彦四郎の中国生活

中国滞在記

住宅公団の団地ができて50年、「男山団地の紅葉」、樹木がここまで成長―モミジとカエデの違いとは?

2020-11-28 07:47:49 | 滞在記

 私が暮らす京都の自宅から車で10分くらいのところに「男山団地」がある。日本住宅公団が中心となり造成され、1972年に入居が始まってから50年ほどが経つこの団地内の種々の木々の紅葉、毎年みごとに色付きを見せてくれる。新型コロナ問題で、日本での滞在が1年近くになる今年、ここの紅葉をほぼ8年ぶりに見ることができた。

 国宝「石清水八幡宮」のある男山に連なる丘陵地(男山丘陵)。この丘陵地を境に東方は京都府、西方は大阪府となる。もよりの駅は京阪電鉄「樟葉駅」や「石清水八幡駅」で、ちょうど京都の中心地「祇園四条」と大阪の中心地「淀屋橋」「梅田」の中間地点にあたる。このため大阪や京都のベットタウンとなっている。現在は、賃貸の団地棟は現在「UR都市機構(お部屋探しはURであーる)」が管轄し、「礼金なし・保証人なし・仲介料なし」「月4万円~6万円の賃貸料金」。男山団地の戸数は約8600戸、人口は約3万5千人となっている。賃貸棟群、分譲棟群、そして一戸建てからなる。

 付近には木津川・桂川・宇治川の三川合流地点の背割り堤があり、全国的な桜の名所として知られる。三川が合流して淀川となる。また、団地の東方には田園地域も多く残る。団地の木々も50年経て大きくなり葉を繁らせる。まあ、交通の利便性があり、落ち着きのある自然環境にも恵まれた団地となっている男山団地の丘陵地。

 丘陵地の展望の良いところからは、京都盆地とそれらを取り囲む山々である愛宕山や比叡山や北山・西山・東山の各連山、山城地方から奈良方面の山々、そして琵琶湖西岸の比良山系までもが見える。そして、大阪平野や高層ビル群、生駒山系、和歌山方面の山々や淡路島方面、神戸あたりの町や背後の六甲山系までが見渡せる。

 男山団地で紅葉している木々は、楓(カエデ)、桜(ソメイヨシノ)、ナンキンハゼ、モミジバフウ、銀杏(イチョウ)、プラタナスなど。10月下旬から11月中旬頃までが見ごろになり、下旬頃まで紅葉が続く。私は11月8日にここの紅葉を見に久しぶりに訪れた。

 私はこのA棟地区を校区に含む小学校に、2000年代の初頭に赴任していたことがあった。4月下旬の家庭訪問時、5階まである団地群の階段を上り下りしていたが、その頃には木々はもうすでに大きく高くなっていた。「はげ山も50年間放置すれば森が蘇る」と言われるが、ここの木々の紅葉もまた たいしたものになってきている。団地の幹線道路には欅(けやき)の並木が紅葉していて これまた美しい。

 京都府内にもたくさんの紅葉が美しい団地があるが、大規模な団地といえば、ここ男山団地の他に「洛西ニュータウン」(京都市右京区)がある。ここも日本住宅公団が開発し、1976年から入居が始まった。戸数約1万戸、人口約4万人の団地となっている。ここの並木の紅葉もまた素晴らしい。(特に桂坂の並木の紅葉は見事)

 京都の我が家の富有柿の木も紅葉が美しかった。10月下旬頃から紅葉が始まり、中旬に見ごろを迎え、下旬には落葉してきている。今年は豊作で100個あまりが鈴なりに実をならせた。ここに住み始めたころに70~80cmほどの苗木を植えたのだが、30年間ほどでここまでに大きくなった。私の人生は約半分だ。そして、この柿の木とともに子供たちも大きくなり成長していった。

 富有柿の小枝を切って、銀閣寺界隈に暮らす娘の家に持って行き、孫たちに室内での木の枝の柿採りをさせてみた。

 その孫たちが娘夫妻とともに11月15日(日)に我が家にやってきた。男山団地の「さくら公園」には「こども動物園」がある。馬(ポニー)、山羊(やぎ)、ウサギ、孔雀(くじゃく)、白鳥などがいる。下の孫娘の遙(はるか)が馬の背に乗せてもらっていた。ドングリの木もここは多く、地面にはたくさんのドングリが落ちていて、孫たちはドングリ拾いに興じてもいた。A棟地区の紅葉を見に行き、きれいな落ち葉を拾い集めてもいた。私の次の次の世代が未来に向かって成長し始めてきている。

