長沙飛行場に向かう。福建省北部から参加している教員は、午後3時から自由行動。日本人教師たちを誘って、念願の城址を訪れた。そして、夜の11時半に飛行機で福州に向かう。翌日朝から授業が待っていた。

 今回の研修旅行で一番の収穫は、福建省の大学(93の大学がある)の日本語専家教員たちとの親交を深め、いろいろな情報交換などができたことだった。また、福州市内以外の中国の様子を見聞できたこともよかった。そして、中国近・現代史に関する学習ができたこと。












福建省・外国人大学教員研修旅行(その1)

2013-11-23 15:21:43 | 滞在記


 一昨日の深夜、研修旅行から宿舎に帰宅したら、台所に鼠(ネズミ)の糞が散らばっている。5日間の留守の間に、毎日・毎晩出入りしていたらしい痕跡。研修の疲れに鼠侵入のショックが加わる。鼠との戦いに敗北感が漂う。そして、昨日の夕方。買い物からの帰って台所を開けた瞬間、大きな鼠が侵入したばかりの光景に、思わず「こら!」と大声を出すと、鼠と目が合った。その夜、画用紙などを使い換気扇を完全封鎖。もう換気扇は使えないが、ネズミの侵入よりはまし。
 昨日は、一週間ぶりの3年生との授業。知らない学生が4人座っている。授業参観生だ。中国の大学では一般的に、登録していない授業を自由に参観できるシステムになっていることを1か月に知った。時々、このような学生が参観に訪れて、授業に参加する。先週は、中国人の老年の先生が参観していた。
 授業が終わって、東門外の学生街で、二人の学生と韓国系の店で昼食。学生の一人は、ここから遠い中国北部の吉林省から来ている。彼女の彼氏は、高校時代の同級生で、遠距離恋愛中とのこと。昼食後、北門のバス乗り場に行く途中、木に栗鼠(りす)がいた。同じく「鼠」と書くが、こちらは可愛い。大学内の川べりで牛が水を飲んでいた。



 さて、「福建省・外国人大学教員研修」は、11月16日(土)早朝から11月20日(水)までの4泊5日の超強行スケジュールだった。中国新幹線やバス、飛行機を利用して、21日(木)の早朝1時に福州空港に戻るというスケジュール。宿舎に着いたのは、2時半になった。少し眠って、朝5時に起床、7時に大学の授業に行くためバスに乗った。
 研修に参加した教員は、約50名。アメリカ・カナダ・イギリス・オランダ・イタリア・ウクライナ・ベラルーシ・ロシア・オーストラリア・ニュージーランド・マレーシァ・フィリピン・日本の13か国から来ている。、その内日本人は、9人。福建省の教育庁や大学職員関係者が約10名で、合計60名あまりの団体となった。研修の主な行先は、江西省の南西にある中国共産党の革命拠点地だった「井岡山」と湖南省の省都「長沙」に近い毛沢東の生家がある「韶山」。外国人教員に、中国共産党政権の歴史学習をさせることが、主なねらいである。

 福州から江西省の省都「南昌」までは、中国新幹線に乗る。新幹線の大事故が、福州の近くで起きたためか、時速は200㌔前後に抑えられている。昼食後、バスで7時間かけて「井岡山」に到着。立派なホテルの中で「歓迎晩餐会」が開かれる。同室者はアメリカ人なので、私のつたない英語力につきあってもらうことに。研修中の説明ガイドなども英語と中国語となっていた。聞き取れないことも多いのだが、同行の日本人仲間で英語力の高いも多いので、「今何て言っていたの?」と度々教えてもらう。※その(1)終わり












鼠(ネズミ)🐁との戦いの日々。そして台風「海燕」。

2013-11-15 16:12:09 | 滞在記

 
 フィリピンを襲った超大型台風30号(中国では「海燕」と命名)の影響で、この福州でも台風最周辺の雲がかかり、先週末から今週の木曜日まで連日雨が降った。気温も急に下がってきて、早朝は16度・日中は22度前後となってきている。町中に繁る樹木は、ほとんど紅葉しなく緑のままなので、秋が来たという印象は感じにくく、10月下旬までの夏日から秋を通り過ぎて冬に向かい始めたという印象が強い。

 台風30号(Haiyan)による被害地域の様子を、ここ連日、インターネット映像や中国のテレビで見ている。特に被害が大きく、壊滅的な被害を受けたレイテ島タクロバン市は、10年ほど前に3度にわたり短期滞在をしたことがある町だった。フィリピン人の生き方や幸福感、家族や一族で助け合いながら生きている人々の様子を目にし、雑誌に2回の連載記事も書いた町なのだ。地元のトゥバ酒(ココナッツ酒)を一緒によく飲んだ人達や世話になった人たち、よく一緒に海に小舟で魚を捕りに行った子供達は、今どうしているだろうか。生きているだろうか。人々の、控え目ながらも弾(はじ)けるような、あの笑顔や、素朴な町や村の様子を思い出すとつらくなる。


