倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[復活した主イエス]キリスト教礼拝メッセージ要約

2014年07月27日 | メッセージ
聖書:ルカによる福音書24章33~43節
抜粋:42:彼らが焼いた魚の一きれをさしあげると、43:イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた。

<要約>
主の御名を賛美します。

 主イエスが言われてていた通り復活されました。そのイエスを見た弟子たちですが、そんな事ありえない、と思うところがあり、ギャップが生まれていました。主イエスと共に三年間も生活していた弟子たちでさえ、そう思ってしまったのです。この箇所より以下3つの視点で見てまいります。

(1)お互いの心が燃えた
24:32 直前の節にそう記されています。l聖書の言葉が解き明かされた時、弟子たちの心が燃えました。解き明かされるとは、心が開かれる事です。旧約聖書を読み信じる者は、全世界の4分の3もの人たちがいますが、キリスト教と決定的に違うのは、他の宗教はよみがえられた事実を受け入れる事ができず、すでに来られたメシアを待ち続けているという事です。目が、心が解き明かされていないのです。預言者が葬られ、墓の中に居続けていると思うか、預言通り主イエスは復活されたと信じるかで、人生は180度変わってしまいます。

(2)安かれと言われる主
24:36 イエスが彼らの中にと記されていますが、別の解釈では、ど真ん中にお立ちになっている。と書かれています。今年も大きな台風が日本に暴風雨をもたらしています。台風の中心である目は止まっていて平安ですが、まわりは暴風雨となっています。よく平安とは、家内安全、商売繁盛、無病息災と言われ、どれかが崩れると不幸と考えてしまうようです。しかしこれらは見えるものであって、本当に平安をもたらす『心』が残念ながらおきざりになってしまっています。

(3)私だと言われる主
24:38 復活された主を見た弟子たちは、それが幽霊だと思いました。世界中で霊の存在を信じています。日本でも盆には、先祖を迎えそしてともに過ごし送る習慣があるようです。主イエスの復活と決定的に違う事は、肉体を伴って主イエスは復活された。という事です。肉を持つイエスが焼いた魚を食べた事があえて記されています。

 主イエスは確実に復活されましたが、今を生きるあなたと何の関係があるのでしょうか?
共に歩んでくださっていると確信し、生きておられますでしょうか?
クリスチャンとは、復活された主イエスを信じる自らの心に、ギャップがなくなった人たちの事です。これは頭でいくら勉強しても、理解しようとしてもできません。ただただ主イエスがあなたのために何をなさったのか、それを認め救い主として受け入れるところから、そのギャップがなくなる事でしょう。

 今週も主にある一週間となりますように。


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[ペテロのしゅうとめのいやし]キリスト教礼拝メッセージ要約

2014年07月20日 | メッセージ
聖書:マルコによる福音書1章29~31節
抜粋:31:イエスは近寄り、その手をとって起されると、熱が引き、女は彼らをもてなした。

<要約>
主の御名を賛美します。

 私たちが住む倉敷で、小学生が誘拐される事件がありました。幸い住民の情報提供、町ぐるみでの捜索の結果、無事少女は保護されました。海外では民間機が撃墜され300名もの命が一瞬にして奪われる事件がありました。何かがおかしい、ズレている気がいたします。心に平安がなくなった結果、このような事件を起こしたのだと思います。
聖書に入りますが、主イエスは会堂で説教された後、シモンとアンデレの家に入って行かれました。この箇所から以下3つの視点で見てまいります。

(1)家族をかえりみられる主イエス
漁師だった4人の弟子は、すぐ網を捨て主イエスに従いました。そしてカペナウムのシナゴーク(家庭的会堂)で語られた後、ペテロとアンデレの家に入って行かれました。主イエスの家庭訪問でした。主に従う者だけでなく、家族をもかえりみられる主イエスでした。

(2)主イエスにみいだされたペテロのしゅうとめ
家に入るとペテロのしゅうとめ(奥さんのお母さん)が高熱で寝ていました。人々はこの事を即主に伝えました。自分たちではどうする事もできないけれど、主ならいやして下さると信じて伝えたのです。主イエスはしゅうとめに近づき、手をとって起こされると熱が引き、回復しました。

(3)主イエスに仕えるペテロのしゅうとめ
熱が引いたしゅうとめは、彼らをもてなしました。主に仕えた(サービス、奉仕、礼拝)のです。聖書は未完了過去表現が使用されており、しゅうとめの奉仕が今だけではなく、この日からずっともてなした事が記されています。しゅうとめは喜びと感謝に満ち、仕えたのです。

 主イエスに仕える姿は喜びと感謝に満ちています。理屈なしに自ら行動として現れて行くのです。もし信じているけれど、行動が伴わない方がおられるなら、伝道や教会奉仕が喜びと感謝に満ち満ちしているか、立ち止まって自らを知る事が必要かもしれませんね。

 今週も主にあり素晴らしい日をお過ごしください。


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[悪霊につかれた人のいやし]キリスト教礼拝メッセージ要約

2014年07月13日 | メッセージ
聖書:マルコによる福音書1章21~28節
抜粋:25:イエスはこれをしかって、「黙れ、この人から出て行け」と言われた。26:すると、けがれた霊は彼をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。