―モミジとカエデの違いとは?―私もあまり知らなかったのだが‥‥

 「紅葉(こうよう)」・「紅葉(もみじ)」・「楓(かえで)」、この3つの言葉を漢字で書くとこうなる。「紅葉(こうよう)」とは秋になり朝夕夜と日中の寒暖差が激しくなると起こる(葉の葉緑素が分解され、かつ、葉に蓄えられていた糖分が赤や黄色を生み出す色素が生成される)、葉の色が黄色やオレンジや赤になることを指すのだが、「紅葉(もみじ)」と「楓(かえで)」はどう違うのだろう。調べてみると‥‥。

 紅葉(もみじ)も楓(かえで)も、同じカエデ科カエデ属の樹木の種類で、モミジ科やモミジ属は存在しない。「モミジ」とはカエデの葉の別名としての日本独特の呼び方だと言う。英語圏では、「カエデ」も「モミジ」も「maple(メープル)」と呼ばれ、日本語独特呼び方の「モミジ」は、「Japanese maple」と訳されるようだ。

 日本語では葉っぱの深い切込みが5つ以上あり、掌(て)の平(ひら)を広げたような形状をしている小さめのカエデを「モミジ」と呼ぶ。そして、それ以外の切れ込みが浅く葉先の先端が極細の形状になっているものを「カエデ」と呼ぶ。カエデという日本語は、「蛙手(かえるて)」に似ている形状からきていると言われている。形状の少しの違いも名称区別表現をする日本人。細部まで自然を愛でる風情を感じさせるのが日本らしい。

 美しい紅葉が見られるのは地球上でも限られた地域だ。東アジアやヨーロッパの一部、北アメリカ大陸の東部に限られる。その中でも、日本の紅葉は美しいと言われる。葉の色彩が鮮かで、かつ多様性に富んでいるようだ。欧米やロシアの紅葉は美しい。同じような樹木の紅葉がずらりと森となっているさまは壮観だ。(※亜寒帯のロシアとモンゴル、カナダ、そして北海道で見た紅葉は壮観だった。カナダの国旗は「カエデ」である。モンゴル北部やロシアでは8月下旬から紅葉が始まっていた。)   だが、樹木の種類が同じものが多く、紅葉も単色となりがちだ。それに比べると日本では、赤やオレンジ、黄色、茶色、そして微妙な色合いのものなどが混在し、常緑樹の緑も混ざって、多様で美しい紅葉が見られる。

 日本には落葉樹がとても多い。それは1~3万年前の氷河期に、日本列島では広葉樹が生き延びたからだと言われる。日本列島は周りを海に囲まれていたため氷河期であっても、比較的暖かい海流も海岸線を流れ、海岸線の地形とも相まって多種多様な広葉樹が生き延びた奇跡のような気象条件のあった場所だとされる。このため、世界の文明史でも「四大文明」発祥の地以外にもう一つ、「日本の縄文文明」(約2万年前~約3千年前)は特筆に値すると、今、世界史の研究者の間でも見直しも始まってきている。

 つまり、広葉樹が守られた日本列島では、狩猟採集文明が永らく維持され続けた奇跡の文明があったということである。そして最近、そのような世界史の見直しもあり、「日本の縄文文明」(※青森県の三内丸山遺跡など)の歴史遺産が世界遺産として登録される可能性が高まりつつあるようだ。

 温帯や亜寒帯の気候で、日本で言えば本州・四国・九州と北海道。亜熱帯の沖縄では見られない。私が暮らす亜熱帯の中国福建省でも紅葉する木々は少しはあるが、ちょっとだけ黄色みがかり、すぐに茶褐色になり落葉する。そして90%以上は常緑樹。ちよっとした紅葉かな?は、11月の時期が最も多いが、3月・4月に紅葉する木々もあり、四季の季節感を感じにくい。これは福建省の対岸にある台湾も同じかと思う。(台湾でも山岳地帯は違うかも)

 季節感を尊ぶ感性が、さまざまな植物の名前を作り、ちょっした違いであっても呼称が違うという言語文化を生み出したのが日本語の世界でもある。「もみじ」と「かえで」の区別とは、そんな日本という国のことを感じさせる一つの例証なのだろうかと思う。

 ―街路樹や公園、住宅地や里山など、紅葉の美しい木々は―

 紅葉が美しい木といえば、まず、「モミジ」と「イチョウ」があげられるが、それ以外の紅葉の美しい木が日本にはたくさんある。でも、名前はわからないということも多いかもしれないが‥。

 上記の写真、左より①②はプラタナス。モミジハスズカケとも呼ばれる。スズカケの木。黄色から徐々に褐色になり落葉する。鈴のような丸い実ができる。立教大学の構内の風情を詠った「友と語らん すずかけの小径(みち)‥」の歌詞の歌はこの樹木。左より③④はモミジハフウ。名前からするとモミジの仲間?と思ってしまうが、モミジハフウはフウ科の樹木。トゲのある実はクリスマスの飾りとしてもよく使われている。トゲに触ってもそんなに痛くはない。やさしいトゲだ。左より⑤⑥はドウダンツツジ。紅葉の後半、葉っぱは燃えるような真っ赤になり、最後はえんじ色になり落葉する。

