倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

【聖書】マタイによる福音書9章1~8節 【説教】「罪の赦しといやし」 2020/7/26 

2020年07月26日 | メッセージ
【聖書】マタイによる福音書9章1~8節
【説教】「罪の赦しといやし」
説教:小林光生師 要約:大元鉄也兄

6:しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。 7:すると彼は起きあがり、家に帰って行った。

主の御名を讃美いたします。

 先日、ある小学生の子と個人礼拝をしました。 ホーリネス教団のホ ームページの中で次世代育成の教会学校サポートがあり、その中 でパペット劇場をみて聖書の話しを聞いたそうです。 そこで賛美はあまりなじみのないものが多かったのでいつも賛 美している「君は神さまの宝物」を手話付きで歌いました。 「これ、ここのホームページに録画してのせたらいいじゃん」と話 しました。チャレンジするならば、作詞、作曲者の杉本守牧師にメ ールして許可を頂き、録画させて頂きました。さっそくホームページの 載せて頂いたのでご覧ください。歌詞は次の通りです。

きみは神さまの宝物だよ
神さまが造ってくれた宝物だよ
ぼくも神さまの宝物だよ
神さまが愛してくれてる宝物だよ
時々 失敗(しっぱい)するけど 時々 なやんじゃうけど(×××手拍子)
ハレルヤ 神さまの子供よ さけべ天を見上げて ハレルヤ

 神様の宝物 輝け 天を見上げて 今回、説教を準備しているときにこの歌詞を思い出しました。 「どうして、ぼくたちは神さまの宝物と言えるの?」それは、罪ゆる されて神の子とされているからなのです。 キリスト信仰とは、また教会とはこの罪の許しの宣言がなされる所です。
 洗礼式の時に、いつもお祈りする「子よあなたの罪はゆる された」 このようなことばは、人間には語ることはできません。しかし、主イ エスは、父と、子と聖霊の御名によって洗礼(バプテスマ)を授ける ように命じられており、罪のゆるしが宣言されるのです。
  使徒信条の最後に、「罪の赦し、からだのよみがえり、とこしえの いのちを信ず」アーメンとあり、この罪の赦しは、体の甦り、復活と 永遠のいのちにつながっていくものです。
感謝!

今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。

テケテケ
※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【聖書】マタイによる福音書8章23~27節 【説教】「嵐を共にする旅」 2020/7/19 

2020年07月19日 | メッセージ
【聖書】マタイによる福音書8章23~27節
【説教】「嵐を共にする旅」
【説教】小林和子師 【要約】大元鉄也兄

27: 彼らは驚いて言った、「このかたはどういう人なのだろう。風も海も従わせるとは」。

主の御名を讃美いたします。
 
 聖書中で「これどういう意味?」という所があります。この主イエスと弟子との問答もその一つです。

「また弟子のひとりが言った、「主よ、まず、父を葬りに行かせて下さい」。 イエスは彼に言われた、「わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」。」
(マタイ 8 章21 章22 節)

 これについてある注解は次のように解釈しています。
シリヤの宣教師が日頃親しくしていた知的で富裕なトルコ青年に、ヨーロッパ旅行を勧めたところ、「私はまず父を葬らなければなりません」という答えが返ってきました。そこで宣教師は、青年の父親が死んだのだと思って同情のことばを言いますと、父親はまだ元気でいるといいます。そのことばの意味は、旅行に行く前に両親や親戚に対する義務を果たさなければならない、すなわち、父親が死ななければ家を留守にできないことだと説明したという。

 この聖書の個所に出てくる弟子もこの意味で、「私は父親が死んで自由になったら、あなたに従います」と言っているのではないか。すなわち、イエスに従うことへの拒否返答とも思えます。
「父を葬りに行かせてください」とは今すぐの葬式に出席させてくださいではなくて、従わないということへの「理屈」という説明です。リビング・バイブルでは、これに近い翻訳をしています。
「いや、今いっしょに来なさい。死んだ人のことは、あとに残った者たちに任せておけばいいのです」
この地上での働きで一番大切と思われること以上のことが、ここに書かれているのです。それが「わたしに従ってきなさい。」という主の招きに「はい」と素直に答えていくことではないでしょうか。

