彦四郎の中国生活

中国滞在記

東京へ行く―留学・就職斡旋、上野界隈、東大早大、日本語学校―

2015-02-17 12:32:33 | 滞在記

 2月12日(木)~13日(金)に東京へ行った。久しぶりの好天となった12日、新幹線から富士山が綺麗に見えた。夕方に、東京駅の八重洲中央口で、日中間の留学や就職を斡旋業務している「ハイパーコンチェルト」という会社の福田さんと待ち合わせ。福田さんは昨年の12月に福州にも来られて、私が勤める閩江大学や福建師範大学の先生や学生とも面談してもらったことがある。今回は、銀座で社長の宮本さんと3人で会食をして2時間あまりを過ごした。
 東京駅の「皇居方面」の建物はとても立派だが、「銀座方面」の八重洲口もイルミネーションが広範に飾られて、とても綺麗だった。

 午後10時頃、上野界隈のホテルに行きチェックイン。近くの飲食店街にある「中国系」のパブスナック「Melody」に向かった。3年ほど前に一度だけ行った店だ。実は、昨年の11月頃に この店のママさんから中国に国際電話がかかった。話をしているうちにママさんが福州から来ていることがわかった。日本に帰国したら再会を約束した。場所が分からないので、携帯電話で誘導してもらいながら店に到着した。店の従業員たちは10人あまりいたが、ほとんどが福建省と上海からきている女性たちだった。
 「もうすぐ春節なので、中国に一時帰国するのですか。」と何人かに聞いたら、帰る人は少なかった。「将来、中国に帰りたいですか。」と聞いたら、ほぼ全員が日本で暮らしたいと言っていた。20代後半から30才前半の女性たちにとって、中国に帰っても「結婚や就職」の難しさもあるのだろうかな。とにかく中国より日本の暮らしが良いとのことだった。
 翌朝9時頃、少々の二日酔いで目覚める。ホテルの窓のカーテンを開けると、眼下に上野公園「忍ばずの池」がよく見えた。私は、この上野界隈が昼も夜も、とても好きだ。

 午前10時にホテルをチェックアウトし、近くの東京大学に向かう。東大も久しぶりだ。「岩崎邸」に立ち寄り、無縁坂を通って「鉄門」から東大構内に入る。お腹が空いているので、東大「安田講堂」地下にある中央食堂でカツ丼定食を食べる。とてもレトロな食堂だ。

 この東大でも、中国人の観光客をよく見かけた。三四郎池に行ったら、「息子と夫婦」が記念写真を撮っていた。東京大学はアジアランキング1位の大学なので、将来 東大への留学を目指すために観光にきているのだろうかとも思えた。そのような中国からの観光客がちらほらと見受けられた。
 生協でアパート案内をいくつか見た。ほぼ5万円以下はない。5万円以上で6万円台が標準価格となっていた。関西とは、1万円以上高いようだ。

 赤門を見てから、地下鉄(東京メトロ)を利用して、「千駄ヶ谷日本語学校」に向かう。この日の東京は、とても暖かかった。

 「千駄ヶ谷日本語語学校」は、高田ノ馬場というところにある。一つ手前の駅で降りて早稲田大学を散歩する。ちょうど、「国際学部」の試験がおこなわれていた。まあ、大隈講堂は立派だ。庭園を散歩した。

 今回の東京行の目的の一つである「千駄ヶ谷日本語学校」に行った。この日本語学校に今年の7月から、私の大学の中国人学生3人が入学する。来年1月~2月に行われる日本の大学院入学試験を目指して「大学院受験コース」に入る予定だ。学校の担当者に「学生達をよろしくお願いします。」と挨拶を交わした。ちなみに、この日本語学校の在籍人数は、「高田馬場本校」と「下落合校」を合わせて1000人に達する。最も多いのが中国からの留学生で、多くが「大学院」入学を目指している。
 夕方、東京駅から新幹線に乗った。途中、「関ヶ原」付近は吹雪となった。京都駅に着いたら、雪が降っていてとても寒かった。東京と京都の寒暖差が10度以上あった。
 15日(日)ごろから風邪の症状が出始めた。今日、17日(火)の朝にようやく関節の痛みなどが治まった。