 上記の写真、左より①は桂(カツラ)。楡(ニレ)とも呼ばれる。里山によく見られる。日本の大学では北海道大学はこの木が多い。丸い葉が可愛く、銀杏(イチョウ)のように真っ黄色になる。左より②③はナンキンハゼ。かなりの大木になる。葉っぱの形は、トランプの♠スペードに少し似ていて可愛い。紅葉とともに黒い皮がはじけて登場する白く小さな実も可愛い。左より④⑤はハナミズキ。木々の中ではいち早く紅葉する。黄色からさらに真っ赤に紅葉する。赤い小さな実をつける。⑥桜の中でも特にソメイヨシノは日本に多い。10月上旬ころから赤っぽく紅葉し、茶褐色になり落葉する。桜並木の多い日本では、この紅葉並木もまた風情がある。

 上記の写真、左より①②は漆(ウルシ)、③④⑤はハゼ。まだ背丈が伸びていないものも美しい。大木になるとその紅葉のさまは壮観でもある。山里によく見られる。

 他に紅葉が美しいのは、街路樹に多い欅(ケヤキ)。庭によく見られる南天(ナンテン)の紅葉や柿の木の紅葉。そして、稲が実り葉が黄色く紅葉するさまも壮観で美しい。ススキの野原が黄土色に紅葉するさま。紅葉する樹木や植物が他にもいっぱいいっぱいある日本列島。木の種類によって紅葉の色合いも様々。燃えるような赤、落ち着いた赤、そして黄色、オレンジ色、茶褐色。多種多様な木々や植物が混在して植物が混在するこの日本列島。

 私の大学での「日本概況」の授業(3回生対象)では、「地理・地形・自然」編で、「日本の国って どんな国?!」の問いかけ、「水と緑の豊かな国、日本。」をキーワードとして中国人学生たちに講義をする。その緑が秋になると多様な紅葉の国ともなる。

 

 

 

 

 


立命館大学の紅葉―真紅のもみじの紅葉は一見の価値ありか―三連休、京都は全国からの人の波

2020-11-23 15:46:09 | 滞在記

 京都大学吉田キャンパスの種々の大木の紅葉群にははるかに及ばないが、立命館大学衣笠キャンパスの何箇所かにあるもみじの紅葉は、それはそれで見事に美しい。ほぼ真紅のもみじの紅葉が見られる。特に時計台がある存心館前の真紅のもみじは一見の価値あり。図書館近くの「未来を信じ 未来に生きる」(末川博)の言葉の石碑の背後にある一本のもみじの紅葉も美しい。

 11月18日(水)、立命館大学大学院言語教育研究科に留学している呉優君に会うために立命館大学に行った。数日前から日本のNEC製のパソコンのOFFECE機能が「中国のインターネット会社のアプリ機能」に勝手に乗り移られて、なんでもかんでも中国語表示となり、授業準備ができにくくなってしまって困ってしまっていた。そこで、呉君に前日に連絡して午後1時に立命館大学で会うこととなった。大学院生たちの研究室棟で私のパソコンを見てもらい、中国の困ったちゃんアプリを除去してもらい、元の機能が回復できた。

 呉君は私が勤める中国福建省の閩江大学の教え子ではない。立命館大学大学院に留学していた私の教え子の友達だ。湖北省武漢市の出身で、華中師範大学の卒業生。新型コロナウイルス感染拡大で都市封鎖が最初に行われた・武漢にある大学だが、呉君はもう1年半間あまり中国には戻っていない。今、大学院2回生で、日系企業への就職が内定しているので、来年の3月には中国に2年ぶりに戻り、内定している日系企業で働くこととなっている。

 存心館横の独立研究科事務室や大学院教室のある創思館も真紅のもみじに囲まれる。

 また、歴史都市防災研究所のある建物の庭のもみじの大木も美しく紅葉する。「2020年度 中国通チャレンジバトル 12月12日(土)  創思館カンフォレンスルーム 14:00-17:00」(主催 立命館孔子学院)の立て看板があった。コント・写真・歌・スピーチ・書道・絵画など、中国に関連したものであれば、参加応募ができるようだ。

 立命館大学には今年の8月以降来ていなかった。立命館大学の研修員の籍があるので、図書館なども利用できるのだが(大学院生や研修員は100冊まで借りることができる。貸出期間は3カ月ほど)、コロナウイルス感染拡大の影響で、図書館には事前予約をしないと入館ができなかった。10月になって予約をしなくても入館や貸し出しが可能になったようだ。久しぶりに図書館に入館したが、この日は書籍は借りなかった。

