彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国の「联合梯田(リェンホウ・ティテイエン)」に行ってきた①―世界10大美観棚田の1つらしい—

2015-04-27 19:40:04 | 滞在記

 4月18日(土)に、福建省三明市尤渓県にある「联合梯田」に行ってきた。福州市の中心部から西方向に7約250kmあまりの山間にある大規模棚田群なのだが、一度行ってみたいと思っていた。新幹線に乗って約1時間で「尤渓駅」に到着し、車に乗車させてもらい1時間半あまりで棚田群に ようやく着いた。途中、山間の農村風景や民家や寺の塔などが見えた。

 ここの棚田群は、8世紀「唐の時代」から形成され始め、1300年後の現在に至っている。8つの村地区の棚田の集合体であるが、最も高い棚田の標高が約900m、最も低い標高が約250mとなっていて、600m以上の標高差がある。中学校の遠足だろうか、大型バスに乗った中学生の団体も来ていた。マウンティンバイク(自転車)に乗って登ってきたグループもあった。
 まだ、一部の水田しか水が張られていないようで、すべての水田に水が張られたら、さぞかし見事な景観が出現するだろうと思える風景だった。

 車でさらに別の場所の「雲山村」の棚田を見に行くと、大部分水が張られた棚田があった。高低差もあり、見事な景観だと思った。牛を使って耕作をしているようだ。周りの山々は、竹林に覆われていた。

 「联合梯田」についての案内説明版があったので読むと、ここの棚田群は、中国5大美観棚田群であり、世界10大美観棚田群の1つと書かれていた。この案内板の写真を見ると、特に夕方の夕焼けと棚田、雲や霧と棚田、秋の収穫期と棚田の風景がとても美しい。









大学の研究室がある「福万楼」で火事!―日本語学科の先生たちと―

2015-04-25 12:38:46 | 滞在記

 広い大学のキャンパスの一角に、各学部の教員たちの研究室などがある「福万楼」という9階立ての建物。私の研究室は外国語学部専用の7階724号室にあるので見晴らしがとても良い。ここで、授業の準備をしたり、休憩や昼寝をしたり、くつろいだりもしている。

 2週間ほど前、午前中の授業を終えてから学生達と食堂で昼食を食べ、研究室のある「福万楼」に戻ると何台もの消防車が来ていた。「火事があったようだ!」
 消火は終わっていたようだった。授業の教室や食堂から福万楼までかなり離れているので、消防車のサイレン音も聞こえなかった。ちょうど日本語学科主任の林先生が火事場にいたので、火事事情を聞いた。3階~9階までが家事の被害を受けていた。火元は3階なのだが、あっという間に火や煙が這い登り9階まで達したようだ。電気もエレベーターも停止しているので階段を登りながら9階まで登った。7階の被害に遭った部屋の教員が悲嘆にくれていた。部屋は煙のすすで黒くなり、放水のため窓ガラスも割られていた。廊下も水浸しだった。
 私の研究室は火元から遠くにあったので、被害はまったく無かった。しかし、3階の一室でで起きた火事が9階まで火や煙が廻るとは驚いた。どんな防火構造になっているのだろうか。

 この福万楼の7階には、大会議室と小会議室がある。ある日、「寺坂先生、小会議室に来てくれますか。」と林先生から連絡があったので行くと、李先生が生けた「生け花」が置かれていた。「これを見てください。どうですか。」と感想を聞かれた。

 4月11日(土)、日本語学科の先生たちとの食事会があった。福州市中心部から東へ30キロほどの所に「福州港」がある。新鮮な魚介類が食べられる小さな店に行った。李先生は食グルメなので、安くて美味しい店をたくさん知っている。
 この日は、①「1年間、九州の長崎県へ研修留学していた邱先生の帰還祝い」②「日本語学科の本科検査合格祝い」➂「張先生の結婚を祝う」を兼ねた会食となった。
 中国によくある「海鮮店」。水槽に魚介類が入っているのだが、「この魚、貝を、このように料理して出してほしい。」と注文すると、料理されてテーブルに出されてくる。鮑(あわび)は、小さいが とても安い値段で食べられる。

 宿舎に隣接している運動場では、最近サッカーをするグループが増えてきている。中国のサッカーは、最近少しずつ人気が出始めているが、ここでサッカーをしている人たちの技術はあまり高くない。私が参加しても、そんなに下手にはみえないだろうと思われるぐらいだ。しかし、みんな一生懸命にプレーしている。