京都の清水寺から八坂神社に向かって歩いてみたら―和服姿の中国系観光客が激増していた―

2015-02-15 06:46:06 | 滞在記

 中国の「春節」まで後四日となった。今年の春節は2月19日で、18日が大晦日となっている。中国は今頃、故郷に帰る人々の民族大移動でごった返しているだろう。そして、中国各地では春節の準備に向けて、市場や商店・デパートなども大勢の人々でにぎわっているにちがいない。まあ、中国全土が大混雑という感じだろうな。春節の19日をはさんで2週間前後が休みとなる中国社会である。
 中国人は、特に「大晦日」がとても大切なようで、爆竹と花火が深夜遅くまで鳴り響く中を「家族全員」で過ごし、翌日の「春節日」は親戚などが集まったりしながら過ごすようだ。この「大晦日と元日」が過ぎると、国内外の旅行に行くことが中国ではブームとなっている。1月24日頃から3月上旬まで、小中学校や高校・大学も「冬休み」となっているので、2月は外国への中国人旅行者が最も多い季節となる。

 2月5日(木)に、5年ぶりくらいに京都の「清水寺から三年坂や二年坂を通って八坂神社に至る道」をゆっくりと歩いてみた。木曜日の平日にも関わらず、大勢の観光客で溢れていた。驚いたことは、そのほとんどが中国系(中国・台湾・香港)の観光客だったということだ。中国語がとびかっていた。清水寺には、日本の修学旅行生たちの姿もみられた。韓国や欧米の観光客もちらほら目にする。
 今年のブームなのだろうか、和服を着た中国人がたいへん多い。男性の和服姿もある。2月5日でも沢山の中国人観光客がいるので驚いたが、春節後の2月20日から1週間、どれだけたくさんの人が日本を訪れるのだろうかと思った。

 清水寺の境内に入り、「清水の舞台」から「音羽の滝」を歩く。中国系の人が圧倒的に多い。日本の着物がとてもよく似合う人が多いので、日本人との見分けが難しいが、ほとんどが中国人だった。

 清水寺から三年坂、二年坂に行く。途中、「八坂の塔」が見える。ここも和服の中国人が多い。二年坂にある、「竹下夢二の旧居の土産物屋」の店主の話を聞いた。彼女曰く、「毎年2月は観光客が最も少なかったが、この数年は 中国からの観光客が倍倍倍増している。」とのことだった。

 八坂神社も中国人が多い。石段のあたりも、ぱっと見渡すと和服姿の中国系の人々が多く見られた。(上の写真の一番右は、1月31日に「銀閣寺」に行った時の写真だが、和服の柄が「派手」で美しく、男性は大きなマフラーをしている。)
 昨年度の1年間で、日本を訪れた訪日外国人旅行者数は、過去最高の約1340万人だった。その国別ベスト5は、①台湾283万人②韓国276万人➂中国241万人④香港93万人⑤アメリカ89万人となっている。中国系の合計が617万人で、訪日観光客の約半数となっているが、特に中国本土からの観光客は前年比の83%増となっている。おそらく今年は、中国本土からの日本への観光客は400万人を超えると思われる。
 中国では、富裕所得・中間所得者層の増加にともない、ここ10年間で「海外旅行者」の数が6倍に激増した。(2014年度で約1億人)  2020年には、富裕と中間所得者の人口が現在の2億人から5億人に到達すると予想されているので、日本への観光客も年々増加するだろうと思われる。

 この日の夕方、北海道の小樽市の永井さんが京都に来た。彼も中国の大学で教員をしていて、冬休みのため日本に帰国している仲間の一人だ。南座前で待ち合わせをし、白川石畳通りにある「侘助」という店で再会を祝した。



 