 大学院講義室のある創思館の事務室の近くの掲示板に、言語教育研究科の後期授業(講義)一覧表が貼られていた。それを見ると、「卒業論文各教員のゼミ」の授業は15の教員のゼミのうち13が遠隔授業(オンライン)、2つが対面と遠隔のミックスだった。一般の授業では44授業のうち、23がオンライン、11が対面。対面の普通授業は25%ほどの実施率となっていた。まだまだオンライン圧倒的にが多いのが実情となっているようだ。

◆同志社大学や同志社女子大学の今出川キャンパスや洛北にある国立・京都工芸繊維大学や京都府立大学なども樹木の紅葉が美しいかと思う。日本の大学ではやはり北海道大学のキャンパスの大木の紅葉群はみごとなりだった。他に、東京大学の本郷キャンパスなども大木の紅葉がみごとかと思う。

 1日間の新規コロナ感染判明者が大阪で490人と発表され、全国では2168人との報道がされることとなった3連休の中日(なかび)の11月22日(日)、京都市内に午後でかけた。平安神宮のある岡崎公園エリアの京都勧業館(みやこメッセ)で、京都市右京区京北町の「妻の兄の妻(義理の兄嫁)」の陶芸作品が展示されているのを見くためでもあった。

 京阪電鉄三条駅で下車し、市内バスで岡崎公園に行こうと思ったら、バス停にはなんと50人余りの人が並んでいた。例年、桜の時期と紅葉の時期、特に紅葉の11月下旬には観光客などでバスは満員となることが多い。しかし、この並んでいる列の人数の桁違いの多さには驚いてしまった。バスに乗ることを諦めて、20分ほどかけて岡崎公園まで歩くことにした。

 勧業館前の紅葉が美しかった。館の入り口付近には源氏物語の源氏と紫の君の石像が置かれていた。

 「こんなん創(つく)っ展」―"京都伝統工芸大学校で学んだ円熟世代が集う"の作品展会場に兄嫁もいた。この日は受付当番だったようだ。彼女は白い陶器を出展していた。

 岡崎公園からバスに乗ろうとしたが、「満席のため次のバスにしてください」と運転手からのアナウンス。バスに乗ることを諦めて、また三条大橋方面に歩いて帰った。新京極のアーケード商店街は通行もままならないくらい人の波で溢れかえっていた。歩き疲れたので河原町三条にある喫茶「六曜社」で、読書しながら疲れを休め、久しぶりに丸善書店に立ち寄って帰宅した。

 この日、京都市内はすごい人出だった。大阪からも東京からも、全国から観光客が京都に押し寄せたという感がある。コロナ感染拡大での2週間後の感染者数の発表(12月6日頃)が心配にもなった。11月22日、京都の新規感染者数は24人、東京391人、北海道245人、他に100人以上は埼玉・神奈川・兵庫・愛知の各県。京都市内を歩いていても、ほぼ100%の人がマスクを着用していた。

 

 


京都大学の紅葉❷歴史的建造物と種々の木々の紅葉がマッチする「京都紅葉巡りの隠れた?穴場だな」

2020-11-23 10:31:15 | 滞在記

 30分ほど京都大学の北部構内を散策し、今出川通りを渡り本部構内に入る。ここには有形文化財となっている歴史的な建造物が多い。そして、その建造物を背景としたもみじの紅葉が見事な場所だ。10日ほどもみじの紅葉の見ごろには早いが、かなり色付き始めてはいた。工学部棟の多い今出川通りに面したエリア。旧建築学教室本部の建物の前に見事なもみじがある。ここは11月下旬にきたら「一見の価値あり」と太鼓判を押したいところ。

 銀杏が落葉しあたりを敷き詰める。富有柿の見事な紅葉も。旧土木工学教室本部の建物のあたりの種々の大木の紅葉が美しい。

 大学の通りの向こうにも歴史的な建物が。旧尊攘館だ。経済学部本部棟も歴史的建造物。日本の著名な経済学者や政治学者、法学者、政治家などを輩出してきている建物だ。コロナ禍下だが、学生たちもけっこう戻り、自転車がたくさん置かれている。旧石油化学教室本館の赤レンガ造りの歴史的建造物前にももみじの紅葉が始まっていた。

 経済学部棟の前にあるもみじの紅葉はとても美しい。桜の木の紅葉はかなり落ち葉となっている。百周年記念館(時計台)、京都大学のシンボル的歴史建造物ともみじ。

 本部構内の正門を出ると、吉田神社の赤い鳥居や紅葉している吉田山や大文字山、如意が岳が見えてくる。吉田南構内に入る。構内掲示板に貼り紙が並ぶ。残念ながら今年の「京都大学11月祭(大学祭)」はコロナ禍のためオンラインでの実施となった。「菅首相による学術会議6学者任命拒否は学問の自由の侵害である!絶対に許してはならない!」の貼り紙も。