 ちなみに、中国で最も親しまれているスポーツは、①バトミントン②バスケットボール➂卓球④サッカー⑤ジョキング⑥?。の順だろうか。
 時々、近くの「消防学校」の学生と教官が、訓練に来る。訓練の一環として、サッカーゲームをすることがあるが、ユニホームがないので、「訓練服を着ているチーム×裸になっているチーム」で区別しているのがユーモラスな光景。









 

落葉から新緑までたったの2週間(秋から春への変身)―宿舎周辺の散歩―

2015-04-23 17:10:16 | 滞在記

 2週間の短期間に、紅葉していた樹木が落葉し、新しい新緑の芽が出て、そして新緑の葉が繁って来た。(上の左端➡4月5日、左から2番目➡4月20日※同じ場所の同じ樹木の写真だか、たった2週間で紅葉から新緑に変化している。) 日本語学科の先生にこのことを話したら、これが亜熱帯福州地方の特色だそうだ。4月上旬に紅葉していた竹の葉も今は、新緑の葉に変化していた。日本人の私からして、実に不思議な気持ちにさせられる。日本にあるのと同じような「ケヤキ」や「竹」なのにどうしてこうなるのだろう。感覚的に順応できないなぁ。

 日曜日の朝、暇な一日なので、宿舎周辺を ゆっくり時間をかけて散歩をする。ようやく少し中国語を話すことができ始めてきた。しかし、聞き取りは まだまだ難しい。「中国語会話テープ」を聞きながら散歩をする。ストレッチ、一人カラオケする年配者、おしゃべりを楽しむおばぁちゃんたち。ダンスを楽しむグループ。

 ダンスをする女性たち、バトミントンを楽しむ人たち、男たちの雑談、トランプをする人たち、剣舞を練習する人たち。そして、釣り糸を垂れて「上海ガニ」を釣る人もいる。胡弓をする人たちも。このような中国人の日々の楽しみ方や暮らし方は、日本ではあまり見ない光景だと思う。中国という国の奥深さ・面白さかと思えるところだ。

 週末の土日に毎週開かれている、露店市をのぞいてみる。もう、何十回と行った場所だが、あいかわらず面白い場所だと思う。わずかばかりの盆栽を売る人、何かの占いをする人、何かの木片を売る人、暑さを防ぐため頭に小さな日よけ傘をして商売をする人など。

 新疆ウイグル自治区出身の人たちが、羊の肉を売っていた。羊一頭を血を地面に流さず解体し、焼きとりのような串刺しにして売っていた。腹も減っていたので、2本注文し食べた。美味しい。

 中国将棋をしている人たち、露店でミシンを使い衣服の修理をしている女の人。「これは日本製です。めつたにないよ。お買い得。」という意味のことが書かれている露店もある。商品を見たが、まず日本では売れない質の悪い下着が売られていた。真っ赤なパンツを売っている店があった。数人の男性が買い求めていた。「こんな色のパンツを中国人は好きなのか----。」と思った。このことを学生に話してみたら、「赤いパンツを履くと縁起がいいとされ、運をあげたい時には時々 赤い色を履くのです。」ということだった。なるほど------そういうことか。

 柳の若葉も繁ってきている。スージーンファのピンクや白の花も満開となるこの季節。なでしこの花も咲いている。日本を思い出す。「2~3日だけでも帰りたい。このように散歩していても一人-------。心が寂しいなあ---。」という気持ちも時折感じながらの一人散歩。孤独ということの実感をこのごろしみじみと噛みしめてみることも多い。

 3時間あまりを散歩し、中国語学習のテープも2回分聴解することができた昼過ぎ、宿舎の近くまで戻って来た。池のある場所で、母と子供がバイオリンの稽古をしていた。「もうしたくない--。」と言いながら、練習をしていた。よく聞くと「ちょうちょ ちょうちょ 菜の葉にとまれ-------」の曲を弾いることがわかった。彼らのそばに行き、楽譜などを見せてもらった。「バイバイ、加油(ジャーヨウ!」(じゃあね、がんばって)と言って別れた。
 







 

中国の小さな子どもたち―日中の子どもの育て方のちがい―

2015-04-16 17:53:51 | 滞在記

 宿舎の近くの河川公園の一角に、遊具が設置されている「児童公園」がある。土曜日や日曜日には、早朝から小さな子どもたちから小学低学年、祖父母や母親や父親たちが大勢集まる。