 さて、中国での生活のことだが、8月下旬から暮らし始めていてずっと困っていることの一つにネズミの出没がある。最初の頃、早朝に起床して台所のドアを開けると、床上に置いたバケツに入れてあった生ごみなどが散乱しているのだ。どんな動物が夜中に来ているのか暫くわからなかったのだが、10月中旬にその正体がはっきりとわかった。夜に夕食を作り食べた後、疲れのために8時頃から熟睡。夜中の12時ころ目が覚めて台所の電燈スイッチをつけて入った瞬間、大きなネズミが目の前の高い壁を垂直に駆け上って、換気扇の横のすきまから逃走していった。さっそく早朝に、すきまをふさぎいだ。その後も、度々入ってきて散乱させるので、ある日、小さな穴なども数時間かけてふさぐこともした。※宿舎の部屋は2階にある。外の壁は結構垂直に高く、タイル張りなので登りにくい。
 数日は現れなかったようなので安心してきたら、又もや入ってきている様子がある。散乱しているのだ。もうどこから入ってくるのか、まったく理解ができない。入ってこれる穴などないのだ。宿舎周辺のやや広い水路などは、見た目にも嗅覚的にも汚染された場所も多い。そのような水路を泳いでいる大きな鼠を見ると、「菌を持ったあの鼠が台所に来ているのか。」と怖ろしくもなる。そして、11月6日に、入ってきている場所がようやくわかった。その日の夕方、夕食を作り食べた後、近くのスーパーに20分ほど出かけて帰ってきた。台所のドアを開けると大きな鼠が目の前の壁を垂直に駆け上がり、今度は換気扇の中に入っていった。思わす換気扇のスイッチを押し、回転させ始めた。しばらくして、換気扇の中を懐中電灯でのぞいてみたが、鼠のかけらもなし。換気扇内部に穴もなし。不思議。魔法のように鼠がどこかに消えた。翌朝、換気扇の外部(外)を調べてみて、侵入経路がわかった。換気扇の外側の方の何枚かで作られているものは、少し柔らかい素材なのだ。少し柔らかいので、見た目は穴がないが、そこを押し開けて侵入や逃亡通路になっていたのだ。

 さっそく夕方、町の露店に行って、外側から換気扇を囲めるものを探していたら、料理の蒸し器のアルミ(小さな丸い穴がある)を見つけたので、購入した。宿舎の周りで、落ちている針金を探してもきた。そして、2時間ほどで取り付けた。これで大丈夫か。夕食を作る時に煙がすごく立ち上ってきたので、換気扇を回したら、今度は外の部分の開きがわるいためか、煙が出ていかない。台所中煙だらけになったので、しかたなく窓も開けて料理している。おかげで、その後は鼠は入っていないようなのだが。
 中国の鼠は、日本のものに比べて大きい。そして、町でよく見かける。たくましく・あきらめず・知恵がまわる大きな鼠。大きな鼠に成長する環境がそろつているようだ。汚染された水路・おかまいなしに道端に捨てられる人々のゴミ捨て習慣・開発のために壊される古い建物のレンガの残骸地域の多さなど。
 
 一昨日から、1か月ぶりに「閩劇」の路地裏講演が始まった。下町の生活は、庶民の生活感溢れる場所なのだが、鼠も多発する。



大学の運動会

2013-11-08 05:50:36 | 滞在記

 11月6日(水)から11月8日(金)までの3日間にわたる大学の運動会が始まった。この間、大学の授業は休講。昨日は、9時から開会式が行われるので見に行った。大学に着いて、自分の部屋に荷物を置き、会場の第一運動場に向かう。途中のテントから、「先生!先生!」と大きな声が聞こえ、数人の学生達が駆け寄ってくる。授業では、普段おとなしい子も、明るく元気な子に変身しているギャップ感の不思議さ。

 大学校地の一角にある第一運動場の周りには、広い原野と川があった。学生によると、運動会に参加するのは、1回生・2回生が中心らしい。運動会になんらかの形で参加・出場しない学生は、完全な休みの日になる。

 ステージに上がって外国語学部長に挨拶すると席を勧められたが、「このような席には---。」と婉曲に辞退させてもらう。20あまりの学部ごとの入場行進が始まった。本部キャンパス以外の校区にある学部や、遠く台湾からの3つの系列大学の参加もみられた。私の宿舎がある、「情報教育学部」のあるキャンパスは、早朝から本部キャンパスに向かう数台の大型バスに乗り込む学生達の姿があった。競技種目は、主に陸上競技。