 学術会議の前会長の山極氏はつい先ほど前は京都大学の学長でもあった。2年ほど前まで、「京大の風物詩」だった立て看板。政治的主張のものも含め、いろいろな看板が今出川通りや東大路通りなどに面して賑やかに置かれていたが、京都市の立て看板撤去勧告に、何も異議を申し立てず同調したのがこの山極学長だった。多くの期待を背負って学長になった山極学長だったが、京大の歴史始まって以来の期待外れの学長でもあった。京大界隈の地元の人は「立て看板がなくなってさみしおすわ」とのこと。私もそうだが、京大らしさがこのためなくなってしまったような感がある。おそらく「学問の自由」とかにはけっこう無関心な人だったのだろう。ただ単なる「人類学・猿学」の人で、伝統ある学問の自由の伝道・京都大学学長の器ではない。彼を選んだ者たちも悪いのだ。今回の学術問題でもそのことを思う‥。

 文学部陳列館の歴史的建造物の建物の向こうに夕日が沈み始めていた。今出川通りに再び戻り、大文字山周辺の山々に夕日が当たり、紅葉がとても美しい。この紅葉真っ盛りの山(大文字山の支峰)にはかって「中尾城」という山城があった。曲輪や堀切、空堀跡が見られる。また、近くには「将軍山城」や「如意が岳城」などもある。京の洛中と近江・滋賀を結ぶ「山中越え」を扼する城郭群だ。「如意が岳城」や「中尾城」に陣をおく13代将軍足利義輝軍と「将軍山城」や「吉田山」に陣をおく三好・松永軍との戦が行われた。1558年のことだ。また、1570年の織田信長の浅井・朝倉連合軍が籠る比叡山への「比叡山包囲」の一翼をになった明智光秀はここ将軍山城に陣を置いた。その歴史的な山城群のあった山の紅葉が夕日を受けて燃えていた。

 歩き疲れたので、今出川通りにある「京大第二の図書館」と呼ばれる喫茶「進々堂」に入り、コーヒーを飲みながらしばし読書タイムを過ごす。私が学生時代だったころは、ここでタバコを吸いながら2〜3時間は読書やレポートや論文作成をしたりしたが、数年前から喫煙不可となっているので、以前のように来ることはなくなった。

 今出川通りに何軒かある古書店。『戦国の山城をゆく―信長や秀吉に滅ぼされた世界』(集英社新書)安部龍太郎が300円で置かれていたので買ってかえった。かなり面白い本で、ほぼいっきに読み終わった。この安部龍太郎は京都の金閣寺近くの大将軍という地区に仕事場があるようだ。住まいの東京から時々はここに滞在して執筆活動をしているという。とても優れた歴史作家だ。

 「京都大学新聞」11月1日号。「共通科目 対面授業1割に満たず—新追加も大半が遠隔授業」という見出し記事。大学構内にけっこう学生は戻ってはきているが、コロナ禍下、いまだ、オンライン授業(講義)が大半のようだ。

 

 

 

 

 

 


京都大学の紅葉❶京都の社寺群と紅葉は見事だが、京大の歴史的建造物と種々の樹木紅葉も見事

2020-11-23 08:42:13 | 滞在記

 その多くが温帯気候帯に属する日本列島は、全国各地に紅葉が美しく、紅葉の名所も数限りなく多い。その中で、古都・京都の紅葉はまた、寺院や神社を背景とした紅葉の美しさに別段のものがあるのかと思う。京都盆地という地形のために底冷えが深く、朝夕の寒暖差のためか、紅葉の色が美しいとも言われている。

 そんな京都にあって、「隠れた?紅葉の名所」の一つが京都大学の本部がある吉田キャンパスではないかと ずっと私は思っている。このキャンパスには、本部構内・北部構内・南構内・医学部構内など6つあまりの構内がある。特に紅葉が美しいのは北部構内と本部構内だ。学生時代に3年間ほど、吉田キャンパスにほど近い銀閣寺・哲学の道界隈に住んでいた。このあたり一帯は春と秋の紅葉の季節は特に美しい。

 1週間に1度は娘が暮らす吉田山山麓の家に行き孫たちの世話のサポートに行っている。京阪電車の終点・出町柳駅から市内バスに乗り家に向かう途中、今出川通りに面する本部構内や北部構内をバスの中からいつも見る。11月に入りキャンパス内の紅葉が色づき始めているので、いちどゆっくりとキャンパス内を歩いてみたいと思い続けていた。もみじの紅葉の見ごろにはちょっと早いが、北部構内の銀杏(いちょう)が見ごろを迎えた11月14日(土)の午後、京都大学構内を散策してみることとなった。