中国にいる時、「日本に帰国したら散策したい!」と思う場所―学生時代に暮らした銀閣寺界隈―

2015-02-12 09:00:59 | 滞在記

 日本に帰国して2週間がたった。最初の1週間は、とにかくのんびりと過ごしていた。特に、日本のテレビ番組に飢えていているので、朝は8時から始まる「ニュースワイド番組」が新鮮で、よく見ていた。そして夜は、たまに「祇園」の飲み屋にでかけたり、家で夕食を作ったりして家族と過ごしていた。
 2月上旬、「日本に帰国したら、ゆっくりと散策したい!」と思い浮かぶ場所の一つである「銀閣寺界隈」に行った。この界隈は、学生時代に2年間半暮らした場所だ。

 京阪電車の終点「出町柳」から京都大学へ行った。構内の西部食堂で昼食を食べ、大学内を散策し、京大の図書館とも言われる「進々堂」喫茶店でしばらく過ごす。ここは学生時代にもよく行ったが、現在も読書をしたり学習会をしている学生たちが多くみられた。

 古本屋が多く残る今出川通りを、右方向に大文字山を見ながら銀閣寺方向に向かう。途中、学生時代によく食べに行った「大銀」食堂が健在だ。近くに「白沙村荘」(画家 橋本関雪の家だった)がある。ここは学生時代に、立派な庭園に面した旧画室で1~2時間あまり昼寝をよくした場所。そして、銀閣寺へのゆるい坂道(銀閣寺参道)を登る。沿道にはたくさんの土産物屋が並ぶようすは昔のとおりだが、おしゃれな店が年々増えているようだ。

 銀閣寺の山門を入ってすぐ右に曲がると、椿の樹木が茂る高い垣根が現れる。この垣根の裏が「学生時代」の住まいだった。外国からの観光客が多い。平日だったので、観光客の大半が外国人だった。和服姿(レンタル衣装)のほとんどが中国人や韓国人のようだ。
 銀閣寺の敷地内で最も高いところにある「お茶の井庭園」と言う場所に登って行った。この庭園の規模は小さい。苔寺の庭園を参考に作ったらしい。足利義政らがお茶を飲むときに使った小さな滝水がある。実は、学生時代に3回ばかりここで宴会をしたことがある。夜の10時すぎ、遊びにきていた学生仲間と忍び入ったのだ。

 国宝「銀閣寺」の境内の裏山の方から、日本酒の一升瓶を抱えて数人で忍び入り、声を押し殺しながら「静かな宴会」を催していた。私が2年半暮らしたアパートは、現在は銀閣寺に買い取られ、銀閣寺の土産物店になってしまった。アパートの2階にあった私の小さな部屋からは、京都大学横にある「吉田山」などが良く見えていた。今は、石垣だけが当時のまま残っている。

 きれいな和服を着た4人グループの姿。中国語を話している。着物姿が良く似合い粋である。銀閣寺を出てから、学生時代のアパートの大家さんを訪ねる。大家の阿尾さん(おばあちゃん)は、元気に健在だった。近くの「法然院」に立ち寄った。ここも学生時代から好きだった場所だ。

 法然院の墓地には著名人の墓が何基かある。河上肇(京都帝国大学のマルクス経済学者)、九鬼周造や内藤湖南(有名な学者)、そして作家の谷崎潤一郎。谷崎の墓はとても素敵だ。枝垂桜の横に2つの自然石があった。それぞれの石には、「寂」と「空」の漢字が彫り込まれている。生前に、墓の場所を西日がよくあたるこの場所に決め購入、自然石も散歩の途中に見つけていた石らしい。

 法然院の近くにある「法然院森の教室」という建物に入る。星野道夫さんの言葉があった。「短い一生で 心魅かれることに 多くは出会わない もし見つけたら 大切に— 大切に―  」。
 近くに、市内の高校教師をしている娘が住んでいるアパートの建物に立ち寄る。うっすらと雪化粧をした比叡山がよく見えた。