 10月上旬以来まつたく雨の無かった福州に、11月2日に1か月ぶりの少しまとまった雨が降った。雨が降ると、面白い光景がみられる。中国の雨合羽(バイク用とバイク型電動自転車用)は、一人用と二人用がある。頭を出すフード部分が二つあるのが二人用。50ccバイクに3人~4人が乗っている光景は、日常茶飯事見られるのだが、雨の日に雨合羽を4人がかぶったら二人は頭を出す所がないので雨合羽の中の暗闇の中でがまんして乗り、足だけが見えている光景が出現する。傘さし運転も多い。それにしても、たくましくワイルド。
 
 休講期間中、たまっている仕事や授業準備等にゆったりと取りかかる。




庶民の生活あふれる宿舎周辺

2013-11-03 05:17:52 | 滞在記

 中国の福州に来て2か月が経過した。10月上旬の国慶節の休み明けには、少し涼しくなったので「ようやく、福州も朝や夜は涼しくなったね。」と学生に話したら、「いやいや、福州はこんなもんじゃないですよ。」と返ってきた。その言葉通り、10月中旬からは、暑さが戻ってきた。暑いので、冷蔵庫に3週間前のアイスクリームが残っていたのを思い出し、がぶりと食べたら、なんと歯根を残して歯がボキッと折れてしまった。前歯の隣の犬歯なのだが、治療はしたいが中国の歯科医院はちょつと躊躇(ちゅうちょ)してしまう。中国では、歯科医院の看板は「牙科」と書かれている。また、義歯や簡単な抜歯をする露店もある。日本で通院していた歯科医に電話をして状況を話し、来年1月下旬からの春節時期、日本への一時帰国の際に治療をすることにした。中国のアイスクリームは、日本のものに比べると、「すぐ溶けやすく、凍らせたら石のように固くなる。」ようだ。今後、要注意!

1年生の授業は、相変わらず準備が大変だが、ようやく見通しが持てるようになり始めた。3年の授業は、学生たちとかなり親しくなってもきている。先週の水曜日に、英語科の中国人の先生から、「私の甥が日本から一時帰国しているので、授業参観をお願いできますか。」と突然依頼された。一時帰国している甥の名前は、藤岡君。愛媛県立松山南高校の2年生。11才の時に中国から日本に単身来日し、現在は、母と妹とも日本で暮らしているようである。国籍は中国。京都大学への進学を希望しているそうだ。その日の授業内容は余裕があったので、20分あまりを使って、中国の学生にいろいろと質問をしてもらった。ある学生の「日本の良いところ、中国の良いところは、どんなことですか。」という質問に、彼は「日本の良いところは、衛生的な食べ物や水・空気、そしてゴミなどの少ない環境。さらに生活の安全。ルールを守る国民性です。中国の良いところは、人間の情(じょう)です。」と答えた。彼は単身来日時は、まつたく日本語ができなかったようだが、わずか6年の間によくもここまで学力を積み上げたものだと感心もする。3つのクラブ長も兼ねているようだ。
 
 私の宿舎は、旧市街の端にある。宿舎の1km周辺は、中国庶民の生活があふれている場所だと思う。南にある近くの河川公園では、早朝にはダンス体操を楽しむいくつもの集まり、太極拳や気功、クラッシックダンスをする人達。そして釣り。20数名が集まっての「○○談議」などがくりひろげられる。また、夜にはさまざまな「歌舞」が行われ、それを見物する大勢の人達。西にある通りには、週に3回は200軒あまりの露店が立ち並び生活雑貨が売られている。北や東には、庶民のアパート群が立ち並び、露店の飲食店なども数多く軒先を並べる。

 週末になると、骨董露店が300軒から500軒ほど立ち並び、大勢の人でごった返す。骨董露店の他に、いろいろな店も数百軒。蛇や噛みつき亀などの類を売る人もいる。ここに毎週行くことが、一人暮らし異邦人生活のわびしさを多少救ってくれる。また、時々、京劇に似た「閩劇」も青空上演される。1920年代を描く中国映画の一場面を彷彿させる情景が見られる。
 
 昨日の夕方、「永輝超市」という近くのスーパーに買い物に行った。日本でいえば「ダイエー」のような規模のスーパーマーケットか。店員の数も、数メートル間隔にいてやたら多い。野菜売り場の一角で、女性店員どうしのケンカが始まった。広い店全体に聞こえるケンカ。自分の担当する野菜の置場をめぐつてのケンカのようであるが、延々とケンカが続くその時、お互いに相手の置いた野菜を大量に放り投げ始めたのには驚いた。中国の福州に来て、ケンカの場面はたまに目にするが、ほとんどが女性である。男性は人に対して怒鳴ったりするが、ケンカにまではなかなか発展しないようだ。この前も、バスに乗ってきたおばさんが、運転手に大きな声で文句を20分にわたり言い続け、しまいにはお互い疲れたのか、笑いあっていた。