 出町柳駅から吉田キャンパスのある百万遍(東大路今出川)に歩いて向かう。途中、京都大学の迎賓館ともされる「清風荘」があるが、白い塀ごしに見える真っ赤なもみじの紅葉が美しい。「妈妈菜馆  六花」と看板の架かった中華料理店が通りに新しくできていた。「ゆ」と書かれた銭湯の暖簾(のれん)、「おむら家」の看板のレトロな喫茶・食堂。7〜8分で百万遍に着くと、本部構内の紅葉が見え始めた。

 もみじの紅葉ならば11月下旬がちょうど見ごろなのだが、この日ぜひ見ておきたかったのが北部構内の銀杏並木だった。バスから遠めに見続けていても、もう見ごろを迎えているはずだった。北部構内に入ると銀杏並木が色づき やはり見事だった。北部構内には理学部と農学部がある。

 北部構内のカエデやプラタナスや針葉樹林の紅葉。さまざまな樹木が混在している紅葉の美しさがここにはある。そして有形文化財に指定されている「旧農学部演習林事務室」などのいくつかの建築群。日本初のノーベル賞に輝いた湯川秀樹の胸像と湯川記念館の建物。構内の樹木はどの木も大きく高い。京都疎水そばにある運動場横には大銀杏の木が2本。

 農学部正門の建物あたりには何本かのもみじの大木が紅葉し始めていた。

 この正門近くには小さな植物園もある。ここ北部構内はゆっくり廻ると30分間ほど。さまざまな樹木の紅葉、とりわけ銀杏並木は素晴らしくて‥。

 

 

 

 

 

 

 


菅義偉首相とは何者か❸権力へ強い信奉「政策は人に聞く」―竹中「国民の生き血を吸う」学者・政商

2020-11-22 10:36:36 | 滞在記

 およそ一国の政治には二つの重要事項が常にある。一つは「国民の生活を守る」という重要事項、そしてもう一つは諸外国との外交政策と「安全保障政策」という重要事項。現代日本の「国民生活を守る」という政治的課題として、最大の問題は働く人たちの約半数近くの2100万人にものぼる非正規雇用者の存在をどう解決していくのかという重要事項。そして、二つ目の「安全保障政策」は最近では特に「対中国問題」だ。それに関連しての「米中関係」。

 菅義偉政権が発足した9月中旬から2カ月あまりが経過した。この間、アメリカ大統領選挙が行われバイデン候補が勝利し、次期大統領となることがほぼ決まってきた。朝日新聞の11月2日朝刊に「菅義偉首相とは何者か―権力への強い信奉"政策は人に聞く"」(編集委員 秋山訓子)との見出し記事が掲載された。「たたき上げ首相に 強烈な自負がうかがわれる まめさが身上」「権力への確固たる信奉と、それによる人事の差配。むやみに力を振るえばあやうさも」「引け目や気後れもある。それをバネに"人に聞く"流儀を確立。相談相手を周囲に」というようなことが書かれていた。

 「政策の議論になると勝てない」とつぶやいたこともある菅首相。「政策をきれいに語るのは苦手でも、いろいろな意見を聞いて判断し、実行までできるのは自分だからこそ」との自負は強くあるとされる。「だが半面では、国家間やビジョンがないと指摘されている。場当たり的な対応に終始しないか、という懸念だ。たとえば、不妊治療の保険適用は、苦しむ人々を救済する。それは大切なことだ。しかし一方で、少子高齢化の構造的な問題、子どもを生み育てることが困難な社会になっているのはなぜかという根本的な問いかけに目をそらすことにならないだろうか。菅首相が日本学術会議の問題で繰り返す"総合的・俯瞰的"な視点は、自身に対してなのかもしれない。」と記事は指摘する。

 菅政権が発足して主なブレーンが発表された。「成長戦略会議」と「内閣官房参与」のメンバーたちだ。特に「成長戦略会議」のメンバー(11人)がその中核を担う。そして、そのメンバーの中心的人物が二人いる。一人は竹中平蔵、もう一人はデービット・アトキンソン(英国人)。アトキンソンはゴールドマン・サックス出身で2011年から国宝などの修復を手掛ける「小西美術工藝社」社長を務めている。『日本人の勝算』『日本企業の勝算』なども著書もあり、日本の中小企業再編を持論とする。つまり、中小企業の倒産・淘汰により企業再編を推進すべきという持論だ。

 そして、特に竹中平蔵は、菅首相から「師」と仰がれる特別な存在だ。彼は、諸規制緩和「新自由主義」の旗振り役で、2000年に発足した小泉政権下で総務相を務め、「非正規雇用」をその後大量に生み出した人物。この二人が、「国民生活・経済」分野での最重要ブレーン(参謀)。

