倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

【聖書】マタイによる福音書19章16~26節 【説教】「神にはできる」

2021年01月31日 | メッセージ
【聖書】マタイによる福音書19章16~26節
【説教】「神にはできる」

26: イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない。

主の御名を讃美いたします。

 
主イエスが、ガリラヤでの宣教を終えて、エルサレムへの旅路の中 での出来事の続きです。

 今回は、富める青年が登場します。同じ場面でのルカによる福音書では、口語訳で「ある役人」共同訳では「ある議員」とありあります。今の私たちで言えば、市会議員ではなくて、国会議員のような立 場であったと思います。その青年が重要な質問をしたのです。
「先 生、永 遠 の 生命 を 得る た め に は、ど ん な よ い こ と を し た ら い い で し ょ う か」。(マ タイ 19 章16 節)

 この青年の「永遠の命を得るために<どんなよいこと>をしたらい いでしょうかを巡って、主イエスとの問答が続くのです。この青年は、 「小さい時から、律法を守ってきました。」といわば自信たっぷりにと 答えたのです。 まずここで確認したいことは、私たちは<よいことをして>永遠の 生命を得るのではないのです。

 聖書通読で先日、新しい共同訳でガラテヤ書からの約束を読みま した。 「し か し、人 が 義 と さ れ る の は、律法の 行い に よ る の で は な く、た だ イ エス・キ リ ス ト の 真実 に よ る の だ と い う こ と を 知 っ て、私 た ち も キ リ ス ト・イ エス を信じま し た。」(ガ ラ テ ヤ 2 章16 節)

 わたしたちの行いではなくて、キリストの真実が救いの土台である ことが明らかにされています。 富 め る 者 は 救わ れ な い の で し ょ う か。そ う で は あ り ま せ ん。「人 に は そ れ は で き な い が、神 に は な ん でも で き な い 事 は な い」。(マ タ イ 19 章26 節)

 主イエスは、この後、十字架へ向かわれて最も大切ないのちを投 げ出してくださったのです。そうして私たちも自分にとって最も大切 なものを、主にお献げして歩む道を開かれたのです。感謝です。

 新型コロナウィルス陽性者が引き続き出ています。マスク、手洗い、密を避ける行動を!

テケテケ

※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。
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【聖書】マタイによる福音書19章1~12節 【説教】「創造の祝福の回復」 2021/1/24 倉敷ホーリネスチャーチ

2021年01月24日 | メッセージ
【聖書】マタイによる福音書19章1~12節
【説教】「創造の祝福の回復」」

4: イエスは答えて言われた、「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女とに造られ、 5:そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。

主の御名を讃美いたします。

 主イエスが「暗黒の地の地と言われたガリラヤでの宣教を終え、いよいよ、エルサレムにむかわれました。そこで登場するのが、「自分たちこそ神の律法を厳格に守っているぞ」というプライドをもったパリサイ人です。主イエスを試み、陥れようとして質問します。「何らかの理由で、夫がその妻を離縁するのはさしつかえないでしょうか?」
この質問の背景となっているのがバプテスマのヨハネではないかと思います。ヨハネは、略奪婚をしていた領主ヘロデ王の不倫を指摘して、首をはねられていたのです。「イエスよ、あなたはメシアとしてこの結婚、離婚についてどうよう思うのですか」主イエスは、ここでまず、人間創造の場面から結婚について述べておられます。「父と母を離れ、その妻と結ばれて(くびきを共にするという意味があります)いるのだから、神が合わせられたもので、人が離してはならない。」そこで、パリサイ人は主イエスに反論します。「でもモーセは、妻を出す場合は離縁状を出しての離婚を認めているではないでしょうか」これは、私たちの現実でもあります。主イエスの答えは、「そのような離縁の現実は,あなたがたのかたくなさ(頑固さ)です」と言われたのです。「心がかたくなになった」という表現が聖書の中で一番でてくるのが旧約聖書のエジプトの王であったパロです。「おれこそがこの国の王だ」という、プライド自尊心が」あったのでしょう。自尊心は、大切なものですが、それが罪と結びつくのではなくて、主の恵みの約束と結びついていくことが祝福となるのです。ここで主イエスは独身についてもいわれています。主の約束に結びついた祝福された独身があるのです。

 新型コロナウィルスが収束せず、今週もリモート礼拝となりました。サタンがささやく絶好の機会ですが、まず主なる神をあがめ礼拝する心が保たれますように・・・

テケテケ

※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。
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【聖書】マタイによる福音書18章21~35節 【説教】「天国での決算」 2021/1/17 倉敷ホーリネスチャーチ