 楽しそうに遊ぶ子どもたちとそれを見守る母親や父親たち。土曜日や日曜日は、両親も仕事が休みになる人もあるので、親の姿も多くなる。しかし、祖父母の姿の方が多い。この公園でも、祖父母と一緒にいる子どもの方が多い。
 中国では結婚する場合、「両親が住む所に近い場所に住める」ということが、かなり大きな条件となる場合が多い。したがって、男性もその条件に合う人を最終的に結婚相手として選ぶ傾向がある。だから、中国各地から一つの大学に来ている中国の大学では、学生時代の恋人たちは卒業を機会に「別れる」関係がほとんどらしい。中国のおじいちゃんや・おばあちゃんは、孫や娘・息子たちと近くにすむことができて、日本の祖父母より幸せなのかもしれないと思う面もある。楽しそうに孫と過ごす人の姿がとても多く見かけるからだ。
 
 中国では、1979年より始まった「一人っ子政策」(「一孩政策」※正式名称は「計画生育政策」)により、子供は一人と定められた。したがって、一人の子供に対して「両親と4人の祖父母」の6人の寵愛を受けて育つ場合が多い。中国の子供は6つの財布があるともいわれる。しかし、私が担当している学生たちに聞いてみると、兄弟・姉妹がある学生と一人っ子の学生の割合は半々だ。大都会では、「一人っ子政策」は厳しいが、地方ではあまり厳しくないようだ。地方では、「1万元」あまり(20万円)の罰金を払えばいいらしい。
 ただ、大学の教員も含めて「公務員」は、子供は一人っ子の人が多いようだ。私の大学の日本語学科の女性教員は10人あまりいるが、全員子供は一人っ子だった。「二人目を出産すれば、教員を辞職させられる。」とも話していたのが印象的だった。

 中国の小さな子どもは厚着が多い(少し寒い時期でも)。またズボンは、「尻割れズボン」だ。すぐに、大小便ができるためだが、おしりが丸見えになる。最近普及し始めた「紙おむつ」をしていても、尻割れズボンをしている。普通の幼児用ズボンが売っていないからだろうか。
 授業中に「日本の冬の時期の中学・高校の制服(スカート)」を映像で見せたことがあった。学生たちは声をそろえて、「寒いそう!」「かわいそう!」「虐待だ!」とか言っていたのを思い出す。ちなみに、中国の小学生の制服はない。私服に赤いスカーフを首に男女とも巻いているスタイルだ。冬の時期にスカートをはいて登校している女子を見たことがない。中学や高校は、制服があるが「ジャージの上下」である。だから、スカートは学校では身に着けない。

 中国と日本の親子関係や子育ての違いは何だろうか。総じていえば、日本では「子どもが厳しい社会に出る前に自立」させることを重視する傾向がある。子どもを甘やかすことはよくないことだという風潮が今でも強いと思う。一方、中国では、「子どもが順風満風な道を歩み、逆境に遭遇しないように助けてあげる。」という思いが強く、子どもを甘やかすことに何の抵抗感もないようだ。「子孫に美田を残さず」の日本と、「子孫に美田を残す」の中国かな。
 日本では、小さな子どもでも必ず自分のカバンなどの荷物は持たせる。子どもに自分の荷物を持たせて、親は子どもの荷物は持たない。しかし、中国では子どもの荷物は親や祖父母が持つ。ここにも、両国の子どもの育て方の違いの一端がみられる。

 中国は、結婚後の共稼ぎがほとんどだが、両親の働いているとき、小さい子どもの世話を祖父母が見る場合が多い。日本のような保育園はほとんどなく、「託児所」のようなところが少しある程度だ。幼稚園に付属した「小班」という名称の「保育園的」クラスがある幼稚園も少ないが存在しているようだ。しかし、すごい倍率で入ることは容易ではない。少し収入のいい家庭では、「子育て」のために「お手伝いさん」を雇うこともあるようだ。
 家の手伝い(家事の手伝い)を日中で比較した場合、日本の小学生は30.9%が日常的に食事の準備・後かたずけ、掃除などの手伝いをしているが、中国では14.4%となっている。(これも、自分の部屋の片づけなどが多い。自分のことは自分でするのは、本来の家事手伝いとはいわないのだが----。)
 中国の大学生の寮は「自炊施設が」ない。食堂などで食べるシステムだ。だから、中国の学生たちは、男女とも食事を自分で作る習慣や経験が乏しいまま、結婚する場合が多いようだ。