  三浦瑠偉(国際政治学者)なども成長戦略会議のメンバーの一人となっている。女性ブレーンを一人は置くという"華をそえる"という意味合いもあるかと思うが、それなりに国際政治や外交分野で見識のある人ではある。最近、『政治を選ぶ力』という対談書籍を「日本維新の会」の橋下徹と共に出している。菅首相はこの維新の会とも蜜月の関係だ。

 『週刊文春』の10月15日号に、「菅"恐怖人事"と5人の怪ブレーン」と題された見出し記事が掲載された。①「外すのは当然だろう―菅官房長時代の"腹案"実行」(杉田官房副長官)、②「ワクチン、不妊治療を牛耳る」(不倫関係にあるとされる和泉補佐官と大坪審議官)、③「年金や生活保護は不要に―経済ブレーン」(竹中平蔵)、④「英国人・観光ブレーン、日光東照宮修繕でブーイング」(アトキンソン)、⑤「サシで面会―外交ブレーンは幸福実現党の顧問だった」(渡瀬裕哉)。 

 『文藝春秋』11月号には、竹中平蔵「東京を政府直轄地にせよ―菅政権ブレーン提言」との見出し記事。「フェアーな競争を」「教育にも競争を」の言葉なども並ぶ。著者名には「東洋大学教授・慶応大学名誉教授 竹中平蔵」とある。「国民の生き血を吸う」会社の会長名などの政商部分は表に出さず国民を欺いている。橋下徹「日本に必要なのは新陳代謝―縦割り打破はコロナ対策から―古い既得権益層は退場していただこう」の見出し記事も。

 竹中平蔵と維新の立役者・橋本徹は、「同じ穴の狢(むじな)」で、改革の名のもとに国民の格差、分断を進める時代の狢でもある。橋下は典型的なポピュリズム政治家。思考が同じ「自助」論者だと思う。橋下は最近、毎日テレビの朝のモーニングショー(報道)のレギュラーコメンテーターを務め始めている。

 『週刊ポスト』10月16・23日合併号には「年金消滅!―健康保険も失業保険も廃止になる!」、11月6・13日合併号には「定年崩壊―70歳就業法施行でサラリーマンの人生設計が変わる!」「大倒産時代に備えよう」などの特集記事が掲載されていた。来年の4月に施行予定の「70歳就業法」と年金支給開始の70歳開始、菅首相の政策ブレーン竹中平蔵の言い出した「国民1人に7万円配り、年金を廃止するというベーシックインカム構想の企み‥。菅政権の「自助」「デジタル化」「行革」の先にあるもの‥を」俯瞰した記事。これらの政策化は竹中平蔵やアトキンソンの政策進言によるものだ。

※日本の4大週刊誌『ポスト』『現代』『文春』『新潮』、この中で『週刊現代』は、政権批判は一切行わず、なさけないが「老後生活や健康問題の記事内容ばかりの"体(てい)たらく"な編集方針」に1~2年ほど前から変貌している。おそらく、この編集方針を良しとせず、多くの編集者や記者が退社しているかと推測される。

 日刊紙(夕刊紙)はコンビニに置かれているが、『夕刊(日刊)フジ』『夕刊(日刊)ゲンダイ』は、以前の競輪・競馬・プロ野球・エロサイトの編集方針から様変わりし、ちょっとドギツイ大げさ観はあるものの、現代日本の「警鐘を鳴らす"社会の木鐸(ぼくたく)"」的な記事をメインとする編集方針となっている。

 竹中平蔵という人物について書かれた『竹中平蔵 市場と権利―"改革"に憑かれた経済学者の肖像』(講談社文庫)2013年初版・佐々木実著。「日本で最も危険な男の物語—"改革"の名の下、法律を駆使しながら、社会を次々と大胆に改造してしまう。まるで政商のように利にさとく、革新官僚のごとく政治家を操る経済学者―。"フェイク(偽物)"の時代に先駆けた"革命家"の等身大の姿とは」「この国を超格差社会に変えてしまったのはこの男だった!経済学者、大学教授、国会議員、企業経営者の顔を使い分け、"日本の構造改革"を20年にわたり推し進めてきた"剛腕"竹中平蔵。猛烈な野心と虚実相半ばする人生を徹底した取材で描き切る、大宅壮一ノンフィクション賞・新潮ドキュメント賞ダブル受賞の評伝。」と裏表紙などにこの書籍が紹介されている。

 竹中平蔵は和歌山県和歌山市に1951年に生まれた。現在69歳。履物屋の次男で、家は比較的裕福な家庭だった。和歌山県立桐蔭高校に入学、高校時代の一時期「民主青年同盟(民青―日本共産党系)」に加入したが1年ほどでやめている。近代経済学(近経)の国立・一橋大学経済学部に入学。マンドリン部に所属。大学卒業後、日本開発銀行に入社。その後、銀行に所属しながらハーバード大学に客員研究員として留学。留学後は銀行から大蔵省への出向。この時の部下に高橋洋一(菅政権のブレーンの一人・テレビなどにコメンテーターとして最近はよく出演している)がいる。

