倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[ピリポの伝道]キリスト教礼拝メッセージ要約

2007年06月25日 | メッセージ
6月24日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[ピリポの伝道]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:使徒行伝8章26~38節
抜粋:8:35 そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起して、イエスのことを宣べ伝えた。

<要約>
 まずここに登場するピリポについてですが、最初の12弟子ではありません。ピリポがなぜ信徒の代表になったかは、使徒行伝6:5に「この提案は会衆一同の賛成するところとなった。そして信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、それからピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、およびアンテオケの改宗者ニコラオを選び出して、 使徒たちの前に立たせた。すると、使徒たちは祈って手を彼らの上においた。 」とある通りです。
12弟子だけでは、多くの民衆をまとめる事ができず、信徒の中で評判の良い7名を選び、その中の一人にピリポがいたのです。この7名は最初の教会役員とも言われ、12弟子により按手の祈りがなされています。
 弟子代表の7名は、ただ民衆のまとめをするのではなく、伝道に出向いていました。しかしそこにはキリスト者を迫害するサウロ(後のパウロ)により殉教する者も出てしまいました。当時のキリスト者はパウロ達の目を盗んで礼拝するしかなかったようです。
 この箇所は、そのような中で伝道するピリポが記されています。エルサレムに残り、教会を守り通したかったピリポでしょうが、主なる神はサマリヤにピリポを遣わすのです。サマリヤでの伝道が成功している中、天使が現れピリポに「ガザに行きなさい」と伝えます。ピリポの本心を知る事はできませんが、成功している土地を離れたくなかったかも知れません。しかし全て主のご計画と受け入れ行動するところにピリポの素晴らしさがあると思います。
 ピリポがガザへ向かう途中、エチオピア女王の財産を管理する人(宦官)と出会います。宦官はイザヤ53章を読んでいました。ピリポが「何の事か解りますか?」と問うと宦官は「手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えました。ピリポはイザヤに記されている事はイエスキリストの預言であって、その主を信じる事で永遠の命が得られると話すのです。それを聞いた宦官は「私はイエスキリストを真心から信じます」と告白しました。宦官は、今この時主を信じなければ、もう次はない!この時しかないんだ!と思いバプテスマを決意し、ピリポによって洗礼の恵みを受けたのです。

 今、偶然このメッセージ要約を見られている方がいらっしゃったなら、それはあなたのためにご計画された『その時』だと思います。今この時、み言葉に触れ、そして信じる事ができますよう祈ります。


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[エホバ]手術中、輸血受けず死亡

2007年06月20日 | 祈り
 本当に残念な事件が起こってしまいました。
独自な聖書解釈で、輸血を頑なに拒み続けるエホバの証人の信徒が、出産のための手術で、輸血が必要となっても受けない事を医師に伝え、出血がとまらず死亡した。赤ちゃんは無事に誕生しましたが、母親の愛情を知らずに成長して行く事となりました。
 エホバについての善し悪し議論はいたしませんが、「主ならどうする?」という考えが全くなく、自己中心的に考えた結果、このような事件になったと思います。人の命について聖書はきっぱりと、最高のもので何者にも変える事ができないと記しています。
 この事件をきっかけに、主が同じ考えを持つ一人ひとりに語られ、主と共に生きる事ができますよう祈ります。


<エホバの証人>手術中に大量出血、輸血受けず死亡 大阪 6月19日19時57分配信 毎日新聞

 信仰上の理由で輸血を拒否している宗教団体「エホバの証人」信者の妊婦が5月、大阪医科大病院(大阪府高槻市)で帝王切開の手術中に大量出血し、輸血を受けなかったため死亡したことが19日、分かった。病院は、死亡の可能性も説明したうえ、本人と同意書を交わしていた。エホバの証人信者への輸血を巡っては、緊急時に無断で輸血して救命した医師と病院が患者に訴えられ、意思決定権を侵害したとして最高裁で敗訴が確定している。一方、同病院の医師や看護師からは「瀕死(ひんし)の患者を見殺しにしてよかったのか」と疑問の声も上がっている。
 同病院によると、女性は5月初旬、予定日を約1週間過ぎた妊娠41週で他の病院から移ってきた。42週で帝王切開手術が行われ、子供は無事に取り上げられたが、分娩(ぶんべん)後に子宮の収縮が十分でないため起こる弛緩(しかん)性出血などで大量出血。止血できたが輸血はせず、数日後に死亡した。
 同病院は、信仰上の理由で輸血を拒否する患者に対するマニュアルを策定済みで、女性本人から「輸血しない場合に起きた事態については免責する」との同意書を得ていたという。容体が急変し家族にも輸血の許可を求めたが、家族も女性の意思を尊重したらしい。
 病院は事故後、院内に事故調査委員会を設置。関係者らから聞き取り調査し、5月末に「医療行為に問題はなかった」と判断した。病院は、警察に届け出る義務がある異状死とは判断しておらず、家族の希望で警察には届けていない。
 エホバの証人の患者の輸血については、東京大医科学研究所付属病院で92年、他に救命手段がない場合には輸血するとの方針を女性信者に説明せずに手術が行われ、無断で輸血した病院と医師に損害賠償の支払いを命じる最高裁判決が00年に出ている。最高裁は「説明を怠り、輸血を伴う可能性のあった手術を受けるか否かについて意思決定する権利を奪った」としていた。【根本毅】


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[主イエスの御名]キリスト教礼拝メッセージ要約

2007年06月18日 | メッセージ
6月17日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[主イエスの御名]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:使徒行伝4章5~12節
抜粋:4:10 あなたがたご一同も、またイスラエルの人々全体も、知っていてもらいたい。この人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。

<要約>
 本日は『父の日』ですね。先月の『母の日』同様、キリスト教から始まった行事ですが、普段の感謝を素直に伝える事は素晴らしい事だと思います。
 聖書に入りますが、要約をまとめる前に、どんな場所で起こった事なのか見て行きます。
生まれつき足の自由が利かない人が、美しの門と呼ばれる所に座っていました。人に連れられ、そこに置かれていたと表現したほうが良いでしょう。そこで『物乞い』をし、施しで生きていました。そこに現れたペテロ達を見て、普段通り物乞いをします。ペテロは「私たちに金銀はないけれど、主イエスキリストの御名によって立ちなさい!」と告げると、何と動かない足が回復し、立ち上がって神を讃美したのです。そしてその事実を見聞きした五千人もの人が神の救いを信じました。
 その出来事を聞いたサドカイ派の重役がペテロ達を捕らえました。彼らは死人の復活を信じていなかったからです。また新しい救いが現れると自分達の地位や権威が損なわれる事を恐れ、信じるどころか、弟子達に「誰の名によって癒しを行ったのか?」と尋問したのです。
ペテロは聖霊に満たされ、「あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。」と大胆に語りました。主の十字架の際、三度も主を知らないと言ったペテロが180度変えられたのです。
「救いはナザレ人主イエスキリストの御名による」そして「この人以外に救いはない」とまで大胆に語っています。ここに旧約に記されている事がことごとく成就したのです。
 普段の生活の中で、主イエスキリストの御名があがめられる言動が取れる人は幸いです。

 最後に「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)
日々私たちに新しい命を与え続けてくださっている主イエスキリストに感謝します。

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[共に生きる生活]キリスト教礼拝メッセージ要約

2007年06月11日 | メッセージ
6月10日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[共に生きる生活]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:使徒行伝2章37~47節
抜粋:2:43 みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。2:44 信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、2:45 資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。

<要約>
 ペンテコステ直後の生まれたばかりの教会の様子です。多くの人がペテロの説教で心を刺されました。ペテロが神の子であるナザレ人イエスを十字架にかけたのはあなた方だ!と語ったからです。人々は強く悔い改め、どうすれば良いかとパウロに尋ねているのです。そこでペテロは以下の事を人々に伝えるのです。

①悔い改めなさい
②イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けなさい

まず、悔い改めですが、自分が悪いと思っている所だけを、チョコッと直すのではありません。生き方そのものを180度変える事です。しかしあれこれ変える必要はありません。ただ『自己中心』の罪を悔い改めるのです。全ての罪は自己中心から来ています。
そして主イエスキリストの御名によってバプテスマ(洗礼)を受けよと伝えます。これは主により一つにされる事を意味しています。「私は心から主イエスを信じているから、別に洗礼は受けなくても良いです。」と思い違いをされている方がいらっしゃるようですが、これでは全く主を受け入れている事ではありません。これこそ『自己中心』の極みです。天にも地にも主のものとされた事を証する事が大切なのです。
そして救いとは、悔い改めと主イエスを信じる事がセットで、どちらが欠けても成り立ちません。受け入れ証すると何が起こるか。聖霊の賜物を受け、自己中心の罪から解放され、180度変えられた人生を歩む事ができるようになるのです。何と素晴らしい事でしょう。

心を一つにした集まりが教会です。
①主イエスキリストの教えを守り
②信徒の交わりをなし
③共に礼拝し
④共に祈る
これこそが共同生活なのです。

2000年前から世界中で行われている礼拝は時空を越え、今も後も永遠に続いてまいります。キリストの肢体として今生かされている事に感謝いたします。

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[ペテロの説教]キリスト教礼拝メッセージ要約

2007年06月04日 | メッセージ
6月3日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[ペテロの説教]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:使徒行伝2章22~36節
抜粋:2:36 だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである。

<要約>
 ペンテコステで聖霊を受けたパウロの説教です。聖霊を受けたパウロは民衆の前に『スック』と立ち上がり大胆に語ります。語る内容は大きく以下の3つです。

①ナザレ人イエスの紹介
主イエスキリストが神様から遣わされ、力ある『しるし』をなされた事を、あなた方は知っていますね、と問いかけています。
②神様のひとり子をあなたがたが十字架にかけた
十字架は神様のご計画ではあったが、真実の方を否定し、十字架にかけてしまったのは、あなた方(私たちも含む)だ。
③聖書の預言が成就した
ダビデ王は詩篇16で、後に来られる主イエスキリストについて、神の右に上げられると証しています。

上記の事をペテロは大胆に語りました。この聖霊は限られた弟子達だけが受け取れるのではなく、私たちも受ける事が出来るのです。「こんな罪だらけの私を神様は見てくださらない」などと思わないでください。神様はこんなどうしようもない私たちを聖い者として見られ、私たちに聖霊をお与えくださるのです。そしてご自身の中に聖霊を受け入れ、ペテロのように大胆に証できるよう祈ってください。神様の目に、私たちは尊いものとして映っています。ぜひ心を素直にし、聖化の恵みに預かってくださいますように・・・

PS
5月29日~30日にかけ倉敷で開催されました『第21回西日本婦人大会』恵みの内終了いたしました。皆様のお祈りに感謝いたします。

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