2021年01月17日 | メッセージ
【聖書】マタイによる福音書18章21~35節
【説教】「天国での決算」

22: イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。

主の御名を讃美いたします。

 昨年の4月19日、新型コロナウィルスの緊急事態宣言から教会での合同礼拝が出来なくなり、 家庭や個人での分散礼拝となりました。倉敷ホーリネスチャーチでは小林牧師ご夫妻が、礼拝中継録画 をしました。奥様の小林和子牧師が司式を して、小林光生牧師が説教をしました。 最初から 7 回は「聖書における危機」というテーマでメッセージし、その後は和子牧師のマタイによる福音書からの説教を引き継い でマタイ 5 章からメッセージしました。
 クリスマス、年始になりマタイの最初に戻り、今日からは、11 月の続きに戻ります。マタイ 18 章からで、「主イ エスの第四説教集4 教会生活の実際」が主題となっています。
「一人の尊さ・二人の美しさ」ということが前回のメッセージでした。 「どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。」(マ タ イ18 章18 節)とい う約束です。主にあって奏でられる、交響楽となるのです。 そのためには、「ゆるし」がどうしても必要となってきます。 弟子のペテロは「七たびまでゆるすべきですか」との質問に主イエ スの答えは「七たびを七十倍するまで」ゆるしなさいと言われたので す。 この数字は、創世記にでてくる聖書の最初の歌であり、レメク復讐 の歌と言われるところから由来しているのではないかと言われていま す。 「カインのための復讐が七倍な ら ば、レメクのための復讐は七十七倍」(創世記 4 章24 節) 人類は復讐の歴史でもあります。その罪の連鎖、復讐の連鎖を主 イエスは破ってくださるのです。

 コロナの収束が見えませんが、まずは自分自身を守り、愛する方々を守られますように・・・

テケテケ
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【聖書】マタイによる福音書4章12~20節 【説教】「人間をとる漁師にしてあげよう」2021/1/10 倉敷ホーリネスチャーチ

2021年01月10日 | メッセージ
【聖書】マタイによる福音書4章12~20節
【説教】「人間をとる漁師にしてあげよう」

19: イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。

主の御名を讃美いたします。

 クリスマスの後、主イエスの家族は、エジプトに逃亡の旅をしました。 エジプトから主イエス家族は帰ってきて、どこに住まわれたでしょうか。最初は、ベツレヘムやエルサレムに住まわれる計画もあったのでしょうか。
「アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。」とあります。そうして、ガリラヤのナザレという町に住まわれたのです。ガリラヤはどんな所であったのでしょうか。

 鳥取県で、一時「スタバ(スターバックスコーヒー)がなくても砂場(砂丘)がある」と辺境の地をアッピールされた知事が話題になりました。
ガリラヤは辺境の地というだけではありません。「異邦人のガリラヤ、暗黒の中に住んでいる民は」と表現されております。 ガリラヤがあったゼブルンとナフタリの地方は、元々はイスラエルの 12 部族の地であり、ユダヤ人の地であったはずですが、「異邦人の地、暗黒の地」と悪く言われていたのです。暗やみが巣くっているようなところで宣教されたのです。
「悔い改めよ、天国は近づいた」これが、宣教の主題です。

「天国」とは、この地上の命を終えて「天国」に入るだけではありません。今、神の救いのみ手が伸ばされているのです。具体的には、ペテロへの主イエス・キリストの語りかけと、応答で天国は始まっているのです。

「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4章19節)

ペテロたちは、辺境の地ガリラヤで魚を湖から魚を網で引き上げていたのですが、主イエスの弟子となって、人間を福音で、救い出す働きをするようになるのです。
「人間をとる漁師」になるのです。

 新型コロナウィルスの猛威が続いて第三波となっています。徹底して手洗い、除菌、うがいを行いましょう。
(徹底とは、人が見てあの人パカみたいに行っている。ことです。)

テケテケ

※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。
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【聖書】マタイによる福音書3章13~17節 【説教】「宣教へのはじめ」 2021/1/3

2021年01月03日 | メッセージ
【聖書】マタイによる福音書3章13~17節
【説教】「宣教へのはじめ」

17:また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。

2021年、あけましておめでとうございます。
新型コロナウィルスが猛威をふるう中の新年ではありますが、今こそ宣教の大切さを感じる日々です。弱っている今こそ主の名を呼び讃美いたしましょう。

<聖書から>
また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」(マタイ 3 章17 節 新改訳)

 このみことばは、今年の約束のみことばとして与えられたものです。主イエスが宣教を始められる前に、バプテスマ(洗礼)を受けられたときに、「天からの声」としてこの語りかけを受けたのです。
 はじめに覚えたいことは、主イエスは罪人の列に並ばれて、洗礼を受けられたということです。その時に「天が開け、聖霊が鳩のように下ってくるのをご覧になった」とあります。これは視覚的なものです。そして、「これは、わたしの愛する子。わたしの心にかなう者である」(口語訳)
 これは詩篇2篇7節にも出てくる「王としてのメシア」を意味し、「わたしはこれを喜ぶ」これはイザヤ42章1 節に出てくる「苦難のしもべ」としてのメシア」を意味しています。

 昨年ノンフィクション本屋大賞を受賞した本の中で次のような文章がありました。
ある診療所で癌患者が潮干狩りを最期にしたいという意志を汲んで、酸素ボンベなどを積んで同行して、報酬をとらない。「どうしてそんなまでにするのですか。」
「僕らは、患者さんが主人公の劇の観客ではなくて、一緒に舞台にあがりたいんですわ。みんなでにぎやかで楽しいお芝居をするんです」

 私たちも神の国の建設のための舞台にたっています。昨年はコロナとの戦いの中で色々な情報が行き交うなかでの生活でした。今年のこのみことばは主イエスへのことば」ですが、イエス・
キリストにあって神の子とされている私たちも「天からの声」として聞き続けていきたいのです。
今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。
主の御名を讃美いたします。

テケテケ

※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。

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