 哲学の道を通り、「南禅寺」に向かった。水道橋を見てから、「京都市国際交流会館」に到着。蹴上駅から京阪電車に乗って三条京阪駅に。鴨川が美しかった。ゆっくりと散策ができた半日。中国に戻ったらまた、この半日コースが懐かしくなりそうだ。






 

近代化が急速に進む中国―子育ては家族全体のこととされる価値観は根強く保たれる―年金のこと

2015-02-10 09:43:36 | 滞在記

 宿舎近くの河川公園に行くと、おじいちゃんやおばあちゃんと孫の姿を、よく目にする。もちろん、母や父と子どもの姿もよく目にするが、祖父母と孫の姿が圧倒的に多い。中国では、夫婦共稼ぎで働き、子どもの世話は家族全体でみていくという伝統的価値観が根強く保たれているようだ。
 中国の定年は、男性60才・女性55才となっている。年金での生活は日本の水準より高い。支給開始は、60才と55才からとなっていて、公務員の場合は「定年前の給料の80~90%が支給」される。しかも、年金のための月々の積立金(支払金)は免除されている。一般企業や個人経営の場合は、「定年前の50%が支給」される。そして、月々の年金のための支払金は、収入の8%~20%となっている。年金の官民格差が問題となっているので、今後この官民格差は改善されていくだろうと思われる。国民全体の賃金が毎年上昇しているので、年金の金額も この上昇に合わせて増額されている。いずれにしても、中国の物価と合わせて、退職後の年金生活は日本のような不安はあまり感じないようだ。定年を心待ちにしている人が多いのが中国社会である。このような生活環境もあいまって、早朝から夕方までの間、孫の面倒をみるのは「祖父母」が圧倒的に多い。

 中国の定年も、近年の近代化の中で、「男性65才、女性60才」に見直されることが検討し始められた。中国政府は、年間18兆円あまりを年金資金として予算化しているが、年金支給高齢人口が約3億人以上にのぼり、今後もますます増加する中で定年の年齢を見直す機運が高まってきている。また、2012年をピークとして労働人口が減少に向かってきたこともその背景にある。(一人っ子政策の影響が大きい。)

 お母さんが小さな赤ん坊を連れて歩くとき、最も多いのが①厚着をさせてぐるぐる巻きにした赤ん坊をおばあちゃんがもっている姿である。おじいちゃんや、父親がもっている場合も多い。②都市部では、抱っこひもを使っている場面もみかける。➂ベビーバギーカーを使っている場面も見かける。④おんぶひもや ネンネコバンテンの姿は、都市部では時々みかけるぐらいだが、都市部周辺の町に行くと おんぶひもが多くなる。

 ⑤都市部でも、「かご」の中に子供を入れている姿がたまに見られる。
 中国では、「子育ては女性(特に母親)の責任だという考えはかなり薄く、子育ては家族全体のこととされる価値観」が現在も強い。そして、子供の両親・兄・姉、祖父母、みんな総出で小さな子供の面倒を見ている。しかし、中国でも核家族の進行が徐々に始まって来た。都市部では、一定の収入のある「中間高収入層」は、ベビーシッター(お手伝い)を雇う人が増加傾向にある。しかし、核家族の家庭でも、夫が家事や子育てに積極的に参加することを求められる社会風潮が強いのも中国だ。

 農村部から都市部に「出稼ぎ」に行く農民工の数は3億人以上とされているが、夫婦で都市部に行く人もけっこう多い。幼い子供を祖父母に預けて、1年に1~2度あまり故郷に帰る生活だ。1年ほど前に、現在の4回生(40人)に「私の子供時代」というテーマで作文を書いてもらい文集を作成した。10人ほどの学生は、「子ども時代は、祖父母に育てられていた。」と書いていた。