 1987年、大阪大学助教授となる。その後、ハーバード大学客員准教授。そして慶応大学の教授となる。1998年の小淵内閣から政権のブレーンの一人となる。2001年の小泉政権下から中心的なブレーンとなり、2004年に参議院議員(比例区)に初当選。小泉内閣の「総務大臣(相)」「IT担当大臣」などを歴任。20年間にわたって自民党政権下のブレーン。菅義偉は竹中が総務相時代の副総務相(大臣)。これが菅の初めての閣僚入りだった。「竹中さんのおかげで大臣になれた」と竹中に感謝し続けているし、「竹中を師と仰いでいる」特別な関係と言われる。

 竹中平蔵がかって『東洋経済』のインタビューに、「(若い人に)一つだけ言いたいことは、みなさんは貧しくなる自由があります。何もしたくないのなら、何もしなくても大いに結構。その代わりに貧しくなるので、貧しさをエンジョイしたらいいです。ただ一つ、その時には、頑張って成功した人の足を引っ張っぱらないでほしいことです。」と発言している。これは、今の竹中平蔵の考え方を示す典型的な考え・言葉なのだろうかと思う。

 その竹中平蔵、「パソナグループ」(大手・人材派遣会社)の取締役会長をしている。非正規労働者を蔓延させ、そして、自分は非正規人材派遣会社を創立して、莫大な財を成している。「国民の生き血を吸いつ続けている」学者・政商だ。他に、オリックス生命の社外取締役などなど、10余りの民間会社のさまざまな役職にある。さらに、慶応大学教授退任後、東洋大学の教授や関西大学の客員教授なども兼務している。オリックス生命は、関西国際空港の民営化や水道民営化事業に参画してきている。これらも竹中の政策との関連・パイプが大きい。竹中平蔵は都心のタワーマンションを3戸分所有し暮らす。

 菅義偉は首相としての初めての所信表明演説で、「自助・共助・公助」政策を表明。まずは「自助」(自分でなんとかしろ)である。次に「共助」(親族や仲間からの相互支援を)である。今の日本社会、親戚の共同体意識がほとんど無くなっている中での「共助」はほぼ難しい。そして、最後に「公助」。できる範囲でしてあげましょうという感じだが、期待しないでくださいねという感じでもある。竹中平蔵を師と仰ぐ菅義偉の面目躍進の所信表明演説だった。

 『文藝春秋』12月号に、「亡国の改革至上主義—菅総理よ、"改革"を売り物にするなかれ」(藤原正彦)という見出しの文が掲載されていた。「新自由主義にもとづく、国家観なき構造改革は、日本をさらに分断させる。日本社会には効率より大切なものがある」とサブテーマが。

◆政治の重点政策「①「国民の生活・経済」、②「外交・安全保障」。②については、安倍政権を引き継いでいるが、私は菅政権の政策は基本的に一定の評価はしている。しかし、①に関しては「亡民のシナリオ」をしていると思う。菅政権への支持率は発足当時65~75%(各種調査)、そして、政権推移後の11月上旬の支持率は減少はしてきているものの56%~66%(各種調査)と高い水準を維持している。菅首相とは何者なのか、どのように国を、国民を導こうとしているのかをもっと国民は知る必要があるように思うが‥。

 11月1日(日)、大阪都構想の是非を問う選挙が大阪市で行われた。今回の選挙は、コロナ問題で大阪府民の大きな人気をとりつけた維新の吉村知事の存在や公明党の支持を取り付けるという背景下の選挙だったために圧勝が予測もされていた。しかし、選挙結果は「反対50.63%、賛成49.37%」という僅差で、維新の会が敗北をした。

 菅政権と維新の会は蜜月関係で菅政権の強力な支持・援護政治組織だったため、菅政権にも大きなダメージとなった。この予想外の選挙結果の原因について、さまざまな論評がなされてきているが、私が思うに、要は、「国民生活への大きな不安」が大きく影響していたかと思う。つまり、維新の会は国民・府民・市民の生活・暮らしを守るのではないと思われ始めたからではないかと思う。つまり維新の化けの皮が少しはがれ始めてきているからだと思う。

 しかしそれでも、半数は維新をいまだ支持しているという選挙結果でもある。「維新と吉本が日本をだめにする」と、以前にブログで書いたことがあるが、「竹中と維新と吉本が日本をダメにする」という現状だろうか。(※吉本の自称芸人たちは日本のテレビ番組に多く出演し[バカ番組―特に午後7時〜9時の時間帯はオンパレード]、日本人を痴呆化している。)