<要約>
主の御名を賛美します。

 先週は台風8号と梅雨前線が刺激されたこともあり、大雨が降り大きな災害に見舞われた場所、方々がおられます。一日も早い復旧と心身のいやしがありますようお祈りいたします。
聖書箇所ですが、主イエスの宣教初期の場面です。副題をつけるとすると『権威あるイエスの言葉によるいやし』だと思います。この箇所から以下2つの視点で見てまいります。

(1)教える主イエス
ガリラヤ湖畔で最初の弟子となった、ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネと一緒にガリラヤ湖畔の北にあるカペナウムに、安息日に礼拝を行うために向かいました。主イエス一行はシナゴークという小さな群れの会堂へ入り、飛び入りで教え始められました。それは権威ある方が教えられ、聞いた人たちはひっくり返るほどの驚きがありました。
この驚き、権威ある教えで人々はかき集まりました。

(2)けがれた人をいやす主イエス
ルカ4:31からも同じ記事があり、イエスが一人ひとりの上に手を置かれいやされた事が記されています。ただ一人を大切にされている姿です。そして大切な事は、主のなさる事は言葉と行動が一緒に働く事でした。立派な事は言うけれれど、行動が伴わない人また、言葉と行動が逆の人がいます。なぜ言葉と行動が一致しないのでしょうか?
そこには、金、名誉、チンケなプライドが邪魔しているのです。

 お金や名誉がすべて無意味とは申しませんが、それを死守しよう、またもっともっと大きなものにしよう。と考える事により、心とは真逆の人生を歩む事となってしまいます。最初は正直で立派な人も心が欲で満たされ、もはや支配の奴隷に落ちぶれてしまうのです。
現在の悪霊と言っても間違いではないでしょう。
立ち止まって自らを省み、もしこのような事に気づきベクトルを修正する事ができるなら何と幸いな事でしょう。

 今週も主にあり素晴らしい日をお過ごしください。


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[目が開かれ主イエスがわかる]キリスト教礼拝メッセージ要約

2014年07月06日 | メッセージ
聖書:ルカによる福音書24章13~34節
抜粋:23:イエスのからだが見当らないので、帰ってきましたが、そのとき御使が現れて、『イエスは生きておられる』と告げたと申すのです。

<要約>
主の御名を賛美します。

 主イエスが葬られた場所には主の体がなく、婦人たちはそこで見聞きした事を弟子たちに話ました。そこで聞いた事とは、イエスは生きておられる。という事でした。どう考えても死んだ者が生き返る事など理解できない弟子がエマオという場所へ向かいながら話していました。
この聖書箇所より、5つの視点で見てまいります。

(1)よみがえられた主は、まずマグダラのマリヤに現れた
主イエスは誰の前にも現れたのではなく、主の事を思う者、慕う者の前に現れました。マリヤは罪多き女とも記されていた人でしたら、主イエスにより救われすべての罪がとられ真っ白に変わる事ができました。私を救い生かしてくださる方はこの方しかいない。そう強く思い続けるマリヤにまず主は現れたのです。

(2)11人の弟子たちに現れた
ユダを除く11人の弟子たちに複数回現れた主イエス。ユダヤ人たちを恐れて戸を閉め、集まって祈っていたその時に主が現れ「シャローム(平安あれ)」と語られ元気づけられました。

(3)最初に現れた時いなかったトマスに現れた
他の弟子たちから主イエスが復活され会った。と聞いても、そこにいなかったトマスは、釘の跡、脇腹の傷を見るまでは信じない。とかたくなになっていました。最初に会われてから8日後、わざわざトマスのために再び主が現れました。トマスは主イエスを信じていましたが、ありえない事との葛藤の中にいました。そこに主が現れたのでした。

(4)ガリラヤに帰った弟子たちに会われた
漁をしても何も捕れません。そこへ「何か捕れますか? 舟の右に網をおろしてみなさい。」と誰かが湖面から語ります。網をおろすと、破れんばかりの魚が入り大漁。そして弟子たちは語られたのが主だったと気付きました。

(5)エマオに向かう二人の弟子に現れた
二人の弟子は、墓に主イエスの体がなかった事など聞いた事を話しながら向かっていました。主が一緒に歩いて行かれ声をかけられますが、二人の弟子は目がさえぎられて語られる人が主イエスと気づく事はありませんでした。人間としての常識、知識、理性によって事実を見る事ができなかったのでした。

 時間を超え、場所を超え、主を思うもののために現れた主イエス。主は傷を見て信じたトマスに、見ないで信じる事が出来れば幸い。と語られていますが、それは知識が多く、当たり前の常識や情報が多い今を生きる者には何と大変な事でしょう。しかしその中で、理屈で解決せず、主のなさった事、自分の罪を取り去り、自らの命を捧げられそしてよみがえられた事実を今、確認し信じる事が出来るなら何と幸いな事でしょう。
 今週も主にある一週間となりますように。


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7月4日(金)のつぶやき

2014年07月05日 | メッセージ

食べログなう>> やや甘めの濃いスープが特徴のお店 昼:★★☆☆☆2.5 tabelog.com/rvwr/001174706… #tabelog


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7月1日(火)のつぶやき

2014年07月02日 | メッセージ

[主イエスの教会の備え]キリスト教礼拝メッセージ要約 blog.goo.ne.jp/te-ke-te-ke/e/…


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