 先進20ケ国の年金生活の順位で2014年に「17位」に下降しつづける日本。2012年には、中国の方が日本より上位にランクされた。ちなみに一位は「デンマーク」。2位・3位が北欧諸国となっている。アメリカが10位。韓国も日本と同じように下位の18位となっている。
 中国人は定年後、「孫の世話や国内旅行をしたり、趣味の世界のことをしたい。」と考える人が多い。年金の支給額が年々改善される中国社会にあっては、「定年後も働きたい。」と考える日本人については、「なぜ?もったいない。せっかく仕事や労働から解放されるのに。」と思う人が多いと聞く。だから、定年年齢の引き上げには賛否両論あるようだ。
 中国の経済成長もピークを終え下降傾向にはある。また、バブル崩壊の経済危機を迎える可能性も指摘されている。しかし、一党独裁の「共産党政権」のもと、国民の生活要求を実現させることを政権がとらない限り、政権は支持されなくなり崩壊する。だから、年金に関しては国民の不満が少なくなるよう、改善に向けて「官民格差」の是正に向かうことは間違いない。中国は公務員の数が非常に多く(約8000千万人)、公務員の人口比の多さが政権基盤を支えている。公務員天国の国だ。この公務員の多くが共産党員だと思う。だから、「官民格差の是正」も、急激な改革ではなく徐々に是正していく方針をとるだろうな。






貧富格差の大きい中国で生きる―②「露店のさまざまな小商いで収入を得る人々」―

2015-02-05 16:28:16 | 滞在記

 上の写真➡左から①風船売り②サトウキビ売り➂上からシャボン玉がでてくる帽子を売る若者④都市部と農村部の収入比較グラフ

 ここ15年余りで貧困率が激減した中国。都市部と農村部の人々の収入は、それぞれが増加してきた。しかし、農村部の増加に比べて都市部の増加がかなり大きいため、地域的な格差は広がる一方だ。そして、都市の中での経済格差(貧富の差)も顕著な中国。

 上の写真➡左から①②図形や模様の描ける定規売り➂靴下を売る④たった数点だけを売る女性

 上の写真➡左から①靴売り②亀売り➂自家製の紅酒売り④魚売り

 日本では、4人家族の場合、世帯年収が2万ドル(約205万円)以下の場合が貧困収入家庭と言われる。その割合は15.7%である。また、世帯年収入が2500万円以上で金融資産が1億円以上ある家庭が「富裕家庭」と言われる。その家庭数は124万世帯(約4%)である。そして、日本人全体の平均年収は412万円とも発表されている。(年収400万円以下が6割)
 一方中国では、世界銀行の発表では約30%、中国政府の発表では約10%が「貧困層」となっている。中国における「超富裕層」の定義は、世帯年収が200万元以上(3600万円以上)ある世帯を指し、多くの資産を有している。その数は400万世帯(1.3%)あるとされ、この400万世帯が富の5割(50%)を持っている社会である。そして、その「超富裕層」の世帯主は若い年齢層である45才以下が80%を占める。

 上の写真➡左から①②➂「野生の蜂の巣と蜂蜜売り」(※蜂蜜は固まって氷砂糖のようになっている。小片を試食してみたら、濃厚で柔らかい氷砂糖のようだった。)④衣服売り

 中国の「都市部と農村部」の経済格差は大きいが、「沿海部と内陸部」の一人当たりの平均年収は次のようになっている。(2010年の資料なので現在はやや増加していると思われる。)  沿海部➡ [●北京市4.5万元●上海市5.0万元●浙江省3万元●江蘇省2.8万元●福建省1.8万元●広東省2.5万元など]   内陸部では、最も年収の低い省が貴州省で、5千元となっていて、上海市の10分の1となる。(※沿海部の平均年収は、一人当たり2.6万元(約50万円)。内陸部の平均年収は、一人当たり1万元(約20万円)となっている。