 今日の聖書箇所を通じて、私たちにとって、どのような「覚悟」が必要なのかのメッセージを頂きたいのです。

今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。

テケテケ
※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【聖書】マタイによる福音書8章5~12節 【説教】「あなたが信じたとおりになるように」

2020年07月12日 | メッセージ
【聖書】マタイによる福音書8章5~12節
【説教】「あなたが信じたとおりになるように」
【牧師】小林和子師 【要約】大元鉄也兄

10:イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた、「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。

主の御名を讃美いたします。

 「ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。」マタイ8章7節(後半)

 今日登場するのは、百人隊長です。部下の病気の癒しを願う、ローマ帝国の役人であり、明らかに異邦人でしょう。主イエスは、この役人の信仰をほめておられるのです。「これほどの信仰をイスラエルの中にみることができない」この男性の信仰はどのようなものでしょうか。それは、救い主イエスの権威を認めて、「あなたのことば、約束をください。そうすれば、わたしのしもべはなおります」といったのです。

 わたしたちの生活で「だれのことばを聞いて歩んでいるか」が問われているのです。ある人物を紹介します。口語訳聖書の翻訳にもかかわった山谷省吾(せいご)という方で岡山県の津山の出身の方です。津山時代は天才のような少年であったそうですが、東京の東京帝国大学に行って挫折感を味わい、キリスト信仰に導かれます。卒業後に当時のエリート役所であった内務省に務めるようになりました。天皇が地方の神社に参拝する代わりに、勅使が派遣されるのです。山谷省吾はその勅使の務めの命令を断ったのだそうです。しかも、上からの命令に対して思い悩んだ上での決断ではなくて、当然のように「わたしにできません」と断ったのです。当時天皇は、絶対的な権威をもっていると考えられていました。しかし彼にとってはそれ以上に、主イエスにあっての神の権威の中で生きていることを示したのです。

 復活された主イエスは「わたしは天においても地においても一切の権威を授けられた」と言われた。このお方に「みことばをください」と叫び、祈ることができることが出来るのです。感謝!

今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。

テケテケ
※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【聖書】マタイによる福音書8章1~4節 【説教】「山を下られる主イエス」

2020年07月05日 | メッセージ
【聖書】マタイによる福音書8章1~4節
【説教】「山を下られる主イエス」
【説教:小林光生師 要約:大元鉄也兄】

3: イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、重い皮膚病は直ちにきよめられた。

主の御名を讃美いたします。

 イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「私は望む。清くなれ」 と言われると、たちまち規定の病は清められた。 マタイ8章3節(協会訳)

 マタイ伝で主イエスが山上の説教を終えて山から下った時に出 会ったある男性の病をいやされた場面です。 口語訳聖書では「らい病は直ちにきよめられた」。 新共同訳では「たちまち、重い皮膚病は清くなった」。 そうしてこのたび新しく訳された聖書協会共同訳では「「規定の 病は聖められた」と訳されました。 規定の病では意味がはっきりとしない感じですが、翻訳は最もむず かしい事です。この病にかかった人々が、 旧約聖書でもよく登場しますが、人々から隔離され「わたしはけがれています」とさけびな らみんなから離れ、差別的距離をとらなければなりませんでした。 そんな男性が主イエスのもとに近よってきました。そうしてひれ 伏して「主よ、あなたには私のやまいをきよめることができます」と 信仰の告白をしたのです。どのようにしてこの男性がこの信仰に導か れたかは書かれていませんが、何と主イエスは彼にさわられました。

 今 コロナ禍にあって野球でもハイタッチも出来ない状態ですが、主 イエスはまさにこの男性に触れられたのでした。 そうして、この男性の信仰と願いを受け止められて、「そうしてあ げよう、きよくなれ」」とのことばを与えられたのです。

  主イエスの山の上での説教に群衆はその権威に驚いたとある が、その権威は、下に下(くだ)る権威でした。主イエスは、天より この地上にくだってくださり、この汚れていると見なされていた男性 をいやすために山をくだり、十字架にかかり、黄泉にまで下ってく ださったのである。 主イエスは山からくだって来られたのです。それは「救い主、メシア」とし ての登場であり、そしてこの病をいやされたのでした。

 新型コロナウィルス陽性者が再び多くカウントされています。一番は人と人との接触を断絶する事ですが、それでは経済も止まってしまいます。自分が要請になっている。そう思う行動をお取りくださいますように。

今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。

テケテケ
※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする