倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[創造の神]キリスト教礼拝メッセージ要約

2007年10月29日 | メッセージ
10月28日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[創造の神]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:創世記1章24~31節
抜粋:1:31 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。

<要約>
 デパートでは早くも「クリスマスケーキは当店で!」とか、「おせち料理の予約承ります!」の看板が目に付くようになりました。時が過ぎるのは本当に早いものですね。

 (Q)今回のタイトルは『創造の神』ですが、ではなぜ神はこの世を創られたのでしょう?

回答に行く前に少し日本人の『神』感について見てみましょう。いたる所に神が宿ると信じる、多神教ですが、特に『初日の出』など、目に見えるものを信じる傾向にあるように私は思います。太陽は目に見え、その恩寵に感謝します。これは素晴らしい思いですが、その太陽さえも創られた方がいらっしゃる事まで目が向けられません。残念ながら私達人間は、目で見て感じ、今までの経験や知識によってそれが真であるか否かを自分勝手に判断してしまうクセがあるようです。

 科学者の間には、「宇宙は膨張し続けている!」など議論されていますが、ではその始まりは何んだったのか?いろんな『仮説』をたてますが、あくまで『仮説』。想像でしかありません。
 聖書の始めに「1:1 はじめに神は天と地とを創造された。」と記されています。それを信じるか否かは、あなたがどう見えないものを受け入れられる度量があるかにかかっていますが、宇宙さえ創造された方を信じる事ができれば、今までの考え方が180度変わる事でしょう。

 「人間は神のかたちに創造された」素晴らしいものです。そして神は自ら行えば簡単な事を私達に託されているのです。

 (A)答えですが、神は愛そのものです。そして私達を愛してくださっています。その私達が神に感謝し愛する事ができるようにこの世を創造され私達に託されているのです。目的をもって創られた私たち、すべての人は神に愛されるために生まれているのです。

 今、苦しみの中にもしいる人がいても、たった一人だと思っても、かならず神様は共にいてくださっています。暗い時にローソクの灯りが輝くように、辛く落ち込んだ時、神の愛は最高にあなたをささえてくださいます。祈り求めた時、神はあなたに語りかけられるでしょう。その時「はい、あなたを信じます」と告白してみてください。きっと今までの思いが過ぎ去り、平安を覚える事が出来るでしょう。素直に従う事が出来る人は幸いです。


キリスト教情報・テケテケのキリスト教サイトへ

[信仰のマラソン]キリスト教礼拝メッセージ要約

2007年10月22日 | メッセージ
10月21日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[信仰のマラソン]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ヘブル人への手紙11章32~12章2節
抜粋:12:2 信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。

<要約>
 今日は地元倉敷の祭りのようです。御輿を担いで街を行進して行きます。出エジプトの際、契約の箱を担ぎ進んで行った光景を想像すると何だかダブってしまいます。日本への伝道と何か関係があるようにも思ってしまいます。

 この手紙は当時世界の中心であったローマで、ヘブル人や異邦人の多くに読まれたようです。私たちの信仰は古くから受け継がれ、今に至っている事、また将来の人にも受け継がれる事が記されています。神の家である教会、今も主によって私たちは、それまで他人であったとしても、その家族とされているのです。

 私たちの歴史を振り返ってみると、平成の前は昭和、大正、明治・・・江戸・・・室町・・・縄文・・・。もっとさかのぼれば恐らく一つの民から皆出たと考えられます。今、富んでいる人も貧しい人も、九州の人も東京ド真ん中の皇○の人も・・・
こんな事を記すと、ある特別な方からおしかりを受けそうですが、元は限られた人から出たと考えるのが自然でしょう。元は皆、家族だったのでしょうね。

 自分の身内にだけは優しい方もいらっしゃいます。ですが、元はあの人もこの人も遠い親族だったと思います。隣の人の事を自分の事と思い、接する事ができれば、何と幸いでしょうね。
 私たちの信仰は受け継がれています。そして今生きる者として次の世代へマラソンのバトンタッチをして行きます。今、この瞬間に主を知らない人が主と出会い、新たな人生を歩む事が出来ますように。この世に宝を蓄えず、本籍地の天国に宝を築く事が出来ますように。

 本当の喜びのために、本当の命のために、主イエスキリストと共に歩んでみませんか?


キリスト教情報・テケテケのキリスト教サイトへ

赤福の偽装、どこまで続くのか?

2007年10月19日 | その他
もう何を信じたら良いのでしょうね?
食の安全って・・・

製造し、出荷前の商品を冷凍し、出荷前に製造年月日を振っていた事が判明した赤福ですが、今回発覚した偽装は比べる事もできない悪質なものでした。

事もあろうに、売れ残りや返品されたものを冷凍し、偽装して出荷していたのです。いったん売り場の棚に陳列されると、温度や湿度の影響は当然あり、その他の食品衛生に問題があるものの付着も予想できます。
その商品を再冷凍し、偽装していたのです。

消費者目線とはかけ離れた『売上至上主義』の結果、このような「何をやっても儲かれば良い」になってしまったのか・・・
「人」「物」「金」を自分の神様としてしまった結果なのでしょうね。自分は何のために生かされているのか、何をするのが良いのか、立ち止まって反省し出直して頂きたいと思います。



<関連ブログ>
赤福よ、おまえもか!


赤福、不正を認識? 不二家問題発覚直後に偽装を中止 10月19日10時16分配信 産経新聞

 店頭で売れ残った「赤福餅(もち)」の再利用が新たに発覚した老舗和菓子店、赤福(三重県伊勢市)が冷解凍による製造日偽装や売れ残りの再利用の大半を、今年1月下旬に中止していたと農水省に報告していることが19日、分かった。大手菓子メーカー、不二家の期限切れ原料使用が明らかになった直後で、同社は会見で関係を否定しているが、自社の不正を十分に認識していたとみられる。
 三重県伊勢保健所は19日午前、赤福に対し、無期限の営業禁止処分を通達した。農水省も同日、本社工場と再生餡(あん)の卸し先、名古屋工場(名古屋市中川区)、大阪工場(大阪市淀川区)の4カ所に、各保健所と合同で、JAS(日本農林規格)法と食品衛生法に基づく立ち入り検査に入る。
 農水省によると、同社は当初、製造後に出荷ヤードにある商品を冷凍▽配送車で出荷した後に余った商品を持ち帰り冷凍していたことを認めていたが、18日夜に提出した文書で、店頭に売れ残った商品を回収して再出荷のため冷凍したり、餅を分離した餡を再利用していたことなども認めた。
 農水省の質問に対し、同社が回答した書類によると、店頭売れ残りや配送車内の商品の冷凍は1月26日、餡の再利用は1月13日をそれぞれ最後に中止したと釈明。その後、冷解凍による再出荷は出荷ヤード内の商品だけにとどめていたという。
 赤福の浜田典保社長は18日夜の会見で、1月上旬から報道が相次いだ不二家問題と自社の偽装・再利用中止との関係について否定したが、餡の再利用の中止は不二家問題発覚の数日後で、同社が不正を認識していた可能性をうかがわせている。
 また、同社が売れ残りを再利用した餡を卸していた「和菓子の万寿や」は、浜田社長の弟が社長を務めており、グループ全体の責任に発展するのは避けられない状況になっている。

紀元会の集団暴行、何ともやるせない

2007年10月17日 | 祈り
宗教団体『紀元会』の集団暴行事件が世間を騒がせていますね。
集団暴行、これは『イジメ』とも取れるような行為ですが、断じてこのような事があってはなりません。まして、心の平安を求める、仮にも宗教団体なら尚更だと思います。

この宗教が良い悪い、ここでは言及しませんが、一歩間違えば『サギ』と区別がつかないようにも思います。

私もいろんな宗教を学んだりしましたが、『これは宗教と違うだろう!』と思うポイントを少々・・・

・人の弱みにつけこみ「治る」などの言葉で誘う
・何かを「買う」と上手く行く(水とか壷とか・・・)
・さも利益(金や健康、名誉など)が出るかのように誘う
・脱会しずらい
(苦行をすれば報われる)
(人間が神様になったつもりになる)

( )は、私が考える意見です。人それぞれだと思いますが、頑張れば神になれると信じる事が非常に怖いのです。
数年前『マインドコントロール』という言葉が飛び交っておりましたが、何かに夢中になると、自我の思考さえ操られてしまうのでしょう。

今回、被害にあった方も加害の方も、心を病んでいる方だと思います。どうか本当に信ずべき神様と出会い、これからの人生を喜びに満ちたものとなりますよう、祈り願います。


キリスト教情報・テケテケのキリスト教サイトへ

[愛する兄弟]キリスト教礼拝メッセージ要約

2007年10月15日 | メッセージ
10月14日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[キリストの日]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ピリピ人への手紙1章1~11節
抜粋:1:10 それによって、あなたがたが、何が重要であるかを判別することができ、キリストの日に備えて、純真で責められるところのないものとなり、1:11 イエス・キリストによる義の実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るように。

<要約>
 同じ時を生きていても、順調な人、辛い中にいる人とさまざまだと思います。この箇所でパウロがピリピの人に伝えたかった事は、どんな境遇にいても必ず『キリストの日』が来るという事です。もちろん現在の私たちにも語られている事です。私たちはその日のために備える事が重要です。
 ノンクリスチャンの方は、「私には関係ない事」とお思いかもしれませんが、既にこれをお読み頂いている事は、主からの誘いでもあり、それをどうご自身で受け取るかだけなのです。信仰は一方的に与えられるもので、自ら修行して会得するようなものでは決してありません。主からの誘いに目を開き、聞く耳で望んでみると不思議なくらい素直に受け入れられるものです。
 また人生を、自分の力で生きていると考えるか、自分の良い所を活かすように神から生かされているか、どう自分を見るかでその人の人生は180度違ってきます。
「頑張って頑張って生きるんだ!」と思っている人は、しんどいし辛い人生でしょうね。自分は良い行いをするために生かされていると信じた時、重荷から解放される事でしょう。
 また、一つの出来事には、良いと思うか、辛いと思うか自分の意志で選択するようになっています。悔やみ続けるのも自分の選択ですが、それ自体も良しと受けとめる事が出来るなら、何と幸いな事でしょうね。
 「何をしたら良いのだろう?」と思い煩う必要はありません。祈りの中で神様があなたに語られる事に対してただ「はい」と従う事だけです。呼吸をするように神様と会話し、祈る中から自然に信仰の成長と『キリストの日』の準備が進んでまいります。
自分の小ささを知り、ただ主なる神様に頼らないと生きて生けない事を知る時、幸いな人生へと変えられて行くのです。


キリスト教情報・テケテケのキリスト教サイトへ

赤福よ、おまえもか!

2007年10月13日 | その他
「赤福よ、おまえもか!」

伊勢名物で、私も大好きな赤福。しかし・・・
食品の製造年月日付け替えが表にでてしまいました。赤福社長は製造年月日は、製造した月日でなく、冷凍保存を解凍した日が製造年月日です。と回答したそうですね。これは、一般人が聞いて納得出来るでしょうか?

もし、こんな製造年月日が許されるなら、大量生産してあまったものを冷凍し、何ヶ月後に解凍しても良いという事になりますね。もはや、食の『安全』など感じられず、自己都合で消費者を騙し続けたといわれても仕方ないと思います。

確かに今、冷凍技術も格段に向上し、衛生もある程度守れれているでしょうが、創業時を思い出してもらいたいですね。冷蔵庫もなく、作りたてを消費者に提供していた安全な時代を!

赤福お詫びのコメント


[時事通信10月12日]
認識不足と釈明=商品解凍日を製造日と表示-赤福社長

 農水省から日本農林規格(JAS)法に違反する商品表示を行ったと指摘された老舗和菓子店「赤福」(三重県伊勢市)の浜田典保社長は12日午後、同市内で会見した。同社長は「(消費者に誤認させるような表示をしていたことは)私どもの認識不足。これまでは問題ないと考えていた」と釈明した。
 さらに、同社長はこれまで同社商品に表示していた「謹製」日付は、製造年月日ではなく、製造後に一度冷凍保存された商品が解凍された日付だったと認めた。この一方で、衛生面や品質面では安全性が確認されていると強調。「冷解凍も製造工程の一部という認識だった。(消費者を欺こうという考えは)一切なかった」と述べた。 

[愛する兄弟]キリスト教礼拝メッセージ要約

2007年10月08日 | メッセージ
10月7日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[愛する兄弟]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ピレモンへの手紙8~20節
抜粋:1:16 しかも、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上のもの、愛する兄弟としてである。とりわけ、わたしにとってそうであるが、ましてあなたにとっては、肉においても、主にあっても、それ以上であろう。

<要約>
 この箇所と登場人物を簡単に説明します。
・手紙を書いたのはパウロ。
・ピレモンに宛てて書かれたもの。
・オネシモはピレモンの奴隷だった。

 ピレモンはコロサイに住む有力者でパウロの同労者です。富も名誉も持ち合わせたピレモンには多くの奴隷がおりました。オネシモはその一人でした。
 ピレモンの奴隷だったオネシモは、主人の財産を盗みだし、人と文化が交錯する今の東京のような大都市、ローマへ逃げます。何らかの理由でオネシモは牢へ入れられてしまいますが、そこでパウロと出会います。
オネシモはパウロから主イエスキリストについて聞き、新しい者として生まれ変わりました。一生懸命パウロの手となり足となり仕えるのです。
オネシモとは、「役に立つ者」という意味ですが、主によって変えられたオネシモはまさに役に立つ者とされたのです。
 パウロはオネシモを自分の元へ置いておきたかったでしょうが、雇い主ピレモンへ返す決心をし、自ら手紙をしたためます。パウロはピレモンの師でもありましたので、命ずれば聞き入れる事も知っていましたが、高圧的でなく、愛によってオネシモを受け入れて欲しいと記します。しかも奴隷としてではなく、それ以上の者として受け入れて欲しいと。

 少しズレますが、あなたは社長です。従業員が大切な金庫のお金を持ち逃げしました。ある所で別件逮捕され牢屋へ入れられます。そこで知り合った方を通し、主イエスキリストにより元従業員は心を入れ替えます。あなたは、そこで知り合った方と知り合いで、金を盗んだ従業員をそちらへ帰すので、ただの従業員ではなく、重役として受け入れて欲しいと手紙を持った従業員が帰ってきました。

 あなたは、愛をもって赦し受け入れる事ができますか?

帰る者も辛いでしょうが、受け入れる者はもっと辛いと思います。肉の思いでは絶対に実現する事などできません。肉の思いを遙かに越えたキリスト者の完全と愛によらなければ実現しようがないのです。

 幼い時に自分を捨てた親。捨てたばかりか、わずかな財産を盗んでしまう親。いろんな辛い経験をされた方も多いと思います。肉の思いだけでは絶対に赦す事など出来ないでしょうが、主のなさった事を思うなら愛をもって受け入れる事ができるのです。


キリスト教情報・テケテケのキリスト教サイトへ

[L&G問題]自分の神は「金」被害者も加害者も

2007年10月05日 | その他
「円天」で世間を騒がせている[L&G]ですが、予想通り決着がつきそうですね。金、金。とにかく金!
金に狂わされている人々が群がった集団[L&G]と、それに出資する金を信奉する人。自分の幸せ、生きている価値、プライド・・・すべてを金で解決しようとした結果ですね。ただ、あわれな事は、金に頼らなくてはならなくなってしまったという事。本当に残念です。

人はなにも持たず生まれ、何も持たず去って行きます。自分の存在意義、生かされている意味を、もう一度考え本当に大切なものを見つけて頂きたいです。


聖書より
「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」

[隣人を愛する]キリスト教礼拝メッセージ要約

2007年10月01日 | メッセージ
9月30日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[隣人を愛する]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ヤコブの手紙2章1~9節
抜粋:2:8 しかし、もしあなたがたが、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」という聖書の言葉に従って、このきわめて尊い律法を守るならば、それは良いことである。

<要約>
「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。」
これは、主イエスキリストが私たちに語られた御言葉ですが、これを守っていない教会へヤコブが手紙を記しています。今風にこの箇所を表現してみますと・・・
教会へ新来会者が二人来ました。一人は見るからに金持ち、もう一人はみすぼらしい姿をしています。教会の案内人は金持ち風の人を一番良い席に案内します。みすぼらしい人には、「席が埋まるかも知れませんから、そこに立っていてください」と伝えます。

少しオーバーでしたが、行動に出さなくても心で思うなら同じ事です。意図的に差別するのでなくても、自然に差別してしまうのも私たちの弱さではないでしょうか。

ヤコブはそんな差別をしている人に向かって「兄弟よ」と呼びかけます。血はつながっていなくても、私たちクリスチャンは共に主にある兄弟です。決して「差別」「えこひいき」をしてはならないのです。

教会の良い所に案内された金持ちですが、この人が救われるとは限りません。マタイ 19:24に「重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 とまで主は語られています。この世の価値(金や名声など)を私たちは、はかりとしてはならないのです。もし、この世の価値で評価するなら、自らを裁く事になるという事を覚えなくてはなりません。

私たちは救われているにもかかわらず、自分と他者を比べ、「あの人には勝っている」などと自らのはかりで評価しているのではないでしょうか。
神様は、分け隔てなく平等に私たちを愛されています。相手の立場で思いやりの心を持つ事ができれば幸いですね。


キリスト教情報・テケテケのキリスト教サイトへ