 上の写真➡左から①②「鳩売り」(食用)➂「鳩の卵売り」④ニワトリ売り

 上の写真➡左から①毛染め薬売り(実演)②「露店歯科屋」(簡単な虫歯治療や抜歯、さし歯、入れ歯治療をする)➂耳垢除去屋④犬の販売

 中国福建省福州市(約700万人)で1年以上生活して、都市部での月収について、私なりの実感として感じることは、次のようになる。
 ①~1000元(貧困層) ②1000元~2000元(農村部からの出稼ぎ農民工)
➂1800元~3000元(大卒の初任給) ④3000元~4000元(結婚しているサラリーマンとしては、これくらいないと厳しい)
⑤5000元~3万元(会社や店などの経営者) ⑥3万元~10万元(富裕層) ⑦10万元以上(超富裕層)
※中国と日本では、金額にすると4倍以上の月収格差がある。しかし、物価水準が かなり違う。基本的な生活必需品である食料は、中国は日本に比べると非常に安い。また、交通関係も安い。[タクシー初乗り10元(180円)・新幹線➡1時間の距離で50元(900円)]
しかし、電気製品や携帯電話などはかなり高い。ユニクロの製品は、中国で買う方が高い。住宅の購入は、超超超超超高い。(100万元以上(1800万円以上)から。自動車(大衆車)は10万元(180万円)平均なので、超超高い買い物だ。日本人の感覚としては600万円以上の自動車を買った感覚になる。大学の昼食は7元(126円)で十分食べれる。コカ・コーラのボトルは3元(54円)。

上の写真➡左より①②➂強い酒に蛇やサソリや亀を入れて熟成させた薬酒(患部に塗る)を売る女性④珊瑚(さんご)売り[小笠原諸島の珊瑚不法収奪の漁船は、ほとんど福建省の港から出航している。]

  世界各国のGDP(国民総生産額)では、数年前に日本を抜いて世界第二位となった。現在では、さらに日本との差を拡大している。順位は次のようになっている。1位アメリカ(167兆円)、2位中国(95兆円)、3位日本(49兆円)、4位ドイツ(36兆円)、5位フランス(28兆円)、6位イギリス(25兆円)、7位ブラジル(22兆円)、8位ロシア(21兆円)、9位イタリア(20兆円)、10位インド(19兆円)、----、14位韓国----27位台湾----39位香港--。
  日中を比較すると、中国は日本の2倍近いGDPとなった。しかし、国民一人当たりのGDP比較をすると、日本は中国の5倍以上となっている。

 上の写真➡左より①②ウイグル族の羊の肉売り➂「仏像拝ませ屋」(仏像を見せたり拝ませたりしてお金をもらう)④お坊さんが、干支などについて説明し、お布施をもらう。

 現在2000あまりある中国の大学。2000年と比較すると学生の数は7倍ちかくになっている。(1回生~4回生400万人➡3000万人) 大学への進学率は26%。大学の大衆化が始まっている。
 大学生にかかる費用は、次の通りである。①年間の学費は、4500元(8万円)ほど。②年間の寮費は、1000元(1万8千円)ほど。➂月の生活費用(食費・娯楽交際費・書籍代・交通費・携帯代など)➡これは家庭の経済状況によって大きく異なる。500元~2000元ぐらいか。平均的には700元~1000元程度かな。※中国では、日本のようにアルバイトの求人が少ないので、日常的にアルバイトをする学生は少ない。最も割の良いアルバイトは家庭教師。学生が1年間に必要とするお金は、学費・寮費・生活費を合わせて「1万5千元(27万円)」程度かな。これは、沿海部の一人当たりの平均年収2万6千元からすると、かなりの高額負担になる。

 上の写真➡左より①モンゴル・チベット族の衣服売り②「永久に歯が白くなる。」という薬品を売る➂万能ガラス切りカッターを売る④メジロなどの鳥を売る

 少しでも、貧困層や低所得者層から抜け出すために、いろいろな仕事をしている人が多く見られる中国。朝の仕事、昼の仕事、夜の仕事と一日3種類の仕事をこなす人も少なくない。また、平日と土日の違った仕事をやっている人も多いようだ。このような露店の仕事をしている人達は、これだけでは食べていけないので、きっと違う仕事もしているのだろうと思う。子供の大学生活費用を少しでも作るために「小商い」に精出している人もいるのだろうな。