学生们来在我的宿舍了―她们在日本料理店「古都」交流日本公司駐在员们了―

2015-04-12 08:07:43 | 滞在記

 4月4日(土)は、中国の「清明節(先祖の墓にお参りする日)」だった。このため4・5・6日(月)は、小中高大学は3連休の休みとなった。
 6日(月)の日、二つの学生のグループが私の宿舎を訪れてきた。11時頃に日本語学科3回生の女子学生が2人来た。食材を近くのスーパーで買い込んで、昼食の中国料理を2時間あまりかけて作ってくれた。3時半ころには、1回生と2回生の学生が2人宿舎を訪れてきた。この二人は、日本語学科の学生ではなく他学部の学生だ。2回生対象の授業を常時聴講しに来ている熱心な学生たちだ。だから、午前中から来ている3回生たちとは顔なじみではない関係なのだが------。しかし、両グループはすぐに打ち解けて楽しそうに雑談を始めていた。
 午後5時半頃に宿舎を出て、バスに乗って日本料理店「古都」に学生たちと向かった。6時15分頃に到着。お客さんでいっぱいだった。予約しておいたので、やや広い部屋で日本料理を食べた。4人の学生のうち、3人は「日本料理店」は初めてらしい。「天ぷらは、おいしいおいしい。」と言って食べていた。
 7時半ころに食事が終わりかけた。向こうの方に、顔だけ知っている日本人4人のグループが食事をしていたので、「すみません。私はこういう者ですが(名刺を渡し)、私の学生たちがこの席に来て、話したい・交流したいと希望しているのですが、どうでしょうか?」と頼んでみたら、即OKだった。ぜひ早く来てくださいという雰囲気だったので、学生たちとともに移動した。「東芝」関連の福州在住の駐在員(4人)たちと、学生たちの話が弾んでいた。駐在員の人たちも、中国の学生(日本語ができる)と話すのはほとんどないようだったので、実に楽しそうだった。学生たちとの話に感激しているという様子だった。
 その後、隣にある「ブルースカイ」という日本式飲食クラブに移動し、日本の歌や中国の歌のカラオケをしながら交流していった。午後9時、大学に戻す時間となったので、日本企業駐在員たちに分かれを告げて店を後にした。
 中国などの外国に赴任する駐在員たちは、一般的に3年から5年の間の駐在期間のようだ。会社と宿舎と日本料理店の往復生活を繰り返す日々が多いようで、こういうような中国人学生との交流はほとんどないので、今後も大歓迎だと話してくれていた。

 4月初め頃に、五一広場(人民広場)に隣接している日本料理店「浅尋(あさひろ)寿司」に行ったとき、若い店長(オーナー)の黄さんから、「日本語学科の学生でアルバイトをする女子学生を紹介してほしい。」と頼まれた。「夕方5時半ころから9時ころまで来てほしい。曜日や時間は相談して決めたいです。1時間15元(約300円)を払います。」とのことだった。ちなみに、福州のレストランなどで学生がアルバイトをする場合、1時間8元から10元(160円〜200円)が相場である。また、大学生でアルバイトをしている学生は、日本と比べると非常に少ない。これは、アルバイトの募集そのものが少ないからでもある。
 先週の授業で2・3回生にアルバイト募集の話を紹介すると、結局5人が応募したいといってきたので、このことを店長に連絡した。おそらく、面接などを経て3人程度のアルバイト採用となるのだろうか。

 ここ福州では、男性の髪型は圧倒的に短髪が多い。気候的に暑い地方ということもあるのだろうが、長髪を見ることはほぼない。短髪は短髪でも、頭の側頭部を刈上げているヘアースタイルを多く見かける。これは、中国全体の傾向でもあるようだ。子供の場合は、前部だけ頭髪がある髪型もよく見かける。「清」の時代の辮髪のな残りだろうか。男の子のこの髪形と女の子のおかっぱは、今も中国の伝統的髪型として根強い。
 ここ数日、市の中心部にある道路には、「スージンファ」(香港政府のシンボルの花)のピンクや白が美しい。桜並木のようだ。
 一昨日の夜の10時ころ、閩江大学情報学部コンピューター学科4回生の黄君が突然訪ねてきた。「先生、突然 夜 おそい すみません。 俺 明日朝 広東省の深圳の ゲーム会社 行く なりました。しばらく お別れだ。 」と。
 彼と再び 会えることはあるだろうか----------。